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はじまりのはじまり

 テレビ画面に、上空から撮った、百貨店の屋上庭園が映し出される。静かな音楽とともに、アナウンスが流れる。

「これが、わたしたちの働く店舗です」

画面には、ファッションフロアの隙間に佇む、書籍売り場が映っている。

 園子の通う大学は、郊外にキャンパスがある。学校から歩いて数分の所に百貨店があり、その中に入っている書店で、アルバイトをすることに決めた。学校から近いのは便利だと思ったし、社割で買い物ができることに魅力を感じたのだ。飲み会で、早々にサークルに見切りをつけたせいでもある。面接を申し込んだところ、人手不足らしく、すぐに採用が決まった。服装は白シャツにパンツで、と指定されたので、ユニクロでシャツとジーンズを揃えた。バイト初日に、十五分ほどの研修映像を見ることになった。

 店舗の紹介の後に、社員通路や休憩所の説明があり、注意事項を読みあげて、映像は終わった。支給された店指定のエプロンをつけて、すぐにレジに出ることが決まっていた。

 出版不況が叫ばれて久しいが、書店も意外と混む。時間帯によっては、レジは長蛇の列になった。レジの扱いにも慣れないのに、当然待ってはもらえない。教育係がつくこともなく、わからないことがあれば、忙しい先輩をつかまえて質問するしかない。あっという間に、園子はへとへとになった。

「遅いよ!なにやってんの?」

閉店間際、客に罵声を浴びせかけられ、園子はすくみあがった。

「申し訳ありません」

客と園子の間に、すっと割り込んだ人影が声を放つ。腰まである髪をヘアクリップで留めた、背の高い女性だ。手早く会計を済ませ、女性はもう一度、深々と頭を下げる。

「申し訳ありませんでした」

客は何も言わず、乱暴に本の包みを受け取った。客が立ち去ると、園子の耳元で、女性が囁く。

「あの人、よく来るよ。短気だから気をつけてね」

「はい!」

慌てて返事をしながら、女性と目を合わせた。冷静な態度と裏腹に、気性の激しそうな雰囲気を纏っている。歳は、三十代後半くらいだろうか。卵型の顔に暗い色の口紅を引き、ほっそりした眉が印象的だ。今日はなにかと助けてもらったことに気づき、今度は園子が、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました」

ふと相好を崩し、女性が頷く。煙草と香水の混じった、独特の香りが鼻腔をくすぐる。大人の女性も、本屋で働くんだな、と園子は思った。


 立ち込めた湯気で、視界が曇っている。浴場内のあちこちで、水音や、桶のぶつかり合う音が跳ねる。園子がシャワーを使っていると、隣にあんながやってきて、シャンプーを始めた。

「バイト、どう?」

くぐもった声で言われて、うーん、と園子は首を傾げた。

「ちょっと慣れたけど、ハード。どう?サークルは?」

「それなんだけどね」

しゅわしゅわと髪を泡立て、声を潜めてあんなが言った。

「園ちゃん、あの中で、気になる人いなかった?」

「いや、全っ然」

思わず、語気を強めると、あんなが苦笑いした。

「ごめんねえ、つきあわせちゃって…」

「いいよ、行ってみたかったから」

慌てて、園子はフォローした。体を洗い終えて、シャワーで流す。腕に筋肉がついてきた気がする。書籍は重い。ダンベル体操ではないけれど、鍛えられる、と気づいたのは、バイトを始めて二週間が過ぎたころだ。

「でも、園ちゃんは人気あるんだよ」

「は?」

唖然として、園子は訊き返した。

「新入生の男子が、園ちゃんを気に入ってるんだって。なんかねえ、清楚で純粋なんだって。あたしみたいのは、『汚れてる』って言われた」

ぺろりと舌を出し、悪びれずあんなが笑う。猛然と、園子は言い返した。

「そんな言い方、あんなに失礼じゃん」

気に入る、という言い方も引っかかった。わたしは物ではない、と強く思う。その言い方では、こちらに選択権がないような気さえする。

「その一年生の男子にね、

『あたしのどこが汚れてるんですか?』

って、訊いてみたの。そしたらね、

『だって、君は化粧してるじゃないか!』

だって」

あはははは、と、声をあげてあんなが笑った。園子は、一体なにが面白いのかわからない。

「悪い人じゃないと思うよ。連絡先交換してきたから、一度遊んでみない?」

「やめとく」

短く言って、園子は湯船に歩み寄る。髪を流し終えたあんなが、追いかけてきた。

「園ちゃん、漫画とかアニメ、好きじゃない?その人も好きなんだって。話、合うかもよ」

橋本の顔が脳裏をよぎり、園子は黙って、湯船に体を沈めた。あんなが、顔を覗き込んでくる。

「それとも、他に好きな人いるの?」

「いない」

「じゃあ、いいじゃん!」

園子は目を閉じた。橋本の顔が、瞼の裏側にまとわりついて離れない。簡単に、園子は言った。

「わかった。一度会ってみる」

「本当?」

あんながはしゃいで、園子は頷いた。ずっと、こんな風に、はっきりしない想いを抱えているよりはマシかもしれない。もし、本当に話が合えば、友達くらいにはなれるかもしれない。あくまでも、希望的観測に過ぎない。でも、考えてばかりいるよりも、なにか行動した方がいい。

「じゃあ、渋谷にする?ごはん?映画?」

あんなが、嬉しそうに計画を立て始めている。あんなは恋愛の話が好きだ。その姿が、あまりにも楽しげなので、まあいいか、と園子は思うことにした。

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