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変化のきざし

ぴろん、と軽快な音がして、携帯の画面にメッセージが浮かびあがった。

『橋本、彼女できたって』

たった一行の言葉が、園子の眼を射た。今見たものが間違いではないか、確かめるように瞬きをする。ゆっくりと、二度、三度。でも、メッセージの内容は変わらなかった。呼吸が早くなり、胸の奥が軋むように痛んだ。

 橋本誠は、高校の同級生だ。園子の所属する美術部で、たったひとりの男子生徒だった。だからといって変わり者ではなく、朴訥とした少年で友達も多かった。家の方向が同じだったので、よく一緒に帰った。自転車をこぎながら、車の音に掻き消されないように、大声で喋った。不思議なほど、会話は途切れなかった。話し足りなくて、地元のマクドナルドに寄ることもあった。今思い返すと、なにをそんなに話すことがあったのかわからない。他愛ない学校の話や、漫画やアニメの話をしていたと思う。

 三学期のはじめだった。運動部の女子が、はしゃぎながら訊いてきた。

「橋本くんと青山さんって、つきあってるの?」

放課後の美術室の入り口だった。たまたま居合わせたところで、開口一番に訊かれたのだ。咄嗟に、返す言葉を失った。橋本を見ると、同じように言葉を失っていた。沈黙は肯定と受け取ったのか、運動部の女の子たちは、きゃあきゃあと嬌声をあげて走り去った。あっという間の出来事だった。

 その時、訊けばよかったのかもしれない。

 わたしたちって、つきあってるの?

 でも、橋本はなにも言わず、美術室の戸を開けた。途端に、油彩絵の具の匂いがつんと鼻を突き、日常に引き戻された。中では、後輩たちがデッサンをしたり、おしゃべりに興じたりしていた。何事もなかったかのように、放課後が始まった。

 ラインしてきたのは、元美術部の友達のひとりだ。きっと、嘘ではないだろう。最初は他愛のない近況報告だった。でももう、会話を続ける気になれなくて、園子は携帯を投げ出した。ベッドの上で、携帯は返事を待つように、光を放っている。


こんこん、とノックの音が響いて、

「はい」

と、園子は声をあげた。ドアを開くと、部屋着姿のあんなだった。

「明日、何着ていこうか迷ってて…園ちゃん、もう決めた?」

明日は土曜、例のサークルの見学の日だ。水曜と土曜に活動している合唱サークルらしく、いつでも見学に来てくださいとのことだった。

「一応、あれの予定だけど」

園子は壁を指さした。ブルーのギンガムチェックのシャツワンピースと、ネイビーのパーカーが吊るしてある。足元は黒のコンバースにした。一応、朝になって迷わないように出しておいたのだ。あんなが、もじもじし始めた。

「あたしの部屋に来て、選ぶの手伝ってくれない?」

これ以上携帯を見ていたくなかったので、園子は快諾した。一応部屋に鍵をかけ、あんなと一緒に階段を昇る。園子の部屋は一階だが、あんなは二階だ。

 部屋に入ると、カラフルな色の洪水が、視界に飛び込んできた。カーテンもベッドカバーもパステルカラーで、そこかしこにダッフィーやシェリーメイのぬいぐるみが置かれている。それに加え、ドレッサーの椅子や書き物机に至るまで、色とりどりの洋服が掛けられていた。花柄やレースのものが多い。

「女子大生って感じだねえ」

無印一辺倒の自分の部屋を思い浮かべ、園子は思わず言った。えへへ、と顔をほころばせ、

「せっかく大学受かったから、女子大生を楽しもうと思って」

と、あんなは言った。

 姿見の前で、あれもこれもと着替えているあんなを見て、少し不思議な気分になった。自分で言っておきながら、女子大生、という言葉の響きにだ。一体、誰を指す言葉なのだろう。園子だって大学の女子学生なのだけれど、その言葉と自分とが、大きく乖離していると感じずにはいられない。量産型、という言葉もあるけれど、そこには確かにある種の定型があって、あんなは自ら適応しようとしているようだ。怖くないのかな、と園子は思った。記号は、あくまで記号であって、自分自身ではない。自分が消えてしまうような気持ちにはならないのか。

 ふと、ベッドの上に伏せて広げられた雑誌に目が留まった。正確に言うと、雑誌の裏表紙の写真が、園子の目を引いた。

 それは、男性か女性かわからなかった。性別が不詳なら、年齢もよくわからない。ほっそりした面に、まっすぐな前髪がかかり、うなじは短く刈られている。唇は厚く、物問いたげにすぼめられている。印象的なのは目元で、ビビッドなブルーのアイラインが瞼を彩り、目尻で跳ね上げられていた。

「これにする!」

あんなが声をあげて、園子は振り向いた。最初に着ていたレースのブラウスに、薄手の花柄のスカートを合わせるらしい。正直、他の服との区別はあまりつかなかったが、上機嫌のあんなは可愛らしかった。

「決まってよかったね」

園子も笑顔で答える。

「本当、手伝ってくれてありがと!ね、お菓子食べない?お茶淹れるよ」

フリルのついた籠から、クッキーの包みを取り出して、あんなが笑う。小さなキャビネットから、赤い水玉のマグカップが出てきた。爪が綺麗に塗られた指先が、ポットのスイッチを押すころにはもう、園子はさっきの写真のことは忘れてしまっていた。


東京は、なにもかもスピードが速い。ひっきりなしに人の溢れる渋谷を通り過ぎ、駒場と呼ばれる東大のキャンパスに着く頃には、園子はすっかり疲弊していた。スニーカーで来てよかった、と思わずにはいられない。あんなはベージュのローヒールパンプスだったが、よくあの靴で歩けるものだ。古い校舎の一角で、合唱の練習を見学した後、渋谷の居酒屋に連れていかれた。飲み会は二十人近くの大所帯で、男性の方が多かった。女性は東大生と他大の生徒が半々くらいだ。男性のタイプは様々だったが、女性の方は一目で、東大生と他大生が判別できる。東大生は黒髪の率が高く、化粧が薄い。眼鏡をかけている人も多く、全体的に生真面目な印象だ。対して、他大生は髪を巻き、薄物のスカートを穿き、高い声で喋っていることが多い。バリエーションの違いはあれど、あんなと系統が一緒だ。彼女の姿は見事に、この場に溶け込んでいる。

「男女、交互に座って。一年生を間に挟んで」

幹事と思しき男性が声をあげた。園子は、あんなと離れて座ることになってしまった。あんなも、やや不安そうな顔で園子を見ている。しかし、すぐに両側の男子生徒に話しかけられ、談笑を始めた。

「お酒、飲める?」

「いえ、未成年なので」

隣の男性に話しかけられ、目を伏せて答えると、ウーロン茶がまわってきた。ニュースなどでよくある、飲酒の強要はないようだ。少しほっとして、園子は面をあげる。ウーロン茶をくれた男性が、

「他の子と雰囲気違うね。君、どこ大?」

と訊いてきた。大学名を答えると、怪訝な顔をされた。

「誰がチラシ持って行ったの?この中にいる?」

「いえ、わたしは工藤さんに誘われただけで…同じ寮なんです」

「ああ」

合点がいったように、ビールをあおって男性は頷いた。こころなしか、不機嫌そうだ。園子は小さくなって、ウーロン茶を一口飲む。

 ない、って思われてるんだろうな、と察することはできた。田舎育ちの世間知らずにもわかる。ここは、将来を約束された男性が、お嫁さん候補と出会うためのコミュニティなのだ。それは、同レベルの会話ができる知性か、女性としての圧倒的な魅力を備えた人間にしか、権利はない場だということだ。園子はどう考えても、どちらでもない。世間的に見て、多数の女性が自分の側だ。そう考えて、園子は自分を慰める。そもそも、出会いを期待していたわけではない。それでも、ここへ来た以上、否応なしに値踏みされるのだ、と園子は悟った。でも、と思い直す。どうして、値踏みされなきゃいけないんだろう?

「誰か、サラダ分けてよ」

隣の男性がまた、声をあげる。テーブルの上を見ると、園子に近い場所にトングが置かれている。おまえがやれと言われている気がして、おずおずと手を出した。取り皿を並べ、トングで野菜を乗せていると、頭上から明るい声が降ってきた。

「へえ、気は効くじゃない」

先程の男性が、機嫌を治して笑っている。こういうことが評価される場が、本当にあるのだ。女性陣が、優しい~、かわいい~、と、応援するように声をあげた。今夜の居場所ができたのだ、と、漠然と悟る。でも、気分は良くなかった。テーブルの上では、ドレッシングの油に濡れたレタスが、てらてらと光っている。

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