はじまりの春
窓の外に植えられた桜が、ガラス越しに風にふるえている。
学生寮の食堂は空いていた。園子の他にはもうひとり、小柄な女の子がいるだけだ。こちらに背を向けて、並んだテーブルのひとつに座っている。夕食を取りながら、テレビを観ているようだ。つけっぱなしのテレビからは、低く音声が漏れている。この食堂はセルフサービスで、あらかじめ盛りつけられた皿を、トレイに取っていく仕組みだ。
神奈川県内にある学生寮に入居して、2週間。近辺の大学の女子学生を集めたこの寮は、地方出身の女の子が多い。園子も、大学進学のために、広島から上京してきた。東京は、なにもかもが地元とは違った。とにかく人間の数が多く、物事のスピードがめまぐるしい。それに、家族以外の他人と暮らすというのが、どうも慣れなかった。部屋は個室だが、風呂やトイレは共用である。園子の大学は共学で、私立の割にそう派手でもない。だが、近辺の女子大の女の子は、全体的に容姿が華やかだった。彼女らに悪意があるわけではないが、文化が違う。園子は気後れして、寮の中で特定の友達を作れずにいた。
夕方になると、こころもとない不安に襲われる。夕陽を見ると、ホームシックの淋しさがこみあげる。だから、敢えてその時間帯に食堂へ行き、心細くならないよう努めていた。
「ここ、いい?」
顔を上げると、先程の女の子が、園子のテーブルの横に立っていた。手にはトレイをかかえている。人懐こそうな垂れ目が、とろんと笑った。
「一緒に食べようよ」
「うん、いいよ」
園子が頷くと、対面に座った。キャラクターの模様がプリントされた、上下のスウェットを着ており、栗色の髪が胸元まで伸びている。学校に行く時は巻いていくんだろうな、と思った。今は素顔だけれど、普段は化粧しているであろうタイプだ。園子の髪は、肩までの黒髪だし、化粧も入学式以来していない。
「入学式、どうだった?」
「偉い人の話が長かった。女子大?」
「うん」
ぽつぽつと会話しながら、箸の先で煮魚を崩す。
「共学なの?いいな。彼氏できそう?」
「全然」
「でも、チャンスが多いよね。サークルとかやらないの?」
「今のところ考えてない」
「もったいないなあ」
少し考えてから、彼女は言った。
「一緒にサークルの見学に行かない?東大の」
「東大っ?!」
思わず、大きな声が出てしまった。園子のリアクションは意に介さず、のんびりと女の子は頷いた。
「うちの大学、女子大だから、東大のインカレサークルから勧誘が来るの。入学式でチラシもらったんだけど、一人じゃ行きづらくて。なんか、勧誘に来た人、あんまりかっこよくなかったから、友達がつかまらないんだよね。見学だけでいいから、つきあってもらえない?」
インカレサークルとは、東大の学生と、近辺の女子大の学生で構成されるサークルなのだという。学校を越境したサークルがあるなんて知らなかった。園子の大学は共学だから、そういう仕組みのサークルがあるとは思えない。
そんな所に行ってみるなんて、思いもよらない話だ。自分が顔を出すのは、場違いのような気もする。でも、寮の中で、友達ができそうなのが嬉しかった。
「いいよ、行ってみたい」
「やったあ!」
園子が答えると、女の子が両手を叩いてはしゃいだ。
「名前、言ってなかったよね。工藤あんなです」
「青山園子です」
どちらからともなく、座ったまま軽い会釈をする。くすぐったい気持ちが、胸に湧きあがってきた。窓の外では、ほころびかけた桜が、青い夕闇に浮かびあがっている。