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プロローグ

 男の背を踏む夢を見る。


 立派な体格をした壮年の男、その剥き出しの、裸の背だ。こちらを見ずに、四つん這いに蹲っている。翼の名残りのように盛り上がった筋肉が横たわる場所に素足を乗せ、ゆっくりと体重をかけていった。喉から漏れる忍び笑いには気づかれているに違いない。だってこの大きさの差といったら。全く、何度見ても面白くってしかたない。きっとこんな小さな足を振り払うのは容易い筈なのに、男があえてそうしないことが一目でわかる光景だった。

 肌の一面に、水を浴びたような汗が光っている。首筋に力が入り、踏まれたまま男は頭をこちらに振り向けた。


 腹を減らした狼のような目だ。それも、頂点で群れを率いる選ばれた一頭の。その誇り高い目を酷く歪ませている感情を捕まえて、一つ一つ名を与えていく。屈辱、怒り、欲、戸惑い、罪、忍耐。そして──愛情?


 勿体ぶりたいの、もっともっと。この男の求めているものを、目の前に吊り下げて。強い男に、だらしなく涎を垂らして請わせたい。そうして名付けた全部の感情を焚きつけて、溶けた(くろがね)のように混ざり合ってから取り出せば。それって、ただの色恋よりもずっと強固なものになるでしょう?


 ねぇ、何が欲しいのか言って頂戴?

「あげない」って、そう返してあげるから。


 戯れに口を開こうとしたところで、外から聴こえた物音が夢を破った。


 



 てい、てい、てい。





「変な鳴き声ねぇ、相変わらず」


 半分夢の中にいるまま呟いたら、枕に乗った真っ白な小鳥が首を傾げた。


「千年経っても、二千年経っても、どれだけ聴いたってやっぱり変だと思うわ」


 そんな悪口がわかるのかどうか、小鳥は翼を広げて褥に横たわる女の上に乗った。そうしてもう一度はっきり「てい」と鳴いたから、やはりわかっていないのかもしれない。


 身を起こし、気怠く長い黒髪をかき上げた。手癖のように数度撫でてから、膝の上にいる小鳥を指でくすぐってやる。心地良さそうに目を細める鳥に言うでもなく、独り言のように語り始めた。


「夢を見てたの。あの日も見た夢。船が来た日よ、覚えてる?あの人の顔を見た瞬間、全部わかったわ。私、まだ子供だったのに」


 ねぇ、覚えてる?私以外に覚えてるとしたら、もうあなただけなんだから。そんなことを言われても、小鳥は胡麻粒のような黒い瞳でじっと女を見るだけだ。その小さな頭に何が浮かんでいるのか、女にはわからない。あの村、あの港、あの最初の男──コウのことを、ちらりとでも思い浮かべたりできるのだろうか。


 首筋を無意識に撫でていた。そこに薄く長く、斬られた傷が残っている。男が残した、重い情の痕跡だ。


「まだ、焦がれてくれるのかしら」


 静かな声に応える者もなく、窓から漏れる光がまた朝が来たことを告げていた。

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