SS2. 突然のひらめき -菊江-
御礼SS、続いては高槻の妹、菊江です。
本編後、大陸に移住しているトワとの会話です。
青い島の人間が新年にこの柏原家の城にやってくるのは恒例となっていて、私はそんな彼らをこっそりと眺めるのを毎年の楽しみとしていたの。
トワ、あなたが愛してやまない青い島の人たちのことよ。
あなたの青い島からやってくる人たちはいつだって男だったわ。トワ、あなたは知っていると思うけれど。そしていつも同じ面子だった。強面の村長。それに付き人が二人。彼らは寡黙で、気軽に話しかけることなんてできない雰囲気をいつも醸し出していた。あ、そこで笑うってことは、トワも彼らに対して私と同じ印象を持っていたってことよね。うん、そうなの。
でもね、遠くから彼らを見ているだけでも、私にとってはじゅうぶん楽しかったの。だって、この辺りには彼らみたいな人たちはいないから。一寸ほどの短い髪も、むき出しの二の腕やふくらはぎも、こんがりと焼けた肌も。刀の代わりみたいに常に手放さない銛も。そう、本当に見ているだけで楽しかったのよ。あなたが今、この地で見るものすべてが目新しくて興味深いように。
でもね、当時の高槻兄さまはどうでもよさそうだった。知っていると思うけど、あの頃の高槻兄さまは、釣りが趣味というか、釣り以外のことには興味がなかったから。
あら?
どうしてトワがそんな表情になるの?
私、何か変なこと言った?
「ううん。なんでもない。続けて」
わかったわ。
うん……でもね。三年前、コウヤさんが来てから高槻兄さまは変わってしまったのよね。
「コウヤが来てから? ……どんなふうに?」
簡単に言えば、全部。そう、全部が変わったのよ。
他の人にはわからなかったかもしれないけれど、私にはわかった。濁った魚のような目をして、うら寂しい無人島で日がな釣りをしているだけだったのに、やけに表情が明るくなったから。それに毎日うきうきしていた。
「……うきうき?」
あはは。トワも意外だって思うのね。
でもほんとうなのよ。何か楽しいことを見つけたような、嬉しいことがあったような。そんな表情になっていたわ。
決定的だったのは、例の無人島にコウヤさんを連れていったことね。今まで誰も連れていくことはなかったのに。兄弟の中で唯一高槻兄さまと仲のいい私だって、絶対に連れていこうとはしなかったのに。
島から帰ってきた二人はそれからやけに親密になって、よく二人で話すようになった。そう、私をさしおいて。
「……もしかして、菊江はさみしかったの?」
さみしい?
私が?
うん……言われてみればそうかもしれない。そうね、そうかもね。
だってこの城で高槻兄さまのことを理解できるのは私だけだっていう自負があったから。
だからね、私、青い島の人たちに対して、正直、いい印象を抱けなくなっていたの。ありていに言えば敵意ね。高槻兄さまを変えてしまったコウヤさんのことも、島から帰ってきた高槻兄さまがまるで憑き物がとれたように落ち着いてしまったことも、私にはゆるせなかった。
高槻兄さまにとってはいい変化だった……とは思う。人としては、ね。でもこれはそんな単純なことじゃないのよ。いい方向に変わったからといって、それをすべて喜んで受け入れる人ばかりだと思ったら大間違いだわ。
『私の兄さま』が変わってしまった、その事実が私にはどうしてもゆるせなかった。
だからね、高槻兄さまからトワの世話を頼まれたとき、私はほの暗い歓喜で笑い出しそうになったの。ふふ、トワは知らないでしょうけどね、高槻兄さまのような高位にある男が特定の女を城に住まわせるってことは、妾にするってことで、私はトワをいびり倒して城から追い出してやろうってその時心に決めたのよ。
「妾ってなに?」
ふふ。やっぱり知らないのね。
妾っていうのは妻とは別に囲う女のことよ。
「囲う?」
もっと直接的に言わないと伝わらないか。えーと、つまり……うん、そう、実質的には妻と同じかな。
「妻っ?」
そう。妻。形式上の妻ではないというだけで。
「でも私、高槻とはそういう関係じゃないし、高槻も私のことをそういう対象として見ていないよ?」
うん。わかってる。今はわかってるわ。
でもね、私だけじゃなくて、当時、誰もが私と同じように思っていたのよ。あの高槻兄さまが女をこの城に滞在させたいと言い出したんだもん。しかも高槻兄さまは島から戻ってから、また輪をかけて人が変わってしまったから。万人にとってはとてもいい意味で。そして私にとってはとても悪い意味で。その原因を、トワ、あなたに見出したのは、誰にとっても自然なことだったの。
「……そうだったんだ。だったら菊江はわたしのことが嫌いだったのね」
そうね。そこは否定しないわ。でも今はトワのことが大好きよ。
「うん。知ってる。ずっと一緒にいるしね」
トワに会えて、私、ほんとうによかったと今は思ってる。トワと仕事を始めて、いろんな国に行くようになって、毎日がすごく充実しているわ。
「うん。私も毎日楽しい」
もうずっとここで暮らしたら?
「え?」
ほら、許嫁だった人がいる島になんて戻りにくいんじゃない?
この城でもいいし、別の家を用意してもいいし。外国でもいいわ。一緒に暮らして、誰とも結婚なんかしないで、ずっとずっと商売を続けましょうよ。
「そう……だね」
ね。そうしよう?
「……菊江は、さ。恋をしたことある?」
どうしたの、突然。
トワが青い島や商売以外のことに興味をもつなんて初めてじゃない?
「興味なんてないの」
え?
「興味はないの、昔から。生まれたときから定められていた許嫁がいたし」
あ、だから?
「なにが?」
さっきの質問の意図よ。婚約を破棄したから恋をしてみたくなったんじゃないの?
「違う、違う! そうじゃなくて!」
そうじゃなくて?
「えっと……ただ純粋に訊きたかったの。菊江が恋をしたことがあるかどうか。ほら、さっき結婚しないなんて言うから」
あるわよ。
「あるのっ?」
一度だけね。すぐ失恋したけど。
ちなみに相手はコウヤさん。
あ、すごく驚いている。ふふ、そうよね。驚くわよね。
私、これでも柏原家の人間でしょ。だから普通ならトワのように許嫁を決められて、もう私くらいの年なら嫁いでいるものなのよね。
でもね、私ってほら、ちょっと変わってるじゃない。
「変わってる? どこが?」
そっか。トワにはわからないか。……ふふ。嬉しい。でもこの大陸の人達にとっては私みたいな女は変わってるって捉えられるの。そのせいで私を嫁にもらってくれる人が全然いなくて。
でも正直、私は今のままでいたいのよね。夫にしたい男なんてどこにもいないし、自由でいることが好きだから。
「でもコウヤは違ったんでしょ?」
そう。そうなのよ。
自分でも驚いたわ。私にも恋ができるんだって知って、すごく驚いた。
でもね、コウヤさんはいっつも高槻兄さまと一緒にいたし、そこに私が近寄るとその場からいなくなっちゃって。
「えええ……」
ね。ひどいでしょ?
「ひどい」
でね。そんなことが何回か続いて、もう無理だなってあきらめたの。コウヤさんは私を好きにはならない、そのことがはっきりとわかったから。
「……そうだったんだ」
ああ、そんなに悲しそうな顔をしないで。
いいのよ。ちょっと見た目や雰囲気がいいなって思っただけで、本気で好きになってはいなかったから。
「……好きっていう感情にもいろいろあるのね」
ええ。これは私の持論だけど、誰かを心から好きになるには、やっぱりそれなりに心を通わせることが必要だと思うのよね。見た目や雰囲気はただのきっかけで、それだけで心をゆだねることなんてできないわ。
「心を……ゆだねる」
そう。その人と一緒にいて安らいだり、嬉しくなったり……そういった感情を分かち合うってことは、心をゆだね合うっていうことだと思うの。それが人を心から好きになるってことだと思っているわ。
「それがコウヤとはできなかったってことなのね」
うん。そう。
正直に言っていい?
あのね、私にはそういう相手は一生できないんだろうって思ってるの。
「え。でもわたし、菊江とはもうそういう関係だと思ってるよ?」
私が言いたいのは一番特別な人ってこと。たとえば結婚する相手も含めて、ね。
トワには元許嫁の幼馴染がいるでしょ。高槻兄さまにはコウヤさんがいるでしょ。私が特別に仲がいいと思っている二人は、どちらもそれぞれに私以上に仲がいい人がいるのがね……うん、少しさみしく思える時があるの。あ、もちろん、二人に私を優先してほしいだなんて、そんなことちっとも思っていないわよ。そうじゃないの。そういうことじゃなくて……うん、説明するのが難しいわね。
ね、トワ。やっぱり高槻兄さまの奥さんにならない?
「……どうしてそういう話になるの?」
だって、トワが高槻兄さまとくっついたら、二人はお互いが一番特別な相手になるじゃない。
「だからどうしてそういう話になるのよ」
ああ、もう。怒らないでよ。
「おや。二人して何の話をしているんだい?」
あ、高槻兄さま。
「なんでもない。菊江、今の話、絶対に高槻にしゃべらないでよ。じゃ、わたし行くね」
え? トワ、もう行っちゃうの?
あーあ、高槻兄さまが邪魔をしたせいで、トワが行ってしまったじゃないですか。
「私のせいなのかな」
そうです。高槻兄さまのせいです。
「ごめんよ。で、なんの話をしていたんだい?」
秘密です。
「秘密かあ。でもさっきまでの二人、悲しそうだったり、怒ったりしていたから気になるんだ。私に何かできることはないかなってね」
あ……。
ごめんなさい。心配させてしまいましたか?
「そうだね。だからさっさと白状するんだ」
えーと。あのですね。高槻兄さまとトワが夫婦になったらいいなーって、そんな話をしていました。
「……なぜそういう話になるんだい」
ふふ。トワとまったく同じことを言うんですね。相性がいいんですね。
「こら。話をすり替えるんじゃない。まったく、トワを困らせるんじゃないよ」
高槻兄さまは困らないんですか?
「困るに決まってるじゃないか」
どうしてですか?
「どうしてって……」
ねえ。どうしてですか?
「ああもう。うるさいなあ。そんなことより例の焼酎の準備はできているのかい? 三日後には船が出るんだよ?」
ああっ。しまった。今日、酒屋に受け取りに行くことになっていたのを忘れていました。
「そんなことだろうと思ったよ。早く行っておいで」
ええー。一緒に行ってくれないのですか?
「それは菊江の担当だろう。ちゃんと責任をもって仕事をしなさい」
はーい。
では、船に乗っている間は暇になるし、その時にでも今日の話の続きをしましょうね。それまでに高槻兄さまもトワと夫婦になることをよく考えておいてください。
「……は?」
*
どうして高槻兄さまとトワに夫婦になってもらいたいかって?
そんなの、決まってる。二人が私にとって大切で、そんな二人にずっと私のそばにいてもらうためには、それしか方法がないって気づいたからよ。
トワが高槻兄さまにとって特別な女性であることは確かだもの。その感情が恋に変わったら素敵じゃない?
菊江がトワと高槻をくっつけようとし始めた理由について書いてみました。
ちなみにトワが恋について訊ねた理由は、自分がアキト以外の誰かと共に暮らすイメージしたことがなく、菊江との会話で連鎖的にいろいろ気になりだしたからです。
このSSでは結婚する気がさらさらない菊江ですが、本編後のその後の話に書いたとおり、菊江は外国の商売人と結婚します。




