25. 深夜、双子の再会
誰も起きている者もいないような、日付も変わった深夜。館のそばには隠れ潜む者が二人いた。アキトとお爺だ。お爺の肩の上には神妙そうにヤドカリがくっついている。
「いいか。打ち合わせどおりにするんじゃぞい」
お爺の言葉にアキトが緊張の面持ちでうなずいた。矢筒と弓を背負い、銛を手にし、隠れていた茂みから出ていく。その姿を見送ってからお爺がゆっくりと立ち上がった。
「よし。それではわしらも行こうかのう」
「ねえねえ。シカリ兄ちゃん」
「なんじゃ」
「おいら達のこと、トカリ姉ちゃんにそろそろ気づかれないかな?」
不安げなヤドカリの言うことはもっともだった。アキトについては不思議な力を有する者でも感知できない強固な状態が続いているが、それは『願い』の力が作用したから実現したのであって、お爺とヤドカリはといえば、力をまとうアキトと離れたことで今や完全に無防備な状態になっていた。しかも、だ。お婆に――つまり館に近づけば近づくほど感知されやすくなるというのに、今、その館に潜入しようとしているときたら。
するとお爺がこともなげに言った。
「姉者に気づいてもらうために行くのよ」
「え、と。それってどういうこと?」
「陽動だ。わしらが姉者の気をそらしている隙にアキトに動いてもらうんじゃ」
「ええと。ごめん、理解が追いつかないんだけど」
「そうさね。ウカリは姉者にたくさん甘えればいい。それで姉者はおとなしくなる」
「……えーーー?」
◇◇◇
案の定というか、お爺とヤドカリが館に侵入してすぐにお婆が現れた。お婆とお爺、双方が双方の動きを『視た』結果の遭遇だった。
村唯一の聖者としてたたえられている、お婆。それに引き換え、海の守り人と呼ばれているものの洞窟に隠れ住んでいる、お爺。対峙する二人は双子ゆえにそっくりではあるものの、こうして相まみえると身なりには天と地ほどの差があった。裕福な暮らしを甘受するお婆に対し、お爺はといえば浮浪者のようなひどい有様だった。
そんな不幸を一身に背負ったような双子の弟に対して、お婆はためらうことなく抜身の短刀を向けた。
「これはなんとも物騒だのう」
おどけた様子で両手をあげてみせたお爺に、お婆は短刀の先をくいっと向けた。
「なぜここに来たんじゃ」
「おお。五十年ぶりの再会だというのにえらいものの言いようだわい。なあ、ウカリ?」
「う、うん。……トカリ姉ちゃん。久しぶり。相変わらず元気そうだね」
「ウカリ。シカリを言い含めてさっさと洞窟に帰るんじゃ。今ならまだ見過ごせる」
「でも」
ヤドカリがちらりとお爺を見上げた。
「シカリ兄ちゃんが……」
ヤドカリの心配をよそに、お爺はどことなく楽しそうだ。お婆が独りでここに来たということからも、先ほどの言葉からも、お婆にはお爺とヤドカリを捕えるほどの気概はないとみたからだ。
「のう。姉者。そろそろいいんじゃないかのう」
お爺が乱れた頭をかきむしった。そして、指についたふけを吹き飛ばしながら、なんてことのないように言った。
「お前さんがこの館に黒油をため込んでいるのを知ってるぞい。それをいつ使うつもりなんじゃ」
「ただの備蓄に何を言うておるのか」
「この館を焼いたって誰も救われんよ。お前さんも。わしも、ウカリも」
図星だったのだろう、お爺に向けられている短刀の切っ先がやや下がった。
「すまんなあ。わしが悪かった」
お爺の突然の謝罪に、ヤドカリがお爺の肩の上で小さく跳ねた。お婆も意表を突かれた表情になっている。だが構うことなくお爺が続けた。
「わしのせいだ。よかれと思ってお前さんをここへ残したわしのせいだわ。五体満足なわしなら海に落とされても生き残れると思ってなあ。それにあの洞窟は女が暮らすには危険すぎるからのう」
「……なんのことか、わしにはわからん」
だがその言葉は嘘だとわかる。短刀を手に持つお婆の手が完全に脱力しているからだ。
「シカリ兄ちゃん。どういうこと?」
理解の追いつかないヤドカリに、お爺は自分に語るように言った。
「ウカリはまだその頃はヨンドではなかったから視えていなかっただろうがのう。わしと姉者は十歳のときに定められてしまったんよ。姉者は聖者となることを。わしは海へと還ることを」
「……そうだったの? なんで? どうしてっ!」
ヤドカリの最後の言葉は叫びだった。どうしてお爺が海へ還らねば――死なねばならなかったのかと。
「聖者とはそういうものだからさね。この島では次代の聖者となるべき者は双子で生まれるのよ。どういう理屈かはわからんがのう。そして当代の聖者が双子のいずれかを跡継ぎと定めるんじゃ。わしはそれが姉者になるように仕向けた。わしよりも姉者の方が強い力を持っているように見せかけてな」
当代の聖者は壮年の女だった。女は双子にこの世の理を教え、聖なる力の使い方を指導した。その過程において、女は自分に懐かず、かつ力が弱い男の子の方を疎むようになった。そして先天的に片足が短いものの素直な女の子の方を愛するようになった。
双子が十歳のとき、女は女の子を自分の跡継ぎに任命した。そのひと月後、女は島で一番古い小舟に男の子を乗せると二人きりで沖へと出た。そして入水自殺をはかった。男の子を胸に抱き、海へと飛び込んだのだ。海へ還り、またいつか蘇るために。
だが男の子には最初から死ぬつもりはなかった。沈みゆく女の腕から逃れると、目星をつけていた洞窟まで泳いで逃げたのである。そして男の子は洞窟にひっそりと隠れ住んだ。半年後、洞窟にヨンドのヤドカリが現れるまで、男の子のことは死んだものと誰もが信じていた。
「……だからシカリ兄ちゃんはあそこで独りで暮らしていたんだね」
お爺はアキトのことを一度責めている。聖なる場所である洞窟を利用するなどと生意気な口を叩いたことについて。だがそれはお爺も同じだった。
「ウカリもすまんなあ。わしを心配してヨンドとなって来てくれたんじゃろう?」
「それはそうだけど……でもそれだけじゃない。おいらがシカリ兄ちゃんと暮らしたかったからだ。……それと、本当はトカリ姉ちゃんとも」
ヤドカリがちらりとお婆を見た。
そのお婆の体が小刻みに震え出した。
「……シカリ。おぬしはそうやっていつもわしを見下しておった。偉そうにしておった。わしよりもできるくせにできないふりをして、誰からも嫌われるようにふるまっておった。そうやってわしの方が聖者にふさわしいと皆に思わせて……!」
高ぶった感情のままにお婆が声を張り上げた。
「わしがどれほど悔しかったかわかるかえ? わしがどれほどみじめだったかわかるかえ? おぬしが殺されたと思って苦しんだわしの辛さや悲しみが……おぬしにわかるかえ! シカリ……!」
「わかるよ」
言葉通り、お爺にはお婆の苦悩する様子がいつだって視えていたのだ。
「ヨンドとなったウカリが現れてようやくおぬしが生きていることに気づいた情けなさを! ウカリに選ばれ、自由に暮らすおぬしへのうらやましさを……! おぬしにわかるのかえ?」
「ほんとうにすまなかった」
お爺が頭を下げるのを、お婆は荒い息でにらみつけた。
「わ、わしがコウガに犯されたことも、子を孕み産まざるをえなかったことも……全部全部、おぬしのせいだわ……!」
◆
『やめろ! 離せ!』
『トカリ。逆らうな。聖なる血は聖者と村長に類する者とで繋いでいくものなのだ』
『そんなことわしは知らないっ……』
『知る知らぬではない。そういうものなのだ。そうせねば島が滅びるのだから』
『……そ、そうなのか』
『そうだ。さあ。この手をどけるんだ』
『…………そうなのか?』
◆
コウガ――前村長――との間に意にそわない子を成したお婆は、いつしか館に黒油を大量に保管するようになった。念のための貯蓄という名目で始まったこの行為、だが本当の理由をお爺とヤドカリは察していた。お婆はその身に余る憎しみをいつか発散する手段として黒油を集め続けてきたのだ。収集場所が村長の部屋に近いことも裏付けとなるが、黒油の入った樽を眺めるお婆の表情には復讐の色しか見えなかったことも理由だった。
お婆がそれほどの憎悪をぶつける相手に、お爺もヤドカリも心当たりは一つしかなかった。
「トカリ姉ちゃん……」
たまらずといった感じでヤドカリがしゃくりあげた。
「ごめんよお。おいらがもっと強かったら、そしたらトカリ姉ちゃんはあんなことにならなかったのに。なのにおいら、あいつに食べ物をねだってしまったから。だからもうあいつに何もできなくて……!」
「ウカリはわしのために願ってくれたんじゃないか」
お爺が指の腹でヤドカリの殻をそっとなでた。
「ウカリは何も悪くない」
実際、当時のお爺は今以上に痩せこけていた。魚介類に海草、それと人が近寄らない近場の浜で野生の草をむしって食べて生をつないでいるような、そんな状況だったのだ。だから、お爺とヤドカリ、二人で平和に洞窟に住み続けるために、ヤドカリが当時の村長に対して半永久的な食料の支給を要求したのは、ある意味自然の流れだった。見返りはもちろん、海の守り人としての務めだ。
「でも! シカリ兄ちゃん! おいら弱いから、だから願いはもっとちゃんと使わなくちゃいけなかったんだ。なのにおいら、考えなしだから」
ひくひくとしゃくりあげるヤドカリのことを、お爺は慈愛の目で見つめている。
「ウカリは優しいのう。そんなウカリに頼みがある。これからはわしではなく姉者と一緒に過ごしてくれんか」
「……トカリ姉ちゃんと?」
「シカリ! 何をいまさら!」
いきりたったお婆をお爺は視線だけで黙らせた。対峙すれば、やはりその身に有する聖なる力の差は明らかだったのだ。ただ、それは一瞬のことで、お爺の表情が和らいだものになった。
「わしはもうずいぶん長い間ウカリと過ごせたからのう。次は姉者の番じゃて。姉者。ウカリを頼んだぞ。これはお前さんの弟なんだ。甘えん坊で手がかかるが大切にしてやってくれ」
まだ戸惑うお婆に、お爺は同じく戸惑いの中にあるヤドカリを手のひらにのせて示した。だがお婆はヤドカリを受け取ろうとはしなかった。
「相変わらず強情な奴だわい」
お爺は苦笑いを浮かべながらも、お婆の肩にヤドカリをちょこんと乗せた。
「姉者。……トカリ。久しぶりに会えてうれしかったぞ。ではな」
背を向けたお爺に、お婆は思わず声をかけていた。
「待て。どこに行くんじゃ」
「それはお前さんの力で『視て』おればいいわ」
それができればな、と、挑発的な目で振り向いたお爺に、お婆は怒りをうまく向けることがなぜかできなかった。そしてお婆が言い返す間もなく、お爺はいずこかへ去って行ってしまった。
◇◇◇




