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ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
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第5話 広がる知識、そして友達Ⅰ

 一流の魔女を志す氷使いのイリーナ・マーヴェリと炎使いのミシェル・メルダは、魔法学校に入学するべく首都のワズランドを訪れた。

 そんな二人の目の前に現れたのは、魔法が「当たり前」になり、絨毯や箒で空を飛ぶ住人たちの光景だった。

「ごめんねイリーナ、信じてあげられなくて」

「良いよ全然。でも、次からはちゃんと私のことも頼ってね」

 想像以上に高くそびえ立つ入学試験の壁。だがイリーナたちは諦めずに練習に励み、二人同時に試験を行うという異例の形式で見事属性科への合格を果たした。

「やったよ、やったよミシェル! 私たち合格したんだよ、魔法学校の属性科に!」

 故郷の村を襲った呪術師に関する手がかりを掴むために、そして原初の魔女、ベルドール・エーレンドのような立派な魔女に二人でなるために。

 イリーナたちの戦いは、まだまだこれからも続いていく。


 まだ余所行きの感覚が漂う寮のカーテンを開けると、目が眩むような心地良い朝陽が部屋中を包み込んだ。

「今日から……ようやく授業だね」

 せっせと用意すれば余裕があり、のんびりしていたらあっという間に過ぎてしまう、朝のこの時間。

 寝ぼける頭を必死に動かし、二人は身支度を済ませていく。

「うーん、今になってドキドキしてきたかも……」

「大丈夫だよ。私もできる限りサポートするし」

 まあ、ここでは私も初心者だけどね。とミシェルはうっすら笑みを浮かべる。

「教本よし、杖よし。そういえば授業前、先輩が部屋に来るって言われてたけど……」

 他の生徒たちも起床し始めたのか、廊下での話し声や足音がはっきりと聞こえるようになってきた。

 持ち物の確認を行っていると、連絡の通り一人の生徒が部屋を訪れる。

「おはようございます。属性科のアセビ・マルティです」

「お、おはようございます……」

 ドアを開けたイリーナと向かい合う。アセビと名乗った彼女は学生とは思えない大人びた美貌で、山吹色の髪が暖かく上品な雰囲気を放っている。

「もうすぐ授業だけど、二人共ちゃんと起きてる?」

 確認のために振り向く。バッチリだよと言わんばかりにミシェルが親指を立ててきた。

「大丈夫です。その……アセビ先輩」

「そんな固くならないで大丈夫だよ、アセビで良いからさ」

 一枚の紙を取り出し、彼女はペンでチェックを入れた。当番としてみんなが起きているか確認しているのだろう。

「初めてで不安も多いだろうけど、分からないことは気軽に聞いて良いからね」

 それじゃ、授業遅れないでねと言葉を残し、アセビは手を振ってその場を去っていった。

 まだ終わらない。この先、隣の部屋へとチェックは続く。

「大変だなぁ……私たちよりもずっと早起きなんだよね?」

 イリーナはドアを閉め、ミシェルの方に向き直った。今日は大丈夫だったが、もし遅刻してしまえばあの人にも迷惑がかかってしまう。

「うん。私たちも頑張らないと」

 誰かの頑張りで、平和な一日が再び回り始める。

 イリーナたちは教室に向かう人の流れを追いかけるべく、二人で歩みを進めた。


「さて、今回は魔石について詳しく説明していきます」

 普通科、属性科合同で行われる初授業。担当の先生は、試験でお世話になったエルアだった。

「魔法使いは主に二つに大分されます。基本的な魔法を使える一般の方と、七つある属性魔法のうち一つを使える特別な魔法使い。これは皆さんもご存知のことと思います」

 張りのある声で生徒たちに解説するその姿は、誰がどう見ても立派な教師そのもの。

 ミシェルは要約をメモし、隣のイリーナを見た。が……

「これ以上……ミシェルをいじめるなら、私が相手だぁ」

「えっ、嘘でしょ?」

 また眠っている。真面目に話を聞いている同級生たちの中心で、疲れと降り注ぐ情報に打ち負け。

「なら普通の魔法使いが属性魔法を使いたい時や、属性魔法使いが別の属性に携わりたい時はどうするのか。その問題を解決するのが魔石です」

 そう言って見本の魔石を掲げるエルアが、一瞬こちらを見て呆れた表情をしたような気がした。

 このままではまずい、早く彼女を起こしてあげないと。

「起きてイリーナ。ここで寝たら怒られるよ?」

 揺さぶり、肩を優しく叩くがイリーナは戻ってこない。できる限りのサポートをすると言ったばかりなのに……

「はぁ……それでは魔石に魔力を込めたらどうなるのか、実際に試してみましょうか」

 エルアは取り出した杖を構え、前に座っている生徒たちに注意するよう告げる。

「ブライト・レ・ムルバ!」

「っ……!?」

 杖の光が魔石に呼応し、眩い光が辺り一面を照らす。

 前もって知っていた生徒やミシェルは目を覆って光を防げた。だが、それを知らないたった一人は……

「ギャア眩しいっ!」

 一瞬で目が覚めたイリーナは、その眩しさから思わず全力で仰け反った。

「……少々手荒な方法で申し訳ございません。しかし、授業中に居眠りをするとは学校の規則として良くないですね、イリーナさん」

「ご、ごめんなさい」

 怒鳴るわけでも、軽蔑するわけでもなく、エルアは表情を崩さなかった。それが何より心に響く。

「そんな貴方に問題です。これらの魔石を加工し、魔法使いの生活に役立てるよう作り替えた物を何と呼びますか?」

 ややこしい質問に、イリーナは慌てて教本のページを捲る。

あれでも無い、これでも無い。探しても見つからないと分かったら、次はひらめきに頼って頭を捻る。

「難しく考えないで。貴方がワズランドに降り立った時、初めて目にした物は何ですか?」

「初めて見た……えっと、空飛ぶ箒?」

 後は絨毯や水晶なんかも。本当に頭を空っぽにして答えたが、エルアは満足した様子で相槌を打っていた。

「なるほど、良い所を突いてきましたね」

 魔石を持っていないもう片方の手で、ボードに書き込む。

「箒や水晶、それに絨毯。あれらは全て魔石を応用して作られた魔道具です。近年では魔法に関する研究が加速しており、新たな魔道具も日々開発されています」

 そういえば学校の門も杖をかざせば開いたし、部屋の灯りも同じ方法で燈った。

 杖だけじゃない、私たちはもう魔道具に助けられている。

「凄いんだ、魔石って」

「まだピンと来ない所もあるかもしれませんが、私たちの生活に魔石は欠かせません……例えば、街で有名なのはマルクさんの販売する魔道具ですね」

 教本では分からない、説明されてもややこしい。けれど、こうして実感が湧くとはっきりと分かる。

「それでは魔石の使い方も説明していきますね。次のページを開いて下さい」

 それでも眠気は引かなかったが、不思議と悪い気持ちにはならなかった。


「……でも、やっぱり朝一番はしんどいかなぁ」

 午前の授業が終わり、みんなと共に教室を出る昼休み。ミシェルに放った第一声は、気の抜けた一言だった。

「時間もまあまあ早いからね。内容はどんな感じだった?」

「簡単じゃないけど、エルア先生の説明は分かりやすかったかな。ちょっと悔しいかも」

 目を傷めない程度の眩しい光を思い出し、うーんとイリーナは唸り出した。

「なーんか、ダシに使われちゃった気分」

 特に体を動かしていないはずなのに、賑やかな食堂を前にするとやっぱり空腹は隠せない。

 窓側の席を取り、二人はサンドイッチセットを注文した。

「はい、お待たせ致しました!」

 ほんのり湯気を放つ紅茶と、ハムの挟まったサンドイッチが美しい。人の波を避け、隣り合わせで料理を置いた。

「すっごく美味しそう……!」

「これなら午後も頑張れそうだね。いただきます!」

 試験が終わり、すっきり安心した状態で食事にありつけるのは久しぶりかもしれない。

 賑やかで、色彩豊かで、親友と一緒に食べるご飯は楽しい。

「ふふっ。こういうのはどこでも変わらないんだね」

 周りをぐるりと見回す。流行りの共有や、何かの愚痴。ごくありふれた普通の会話で満たされていた。

「失礼、隣に座ってもよろしいかな?」

「えっ……あっ、はい」

 すると突然、場所探しをしていた少女から話しかけられ、イリーナは気の抜けたような声が出てきてしまう。

 料理からすっと視線を移す。細かく切り分けられた黄色の髪と、くっきりとした目が印象的な生徒。

「ありがとう。何分食堂は久々なもので、まさかここまで混んでいるとは思っていなくてね」

 油断していたよ、と飄々とした態度を崩さない。何の躊躇いも無くドカッと座り、二人は若干狼狽えた。

「試験を見たよ。過去に類を見ない、二人の能力や個性が噛み合った素晴らしい魔法だった」

「あのぉ、貴方は一体どちら様……?」

 周りがちらちらとこちらを見つめる。自分の世界に入っているようで、少女の話に中々ついていけない。

「ボクの名前かい? クリス・サキュラだよ。君たちと同じ属性科に所属する一年生にして、世界最強の魔女になるべき生徒だ」

 再び、お互いを分かつ距離がほんの少しだけ遠くなった。

「……えっと、世界最強の魔女になるべき生徒だ」

「どうして二回言うの?」

クリスと名乗った少女は恥じらいなどお構いなしといった雰囲気で、イリーナにずかずかと歩み寄る。

「ボクの長所をアピールするためさ。新しい同級生として仲良くしよう、白ウサギのイリーナ君」

 こちらの意思とは反対に、繋いだ手が上下に振り回された。

「いや、私は白ウサギじゃないんだけど……」


「じゃあその……クリスちゃんは先生から特別に許可を貰って魔石の研究をしてるってこと?」

「ちゃん付けはどうも子供臭いな。呼び捨てで構わないよ」

 しっかり話してみると、意外とまともなようで一安心。

 イリーナたち三人は同じご飯を食べながら、クリスについていくつか質問を投げ合っていた。

「その通りだ。夜間の騒音は止めろと言われているが、常識の範囲であれば部屋を実験場にしても良いらしい」

 寮で実験。光景がどうにも思い浮かばなかったが、学内でも特異な存在であることははっきりと分かった。

「じゃあ、授業で紹介されてた魔道具とかも?」

 興味の混じった表情に、クリスはドヤ顔で頷いた。

「もちろんさ。まだ研究は途中、発展途上ではあるけどね」

「おぉ……!」

 マルクの時もそうだったが、自分の知らない分野を極めている人と出会えるのはイリーナにとって感慨深かった。

「しかしここは騒がしいな。いつもなら出前を頼むのだが、昼飯代をアホウドリに盗られたのが運の尽きだ」

 人混みに慣れていないのか、クリスの目付きが鋭くなる。

「えっ、お金盗まれちゃったの?」

「ああ。類い稀な才能を持つ癖に素行はダメダメ、ボクがいなきゃどうしようもない……初老のアホウドリにな」

 誰のことかはっきりと言わないが、言葉に反してクリスは笑っていた。気付けば食事を終えた生徒たちが出ていき、客がすっかり入れ替わっている。

「ごちそうさま。次の授業までは余裕があるが、ボクの部屋にでも来るかい?」

 もし良かったら、製作途中の魔道具を見せてあげる。

 初めて入れる同級生の部屋。魔石や魔道具に対する興味と共に、イリーナには断る理由が無かった。

「良いの? 行きたいっ!」

 手を合わせて喜ぶイリーナに、ミシェルも緊張を交えながら身を寄せてきた。

「私も気になるかも。ちょっとだけ……」

 なら決定だなとクリスは立ち上がり、食堂を後にする。

 イリーナたち二人もそれを追いかけ、食べ終えたサンドイッチセットを下げに向かった。


 クリスの部屋は同じ階だが、中央階段を隔てて少し離れた場所にあった。

「さあ、適当な所に座ってくれて構わないよ」

「うぉぉっ……!」

 改めて見ると、同じ学生寮の部屋だとは到底思えなかった。

 薬を作るための鍋や、魔石をコレクションしている棚。机には書籍が山積みにされており、まるで余白が無い。

「これ……お父さんの部屋にもあった魔術書だ」

 ミシェルは両手で分厚い本を持ち上げた。自分の記憶にあったそれは埃を被っていたが、こちらは大切に使われているのが見て取れる。

「最近は自己流で現代語訳するのに熱中していてね。やってみると意外と面白いぞ」

「そうなんだ。私じゃとても読めないや……」

 滲んだ黒、曲がりくねった文字。これらを一言ずつ摘み取って、咀嚼するのは並大抵の努力ではできない。

「古代語は仕組みさえ知ればすぐに翻訳できる。もし君が良ければ、専用の教本を用いて共に学ばないか?」

 クリスたちが盛り上がる中、イリーナはふと首を傾げた。

「あれ、ここって同室の人はどこにいるの?」

 原則として寮は二人一部屋。しかしここには二人が寝泊まりできるような場所は無く、ベッドも一個しか無い。

「かつてはいたよ。優秀な奴だったが、どうにも惜しいことをしたものだ」

「あっ……」

 イリーナは自身の口を押さえた。気難しそうに座るクリスの表情、聞いちゃいけないことだったかも。

 隣を見ると。ミシェルもばつの悪そうな表情をしている。

「あまり湿っぽい話はよそう。そうだ、開発中の魔道具をお披露目する約束だったな」

 クリスは気を取り直して、ポケットから徐に出した小物をイリーナに手渡した。

「これは……もしかしてコンパス?」

「水晶内蔵型方位磁針と名付けている。他者と通話する水晶を小型にして方位磁針にはめ込むことで、フィールドワークを楽にできないかと考えてな」

 コンパスを開くと化粧箱のように中が鏡になっていた。なるほど、重たい水晶もこれなら持ち運びができる。

 そして、光の魔石をはめ込んだランタンも置いてあった。

「ただ魔女になるだけではつまらないからね。どうせなら、誰も踏み入れたことの無い領域とやらに進んでみたいのさ」

 頬杖をつき、にししと笑う。その姿はいたずら好きな悪魔にも、ただ無邪気な子供のようにも見えた。

「……大きな夢、持ってるんだね」

「でも最近は行き詰まってしまったよ。飽和状態というか、やはり一人で真理に辿り着くのは難しいようでな」

 数々の付箋や、作りかけたまま放置された道具類が視界に入る。そう、見えない失敗だってきっと数多くある。

 一人だったクリスは、固い絆で結ばれた二人に手を伸ばす。

「そんな時に君たちの試験を見た。きっとボクに無かったのは、支えてくれる人なのだろうと気付かされたよ」

 だから頼む、と彼女の言葉に初めて力が込められた。

「ボクの……ボクの実験相手になってくれないか?」

「……はいっ?」

 友達になって欲しい。そんな言葉を待っていたのに、変化球を投げられたイリーナは唖然とする。

やっぱり、この人の考えていることはよく分からない。


「やはり魔法の研究は一人でやっても成り立たないのさ。信頼できる受け手が傍にいるだけで、世界は本当に違って見えると思うんだ。な?」

 そして、相手が若干引いていることにも気付かずにクリスはより一層の熱を込めて話し続ける。

「それにさ、ボクはその……恥ずかしいが、そこら辺の一般人と比較すると、身なりには気を遣っている方だと思うんだ。あくまで平均以上という話だけどね。だから、ボクと一緒にいても、学内で浮くことは無い、と思うよ……」

 返答に困ったイリーナは振り返って助け舟を求める。

 だが、頼りの友人も直立したまま狼狽えていた。まずい。早く止めないとこの子は暴走し続ける。

「だから、まあまあの美人かつ一番の秀才であるこのボクの実験相手になってくれ!」

「えっと、流石にそれは嫌です……」

 何かフォローをと思っていたのに、想像していたよりも低い声で拒否してしまった。

「はぁ、君は一体何が不満なんだ!?」

 ようやく目の前に広がっていた幻が解けた様子で、クリスは椅子から飛び上がって目を丸くする。

「友達ならすっごく大歓迎なんだけど……実験相手は怖いし、よそよそしいし、ちょっと意味が分かんないかなって」

「えっ、友達より実験相手の方がフレンドリーだろう?」

 互いに何を言っているんだという表情、こうして向かい合っているはずなのに、大きな壁に当たった感覚が辛い。

 そんな二人に決着をつけたのは、ミシェルの一言だった。

「ごめん、実験相手は私もちょっと怖いかな」

 一瞬思考が完全に停止した刹那、ぴしゃりと彼女の心に大きな電撃が走る。

「そ、そんなバカなぁ……!」

 一歩、二歩と後退り、椅子を倒してその場に崩れ落ちた。

「ごめんね、別に嫌いってわけじゃないから!」

「そうだよ……クリスの作った魔道具、本当凄くカッコ良いなって思うもん!」

 多くの生徒が校舎に出向いて静まり返った学生寮に、イリーナたち二人の慌てた声が反響して響き渡った。

 だが、魂が抜け落ちたように俯くクリスは怒っているのか泣いているのかも分からない。

「ボクにはまるで理解が及ばない。主従関係でないのなら、君たちを突き動かしているものは一体何なのさ……?」

 尚も拗ねて顔をこちらに向けない彼女の肩を、ミシェルがポンポンと優しく叩く。

「主従関係とか、そんなややこしいものじゃないよ。私がイリーナに向けている気持ちは」

「アツい友情だよ。昔からの!」

 繋がりを言語化するのは難しい。けれどイリーナはミシェルを見捨てないし、ミシェルはいつもイリーナを信じる。

 だから困難にぶつかっても、物怖じせずに立ち向かえる。

「友、情?」

 クリスはようやく重たい顔を上げ、ミシェルたち二人と視線を合わせて立ち上がろうとする。

「うん、だからクリスも今から友達に……」

 その時、拡声器を通じて部屋に放送が聞こえてきた。

「属性科の皆さんに連絡します。午後よりウォルバットの討伐を行うため、グラウンド前に集合して下さい」

「ん、属性科?」

 イリーナは突然の出来事に硬直する。だが、自分たちが呼ばれていることはすぐに分かった。

「ウォルバットって……もしかして魔獣のこと?」

「なるほど、とうとうこの時がやって来たか」

 未だ状況を理解できずにどよめきが走る中、クリスは気力を取り戻して外に出る支度を始めた。

 すっかり気を抜いていたが、集合時間までは間も無い。

「恒例行事だ。ボクについてくると良い、すぐ行くぞ」


「属性科の皆さんはこの馬車に乗って下さい。今からワズランド近郊の洞窟に向かいます」

 門の前には既に大型の馬車が連なって待機しており、講師のエルア含む数名の職員が案内を行っていた。

 慣れた様子で続々と乗り込む上級生たちの後を追い、イリーナたちも遅れて入る。

「あれ、アセビさん!」

 見知った顔を見つけて声をかけると、目が合って優しく手を振り返してくれた。

「イリーナちゃん、それにミシェルちゃん。二人もこれから魔獣討伐に行くの?」

「はい。まだ覚えたての魔法ですけど、迷惑をかけないように頑張ります!」

 学校ではもちろんのこと、村でも今までは魔獣と出くわしては逃げ、危険を避けるような日々を送ってきた。

 ちゃんと成長できたのだろうか。口では負けないと言うことができても、私の手はまだ小刻みに震えていた。

「頼もしいなぁ。でも、本当に無茶はしたらダメだからね?」

 全員……各馬車に五人前後が乗ったことを確認すると、馬車はゆらりゆらりと動き始める。

 午前中に眠ったからか、イリーナもまだ元気が残っていた。

「ミシェル、ウォルバットって何か知ってる?」

「うーん……洞窟に住み着く魔獣、ってことぐらいしか」

 私も実際に見たことは無いな、と首を傾げるミシェル。そんな二人の会話を聞いたクリスが間に座り込んできた。

「夜行性の吸血コウモリだ。小型故個々の強さはそれほどでもないが、群れて襲ってくるとこわーい奴だぞ」

説明が続く中、吸血という言葉に背筋がぞわりとする。

「毎度この時期になると人里に下り、ワズランドを中心に被害報告が多発する。だからボクたちが生息地に向かい、杖を向けねばならないのさ」

 建物は次第に少なくなっていき、代わりに生い茂る密林に出迎えられる。目的地が近付いている証拠だった。

「でも、まだ誰も襲っていない魔獣なんでしょ? 血を吸われるのは嫌だけど、いきなり殺すのは可哀想かも……」

 ほんの少し渋い顔をしながら佇むイリーナに、クリスは目を細めて首を左右に振る。

「たとえ罪は無いにしても放っておけば人を襲う。気持ちは分かるが、甘さは捨てた方が良いと思うぞ」

 人より才能が秀でているのなら、より一層の努力を積んでみんなのために戦わなければならない。

 馬車に乗る生徒たちの目には、皆覚悟の炎が灯っていた。

「そう……だよね。ごめんなさい、変なこと言って」

「迷いを持つことは変ではないさ。悩み、挫折し、人は自分の軸を持つのだからな」

 重なり合う二つの視線。鋭いと思っていたクリスの瞳には、ほのかな優しさも混じっていた。

「……やっぱり、ここはイリーナにとって毒なのかも」

 その隣で低く唸るような声が放たれたが、馬車の音にかき消されて気付く者はいなかった。


 街を見下ろせる小高い丘の上で、洞窟は大きな口を開けて私たちを待っていた。

「内部は広いので、ここからは二人一組でそれぞれ行動して頂きます。必ずはぐれないようにして、非常時はすぐに講師に連絡をすること……以上です」

 注意事項をしっかり頭に入れ、先に入ったのはアセビ含む三年生の面々だった。

 そこから二年生、そして最後に一年生の三人が後に続く。

「よし。私たちも行こう、イリーナ」

「うん……そうだね」

 手を繋いで、ミシェルと共に暗がりへと飛び込む。未開の地だが、魔獣の知識がある友が隣にいるのは心強かった。

「ここで迷ってても仕方ないよね! それじゃあ、ウォルバットの住処へレッツ……」

「ゴー、しないで下さいね。一年生のお二人さん」

 しかし、今まさに前に進もうとした肩を何者かにぐっと制止されてしまった。

 何だろうと勢い良く振り返ると、呆れ顔のエルアがそこに。

「イリーナさんとミシェルさんは実戦経験が浅いので、二人で行くことは許可できません」

 前後左右に逃げようとしてもピクリと動かない。軽く掴まれているだけなのに、大きな差をうっすらと感じ取った。

「えっ、もしかして見学ですか?」

 せっかくここまで来たのに、と必死に視線で告げる。

「いえ、ここで見ていても何も学べませんよ。一年生はもう一人いるので、その方と共に討伐に行ってください」

「もう一人……?」

 キョロキョロと目を動かす。アセビは三年生だから違う、同じ学年でもう一人というと……

「せめて数詞ではなく人名で呼べ。君たちだけでは不安だろうから、ここはボクがガイドしてあげよう」

 残っていたのは、端で準備運動をしていたクリスだった。

 嬉しい反面、それでも大丈夫なのかという不安。口をへの字に曲げていると、エルアがそっと耳打ちしてきた。

「変わり者ではありますが実力は本物です。見て、知って、共に戦って……様々なことを学べると思います」

「な、なるほど」

 ならばとクリスも招き寄せて、先生に一旦別れを告げる。イレギュラーはあったが、これで初めての出撃だ。

「みんな……準備は良い?」

「いつでも、イリーナのタイミングに合わせるよ」

「コンディションなら良過ぎるくらいだ」

 最後にクリスだけが振り返り、一人待つ者に対して捨てセリフを吐いた。

「……あと変わり者は余計だ。失礼な言動は控えた方がお互いのためだぞ、腹黒教師め」

 背筋がぞわりとしたのは、果たして気のせいなのだろうか。

「それはお互い様だと思いますよ、一年生のクリスさん」

 早くこの場から立ち去りたい。凄まじい熱と強大な冷気に当てられたイリーナは、いつもより速く足を動かした。


 続く

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