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ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
32/34

第32話 全ての終わり、または始まりⅡ

 時は数十分前に遡る。授業を終えたクリスは、真っ先にとある場所へと駆け込んでいた。

「メルアチアに会わせてくれ。頼む、聞きたいことがあるんだ」

「……聞きたいこと、とは?」

 扉を何度か軽くノックすると、代わりに背後からキャロル先生が現れる。

 以前のこともあり、無意識に表情は険しくなってしまう。

「魔法学校を去った後の、シルビアの行方だ。学園長なら、何か事情を知っているのではないのか?」

 何の脈絡も、素振りもなかった。穏やかさを内包したかっての表情は消え、代わりに伺えたのは鋭い敵意。

 一人で頭を抱え、何度も悩みながら苦しみ続ける日々。

 悪夢から覚める方法は、力ではない。もっと別の方法があるはずだと、イリーナの姿を見て気付かされた。

「あれから、ずっと心残りだったんだ。決着を付けることだけを考えて……ボクは見ないふりをしていたんじゃないかと」

 彼女にはまだ、呪術師から人を守ろうとする心が残っている。

「今更寄り添うことは難しくても、せめて知りたいんだ」

「そう、ですか」

 しかし、反応は想像していたよりも芳しくなかった。

 何度も頷き、キャロルは寄り添う素振りを見せながらも、一度眉間に寄った皺は消えない。

「生憎、メルアチアは外出中です。重要な打ち合わせがあるようで、いつ戻ってくるかも分からないんですよ」

 唇を引き結んだ。時の運にさえも、自分は恵まれない。

「それなら明日……」

「最後まで聞きなさい。彼女の行方を知っているなら、私たちもとうに探していますよ」

 夕日が小さな雲に隠れ、広い廊下が僅かに暗転する。

 叱り飛ばされるわけでもなく、ただ諭すように告げられた事実が、他に手立てはないことを指し示した。

「新しい動きがあればすぐに連絡しますが、今のところはどうにも難しいでしょうね」

「そうか……メルアチアならと思ったのだが」

「お気持ちは分かりますけど、学園長でも厳しいのですよ」

 なら仕方ないと、簡単なお礼と共に頭を小さく下げる。

 肩を落としながら背を向け、今来た道をゆっくりと戻り始めた。


「やはり……大人は足が重いなあ」

 手を頭の後ろで組み、半ば足を投げ出すような大振りで階段を下りていく。

 すぐに連絡とは、一体いつのことを指しているのだろう。

 一時は冷静になったものの、ふと思い起こしてみると、半ば腹立たしくなってしまう。

 半分は、今まで行動を起こさなかった自分自身にも。

「こうなったら、ボクだけでも足取りを掴んでやる」

 ワズランド、ゴオツ、ボストレン。はたまたカルミラで、人の目を逃れて潜伏している可能性。

 果てしない労力。しかし、残された選択肢は他にない。

 腹を括って取りかかろうと、寮への足を急ごうとした瞬間のことだった。

「ねえねえ、聞いた?」

「……む?」

 授業を終えた、他愛ない女子生徒たちの噂話だった。

 しかし何だか妙な予感を覚え、特に理由もなく手すりの下に隠れ、その様子を伺う。

「一年の優等生だった子がさ、魔法学校やめてカフェで働いてるらしいよ」

「えっ……カフェ?」

「意外でしょ? 友達が行ったんだけど、すっごい美人だったって」

 自分の方が美人だとは思うが、どこか心当たりのある話。

 疑問に思っていた。両親がいないはずの彼女が、日々の生活をしていくために必要なこと。

 ただの噂と片付けることは、自分にはできなかった。

「ふーん。その子ってさ、名前何ていうの?」

「えーっとね。確か、シ、シル……」


 足音を消して忍び寄り、二人の肩を叩いて顔を近付けた。

「ちょっと失礼」

「ほえっ……だ、だれ?」

 瞳に映る懐疑心。しかし、経緯と事情を事細かに説明する余裕はなかった。

 できる限りの満面の笑みで、自分の伝えたいことのみを手短に選び取る。

「その話、詳しく」

 彼女らが次に口を開くまでに、十秒の沈黙を要した。


 女子生徒たちから店の場所を聞き出し、真実を確かめるため、一度行ってみなければと考えている。

 と、胸を張った彼女はこの上なく誇らしげに語った。

「まさかこうも早く、穏便に情報が手に入るとは思わなかったよ」

「まあ……穏便、かな。うん」

 力を伴わなければ、全て穏便だと彼女の瞳は言っている。

 ため息をつくと共に、その溢れんばかりの気が、ミシェルには羨ましかった。

 同じ立場であったとしても、自分が全く同じことをできたかは分からないから。

「件のカフェというのは、どうやらゴオツにあるらしい」

「ゴオツ? でも、そんなお店……」

「ワズランドとの境界付近に、数軒立ち並んでいる通りがあるんだ」

 頭を抱えるイリーナ、自分もふと、今までの記憶を思い起こしてみる。

 境界を潜った直後、少し人の賑わいを感じた気がした。あの場所がもし、シルビアの潜伏先だったとしたら。

「ゴオツならどの地域も治安は良いし、アクセスも良好。さらに、書類上はワズランドの外側だから、監視の目がかかりにくい」

「なるほど、確かに盲点だったかも」

 ワズランド、またはボストレンにいるという前提を、疑うことができなかった。

 窓の外から、ゴオツの方角を見つめる。表面上は争いに縁のない、平穏な景色。

 風を受け、揺れて音を立てる浅を、手で押さえて止めた。

「魔法学校をやめた理由と、呪術師の内部。この二つを明らかにするには、シルビアとの接触は必要不可欠だろうな」

 渋い表情で重々しく放った後、その反動のように彼女は口角を上げた。

 落ち込むよりも、前に進むべき。自分たちだけでなく、彼女自身に言い聞かせているようにも。

「ここは考えるより、動くのが先だ。それでは、ゴオツにレッツゴーツ……」

 一歩、また一歩と踏み出し、クリスはわさとらしく大振りで行進を始める……


「……ゴーツ、しないでね」

「ぐええっ!?」

 しかし無策で応じるわけにはいかず、思わず彼女の襟を軽く掴み、止めに入った。

「ど、どうして……」

「もうちょっとで殺されるとこだったんだよ? 言わなきゃ想いが伝わらないのは事実だけど、冷静にならなきゃ」

「ま、まあ喧嘩は避けたい、よね」

「いや……しかしだなあ」

 襟から手を離す。逃げ出しはせずとも、不満げに膨れる彼女の頬。

「シルビアの内情を知りたいのは、クリスだけじゃない。角の立ちそうな動きは、ちょっと危ないと思う」

「そうは言っても、見過ごすわけにはいかんだろう?」

「うーん、どっちも分かるなぁ……」

 動かずにはいられないが、動けば危険が迫ってしまう。

 腕を組んで深呼吸をし、様々な方法を頭の中で組み上げる。一つ、思い当たる節があった。

 行ってしまえばいい。ただし、クリス以外の人間が。

「……なら、私が行くよ」

 混乱の渦に陥りかけた最中、自分から手を挙げる覚悟を決める。

「み、ミシェルが行くのかい?」

「私なら、必要なことをそのまま彼女に伝えられる。もしうまくいかなくても、私が勝手に先走ったことにすれば大丈夫だと思う」

 もう一度空を見る。日が暮れてこそいるものの、箒や馬車を使えばゴオツ境界まで三十分とかからない。

 戦闘でも、対話でも、消灯まで時間を要する図はとても想像できなかった。

「でも大丈夫なの、ミシェル?」

「大丈夫。危なくなったら、すぐに逃げるからさ」

「本当?」

「本当の本当。約束する」

 自分も行きたい、と言い出しそうなイリーナを、視線で制した。

 彼女を、危険に晒すわけにはいかない。目を離したせいで、あのような出来事が起きたのなら尚更。

 傷付くのは自分だけで構わない。役に立てるなら、それだけで。


 次に、未だ困惑の表情を浮かべるクリスに視線を移す。

「私が作るのは、あくまできっかけだから」

 その肩を、今度は優しく撫でるように触れた。

 外側にいた自分に、二人の仲を取り持つことはできない。進みすぎると、彼女の努力を蔑ろにしてしまうかもしれない。

 限られた選択肢の中で、これが今できる最大限のことだと信じて。

「もし、もしもシルビアが心を開いたら……最後にちゃんと向き合ってね、クリス」

「ああ、必ずな。ミシェル」

 互いに頷き、約束を交わし合う。真っ直ぐな視線は、彼女の出した答えに嘘偽りがない証。

 ありがとう、と告げられ、自分はほんの少し照れ笑いを浮かべてしまった。


 ワズランド、中心街の外れ。魔法学校からは僅かに離れ、人の営みはありつつも、人目につきにくい場所。

 富裕層が密かに通うとされるレストランには、香ばしく、どこか華やかな香りが漂う。

 魔法学校学園長、メルアチア・ラルドは、貸し切った一室の椅子に腰かけ、もう一人の来客を待っていた。

「大変お待たせしました、メルアチアさん」

「いえいえ。お忙しいところ、ご足労いただきありがとうございます」

 扉を開けて現れたのは、茶色の短い髪を刈り上げた、壮年の男。ディロアマ騎士団、ワズランド支部団長を務める、オルデンだった。

 ウエイターがステーキと、赤いワインの瓶を用意する。

 鋭くも、どこか芯のある瞳を向けられる。徐に瓶をグラスに注ぎ、彼と乾杯を交わした。

 最初は冷たく、しかし喉に熱く残り続けるような、洗練された果実の甘味。

「入隊試験が近々ありましてね。その準備で、騎士団も大忙しですよ」

「そうですか。予定繰りは魔法学校と似ていて、確か春に入隊……でしたよね」

「ええ。志願者も多く、新しい風が吹いてきそうです」

 旧知の仲である彼とは、情報共有と銘打って定期的に会う時間を設けていた。重要な打ち合わせだと言い張れば、学び舎の誰からも疑いの目は向けられない。

 忙しくとも、自分のために日を空けてくれるオルデンの誠実さは、無機質な公務に彩を添えてくれた。

「……聞きましたよ。最近は、ネズミ捕りを始めたとか」

「そうなんですよ。ワズランドにストーリアが出没した一件から、原因はボストレンだと苦情が入りましてね」

「よく分かります。ボストレンの者ときたら、身なりも心も汚らわしくて手に追えず……」

「尋問後、呪術師と関係する者には重い罰を与えました。まあ、拘留中に死亡したとて、それを気にかけるような親族も少ないですからね」

 魔法使いへの暴言、暴動未遂。新聞を読むと、そのような報せを目にする機会は増えていた。

 表向きは呪術師の被害防止。しかし内心は……町の掃除。

「あまり人口が増え過ぎると、統治が利かなくなりますからね。ボストレンは定期的に洗浄しておいて、ちょうどいいぐらいでしょう」

「世論は魔法使いが決めるもの。ならば、彼らにとって住み心地のよい国を作るまでですよ」

 大きく相槌を打つ。自分たちの息遣いで、テーブルに立てられた燭台の炎が揺らいだ。

「……そうだ。確か魔法学校に、三種の魔神器を持った魔法使いが入学したそうですね」

「ええ。カルミラから来た村の娘、ミシェルです」

 筒抜けですね、と小さく微笑む。規模のみならず、騎士団の情報力も侮れない。

 少し目を離せば、自分さえも出し抜けれてしまいそうで。

「処遇は、どうするおつもりで?」

「今は泳がせています。本人の魔力が増大すれば、呪いの杖が秘める力もまた、強くなりますからね」

「ふむ……しかし、放置するわけにもいかない気がします」

「当然です。暴走が始まり次第、治安維持の名目で彼女は殺害するつもりですよ」

 歪みは既に生じている。蓄積した負の感情は、どこかで爆発する限界点があるというのが見立てだった。

 人の死と隣り合わせの任務を敢えて宛がい、心を擦り減らすように煽っていく。

 今必要なのは、彼女の殺害を正当化するための根回し。

「そうなれば杖は回収、魔法学校が厳重に保管いたします」

「理由を付けて奪えばよろしいのでは? 魔法使いの殺害は、マルクさんがあまり好まないように思いますよ」

「年端の行かない子供なんて、また産めばよろしいでしょう」

 互いにグラスを口に運び、喉を動かす。話が興に乗ると、感じる味もより洗練されていく。

「私はあくまで、彼と利害が一致したから手を貸しているだけです。結果はまだしも、過程にまでケチを付けられる筋合いはありません」

「ははっ、立派なモノですな」

 ナイフを持ち、適度な焦げ色を有した上等な肉を、中心から躊躇いなく切っていく。

 大きな口を開けて頬張ると、芳醇な味が身体全体を優しく包み込んだ。

「その点では……私の目指す先は、彼女と似ているかもしれませんね」


 互いに言葉を交わし合い、瓶が空になると、外は瞬く間に夜の装いへと変わっていた。

 勘定を済ませたオルデンは鞄を持ち、満足げに息を吐きながら揃って店を後にする。

「ごちそうさま。今日も美味しかったよ、ありがとう」

 清掃のために店内を歩き回っていたウエイターの女性を、彼はふと呼び止める。

 滑らかな動きで歩み寄り、彼女の胸ポケットに一枚。

 凝視しなくても、それが何なのかは見当が付いた。誰もが手にすれば喜ぶであろう、百マーラ紙幣。

「えっ……こちらは?」

「君にも生活があるだろう。まあ、ご家族へのプレゼントにでも使ってあげなさい」

「は、はいっ、ありがとうございます!」

 女性が深々と頭を下げた。彼は爽やかに手を振って、またねと別れを告げる。

「小賢しいですね」

「保険ですよ。誰がどこで聞き耳を立てているか、分かりませんからね」

 目を細める。物は言いようとは、まさにこのこと。

 まるで見知らぬ人を助けたような明るさを帯びながら、彼は世話になった店に背を向けた。


 クリスから貰った地図と、店名を見比べて確認する。

 魔法学校から十五分、箒を走らせた先。ゴオツとの境界を潜り抜けた先は、改めて見ると賑やかに見えた。

「……ここかな?」

 喫茶店・ティアナ。数十年は使われているであろう、洋館を思わせる趣は、都会から離れた穏やかさを醸し出す。

 同時に背筋が伸び、一人では少し敷居が高く感じてしまう。

 息を呑み込んだミシェルがドアノブを回すと、備え付けられていたベルが店内に鳴り響いた。

 天窓のある吹き抜けが特徴的な、明るくて開放的な空間。

「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」

「あっ……はーい」

 テーブルには、昼間からずっと談笑しているであろう、年配の女性たちが数名。

 雰囲気を邪魔するのが億劫に感じ、窓から光を受けるカウンター席に腰かけた。

「ダージリンのミルク、お願いします」

「ミルクですね。ご一緒にスイーツはいかがですか?」

「うーん……それじゃあ、チーズケーキで」

 メニューを眺める。鼻腔に入った甘い匂いに心を躍らせかけ、頭を小さく振って正気に戻った。

 厨房を眺めてみても、シルビアらしき人物は見当たらない。当然、容姿のよく似た人物もまた。

 いつ勤務しているかも分からない。日を改めないとならない可能性が浮かび上がり、思わず目を細めてしまう。

「お飲み物は、先にお持ちしましょうか?」

「そうですね。それでお願いします」

 事情を話して、足取りを聞いた方が良いのだろうか。一人で悩んでいる間に、片手間で言葉を紡いでいく。

「ありがとうございます。それでは少々お……」

 しかし注文を紙に書き記し、その場を立ち去ろうとした店員が不意に動きを止めた。

 何か自分が変なことでもしたのだろうか。違和感と羞恥心に駆られ、顔を上げてその表情を伺う。

「ん、どうしました?」

「……あんたがどうしたのよ、当たり前のように」

「ほえ……ええっ!?」

 自然な流れで呼んだこと。そして遠くの店員にばかり、視線が行ってしまっていたこと。

 予想だにしない事態に、声が裏返ってしまう。周りの冷ややかな視線を浴び、慌てて口を両手で覆った。

 自分の探していた存在は、既に目の前にいたというのに。

「偶然、ではなさそうね。まったく、誰にも見られないから働きやすかったのに……」

 咄嗟に出そうとした言い訳は、目の前で踏み潰された。

「な……何で、その、こんな、すぐに」

「チッ、話が通じないわね。面倒臭い」

 何を聞けば良いのかが飛んでしまうと、耳元で舌打ちが聞こえてくる。

 込み入った話をしようとすると、遮られる客たちの雑談。

「飲み終わったら表に出なさい。ミシェル・メルダ」

 先程までの整然とした声とは裏腹に、吐き捨てるように立ち去っていく店員の少女。

 シルビア・エンゲルスから目を離すことができず、自分はしばらく呆然と座り込んでしまった。


 休憩時間に入ったであろうシルビアから目配せをされ、店の軒先に連れていかれる。

 敵意を半分感じたが、それ以外の思考はまるで掴めない。

 人目に付かない日陰の中ということもあり、何だか暗闇に放り出されたような不安を覚えてしまう。

「感心しないわね、わざわざこんな所まで追いかけてくるなんて」

「べ、別にそういうわけじゃ……でも」

「でも?」

「意外だったかな。シルビアも、あんな風に接客するなんて」

 想像よりも、ずっと穏やかだった。触れる者を圧倒するような、あの面影はどこにもなくて。

 すると、彼女はそれを見透かしたように小首を傾げる。

「あんたね……来る人みんな睨んでたら、仕事にならないでしょ? それはそれ、これはこれよ」

「は、はぁ」

「それで? ここに来たってことは、何か要件があるのよね?」

 焦らされるのは嫌いなのよ、とため息をつかれる。

 右手を後ろに回し、取り出した杖を持ちながら、深<息を吸い込んで告げた。

「魔法学校をやめた理由、それと……呪術師のこと、どれだけ知ってるのかなって」

 やはりしばらく返答はなく、自分の声だけが小さな空間の中で反響していた。

 頼りない自分では、彼女のようにいかないのだろうか。

 諦めかけた刹那、シルビアは先程よりも神妙な面持ちに切り替わり、口を開いた。

「正直、あたしは魔法学校を信用していない」

「えっ?」

「大事なことはいつも隠して、勝手な指示で戦えとか偉そうに。あたしはそもそも一人で強くなりたかったから、ここにいる必要はないって思っただけよ」

 あっさりと、他人事のように告げられた。淡白な言葉に、続きが紡がれることはない。

「本当に、それだけなの?」

「今言えるのはそれだけ。だから……あいつには悪いけど、協力できないって伝えておいて」

 ほんの一瞬だけ見せた、後悔が刻まれた心残りの表情。

 問いただそうと一歩踏み出すと、待ったをかけるようにはぐらかされてしまう。

「あとは、呪術師だったわね。あいつらは三種の魔神器と、呪術教典の完成を目論んでる」

「呪術教典……っていうと、あの黒い本のこと?」

「ええ。これらの道具が全て揃うと、生態系を操る力が手に入るらしいわよ」

 戻しかけた杖を、再び強く握った。戦いが激化すれば、自分の命が真っ先に狙われる。

 分かっていたはずのことなのに、未だに震えてしまう手。

 徐々に積もっていく焦りを誤魔化すように、眼前の前髪を軽く払った。

「主導者は、ジョン・オウタムという黒いローブの男よ。こいつが一般人に呪術教典を渡して、呪術師に変えてるの」

 首を傾げる。今まで聞き覚えのない名に、容姿だった。

「主導者の、ジョン?」

「要は、ジョンを殺さない限りは終わらないし、ジョンを殺せば呪術師は滅ぶってことよ」

 全容が分からないまま、何度も頷いて情報を咀嚼する。

 倒されれば死ぬストーリアと同様、呪術師も力を与えられた使い捨てでしかない。

 替えの聞く弾丸、と捉えると幾分鮮明になったが、あまり良い心地はしなかった。

「偵察に行くことをオススメするわ。ただし、内密に」

「えっ、でも……」

「学校に言えば、あいつらはアジトを変えるわよ。今は大っぴらに動かない方が良いでしょうね」

 懐から一枚の紙を取り出し、走り書き。シルビアから手渡されたそれには、ボストレンの住所と店の名前が書かれていた。

「あたしはまずジョンの首を取りたい。あんたたちより優先的にね」

 諸悪の根源、首領のジョンが、陰で活動している拠点。

 頭を下げて、自身のポケットにしまい込んだ。恐らく、他の魔法使いは手にしていない情報だろう。

 罠と疑う可能性も余地も、その時は全く考えられなくて。

 心臓の鼓動が早くなっていく様を手に取るように、シルビアは小さな微笑みを浮かべた。


「さて……あんたからの質問は以上として、今度は私から聞きましょうか」

 依然、目の前の情報を受け入れきれていない自分に、彼女は厳しくも追い打ちをかけてきた。

「あんたの目的は、何?」

「えっ……でも、それは」

「クリスの目的じゃないわ。あんたの、目的よ」

「っ!?」

 身体を貫いて、自分の心に風が吹き付けるような感覚。

 寒いはずなのに、額から汗が滲み出た。彼女と顔を合わせてから今まで、そんなことは一言も伺わせなかったのに。

 シルビアの視線が真っすぐに突き刺さる。尖っていて、奥底の見えない恐ろしさ。

「分からないと思った? あんたのそれが本音じゃないことぐらい、私にはお見通しよ」

 口にしてしまえば、その先がどうなるか分からない。

 でも、このままでいいのだろうかという迷いもあった。一歩先を読まれて、負けているままで。

 自身の手を握りしめる。名乗り出て、ここに来た一番の理由を思い出さなければ。

 息を吸い込み、半ば自暴自棄になりながら睨み返す。

「イリーナ、と……どういう関係、なの?」

 聞き返しはされなかった。代わりに、彼女は自身の顎に手を当てて首を傾げる。

「イリーナ、っていうと、あの氷の魔法使いね。利害が一致したから、一緒に戦ってあげただけよ」

「嘘……イリーナはあの時、戦うことも怖がってたのに」

「一度やると決めたら、血反吐を吐いてでもやれって言っただけよ。別に励ましたわけでもないわ」

 傍で支えることすら叶わなかった自分の不甲斐なさが、彼女が呆れた表情をする度に露わになっていく。

「それとも、深く関わっていくうちに絆が生まれた、とでも?」

 自分の弱さを認めたくなくて、唇をぐっと引き結んだ。

 本当に利害が一致しただけとしても、これからは分からない。彼女と志を同じくしたイリーナが、学校を離れることだって……

 悪い想像が、頭の中で数え切れない程に生まれて、弾け飛んでしまいそうだった。

「はいはい。それは結構なことね」

 顔を上げると不意に、互いの姿が判然としなくなった。街灯が遠くで輝き始め、日の終わりを肌で感じる。

「でも、あのイリーナは私のものではないけれど、あんたのものでもないんじゃないの?」

「どういう、こと?」

「人の生き方はその人が決める。周りがあれやこれやと口を挟むの、私は違う気がするのよね」

 分かっている。けれど、今更変わることなんてでき翼を怪我して、治っても、飛び方すら忘れてしまって。周りが飛び立っていくのを、ただ見ているだけの焦燥感。イリーナのために生きられなくなったら、自分は何のために生きるのだろう。

「私が言えたことじゃないけどさ……自分の都合で、相手の未来を狭めるような奴を、あんたは友達なんて呼べるの?」

 夜の、六時を告げる鐘が、ゴオツの街に鳴り響いた。

 口が開いて……しかしシルビアの気配と、鐘の音で前に進む気力を無くしてしまって。

 何もできずに閉じた口は、心の底から情けなかった。


 自然と話が途絶えてしまい、今日はこれで、と背を向けて去っていくミシェル。

 休憩時間が終われば、一時間の仕事。それに、店じまいに向けて最後の作業が残されている。

 生活のためとはいえ、時々少し億劫になってしまって。

 静かにため息をつきながら、シルビアは外の壁に体重を預けてもたれかかった。

「……そろそろ、戻らなくちゃね」

 何とか隠し通していた、胸から腹部にかけての大きな痣。

 動く度に痺れた痛みを発し、立っているのも、座っているのも耐えられない程の傷。

 それでも、宿敵への怒り一つで意識を保っていた。

「ジョン・オウタム……あの力には絶対、カラクリがあるはず」

 小指一本、足一本でこの強さ。どんな策を講じても、一人で倒せないことは何よりも明白。

 だからこそ、彼女らと共に戦える下地を作り上げた。

 思考を巡らせて戦う。ジョンに吐き捨てられた言葉を、そのまま相手に返すために。

「あいつらを囮にして、弱点を、探ってやるわ……」

 息を整え、窓に映った自分の顔色をできる限り戻し、目の前に見える、扉と灯りに向けて歩いていく。

 必ず首を取る、そして、終わらせてみせる。そう自分を奮い立たせ、震える足を動かした。


 冷たい夜風を全身に浴びながら、箒を走らせる帰路。

 寮が閉まるまで、既に一時間を切っていた。二人はもう、食事を始めている頃合いだろうか。

 いつ自分が帰るかも分からず、待たせてしまっていると思うと、不意に申し訳なさを覚えた。

「はぁ……」

 手が凍てつく氷のようになっても、寒さは一切感じなかった。それを上回る感情が、今心の中にあるから。

 自分はどこで道を間違えてしまったのだろうという、後悔が降り注ぐ。

「何もかも、足りなかったな」

 シルビアが秀でていたのは、魔法の力のみではなかった。

 自分の信念を貫かんとする確固たる思い。意志の強さが力を増幅させ、自分たちでは追い付けない唯一性を手に入れている。

 きっと彼女も、イリーナも魔法使いとしての道を見出している。

 風と氷。二つの魔法が重なり合う姿を、無意識に頭の中で思い浮かべてしまった。

「どうしよう。このままじゃ、シルビアにあの子が取られちゃう」

 動きを止めると、悪い未来ばかり想像してしまう。

 ジョンを倒し、戦いを終わらせることが最も、彼女のためになるはずなのに。

 視界の先に、見慣れたワズランドの学び舎。それに、寮の灯りがはっきりと映った。

 自分はイリーナの可能性を支えるために生きている。そうじて、最後の一直線で速度を上げて突き抜けていく。


「……ミシェル・メルダ。思ったよりも、面白そうな奴ね」

「シルビア・エンゲルス……やっぱり、気を付けた方がいいのかも」

 ゴオツとワズランド。声を張り上げても、互いに聞こえない程の距離。

 しかし志も行く先も異なるはずの二人の声が、その時だけ不意に重なった。


 続く

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