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ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
31/34

第31話 全ての終わり、または始まりⅠ

 国民のおよそ五割が魔法の力に覚醒し、魔道具と杖によって新たな文明が誕生した国、ディロアマ。

 魔法学校に通う一年生、イリーナとミシェルは国の征服を目論む呪術師の足取りを掴もうと、その行方を追っていた。

 そんなある日、彼女らはゴオツに住む貴族、リッシュと、その執事を務めるガルドから依頼を受け、一般人である二人の警護を引き受けた。

 願い続ける、何事も起こらない平穏な一時。しかし……

「私、みんなに迷惑かけて、こんなことしかできなくて。嫌だよね。い、やだよ……ごめんなさい」

 ガルドがストーリアに変えられてしまい、何も打つ手がないまま、イリーナは彼を殺めてしまう。

 罪悪感に苛まれ、悲しみに明け暮れて自暴自棄になった彼女。しかし、戦いの時はすぐそこに迫っていた。

「……ここまでご苦労だったなァ。オメーの役目は、これで終わりだ!」

「どうしてワタシをオいて行ったの、ガルドォォォッ!!」

 呪術師、グレオに攫われたリッシュが、ワズランドの街中に現れ、暴走してしまう。

「私……前に進んでも良いの?」

 最初は恐怖により、戦うことを拒んでいたイリーナ。

 しかし母の手紙を発見した彼女は、自身が初めて魔法学校に入った時のことを思い出す。

「忘れないで。戦う貴方の背中には、いつも私がついてる」

 クリス、ミシェルが倒れ、絶体絶命となる中、彼女らを守るために現れたのはイリーナと……シルビアだった。

「勘違いしないでちょうだい。私は、順序を変えただけよ」

「えっ……?」

「邪魔な呪術師を滅ぼすために、私はあんたを利用する。だから、あんたも好きなように私を利用すると良いわ」

 魔法学校と敵対していた彼女と、一時肩を並べた共闘。

 一人では敵わなかった呪術師を退け、イリーナはついに、自らの手でストーリアを滅ぼす決断をする。

 リッシュが目指した夢……魔法使いと一般人との共存を、自分が受け継いでいく。それが、救えなかったことへの償い。

「もう、どこにも行かないで……イリーナっ!」

 しかし、この時の彼女は、まだ明確には考えていなかった。

 目標に向かって手を伸ばすことを第一に考えてしまい、眼前の大切な存在が疎かになっていたことを。


 太陽が真上に上った、しかしどこか薄暗い、陰鬱としたボストレンの街並み。

 日が落ちると僅かに賑やかになる繁華街も、今は店を閉めて休眠の気配。

 そんな中、数少なく開けている店の軒先に、酒を飲み干す二人の男性たち。

「……娘がさ、魔法が使えることが分かったんだよ」

 古びた眼鏡を付けた男性の方が、思い切って打ち明ける。

 しばらく、返事はなかった。互いに酒を限に流し込み、ため息を合わせる沈黙の時間。

「ああ、それは……」

「ワズランド行きだよ。たとえ家族であったとしても、ボストレンの人間は接触禁止らしい」

 同じ年代で仲良くなった大柄の男性から、哀れみに近い同情の目を向けられた。

 昨今、魔法使いの一般人に対する姿勢は、以前より増して厳しいものとなり始めている。

 怯えながら、しかし抗うために暮らすべきというのが、ポストレンの民の中での、共通した認識だった。

「遺伝じゃなけりゃ、俺たち無能は置いてけぼりさ」

「ふざけたルールだな。ちょっと街に行って、話すぐらい何ともねえはずなのに」

「そういうアタマがないんだよ、魔法使いにはさ」

 喉の奥から熱を帯び、徐々に言葉が大きくなってくる。

「自分らは絡んでくるくせに、都合が悪くなれば無視と……一遍、痛い目に遭ったら目が覚めるんじゃねえかな」

 滅多なことを言うな、という視線。それを浴びながらも、拒絶はされないことが、相手の想いを如実に表していた。

 構わない。誰にも見られることのない、この瞬間だけは。

 そう思っていると、背後から何者かの足音が近づいてくるのが聞こえた。


 酒を注ごうとした手が、横から伸びた銀の手に阻まれる。

「今、魔法使いに対する暴言を口にしたな?」

 気付けば、鎧を着た三名の騎士たちに取り囲まれていた。

 思わず口を覆う。しかし口にしてしまった一つの言葉は、百の言い訳を携えても消えることはない。

「だ……誰だてめぇら」

「ディロアマ騎士団、ワズランド支部だ。国の治安を脅かす不届き者は、一人残らず捕縛させてもらう」

「……お、おい、ふざけんな、離せっ!」

 振り払おうとするも、掴まれた手が岩のように動かない。

 ボストレンは魔法使いの手のかからない、安息の地。それなのに、騎士団が巡回していたなんて。

 テーブルが蹴られ、酒の残骸が乾いた地面に散乱する。

 共にいた大柄の男性も、同じように捕えられた。行き先はおろか、無事に戻れるか否かも定かではない。

「ワズランドを守るためだ。恨むなら、分別の付かない己の口を恨むのだな」

「……畜生、っ!」

 このままでは、二人で見知らぬ場所に連行されてしまう。

 ポケットから、護身用のナイフを引き抜いた。堅牢な鎧だが、隙を見て逃げ出す他に手立てはない。

 動きを封じようと、手首を狙って突き出した……その時。

「……ん?」

「な、何だっ!?」

 地響き。立っていることが叶わなくなり、騎士団と共に地面へと伏せる。

 建物の窓が小刻みに震え上がり、壊れたテーブルの足が、飛ばされて何処へと消え去った。

 まるで、巨大な竜巻に相対しているかのような衝撃。

 身を守らなければ。取り落としたナイフを拾い上げ、頭を低くすることに注視した。

「隊長、これは……」

「無理に動くな、構えろ!」

 数名のどよめく声に、甲冑の擦れる音。彼らが起こした現象、とも違う。

「一体、どうなってるんだ?」

 共に連行されかけた、大柄の男性の姿を探す。すると視界の隅から、地面に裂が入っているのが見て取れた。

 それは徐々に広がっていき、中心に一つの穴が生じる。

 鼓膜が破れるほどの衝撃。目にも止まらない速さで地中から蠢く、黒い影。

「ウァァァッ!!」

 やがて飛び出してきたのは、人の背丈を超える巨大なオオカミだった。


「ストーリアだ、総員……」

「遅いんだよぉッ!」

 騎士たちが剣を抜くより先に、ストーリアと呼ばれた怪物は眼前に迫る。

 飛びかかった勢いで、身体を引き裂かんとする鋭利な爪。

「させるか!」

 隊長と思わしき人物が飛び出し、右側から突撃してその軌道を逸らした。

 倒れ込み、上がる土埃。向こうが怯んだ隙にと、放り投げられた赤い石。

 何か分からずに首を傾げていると、瞬く間にそこから眩い光が放たれた。

「フレイム・レ・ムルバ!」

「ぬわぁっ!?」

「ケッ……!」

 爆発。思わず目を塞いでも、焼け付いた光がしばらく消えない。

 しかし、瓦礫の中から何かが動き出す音が聞こえた。再び視線を戻すと、掻き消えるストーリアの残像。

 一歩遅れて目で追っていると、一人の騎士が弾き飛ばされる。

「ぎゃああっ!」

 腰を低くして、道の隅に身を隠す。次に狙われた標的は、静かに剣を構えた隊長。

「サンダー・レ・ムルバ!」

「ウァッ……!?」

 しかし腹部に剣を突き刺し、ストーリアの身体を激しい電撃が走る。

 一歩距離を取り、双方睨み合った。その殺気に、自分たちもつけ入る余地を失ってしまう。

 大きな口から鋭い牙を見せ、低い声が辺りに響き渡る。

「何をしようと、無駄なことだ」

 つい先程まで安息の地だった場所に、緊張が走った。

「……化け物め!」


 その時、青空を正面から割るように、三本の矢が掠めた。

「ギャァァッ!?」

 右足、腹部、そして胸部。痛みに悶えるストーリアは、足元を崩してその場に倒れ込んだ。

 居合わせた全員が、放たれた方角に視線を寄せる。

 緑の髪を一つに束ねて風の弓矢を構える、魔法学校であろう制服を身に纏った少女だった。

「シルビア:エンゲルス……?」

「経緯はどうであれ、向こう見ずに力を振り回すのは感心しないわね……呪術師」

「貴様には、関係のないことだ、ろう?」

 シルビアと呼ばれた少女は、風で揺らぐ前髪を除けてこちらに顔を向ける。

 その視線は、敵意と拒絶に満ちた鋭さを内包していた。

「戦いの邪魔よ。巻き添えを食らう前に、とっとと尻尾を撒いて帰ることね」

 自分たちより歳も背丈も下回っている。それなのに、並み居る者を難ぎ倒すような威圧感。

「し、しかし……」

「二度は言わない。次はあんたらにも攻撃するわよ?」

「……くっ!」

 騎士団が怯み、一歩下がる。肝心の隊長が決断に迫られ、迷っているのが仮面越しでも伝わってきた。

 大柄の男性の肩を持ち、密かに立ち上がらせた。

 隙に乗じた今なら誤魔化せるかもしれない。身を隠せるような、安全な場所へ。

「……行こう。歩けるか?」

「ああ、すまんな」

 魔法使いは、一般人の敵。その認識は、娘ともう一度会えるまで決して変わらない。

 けれど結果として自分たちを救ってくれた少女に、一人の人間として小さく頭を下げた。


 足に刺さった矢を引き抜き、怒りを込めてこちらに飛びかかってくるストーリア。

「大事なトコだったのによぉ!」

 後ろに飛び、緩やかに一回転しながら、シルビアはその頭部に蹴りを加えた。

「はあっ!」

 一歩下がり、回避するような素振りを見せながら、勢いを付けて正面に進む。

 空中でステップを踏むように、左肩、脇腹、胴体に一撃ずつ。

 人の足は軽くとも、予測できない動きにストーリアは困惑の表情を浮かべる。

 苛立ちを募らせたのか、今度は正面からの突き刺し。

 しかし迫る爪を寸前で躱し、腕を持って、半ば背負う形で相手の身体を放り投げる。

 乾いた、重々しい音が、ひび割れた地面に伝わった。

「ふざけん、じゃね……」

「こっちの台詞よっ!」

 長い足での回し蹴り。両足で踏み切ってそれを飛び越え、後ろに下がりながら弓矢を放ち続ける。

 一発、二発。既に負っていた傷が抉り取られ、ストーリアの生命力を暖く間に奪い去っていく。

 受け身を取って軽やかに着地し、相手の方を一睨み。

 膝をつき、攻勢が止まる。すかさず魔力を溜め込み、一気に仕留める準備は整った。


 携えた矢が三本に増え、右手の指に力を込めて放つ。

 空中で弧を描いている間にそれらはさらに増えていき、相手の逃げ場を潰していく。

 雲一つないはずの空から、矢の雨が降り注いだ。

「ウインド・エル・ムルバ!」

 殺気を感じたストーリアは、咄嗟に足を動かして右へ、左へと逃げ惑う。

 しかし魔法を帯びた風の矢は、軌道を変えても尚地表に刺さることはない。

 回避を試みる敵を追尾し、やがて全包囲を取り囲んだ。

「何っ……」

「あんたはもういいわ。潔く散りなさい」

 その行く末はもう、わざわざ視界に収めるまでもない。

 最後に弓を横に振り、呆気に取られたストーリアに背を向ける。

 少しずつ、間隔をあけて降り注ぐ衝撃。痛みは絶え間なく続き、半ばで力尽きることも許されない。

 小さく、しかし確実に崩壊の一途を辿り、最後に急所を突き抜ける一発。

「ァァァッ!!」

 最後に野太い断末魔を上げ、その身体は爆発、離散した。


 視界の先に映ったのは、ストーリアと魔法使いとの戦闘。

 力量は今になって比べるものでもなく、シルビアの乱入から、形勢は揺らぐことなく確たるものに。

 その命が尽きる様を見つめ、黒いフードを被った存在……ジョンは静かにため息をついた。

「所詮……使いまわしのストーリア一体では、話にならないのですね」

 戦いに慣れた動きに、冷静さを保つ心の軸。イリーナと関わるようになってから、さらに磨きがかかっていた。

 建物の上から地表に飛び降り、物陰に隠れて歩き始める。

 いつまでも、一歩引いて遊びを続けている場合ではない。

 三種の魔神器、呪術師の整理。錆びていた歯車が、一挙して動き出しているのを肌で感じた。

「そろそろ、駒を次に進める頃合いなのでしょうか」

 筋書きの通りに指示をするべく、次に向かう先は呪術師の拠点。

 遠くない未来、いずれ正面から彼女と相対する日が来る。

 余裕を持たせた足取りと、覚悟の混じった息遣い。隠された顔から、口角の上がった唇だけが表面に現れた。


 背後から、密かに忍び寄ってきたシルビアに矢を向けられるまでは。

「待ちなさい、そこまでよ」

 耳を澄ませる。慌てて顔を向けずとも、聞こえる音で彼女の動きは伝わってきた。

 力を込められた弓は、歯ぎしりのような震え。照準は恐らく、こちらの頭の中心。

 自分が僅かにでも指を動かせば、躊躇わずに貫かんとする覚悟と殺気。

「……ほう?」


 沈黙の時間を遮るように、両手をゆっくりと上げる。

「お初にお目にかかるのです。私は……」

「呪術師の頭領、ジョン・オウタム。そうでしょう?」

 全身に叩き付けるような、冷たい風が吹いてきた。

 建物に両端を挟まれ、逃げ場はない。しかし今にも一撃を放とうとする彼女を、気だけで制する。

「知っていたのですか、これは失礼」

「質問にだけ答えなさい。あんたは三種の魔神器、その在処について知っているのよね?」

「……はて、どうでしょう?」

 中身のない、気の抜けたような言葉。それが求めている答えでないことは、自分にも分かり切っていた。

「とぼけないで、力に溺れた化け物のくせに」

「力に溺れているのはどちらなのですか? 目先の願いのみを追い求め、友も未来も捨てたのは?」

 頭で思い描いた通り、彼女は冷静さを欠いていく。

 人形劇を見ているようだった。彼女が何を想い、何に怒るのかは、輪の中心たる自分の匙加減。

 主導権を握っているのは、端からこちらの方なのだから。

「目先、ですって?」

「私は全て知っているのですよ。貴方が戦うことになった理由は、拠り所が無くなったからなのでしょう?」

「……黙れ、っ」

 揺らぐ水面、または噴火を目前とした山の地響き。この機を逃さす、自分は最後の引き金を引く。

「私は甚だ疑問なのです。魔法使いでもない無能を、大切な命と珍重したがるその思考回路が」


「貴様に理解されたくて、戦ってきたんじゃないのよッ!」

 十人分は優に超える、手を伸ばしても届かない互いの距離。果てしないそれを、放たれた矢は一息の間に埋める。

 しかし、その影が寸前に迫っても決して動かなかった。

 先端に当たった頭の中心が、液体状になって軟化する。命を刈る一撃は、何も得られずにすり抜けた。

「はっ……!?」

「私はあまり、戦いを好まないのですよ」

 振り返り、怪訝な顔をして立ち尽くす彼女に一歩、また一歩と近付いていく。

 頭部、心臓に続けて矢を受けても瞬時にすり抜け、決して歩みが止まることはない。

 痺れを切らした彼女は空に向かって打ち上げ、溜めた魔力を解き放った。

「ウインド・エル・ムルバ!」

 失が空中で分裂し、こちらの身体を目がけての追尾。

 全方位を取り囲まれ、本来なら痛みに悶え苦しみ、崩壊を待つだけの絶望の瞬間。

 それでもなお、地面には一滴の流血も零れ落ちなかった。

 手足、胴体、そして顔に刺さりながらも痛みはなく、生命には何の影響も及ぼない。

「そんな……バカ、な」

「しかし貴方が何としても、杖を向けねば気が済まないと言うのなら……」

 コポリ、と音を立てて矢が抜けていく。あと一歩の距離を詰め、シルビアの眼前にまで迫る。

 至近距離は、間合いの外。対応が遅れたまま、その身体に向かって手を伸ばす。

「見せてあげるのです。私の力を」

 小刻みに震える、美しくもどこか華奢な右肩。何の力も込めずに、左手の小指ただ一本で、ほんの少しだけ触れた。

 何が起きたのか分からず、凍り付いた彼女の表情。


 しかし、すぐに目が見開かれた。暴風に煽られるように、抵抗する間もなく飛ばされていく。

 遮るもの全てを凄まじい速度で薙ぎ倒し、遥か後方にそびえる壁に衝突した。

「あ……ううっ!?」

 散乱する瓦礫。残された住民たちは悲鳴を上げ、自分たちの姿を見ながら逃げ出していく。

 力が抜けてしまった彼女は、めり込んだ壁から地面に崩れ落ちる。

「ただ力を振るうだけが、強さではないのです」

 細い指を小さく鳴らしながら、手を伸ばしたまま倒れ込んだシルビアの身体へ。

 どうしたものかと首を傾げた後に、突き出したのは右足だった。

 背中に押し当てて体重を乗せていくと、見た目に似合わぬ衝撃。

 地面に亀裂が入り、鳩尾に拳を思い切り打ち込んだような鈍い音が響く。

「かはっ……」

「己の身の程度を知り、その上で勝つための戦略を練る……それも立派な、強さなのですよ?」

 悶え咳き込む姿を目の当たりにし、最後に踵に力を込めた後、ゆっくりと足を離した。

 治癒魔法を講じる余力さえも、今はもう残っていないと伺える。

 手を広げ、術をかけようと試みたが、寸前で止まる思考。

 頭を押え付け、上がいることを知らせる。それは自分でなくとも、いつか誰かがやらねばならないこと。

 それでも恐怖ではなく、悔しさに満ちた瞳をこちらに見せているのは、僅かに残った闘気の灯だった。

「貴方にはまだ筋があるのです。決して、己の命を無駄遣いすることが無きように」

 騒ぎが大きくなる前に、彼女と距離を取り始める。

 そのまま立ち去ろうとした最中、僅かな力を以て小さく起き上がった。

 埃と傷を交えた手で、こちらの裾を掴もうとする。

 勇敢だが、今はまだ応えられない。引き離すように、手で叩いて突き飛ばした。

「きさ……ま、っ」

 願わくは、最後の瞬間まで強くあり続けんことを。

 根めしそうに目を閉じ、全身の力を喪失したシルビアは。とうとう意識を失ってしまった。


 ゴオツで起きたストーリア騒動と、それに伴う戦いから一か月。

「……ん、あれ?」

 呪術師への対応は他の魔法使いが請け負い、クリスは怪我のリハビリに励む日々。

 そして、ミシェルは誰とも深く関わることがなく、心に寂しい穴が開いたまま、一人となっていた。

「イリーナ?」

 少し乱れたまま、誰もいなくなったベッドを直していく。

 心に、一枚の壁を作ってしまっていた。一緒の部屋にでも、決まったことだけを喋り、それ以上は踏み込まれない。

 嫌っているわけではないと、彼女に気を遣わせてしまっている事実が、嫌われるよりも自分に重くのしかかってくる。

「準備、しなくちゃ」

 寝坊しないようになってほしい。願いは叶ったはずなのに、何かが違うと否定が浮かんでしまう。

 言葉を交わすことなく髪を整え、一人で持ち物を確認し、忘れ物がないか部屋を見て回る。

 靴を履き、隙間風が肌寒い廊下に足を踏み出していく。

 誰かが掴んでくれるはずの右手は、誰にも見られることなく冷たくなってしまう。

 イリーナは、自分がいなくても生きていける。イリーナがいないと生きていけないのは、自分の方。

 薄々そのように感じて、しかし見ないふりをしてきた事実を、自分は退屈な日々の中で分からされた。


「本日は今まで学んできた魔法の基礎知識を活かして、応用的な部分に触れていきたいと思います」

 緊張の混じった面持ちで見つめ合う生徒たちを横目に、歩み寄ってくる少女が一人。

 申し訳なさそうな表情で頭を下げてきた彼女は、イリーナだった。

「あっ……イリーナ」

「今朝はごめんね。魔法の練習したくて」

「う、ううん。大丈夫だよ」

 心配しなくていいと伝えたかったのに、却って距離が生まれてしまうもどかしさ。

 以前生じた傷は依然癒える様子を見せず、前に進むのが怖くて、たまらなくなってしまう。

 顔を合わせるのが少し気まずく、視線をキャロル先生の方へ。

「これから取り扱っていくのは、合体魔法です」

「……合体、魔法?」

 教本で聞いたことのある単語だった。今まで触れてこなかったそれを、彼女は淡々と説明していく。

「異なる属性の魔法を同時に放つと、相乗効果が生まれてより大規模な術になる、というものです。消費魔力は二人で半分ずつなので、例えば普通科の生徒でも、属性科に相当する術を扱えます」

 イリーナが何度も頷き、感嘆の声を漏らす。強力なストーリアや、呪術師に対抗できる最良の手段。

 しかし、今の自分たちには、敷居となり得る重い条件があった。

「思いが通じ合うということが、何より重要です。少しハードルが高いかもしれませんが……ぜひやってみたいという人は、手を」

「……はいっ!」

「はーい、やってみたいです」

 少しでも想いが逸れると、魔法が一つになることはない。

 イリーナは挙手。試してみなければ前に進めない圧力の中、自分はどうしても手を上げることができなかった。

 迷っているうちに、キャロルは同時に上げた二人に目を付ける。

「じゃあそこのお二人さん、前へどうぞ」

 女子と男子が一人ずつ。顔見知りらしく視線を合わせるが、初めてらしく表情には緊張が残る。

 大勢の目がある中で、思考を合わせるのは容易ではない。

 勇気を出して杖を空にかざすと、キャロルは快い笑顔でそれを見届ける。

「肩の力を抜いてください。周りのことは一旦忘れて、杖に神経を研ぎ澄ませましょう」

「は、はい……」

「分かりました」

 杖の先端から、そよ風と電撃が生じる。それらは二人の間で重なり、一つとなっていく。

 人と同じ大きさの竜巻が、雷を纏って自分たちの周りに現れた。

「……おおっ!」

 人だかりの中からでも、その姿をはっきり捉えることができた。

 新たな瞬間に立ち会った二人の笑顔。竜巻はやがて小さくなっていき、輝きを放ちながら消滅していく。

 少ない魔力で作り上げたとは思えない、驚くべき光景。

「二人のイメージが重なりましたね。合体魔法は様々な組み合わせがあるので、術の幅がグンと広がりますよ」

 生徒たちの表情から不安と緊張が消えていく。代わりに沸き上がったのは、二人と同じように成功させたいという期待に、興奮。

 その輪の中で自分だけがただ一人、笑顔になれずにいた。

「では好きなペアと組んで、軽い練習をしてみましょう」


 生徒たちの反応は、まさしく十人十色を絵に描いたようだった。

 成功し、歓声が聞こえたり、惜しくも失敗して、悔しがりながら何度も練習してみたり。

 半ば取り残され、静かに杖を眺めていると、早速イリーナが駆け寄ってきた。

「氷と炎の合体魔法って、水魔法になるってことかな?」

「えっ、ああ……」

 イリーナの瞳は、先程よりも少し輝きを帯びていた。

 水魔法。ベルドール・エーレンドを除いて、単体でその術を使える者はこの世界に存在しない……とされている。

 二人で手が届くなら、という羨望の色が、その言葉から伝わってきた。

「そうだね。氷は解けたら水になるし」

「やってみたいな、私たちで」

「うん。合体したらどうなるか、二人で試してみよっか」

 校舎からの影になる、生徒たちの少ない場所を陣取る。

 先程の光景を思い出して、杖を上にかざした。イリーナもその隣に杖を掲げ、二本が並ぶ。

 彼女の杖は、以前よりも少し、汚れや傷が入っているように見えた。共に戦い、使い込まれてきた証。

 本当は喜ばしいことのはずなのに、一方で綺麗なままの自分の杖が、何だか恥ずかしく思えてしまう。

「おっ、良い感じじゃない?」

「え……あ、本当だ」

 思考を巡らせているうちに、術に僅かな動きがあった。

 魔法陣が生まれ、氷と炎が渦のように交わっていく。雫のように零れる水は、集まって泡のような形に。

「凄い……成功だよっ、ミシェル!」

 純真な彼女を表すかのように、泡は隅まで淀みを見せず、透き通っていた。

 二人の姿が反射し、互いの表情が鏡よりも明瞭に映し出される。子供の時と変わらない、満面の笑み。

 それでもなお、自分はイリーナに顔を向けて笑えなかった。


「……う、うん」

 本当に、中途半端な今のままで良いのだろうか。

 永遠に二人で生きていく未来も、立派になった彼女を送り出す未来も。そのどちらも、はっきりと想像できない。

 迷っている自分が嫌になって、開きかけていた心が、徐々に閉ざされていく。


 その時、完成したはすの魔法陣が輝きを失っていくのが、確かに見えた。

 あっ、と顔を持ち上げ、杖を構え直しても既に手遅れ。

 揺らいだ泡は空中で弾け飛び、自分たち二人の頭上で、豪雨のような飛沫が飛び散った。

「うぇっ!?」

「わ……ぶっ!」

 水が目に入りそうになり、腕を構えて防ぐ。首を大きく左右に振り、やってしまったという後悔。

 靴の内側に残る湿った感触が、言い表せない違和感を覚える。

「やっぱり、今の私には……」

「もうっ、できたと思ったのに!」

 自分のせいだと言われても、何も返すことができない。

 言葉で誤魔化せても、魔法は正直だった。意思がそのまま力になり、半端な想いは壊れてしまう。

 ひたむきに頑張るイリーナの夢を叶えたい。それだけは、疑いようのない本音だったはずなのに。

「廃力が足りなかったのかな、それとも……ひやっ!?」

 頭を抱え、思い悩むイリーナ。しかし足元に広がった水溜りに気付かす、その足を小さく滑らせてしまう。

 危ない。思わず身を乗り出した刹那、駆け寄ったキャロルが彼女を受け止める。

「初めての合体魔法はそんなものです。大きい術であればあるほど、イメージの統一は必要不可欠ですからね」

 派手にやりましたね、と穏やかな笑い。沈んでいた心が、僅かながら掬われたような気がした。

「大丈夫。コツが分かるまで、何度もやっていきましょう」

「は。はい」

 炎と風を融合させた、火炎の渦が背後で輝きと熱を放つ。

 練習を重ね、周りは徐々に成功の色を滲ませていた。時が経つにつれ、焦りだけが残されていく。

 一度壊れてしまった歯車が、元の動きを取り戻すことはなかった。


「うう、魔力使い過ぎちゃったよぉ」

 いつもより長く感じた授業を終え、日が暮れ始めた校舎の廊下。

 猫背になり、歩幅が小さくなったイリーナに合わせ、自分も目線を合わせながらゆっくりと歩いていた。

「朝からだもんね。今日は早めに休んだら?」

「うん……ごめんね、心配かけて」

「大丈夫だよ。魔力切れはこれから成長できる証だもん」

 コツン、コツンと乾いた足音が、反響して重なっていく。

「でも凄いね。魔法の練習、そんな必死になれて」

 カルミラにいた時は、明るくも、もっと大らかだった。いつも自分の背中をついて歩く、妹のような存在。

 それが今では、彼女が疲れ果てた時しか、自分は前を歩けない。

「みんなを守れる強さがほしい。そう思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃって」

 太陽を直視した時のように、視界に残り続ける眩しさ。

「まずは、シルビアや先輩のみんなに追い付きたいかな」

「そったか」

 追い付いたその先はどうするのか。既に追い抜かれた側の者には、決して言ってくれない。

 向いているのは、自分よりも上にいる外の人たち。

 どうして、こっちを見てくれないのだろう。わがままだと分かっているのに、その時だけはふと焦ってしまった。

「変わることだけが、正解なのかな?」

「えっ?」

「ねえイリーナ、私……」

 階段の手前で、曲がろうとするイリーナの前に半ば立ち塞がった。

 変わらないでほしい、傍にいてほしいと願えば、今度こそ彼女に嫌われてしまうだろうか。

 でも、何もできない宙ぶらりんのままではいられなくて。

 負けと分かっている賭け事のように、自分は衝動的に動こうとしてしまう。


 しかし、喉の奥に引っ込んでいた言葉を、ようやく形にしようとした瞬間。

 頭上から、耳を突き刺すような足音が聞こえてきた。

「た、たたた、大変だぁっ!」

「うぇっ、クリス!?」

 何度も体勢を崩しそうになりながら、階段を駆け下りる少女は、同じ属性科の一年、クリス。

 その視線は自分たちの方を向き、その速度は、自分たちに衝突しそうな程の勢い。

 彼女の影にこちらの身体が覆われる。考えるよりも先に、まず手足が動いた。

「ちょ、ちょっと……」

「落ち着きな、さい!」

「ぐぉぉっ!」

 彼女が最後の段を下りた直後、その両肩を掴んで勢いを止める。

 多少面食らったような表情をしながらも、クリスの足はそこでようやく静止することができた。

「あ、ああ良かった、もう寮に戻ったのかと……」

「もう、階段を走ったら危ないでしょ?」

 身体の熱と、舌の回り切らない言葉。火急の用事だと、その様子から悟る。

「一体何があったの、そんなに慌てて?」

 頭を抱え、しばらく首を傾げながら彼女は唸った。

 もしや、呪術師の騒動。嫌な気配を感じ取ったが、クリスは突き出した手でそれを制する。

 誰かから新しい依頼を受けた……という様子ではない。

「うむ……少しややこしくなるから、結論から話そうか」

「は、はあ」

 隅の壁に寄った彼女は、身を乗り出す。三人で頷き合い、ほんの少し顔を近付けた。

 息を吸い込み、瞬きの後に覚悟を帯びた口元が開かれる。

「突き止めたんだ、シルビアの行方を」

 想像もしていなかった、新たな情報を掴める兆しだった。

 目を丸くする。クリスが受けたであろう驚きの感情が伝播していき、思わず裏返ってしまう声。

「……はあっ!?」

「ええぇぇっ!!」

 自分たち二人の叫びは山びこのように、恥ずかしくも廊下に木霊してしまった。


 続く

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