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ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
29/30

第29話 絶望からの再起、すると転機Ⅳ

 人の消えた路地に、自分の足音だけが虚しく響いていく。

 閉店の札を掲げた魔道具店の扉をノックし、アウダーは躊躇わず店の中へと入った。

「マルクさん、戻ったよ」

 薄暗い戸棚の奥。静かになったカウンターに、煙草を噴かす店主、マルクの姿。

「偵察、ご苦労だった。現場の様子は?」

「ミシェル・メルダとクリス・サキュラが交戦中。ジョン・オウタムは騎士団十数名と戯れているね」

「なるほど、戦局はどう見る?」

 首を傾げて考えた。両者の有する能力、細かな仕草が指し示す残された体力。

 次に移る行動を思い浮かべると、ぼやけていた未来が明確な形となっていく。

 舌を何度か鳴らした後に、人差し指を小さく交差させた。

「劣勢だね。クリスは手負いだし、形勢逆転はまあ無理かな」

「そうか……」

 ため息をつきながら、マルクは険しい表情で肩を落とす。

 卓上の小さな陶器に煙草を押し当て、立ち上っていた煙を一息で消して見せた。

「今ここで彼女らを喪うと面倒なことになる。シルビアに期待するよりも、直接出向くのが得策、か」

「でも、大事になればもっと面倒なのでは?」

 沈黙が流れる。彼から目を逸らし、寂しくなった街の景色を曇った窓から眺めた。

 住民たちの選択肢は二つ。声さえ出さずに家に閉じこもるか、さっさと逃げる支度を始めるか。

 戦局が悪化すれば、どの道逃げる宛も無いというのに。

「……いや、構わない。もしものことがあれば、構わずグレオを殺害してきなさい」

「ラジャー。マルクさんがそう言うなら」

 両腕を何度も回し、準備運動。あまり動かしていなかったからか、肩が乾いた音を立てた。

 軽く微笑みながら敬礼をする。軽い足取りで前へと進み、力強く扉を開け放つ。

「どうせ国を腐らせる連中だ。犠牲と呼べる程の重みも無い」

 背後から、重く低い声が捨て台詞のように聞こえてきた。


 剣を携え、正面から突き進む。その頭上を、クリスが飛び越えて宙を舞う。

「サンダー・ランス!」

「はぁぁっ!」

 グレオを前後で挟み込み、間髪入れずに斬撃と刺突。

 電磁波がこちらの肌に触れた。痺れそうになる程の雷と、剣から漏れ出る火の粉が混じる。

 爪に阻まれるが、一対一のような勢いは感じられない。

「インヘリット・ホエール!」

 グレオが後ろに飛ぶ。瞬きをする間に、氷の柱が聳え立ってこちらの進路を阻む。

 まるで鏡のように姿が映し出される。クリスと視線を合わせ、そして頷いた。

「ミシェル……頼む!」

「任せてっ!」

「何だとッ……!?」

 地面に屈んだ。先にクリスの一閃が、氷を打ち砕く。

 差し出された槍を足で蹴り、踏み台にして上へと飛ぶ。離れていた彼との隔たりが、一瞬にして消える。

 斜めに振り下ろす。胴体には届かず、剣は右腕を掠めた。

「その場しのぎにしちゃ強ェ……だがな!」

「……あっ!?」

 直後、潜んでいたストーリアが現れ、針が襲いかかる。

 避け切れない。背後にいたクリスと共に、再度吹き飛ばされて地面を転がった。

「ぐわぁっ!!」

「ガラクタ同士が組んでも、ガラクタにしかなんねぇんだよ」

 地面は硬く、冷たい。一度倒れてしまえば、侵食されるように痛みが全身に広がっていく。

 動きが、絶妙に噛み合わなかった。考えてはいけないのに、イリーナならば、と頭に浮かんでしまう。

 傷付けてしまったのは、他ならない自分自身のはずなのに。

「サンダー・ジャッジメント!」

 弾かれるように隣を見る。倒れていたクリスが、槍を地面に突き刺していた。

 ストーリアの全身に無数の電撃が走る。苛烈な攻撃が止み、生まれる隙。

「まずは、あのストーリアを先に倒すぞ!」

「分かったっ!」

 しかしストーリアの頭が僅かに動き、手を止める。

「ヒトリ、ニ、シナイデ……」

 掠れた鳴き声。しかし耳を澄ませば、人の言葉のように聞こえてくる。

 悲痛な叫び。しかし何かが引っかかり、目を細めた。

「な、何だ?」

「ワタシモ、ツレテ……イッテ」

「はっ……?」

 クリスと共に立ち上がった瞬間、不意に身体が重くなって胸騒ぎがした。

 目の前には確かに、グレオがいる。しかし連れ去られたはずのリッシュは、姿どころかその気配も感じられない。

 代わりにワズランドに現れた、ハチのストーリア。

「……あのストーリア、まさか」

「ようやく気付いたか、魔法使い」

 魔法使いはストーリアにならない。命を引き換えに呪術の力を扱えるのは、魔力の無い一般人のみ。

 汗が滲み出る。今まさに整えようとしていた呼吸が、再び荒くなる。

「まァ、概ねオメーの想像通りだぜ」

 待ち構えていたかのように、グレオは腕を組んで片方の口角を上げた。


 散らばった全てが繋がる。目の前の視界が、ぐらりと揺らいでいく。

「そん、な」

 後を引き受け、共に過ごした彼女が、怪物となって目の前に現れている。

 剣を握る手が震えた。戦うということは、彼女の命を自分が殺めるということ。

 分かり切っている。今までだって、迷わずそうしてきた。

「ミシェル……?」

 クリスに肩を揺さぶられる。平静を保とうと身体に訴えかけても、顔に全てが出てしまう。

 残された時間は幾ばくも無い。決断を、迫られている。

「でも、私がやらなきゃ、イリーナが」

 倒したら、イリーナは立ち直れなくなるかもしれない。涙を流し、自分自身を責め、崩れ落ちてしまう。

 逃げても進んでも、待ち受けているのは、茨の道。

「私が、やらなきゃ……」

 追い付かない頭を必死に動かし、せめて身を守ろうと全身を強張らせる。


 しかし揺れ動く心よりも、時間の進みがその先を行った。

「しっかりするんだ、ミシェルっ!」

「……はっ!?」

 頭の中では一秒でも、流れた時は果てしなく長い。

 躊躇ってしまった。そう気付いて顔を上げた瞬間、クリスの叫びが耳元に突き刺さる。

 意識を向ける寸前、目の前に無数の針が襲いかかった。

「うっ、くうっ……!」

 直撃は避けたが、視界を包む土埃。受け身を取って顔を覆うと、底知れぬ殺気が肌に吹き付ける。

 命を刈り取られる気配を、間近で浴びて眩暈がした。

 徐々に視界が晴れた。ゆっくり顔を上げると、目を見開く。

「……クリス!」

「こ、んな、所でっ……」

 クリスの額に、赤い擦り傷。何度も立ち上がろうと試みたが、あと一歩の所で力が抜け、倒れ込んでしまう。

 元より万全では無かった。それなのに、限界を超えて……

 ストーリアの眼光が光る。自分への怒りと悔しさが、喉元にまで上ってきた。

「こうなったら、やるしか無い!」

 地面を叩き、体勢を整えて杖を持ち直す。残された魔力を全てかき集め、光を放つ。

 どうなるかは、自分にも分からない。それでも、何も為せずに倒れるくらいなら。

 その時、微かにクリスの弱々しい声が耳に入ってきた。

「待つんだミシェル、超級魔法は……!」

「私に……力を貸して、イリーナ!」

 未練を、振り切る。眼前に巨大な魔法陣が現れ、周囲の魔力も吸い尽くして炎を生み出した。

 頭が痛み、身体の力が抜けそうになる。気迫だけで意識を留め、張り裂けそうな声で呪文を唱える。

「フレイム・ウリ・エル・ムルバ!!」

 光が、一瞬だけ消え失せる。その直後に、赤い炎。

 グレオとストーリアの身体が照らされる。両者を燃やし、その場ごと焼き尽くさんとする威力。

 しかし、進むにつれてその速度が弱まっていく。

「見かけ倒し、だなァ」

「えっ……!?」

 到達する寸前、炎の勢いが止まった。グレオの爪の一振りで、術が真っ二つに割られてしまう。

 膝から崩れ落ち、腕の力が抜け落ちた。教本で目にした超級魔法とは、あまりにかけ離れた未完成。

「練度が低い。残りカスの魔力じゃ、そんなモンか」

 二、四、八等分。散り散りに割られた炎は瞬く間に形を失い、何一つ残せずに消え去っていく。

 乾いた地面に、残滓のような火の粉が虚しく零れ落ちる。

「そん、な」

「そろそろくたばっちまえよ、大人しく」

「ァァァッ!」

 万策が尽きた。眼前に、ストーリアの巨体が迫ってくる。


 羽が左右に震える。鱗粉が、辺り一帯に散布された。

「うっ……かはっ!」

 クリスの咳き込む声が聞こえてくる。瞬く間に、視界が黄色く染まっていく。

 目を細め、腕で口を押さえた。それでも、隙間から流入した鱗粉が体内へと侵食してきた。

 彼女を連れて、この場から逃げなければ。足を動かそうとした瞬間、平衡感覚が崩れてしまう。

「な、に……?」

 徐々に意識が薄れていく。息が苦しく、立っていることさえ叶わない。

 地面に手を付く。まるで力が入らず、倒れ込んだ。

「ダ、メ……まだ、わたし、は」

 一度でも目を閉じれば、眠ってしまう。瞼が重くなる中、必死に手を伸ばそうとした。

 守り抜く。そうすれば、イリーナはきっと幸せになる。

 もう二度と、彼女が傷付かないように。あの時の笑顔を、いつか取り戻すために。

「たたかわ、なくちゃ……」

 そこで、糸が切れたように自分の意識は消え失せた。


 爆発のあった場所に向かって、イリーナはワズランドの細い路地を駆け抜けていく。

「ミシェル、今行くからね……!」

 果てしなく長く思えた。部屋に籠っていたからか、足が鉛のように重く、進むにつれて痛む。

 魔力の消費を抑えるために、箒を使わなかったことを今になって悔やむ。

 煙は目前に迫っている。目前まで辿り着いた、その時。

「死にたがりが、今更どこに行くと?」

「……シルビア」

「戦いで全ての命は救えない。もし失敗したら、また一人で泣き喚くことになるわよ?」

 頭上から声が聞こえる。建物の屋上に、見下ろす人影。

 こちらの動きを見透かしていたかのように、シルビアは物音一つ立てずに待ち構えていた。

「……ミシェルも、そう言ってた。いざという時は、誰を先に救うべきか決めるって」

 足を止めて、視線を合わせる。胸倉を掴んで叱責された、あの時の光景が目に浮かぶ。

 恐怖は隠せなかった。しかし彼女のお陰で、弱かった自分を見つめ直すことも。

「その通りよ。だからあんたには……」

「でも戦うことを諦めたら、大切なみんなを死なせちゃう」

 自身の胸に手を当てる。クリスや母が、もう一度生きる意味を教えてくれた。

「今救える命があるなら、私のやることは変わらない。貴方が無理だと言っても、私は最後まで戦ってみせる!」

 シルビアの身体に遮られていた日の光が、隙間から漏れ出てこちらの顔を照らす。

 眩しく、目を細める。しかし、瞼を閉じることは無かった。

「呆れたわ。同じ失敗を、繰り返すことも厭わないなんて」

 違うよ、と頭の中で答えた。失敗を繰り返さないために、自分はミシェルを救いに行く。

 カルミラで、命の危機に瀕した自分を助けてくれたように。

 彼女は一度首を振り、唇をきつく結んだ。しかし、身構えても攻撃は来ない。

「あんたを止める意思は無い……勝手になさい」

「分かった。じゃあ、勝手に行くよ」

 両足に力を込め、もう一度戦場に向けて走り出す。

 微かに聞こえていた衝撃音が大きくなっていく。杖を握る力が、無意識に強くなっていた。


「中々粘ったが、流石にここまでのようだなァ」

 鱗粉が風で吹き飛んだ後、グレオは地上に降り立つ。

 ミシェルもクリスも、目を閉じて意識を失っている。その無防備な姿を、はっきりとこの目に焼き付けた。

 片手を空に掲げる。ストーリアが、こちらに近付く。

「一発だ。楽に逝かせてやれ」

「ゥゥゥッ……!」

 身体を溶かす毒液の分泌。射程は短く隙も大きいが、標的が眠っている今は、回避する術も無い。

 彼女らがいなくなれば、呪術教典の完成は今以上に進む。ジョン・オウタムの、役に立てる。

 迷う理由は無い。ストーリアに向けて、顎を突き出した。

「じゃあな、哀れな魔法使い共」

 口から毒液が飛んだ。緩やかな弧を描き、まずは目の前に倒れているミシェルの方へと。

 これで全てが終わる。その言葉が頭をよぎった瞬間、ほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、それは突如現れた氷の柱によって阻まれた。

「あァん……!?」

 目を剥いて空を見る。魔力はおろか、人が飛んでいる気配さえ残っていない。

 まさか。頭の中に、不意に悪い想像が浮かんでしまう。

 もう一度、光のあった方を見る。魔法を使った主は、物陰に隠れていた。

「もう誰もやらせないよ、グレオ」

「遅れてお出ましか、殺人犯」

 ツインテールが風に揺れる。姿を現したのは、イリーナ。

 魔法が解け、柱が塵となって消える。二人の前に立ち塞がる姿は、以前とまるで変わらない。

 ただ目付きだけが、ゴオツの時とは違うように見えた。

「今のオメーにできることは無ェ。大人しく里に帰って、細々と暮らしたらどうなんだ?」

 ストーリアが睨みを利かせる。誰かの落とした新聞の欠片を踏み付け、彼女のもとに接近した。

「呪術師を倒して、この国が平和になったら……そうするよ」

「そいつは、叶わねえ願いだ」

「叶わないなんて、誰が決めたの?」

 一瞬、言葉の気迫に押された。何も返せずにいると、瞬きの後にイリーナは息を吸い込む。

「叶うと信じて努力すれば、届かないものなんて無いよ。ほんの少しでも可能性があるなら、私は絶対に諦めない!」

 辺りに響く程の、鋭く芯のある声。肌が痺れるように震え、取り巻いていた空気が一変する。

 虚勢では無い。本気で、自分たちと戦い勝つために。

 杖をこちらに向けたまま、彼女は眠り込むミシェルの頭をゆっくりと撫でた。

「ミシェル……今度は、私が守るからね」

 大切な仲間のために。そう言わんばかりの態度が、訳も無く癪に障った。


 緊張が走った。攻撃が来ると分かった瞬間、イリーナの杖を握る力が強くなる。

 ストーリアの尾から、無数の鋭利な針が飛び出した。

「なら、精々やってみせろ!」

「アイス・プラネット!」

 到達する寸前に呪文を紡ぐ。身の丈の倍の大きさはある、氷の山が聳え立つ。

 金属が擦れるような音と共に、向かってきた針が地表に零れていく。

 そして、氷の盾で山に触れた。瞬く間に霧散し、塊だったそれは欠片となってグレオたちの方へ飛ぶ。

「ぬォッ……!?」

 星々のように、淡く輝く。しかし幾千にも連なると、欠片は岩を砕く程の物量を生み出す。

 前線に立っていたグレオが鉤爪で防ぐ。しかし衝撃に押し負け、両足が浮き上がって吹き飛んだ。

「まずは……こっち!」

 携えていた盾を低く構え直し、死角を無くしてストーリアに接近する。

 針と毒液を防ぎ、距離を詰めていく。軌道に沿うように軽くいなせば、亀裂一つ入らない。

 相手の射程から外れ、懐に潜り込むと、足に力を込めて高く飛んだ。

「アイス・ムルバ!」

「ィァ、ァ……!」

 針と、氷柱の衝突。攻撃を受けた氷は音を立てて砕け、両者の間で霧散した。

 霧に触れた大きな羽に氷が纏わりつき、時間が経つにつれてその動きを封じていく。

 ストーリアの身体がよろけ、反撃の術を失う。心配もあったが、予想通りとなった。

「これで……」

「オイテ、イカナイデ……ガル……ド」

「っ!?」

 しかし、至近距離で魔法を向けようとした手が不意に止まってしまう。

 微かに聞こえた。呻き声。言葉の羅列が、呪術師に連れ去られた少女の姿を思い起こす。

 こんなに、変わり果てた怪物の姿になるなんて。顔を上げ、瞳に涙を浮かべた。

「……リッシュさん、まさか」

「よそ見してんじゃ、ねェッ!」

 破砕音と共に、身体が落下し始める。盾の端部に爪を突き立てたグレオが、目前にまで迫っていた。

 手を離して距離を取れば、丸腰となってしまう。意を決して、忍ばせていた炎の魔石を放り投げる。

「くっ……フレイム・レ・ムルバ!」

 魔力を込めた瞬間、小規模の爆発。至近距離となっていた彼の爪が離れ、自分も下方へ弾き飛ばされる。

 魔法を介して箒を立て、全身を受け止める。衝撃を和らげ、地表に叩き付けられる寸前で踏み止まることができた。

「チッ!」

「うう……!」

 捨て身の技。しかし致命傷にはならず、グレオも間を置かず立ち上がった。

 懐に入った魔石はあと四個。限りがあるのに加え、動きを読まれると同じ手は使えない。

「また情けか。迷うのは勝手だが、慢心は命取りだぜェ?」

 数歩後退った。服に付いた媒を軽く払い、盾を持ち直す。


 しかしイリーナが足を踏み出すよりも先に、風の矢がそれを追い越した。

「慢心している奴に言われても、お笑いにしかならないわ」

「がァッ!?」

 片方の鉤爪が砕け散る。勢いを失うこと無く、矢は硬い地面に突き刺さる。

 呻き声を上げたグレオは後ろに倒れ、腰を強く打つ。

「オメーは……そうか。オメーが、あの」

 彼の向けた視線を目で追う。宙に浮く箒の上に跨り、少女は寸分も動かず弓矢を構えている。

 一纏めにした髪が風で浮き上がった。見る者の言葉を問答無用で奪い取る、圧倒的な美しさと力強さ。

 空から自分を助けてくれたのは、シルビアだった。

「シル、ビア」

「勘違いしないでちょうだい。私は、順序を変えただけよ」

「えっ……?」

 箒から飛び、妖精のように降り立つ。向かい合わせでは無く、彼女はこちらと並んで同じ方向を見つめる。

「邪魔な呪術師を滅ぼすために、私はあんたを利用する。だから、あんたも好きなように私を利用すると良いわ」

 目を逸らしながら、朗々と告げられる。それが本音なのかは、自分の頭ではとても読み解けない。

 ただ、先の見えない茨の道に、光が差し込んだような気がした。

 易いと思えば難しく、厳しいと恐れれば何かに助けられる。戦いの持つ新しい側面を、目の当たりにする。

「決勝戦は、その後でも構わない」

「……分かった。じゃあ、一緒に戦おう!」

 自分から手を伸ばす。前髪に隠れて表情は見えなかったが、僅かに動揺の息遣いが伺えた。

 それでも諦めずに上げ続けると、根負けしたかのような力強い握手。

 先程とは違う。共に戦うと決めたシルビアの手は、幾分か暖かく思えた。

「やってくれるじゃねェか、風の魔法使い……」

 矢を受け、腰を抜けしていたグレオが、その身に鞭打って立ち上がる。

 吊り上がった目に、血走った瞳。しかしそれに臆すること無く、彼女は歩みを進めていく。

「こんな所であたしは止まらない。その先に進んで、願いを叶えるために……」

 自分も負けていられない。険しい壁を打ち破り、戦うと決めたこの心が、偽りでは無いと証明するために。

 射貫く引矢と、守る盾。同じ高さで並び立ち、持つ者たちを淡く照らす。

「あんたをぶっ潰す!」

「私たちは勝つ!」

 抱える感情も行く先も異なる二つの声が、一つになって折り重なった。


 ストーリアが羽を動かす。黄色い鱗粉が徐々に広がり、こちらに向かってきた。

「……ウインド・ムルバ」

 しかし、シルビアは構わず進む。こちらの背中から追い風が吹き、進んでいた鱗粉が押し戻される。

 一歩、また一歩。足取りでリズムを作り、合図を出して一気に走り出した。

 射出された針を踏み台にし、彼女が上へと飛ぶ。ストーリアが空を舞う姿を、見下せる程に。

「シッ!」

「イャァァァッ!?」

 羽にくり抜かれたような風穴が開く。浮力を失った巨体が、地響きと共に墜落した。

 小さな足を前後に動かし、飛べずとも持ち直そうと必死にもがいている。

 シルビアがこちらに視線を向けた。好機を無駄にするまいと、今度は自分が前に出た。

「アイス・ムルバ!」

 杖を向け、尾と足を凍り付かせる。足止めが効いたことを見届けると、今度はグレオの方に狙いを定める。

 しかしその瞬間、自分の術と似通った氷柱が頬を掠める。

「もう……負けられねぇんだよォ!」

「こっちの台詞だよ!」

 前衛に立ち、盾で攻撃を防いでいく。透き通った色のそれは、構えていても相手の動きが明確に伝わる。

 氷柱の止み間を縫い、シルビアが背後から風の矢を放つ。

 こちらの身体を見事にすり抜け、グレオの片足が流血と共に射抜かれた。

「調子に乗るなァ! インヘリット……」

「ドミナンス・エコー」

 辺りが震え上がるような、力強い怒声に僅かに怯む。グレオの持つ呪術教典が開かれ、追撃が来る。

 しかし放たれる直前、シルビアが杖から光を放った。

「……!?」

 何度か瞬きをし、彼は自身の喉を片手で押さえる。

 声が出ていない。口を開け、息を吸い込む素振りを見せているのに、何も聞こえなかった。

 見覚えの無い術。周りの音は耳に入っているのに、彼の声だけが出ていない。

「対象の音を封じる魔法……精々数秒だけど、流石に驚いたでしょう?」

「うごぁッ……!?」

 動けなくなっている隙に、風で呪術教典を巻き上げる。

 シルビアが矢を放ち、中心から貫いた。紙吹雪が舞い上がり、そのまま破壊せんと追い打ちをかける。

 しかしその穴は、生き物のように再生し瞬く間に塞がった。

「ふざ、けんなァ!」

「やっぱり……破壊は無理か」

 舌打ちが響いた。地面に落ちかけた教典が蹴り上げられ、グレオの手元へと戻っていく。

 一転、シルビアに隙が生まれる。瞬く間に距離を詰められ、弓矢の照準を定めようとも間に合わない。

「せめて一人でも潰せば、兄貴のために……!」

 残された鉤爪が突き出される。切っ先は、シルビアの首元を捉え……


「スイッチ・シフト」

 だが爪に触れたのは、彼女の首では無く氷の盾だった。

「何っ……?」

「あんた、入れ替わりの術を!?」

 実践したことは無い。万が一のために、教本で学んだのみ。

 グレオの目の前にいたシルビアは、後方へ。代わりに、自分が前衛に立った。

「私だって、できることは全部やるから!」

 振り向いた彼女が目を見開く。険しい表情を保ったまま、その瞳に一瞬だけ光が戻る。

 心の奥底が伺えた瞬間。が、背後から聞こえてきた叫び声が、自分たちを戦場に引き戻す。

「ワタシハ、ワタシハァッ!」

「まずい、あの人を止めなきゃ……!」

 ストーリアの羽が、時間をかけてゆっくりと再生していた。

 足元に張られた氷を自力で砕く。巨体が浮き上がり、再度こちらへ接近してくる。

「シルビア、グレオをお願いできる?」

「言われなくても分かってるわよ!」

「ありがとう!」

 時間にして、数秒。もう一度スイッチ・シフトを使い、自分とシルビアの位置を入れ替えた。

 毒液を防ぎ、ストーリアの方に向かって氷の山を作る。

 連撃を凌ぎ切り、合間を見て砕く。微細な欠片が飛び散り、相手を怯ませた。

「アイス・プラネット!」

「ォ、ァ、ァァ!」

 視界を奪い、巨体を徐々に抉っていく。礫が止む頃には、ストーリアの身体は傷だらけとなっていた。

 連戦となり、見えない所で限界が来ていたのだろう。

 音を立て、その場に制止する。彼女を化け物に変え、酷使した呪術師のことが、心の底から許せなかった。


「リッシュさん……ガルドさんを守れずに、こんなことになってしまって、ごめんなさい」

 目を逸らせば、殺されるかもしれない。ストーリアの中に、彼女が残っているのかも分からない。

 けれど僅かな可能性に賭け、ゆっくりと頭を下げた。

「グ、ァ……」

「私、ね。リッシュさんが羨ましかった。争いが終わらないこの世界で、戦いよりもずっと大事なことがあるって、気付かせてくれたから」

 ゴオツでの日々は本当に楽しかった。叶うなら、ずっと一緒にいたいと思える程に。

 けれど、現実はそうならなかった。彼女が戦いを望まなくとも、誰かが人の命を奪おうとする。

 盾を握り締める。一滴の涙が零れ落ち、魔力を込めた。

「だからこそ、もう誰も傷付けさせない。貴方を蝕む呪いは、私が断ち切って終わらせてみせる」

「ァ……?」

 魔法陣を帯びた盾が、巨大な氷の岩へと変わる。両手で持って走り出し、それをストーリアに向けた。

 表情は尚も変わらない。けれど、寂しそうな瞳と視線。

 肩が震え上がった。けれど自身を奮い立たせ、巨大な胴体に氷を突き刺す。

「アイス・エル・ムルバ!」

 相手の体内で術が光を発する。呻き声が聞こえ、拮抗する中で、徐々に輝きは増していく。

 その姿を、はっきりと目に焼き付けた。彼女が確かに生きていたことを、忘れないために。

「ギァ、ァ、ァァッ……!」

 身体の内部から氷が広がっていく。これで終わりなのだと、思った矢先。


「……イリー、ナ?」

「っ!?」

 勘違いでは無い。自分の名を呼ぶ声が聞こえ、手が止まる。

 呪いを跳ね除け、彼女の意識が戻った。身に迫る危険を顧みず、歩み寄って必死に呼びかける。

「リッシュさん! 私だよ、イリーナ!!」

「イリ―ナ、ナ、ノ?」

「うんっ……!」

 堪えようとしても、涙が溢れてしまう。視界の中心にあったストーリアの姿が揺らぎ、かつてのリッシュへと。

 申し訳無さと、悔しさの混じった表情。見ていると、思わず胸が締め付けられるようだった。

「ゴメンナサイ。メイワク、カケ、テ」

「謝るのは、私の方だよ! ガルドさんを救えなかったし、リッシュさんの、ことも……」

 命を、奪ってしまった。自分にもっと力があれば、二人を守る手立てがあったかもしれないのに。

 自分が不甲斐無かった。謝っても、謝り切れない。

「ワタシノ、コト、ハ……キニ、シナイデ」

 それでも、リッシュは微塵も怒りの感情を吐き出さない。

 手を、伸ばされた。ゆっくりと触れる、綺麗で、暖かくて、穏やかな気持ちになる。

「ワタシ、ノ、ユメ」

「えっ……?」

 首を傾げ、彼女の口元に耳を近付ける。幾ばくも無い猶予の中で、告げられた言葉は全て拾い上げる。

 何度か発せられる、形にならない声。しかし、やがてその想いが伝わってきた。

「ワタシノ、デキナカッタコトヲ、アナタガ……」

 微かな声。しかしその言葉ははっきりと、自分の耳に入る。

 ストーリアの全身が凍り付く。透明な、汚れ一つ無い姿は、まるで氷像のように。

 やがて亀裂が入り、音を立てて、彼女は粉々に砕け散った。


 続く

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