表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
27/30

第27話 絶望からの再起、すると転機Ⅱ

「……あれ?」

 誰かに名前を呼ばれたような気がして、イリーナは真っ白なベッドの上で目を覚ました。

「ミシェル……?」

 辺りを見回しても、部屋には誰もいない。昇り切った太陽から、授業が既に始まっていたことに気付く。

 また、自分は外に出られず、何もできずに日を跨いでしまった。

 悔しさに押し潰されて、何もできずに涙が零れ落ちる。こんなことをしている間にも、みんなは魔法の修行をしているはずなのに。

 今更合わせる顔が無い。ますます自分自身が嫌になって、外へ出るための足が遠のいていく。

「何、してるんだろ」

 額に付いた涙を拭い、ベッドから抜け出る。重力が一気に身体にのしかかり、その場に倒れそうになってしまう。

 一歩、また一歩と体勢を保ちながら、机と鞄の間を潜り抜けていく。動かせる程の力はあるのに、これからのことを考えると、心が鉛のように重くなっていく。

 ミシェルから告げられた言葉を頭の中で反する。音の消えた自室の中で、それだけが前へと進む原動力。

 壁を掴みながら歩き、洗面台に駆け込んだ。硬い蛇口をゆっくりと捻ると、透明な水が溢れ出手の中に器を作り、顔に軽くそれをぶつける。

 自分への情けなさはそれでも消えないが、突き刺さるような冷たさで目が覚めた。

 せめて、今日は何かを残せるようにしなければ。洗面台に背を向け、机に置かれた教本を読もうとした瞬間。

「……ねえ」


 声がして振り返る。洗面台に取り付けられた鏡の前に、魔法学校の制服を着た一人の女子生徒の姿があった。

「久しぶりだね、イリーナちゃん」

「……っ、アセビさん!?」

 アセビ・マルティ。かつて自分たちと一緒にボストレンの任務に向かい、ストーリアに殺害されたはずの少女。

 頭を左右に振った。優しい声も綺麗な顔も、山吹色の髪もその佇まいも、自分の知っている彼女で相違無い。

 自分は夢を見ているのだろうか。しかし、鏡に映し出された険しい表情が、伝えようとした言葉を不意に遮った。

「呑気だね。私はあんな酷い目にあったのに、メソメソ泣いて引き籠るだなんて」

「え、えっと、それは……」

「違わないでしょ? 何の力も無いくせに一人で騒いで、みんなに迷惑をかけた」

 怒りを滲ませていた。今まで決して表情を崩さず、いつも優しく接してくれていた、憧れの先輩が。

 その場に釘付けになって、目を逸らせない。告げられた言葉は、そのままの形で一つ残らず心に突き刺さる。

「イリーナちゃんがいなかったら、ボストレンの任務も成功してたかもね。そうしたら、私も死なずに済んだのに」

 はっと顔を上げた。ミシェルやクリス、そしてアセビ。あの場にいたのは、一人でも戦い抜く力と芯を持ち合わせた、立派な魔法使いたち。

 自分だけが落ちこぼれだった。自分だけが、一人ぼっちでは生きていけない弱さを抱えていた。

 表向きは前向きに振舞って、人として強くなれたような気になっている。隠し切れない声の震えは、決して誤魔化せない痩せ我慢。

「でも、わたし……みんなの、ためにっ」

「そんなの関係無いんだよ! 一人で無茶して、一人でしくじって一人で死にかけた。それが結果なんだからさ」

「それ……は」

 それでも掠れた声を絞り出そうとした瞬間、アセビの姿が靄と共に移り変わっていった。

 血の付いた制服、決して消えない生々しい傷跡。あの時窮地に陥った自分を庇った、彼女の姿そのもの。

 そうだ。任務に失敗したあの時から、自分は何も変わってなんていない。

「イリーナちゃんのせいで、先生になる夢も叶わなくなっちゃった……私の未来、返してよ」

 いてもたってもいられなくなり、思わず両耳を塞ぐ。塞いだとしても、彼女の声は決して消えずに残り続ける。

「私の代わりに、あんたが死ねば……」

「やめてぇぇぇっ!!」

 アセビを救えなかったこと、ガルドを殺めてしまったこと。頭の中を駆け巡り、眩暈がする。耳鳴りがして、立てなくなって、その場に蹲ってしまう。

 息が苦しい、胸が締め付けられる。喉から何かが上がってきて、思わず口を押さえて堪えようとする。

「う、ぷっ……ぅぇぇぇぇっ!!」

 しかし途中で止めることも叶わず、呻き声と共に床に零してしまった。


「はぁ、はぁっ……」

 徐々に、耳鳴りが収まってきた。恐る恐る、ゆっくりと振り向くと、アセビの姿はもうそこにはいない。

 部屋の中はまだ暖かいはずなのに、背筋に悪寒が走る。

 ミシェルが帰ってきたら、どのように説明すれば良いのだろう。自分は何もできていないのに、一人で勝手に騒いで、苦しんで。

 洗面台へは、戻れない。机を掴んで立ち上がると、そこに積まれた自身の教本が視界に入ってくる。

 震える手で、一ページずつ捲る。居眠りをした授業の分は、ミシェルがペンで書き込んでくれていた。

「っ、ミシェ、ル……!」

 メモの脇に、頑張ってねの文字。自分よりも整った字を頭の中で反し、涙が零れ落ちる。

 いつも助けてくれるあの子に、ありがとうの一言ではとても釣り合わない。

 教本を閉じ、机に突っ伏す。零れ出てしまった嗚咽は、畳まれた両手の中に収める。

 ゴオツの任務だって、ミシェルは学園長の意向に反対していた。

 今度こそ失敗しないと言じていた自分とは違って、イリーナ・マーヴェリでは戦えないと、彼女は気付いていたから。

 そして、その通りに。彼女は果敢に戦い、自分は半ばで折れた。

「……っ?」

 静かな世界。しかし微かに何かが聞こえ、窓に視線を向ける。

 小鳥が飛んでいた。ピィ、ピィと鳴き、何かを求めて一心不乱に駆け回る。


 少し、ほんの少しだけ、あの世界に行きたいと思えてしまった。


 両手に力を込めて、窓を開く。涼しい風が頬に当たり、寸分も動かなかったカーテンがゆらゅらと揺らぐ。

 心地良い。悲しさも情けなさも、全てを受け止めてくれるような。

 窓の枠に足をかける。立ちはだかる壁が取り払われていくにつれ、頭が真っ白になっていく。

「ミシェル……クリス」

 地上の景色を見下ろす。生垣と広葉櫢の横に、石畳。

 深手を負うか、もう帰れないか。迷惑をかけたくないのに、身体が勝手にこの場から逃げようと動いてしまう。

 引き金を構えたら、途中で下げることは叶わない。

「みんな、ごめんなさい」

 震える足に力を込め、窓を蹴って部屋から地上へと飛び降りた。

 クリスの頼もしい表情、母の優しい表情。遠い所から、夢を見るだけだった軽最後に、ミシェルの見せた笑顔が頭をよぎって……


「えっ……!?」

 目を瞑る。しかし、自分に向かって吹いていた風が、止まった。

 空中で手を掴まれ、落下を阻まれた。驚いて辺りを見回すと、それは自分の頭上にいた。

 自分と同じ制服を身に纏った、箒に跨る魔法使い。

「情けないわ。死ねば、その苦しみが消えるとでも?」

「どう、して?」

「さあね。ほんの少し、気が向いただけよ」

 元魔法学校一年、シルビア・エンゲルス。一つにまとめた髪を風で揺らしながら、こちらに鋭い視線を向けている。

 右手一本に、全身が支えられる。呆気に取られた顔で、何も分からずその場で凍り付くことしかできなかった。

「……重いわね。人目に付くのも鬱陶しいし、ちょっと邪魔するわ」

 魔石が連動し、箒がゆっくりと上がる。先程飛び降りた自室の窓まで運ばれ、彼女もその後に続く。

 一体何のために、決別したはずの魔法学校に。

 しかしシルビアのまっすぐな瞳に阻まれ、改まって聞くことはできなかった。


「では、今日は魔道具についての授業です」

 雲一つ無い青空の中、キャロルは生徒たちの前に立つ。

 杖を取り出し、魔力を込めると、異空間から箒が浮遊し、その手元に移動してきた。

「いつも皆さんが使われているのは、一人用の箒です。魔道具としてはこれが最も速いのですが、複数人で移動する場合は、絨毯を使うという選択肢もあります」

 残った片方の手で、絨毯を取り出す。一見すると、部屋の片隅に置かれている何の変哲も無い織物。

 続けて、杖で浮遊させながら、それを十枚積み上げる。

「操作方法は実際に覚えていきましょう。それでは、二人一組になって下さい」

 互いに顔を見合わせる生徒たち。およそ十秒の間を開け、仲の良い集団が動き始めた。

 屋外に響き渡る足音。早い者勝ちだと言わんばかりに、大勢がキャロルのもとへ殺到する。

「よーし、ペア組もうぜ!」

「ああ。よろしくな!」

「俺らは……この青いやつで!」

 文明の利器に触れたような、好奇心に溢れた明るい表情。

 絨毯の柄は細部が異なっていた。色彩豊かな華やかな物や、情熱を持った明るい物も。

 顔を見上げる。一歩遅れて、ミシェルも前に進み始めた。

「私たちも行こっか、イリ―……」

 隣を向き、首を傾げる。いつもの癖で飛び出た言葉ながら、いつも傍にいるはずの彼女はいない。

 そうだ。自分と違って、あの子は未だ外に出られない。

 溜息をつき、静かに俯く。面食らっていると、背後から聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

「ねえ、ミシェルさん。良かったら、私とペア組まない?」

 ゆっくりと振り向く。明るい声をした、普通科の女子生徒。

 どこで会っただろうか、とその顔を覗き込むと、少し申し訳無い記憶が頭をよぎってしまう。

「えっと……ラミィさん?」

「うん。友達がみんな組んじゃって、ちょっと困ってたの」

「そうだったんだ。私で良ければ、一緒にやろっか」

 食堂でイリーナに話しかけてきた生徒の一人。彼女に近付きたいから、外堀を埋める算段だろうか。

「……あっ、う、うん」

 いずれにしても、頷いて誘いに応じるしか道は無かった。

 ラミィの一歩後ろを歩き、最後に残った絨毯を手に取る。

 幾何学模様、というものだろうか。地面に敷き、その上に座って杖を取り出すと、準備は整った。

「これ……箒と原理は同じなのかな?」

「多分ね。ほら、ここに魔石が入ってるよ」

 端部には、緑に輝く魔石。魔力を込めると、それは淡い輝きを辺りに放ち始める。

「ウインド・レ・ムルバ!」

 固唾を呑んで見守っていると、絨毯は静かに浮き上がった。


 箒と違い、風に乗って速度を上げる軽やかさは見られない。

 自然の赴くままに、穏やかに時間を過ごす感覚。慣れてくると、右腕に体重をかけて姿勢を崩した。

 景色を見つめていると、不意にラミィと視線が合う。

「……ふふっ、気持ち良いね」

「そうかな? 私は、箒の方が好きかも」

 暖かい景色に優しい同級生、平穏な授業。それら全てが整然と並べられ、何の不満も無かった。

 ただ一つ。大切な親友がいないことだけが、胸に残る。

 世界がモノクロに見えてしまう。かけられた言葉も頭に届かず、あの子は大丈夫なのだろうかと、それだけが。

「そういえば、イリーナさんと同室だよね?」

「えっ……ああ、そうだけど」

「何かあったの? 最近見かけないから、ちょっと心配で」

 表面上の肌寒さとは裏腹に、額から緊張の汗が滲み出た。

「ちょっと、か……」

 彼女にとっては、イリーナは少し、気になる程度の存在。

 分かっていたし、当たり前なのに、心に小さな靄が生まれた。聞こえない程の声で、小さく呟いた。

 軽く見られている……だなんて、きっと考え過ぎなのに。

「体調があまり良くなくてね。任務で頑張り過ぎて、体を壊しちゃったみたい」

「そう、だったんだ」

「いつもそうなの。一人で、抱え込んじゃうから」

 絨毯が下にうねる。体勢を崩しかけ、慌てて杖を持ち直す。

 慣れないからか、安定しない浮遊。ふと隣を見ると、生徒たちが談笑しながら乗っている。

 まるで、自分の心をそのまま映し出しているようだった。

「私は……イリーナさんのこと、よく知らないけど、大切な友達がいなくなると、やっぱり寂しいよね」

「……」

 深呼吸。一瞬だけ目を合わせ、気まずくなって逸らす。

「何かできることがあれば、助けてあげたいな」

 できることなんて無いよ。自分だって、できないのに。

 出しかけた言葉を、ぐっと飲み込んだ。卑屈な考えばかり、頭の中に浮かんでしまう。

 自分の答えは決まっている。そのはずなのに、平行線から抜け出すことができなかった。


 前触れのようなそよ風が、向こうから吹いてくる。

 妙な涼しさに首を傾げた瞬間、眼前の街並みから大きな爆発が巻き起こった。

「えっ……?」

「何っ!?」

 遅れて襲いかかる衝撃波。耳を澄ませると、悲鳴も聞こえてきた。

 現場が近い。爆発を目にした生徒たちは一時気に取られ、直後に叫び声を上げて逃げ出そうとする。

 しかし宙に浮いている中で、即座に動くことは叶わない。

「きゃあぁっ!!」

「落ち着いて下さい! 地上に下りたら、絨毯は置いて校舎に逃げて!」

「……は、はいっ!」

 考えるよりも先に、足が動いてしまう。隣とぶつかり、よろけて転んでしまう生徒たち。

 阿鼻叫喚の場。見かねたキャロルが飛び出し、先頭に立って右手を上げた。

「出入口はここです。慌てないで、順番に進んでください!」

 体勢を整え、深呼吸をして現場の様子を見つめる。

 轟音は一度だけ。しかし小規模な爆発は断続的に続き、悲鳴は尚も止まない。

 事故とは到底思えない。人為的に起きた爆発と破壊……ストーリア。

「……まさか、呪術師!?」

 弾かれるように顔を上げた。隣で蹲っていたうミィが、驚きで目を丸くする。

 放っておけば、魔法学校にも被害が及ぶかもしれない。

 ストーリアが入り込めば、外に出られないイリーナは、真っ先に。

「どうしたの、ミシェルさん?」

「グレオ……これ以上、好きにはさせない!」

 絨毯を下りてその場を飛び出し、杖を頭上に掲げる。リボンの付いた箒が、自身の手元に現れた。

 すかさず跨る。ラミィたちが逃げるのとは、反対の方角。

 迷っている暇は無い。キャロルが駆け寄るよりも先に、魔力を込めて浮き上がらせた。

「ミシェルさん!? 待って下さい、今街に行っては……」

「それでも、呪術師は待ちませんよ。誰もやらないなら、私がやります!」

「危険です、たった一人では!」

 振り向きたくなる衝動、しかし、躊躇ってはいけないと自身を奮い立たせる。

 今度こそ守らなければ。この身が滅んでも、大切な人を。

 心の中で、駆け出す合図。爆発が起きた場所に目標を定め、弾丸のように箒で飛び上がった。

「ミシェルさんっ!!」


 一目散に逃げようとする住人たちに、壊れた瓦礫の雨が降り注ぐ。

「ドウシテ……ドウシテッ!」

 奇怪な声を出しながら、空を飛ぶのは巨大な蜂の姿をしたストーリア。

 四方八方に飛び上がり、尾に付いた鋭い針を射出する。

 建物が壊れ、逃げ切れなかった人間が巻き込まれていく。

「いやぁぁぁっ!!」

「良いぜエ、大漁だ、どんどんやっちまえ!」

「ウ、アアア!」

 グレオの指示に応じ、ストーリアが羽を開いて身震いし、力を溜め込む。

 黄緑色をした、毒液の射出。孤を描いて地面に衝突すると、煙を出しながら溶解していく。

 悲鳴を上げながら逃げ惑う。しかし、何発かは群衆の中心を捉えた。

「あ、あああっ……!」

 男性が悶え苦しみながら、その場に倒れ込む。抵抗する間も無く、その身は骨さえ残らずに腐り果てた。

「ドウシテ、ガル、ド」

「アイツはもう死んだってのに、滑稽なこったな」

 うわ言のような、ストーリアの鳴き声。自我が吹き飛んだ彼女は、ただ生前に強く念じた言葉を、意味も無く発するのみ。

 街を壊しても、人を殺しても、一度死んだ命は戻ってこないというのに。

 ただ、魔法使いを倒すために利用するのなら、これ以上に都合の良い駒は無かった。

「ワタ、シハ……」

 羽をゆら、ゆらと震わせる。音も無く、黄金色の鱗粉がばら撒かれた。

 その場から逃げようとする人々の足取りに追い付き、その場一帯を包み込む。瞬く間に、咳き込む声が聞こえてきた。

 鱗粉はそのまま意識を削り、抵抗する間も与えずに一帯を眠らせる。

「悲しみが力を増幅させてンのか。ありがたいこった」

 白い布を口元に巻き、倒れ伏した人間たちの肩を乱暴に叩いていく。

 起きる気配は無い。静かな寝息を立てながら、まるで死んだような深い眠りを曝け出していた。

 右の口角だけを上げながら、仄かに黄色く染まった空を見上げる。

「そのまま、楽に死なせてやるよ」

「ァ、ァ……」

 何よりも狙いやすくなった大きな的に、ストーリアの巨体が忍び寄る。

 耳を塞ぎたくなるような羽音が響く。無数の毒液を分泌すべく、再度力を溜め込み始めた。


「待つのです。グレオ・ソルディネ」

 しかし、頭上から飛び込んできた声に攻撃を阻まれる。

「あん……?」

 辺りを見回す。東の方角、建物の上に、見覚えのある黒い影が蠢いていた。

 呪術師の長にして、ローブで身を隠す得体の知れない存在、ジョン・オウタム。

 人を十人並べたくらいの高さはあるその屋上から、軽やかに地上へと降り立った。

「兄貴ィ、良いトコなのに邪魔すんなよ」

「殺し過ぎなのです。騒ぎになれば、騎士団が討伐に来てしまうのです」

「んなことにいちいちビビッて、呪術師が務まるかっての」

 眠る人々の前に立ち塞がる。口元は相変わらず、薄暗く見えない。

 いずれ到来する決戦の時まで、魔法使いとの戦いは最小限に留める。その掟を守らなかったリューズは、謹慎を言い渡された。

 しかし、それは自分の目指す道と全く同じとは言い難い。

「オレにはオレの殺しがある。シナリオだか何だか知らねェが、深入りされんのは癪に障るんだよ」

「私の指示には従えないと、そう言うのですか?」

 静寂な世界に、漂う緊張。手元にある呪術教典を、無意識に握りしめる。

 一言の軽口は、償い切れない制裁に。唾を飲み込みながら、首を左右に軽く振った。

「……最後の筋書きは合わせてやるよ。まあ見てな」

 無用な衝突は望まない。利用できるものは、最後まで使い潰す。

 何度か小さく頷くと、ジョンは何歩か後ろに下がり、こちらに道を譲った。


 ほんの少し気が緩み、足を踏み出そうとしたその瞬間、不意に何かの気配を感じて飛び退いた。

「おわっ……!」

 先程まで自分が立っていた場所を光弾が掠め、そのままの勢いで壁を抉る。

 威嚇射撃。弾かれるように振り向くと、暗がりから複数の人影が迫っていた。

「何だとッ!?」

「チッ、噂をすれば……」

 石畳の道に、足音と金属が擦れる音が混じり合い、響く。

 人数は優に二十名を超える。堅牢な鎧を身に纏い、寸分違わぬ動きを見せる騎士団の戦士たち。

 鋭い魔剣の切っ先が、一斉にこちらに向けられた。

「ディロアマ騎士団だ! 魔法使いに害を為す呪術師は、一体残らず捕縛する!」

 一歩でも動けば、両手で数え切れない程の術が襲いかかってくる。

 片手を上げる素振りを見せ、もう片方の手で呪術教典を開いた。

 分かっていたこと。今更、引き下がるわけにはいかない。

「やれるモンなら……やってみやがれ!」

 後方で待ち構えていたストーリアが前衛に躍り出て、尾から針を射出させる。

 攻撃の合図。それと同時に術を始動させ、黒い竜巻を一団の中心に向けて解き放つ。

「防御陣形!」

「セット・ウォード!」

 しかし衝突の寸前、騎士団の前衛が防魔法を放った。

 陣営を覆い隠す、薄い膜。それは何重にも積み重なり、攻撃から身を守る結界へと姿を変えていく。

 襲い来る針を正面から折り、競り合いの末に竜巻を搔き消してしまった。

「トライ・レ・ムルバ!」

 魔石が砕け、宙を舞う。込められた魔力は、魔剣に移し替えられて光を放つ。

 間を開けず、剣から土・氷・炎の合体魔法が放たれた。

「インヘリット・クロウ……!」

 カラスの翼で身体を覆い、身構えた。しかし受け流すことは叶わず、後方へと弾き飛ばされる。

 衝撃。壁に勢い良く叩き付けられ、僅かに亀裂が入った。

「ぐわァァッ!」

 鈍い痛みが襲いかかる。受け身を取ることができず、硬い地表に倒れ伏した。

 力を得たはずなのに、また、魔法使いに後れを取ってしまうなんて。

 拳を握り締め、身体を震わせながら立ち上がった。しかし、前に進もうとすると、眩がして体勢を崩す。

「幾度と無く繰り返す蛮行……見過ごすわけにはいかんぞ!」

 張り上げられた声と共に、騎士団が前へと進み始める。

 比べ物にならない物量と、徐々に迫る威圧感。

 早くストーリアを呼び寄せなければ。手を上げかけた、その時。


 一歩前を進んでいた騎士の腕をジョンが掴み、その足取りを止めた。

「本当に……手間のかかる駒なのです」

 視覚上は軽く、掴んでいるだけ。しかし、その腕が小刻みに震える。

 騎士は顔を上げ、彼と視線を合わせる。直後、その額に裏拳が入った。

「ん、いぁぁっ!?」

 生身での一撃。しかし鎧は粉砕され、血を吐いた騎士が吹き飛ばされて倒れる。

 意識を失い、脱力。生死は、こちらからでは伺えない。

「っ……!?」

 驚いた仲間たちが視線を向ける。しかし、その一瞬でジョンは懐へ飛び込んだ。

「はあっ!」

 左右の足で交互に標的を蹴り飛ばす。胸部、腹部に命中し、二人が同時に吹き飛ぶ。

 そして、正面の相手に狙いを定め、持っていた剣を叩き落とした。

「なっ……!」

 上段、下段、両肩、胸部。弾丸のような速さで殴打し、攻撃を受けた鎧が生物のように脈打つ。

 回し蹴りで相手を横転させ、最後にかかと落とし。

 粉砕音。地面に亀裂が入り、堅牢な鎧は原形を留めずに大破した。

「き、貴様っ……?」

 ほんの一瞬、その場にいた全員の表情と思考が凍り付く。

 人ならざる、異物と対峙するような視線。反撃に転ずる隙も無く、二十は下らない騎士たちは統率を捨てて散らばり、距離を取った。

「な……何じゃこりゃァ」

 痛みで動けなくなっていたことも、加勢することも忘れ、その場に立ち尽くす。

「あまり争いは好まないのですが、致し方無いのです」

 ジョンは凹んだ鎧から足を離した。後退る一団を追いかけるように、一歩、また一歩と歩み寄る。

 武器も何も有していない。気配のみでその場を圧倒し、一瞥。

「ここからは、私が相手になるのです」

 準備運動は済ませたとばかりに、ジョンは軽く身構える。

 不動だった主が、蹂躙のために動き出す。それは初めて、目の当たりにする光景だった。


 続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ