第26話 絶望からの再起、すると転機Ⅰ
国民のおよそ五割が魔法の力に覚醒し、魔道具と杖によって新たな文明が誕生した国、ディロアマ。
魔法学校に通う一年生、イリーナとミシェルは、学園長メルアチアとキャロル先生のもとで魔法を学び、国の征服を目論む呪術師と死闘を繰り広げていた。
「これ以上の被害が出るのを防ぐために、どうか皆さんの力を貸してください」
そんなある日、彼女らはゴオツに住む貴族、リッシュと執事のガルドから依頼を受ける。
呪術師らしき存在から、自分たちの身を守って欲しいと。
「私は私のできることをやり遂げていきたいのです。たとえ力が及ばずとも、志が弱くてはいけませんから」
一流だった魔法使いがその職を辞し、子を育てて余生を過ごすゴオツの街。
しかしリッシュは魔法の力を持たず、両親を喪った今は、ガルドと二人きりで過ごしていた。
「私、この任務が終わっても……」
「はい?」
「リッシュさんと、一緒にいたいです」
二人の真意を知ったイリーナは、彼女と共に一般人が虐げられない世界を創ることを決意する。
しかし、ゴオツに再び呪術師の魔の手が忍び寄っていた。
「さァ、本日のメインディッシュといこうじゃねえか」
「う、うっ、うァァ……」
抵抗も虚しく……宿敵、グレオの手によって、ガルドは怪物ストーリアへと変貌を遂げてしまう。
呪術師を倒せば、化け物になった彼を人間に戻せるはず。
そんなイリーナの願いは、皮肉にも彼女自身の手によって粉々に打ち砕かれてしまうのだった。
「オメーのやってきたことなんざ、全部無意味なんだよ」
「いやァァァァッ!!」
咽び泣くイリーナに、崩れ落ちるリッシュ。しかし、一度失われた命は二度と戻ってこない。
そして、絶望する彼女の喉元にグレオの鉤爪が迫る。
「チェックメイトだぜ、魔法使い」
立ち上がる力は無い。死は、目前に迫ってきていた。
風が頬に突き刺さる。一呼吸も置かずに、鋭い痛みが……
「……あン?」
しかし鉤爪を振り下ろす寸前、グレオの表情が歪んだ。
遠くから聞こえる、地響きのような轟音。吹き荒れる風は、自然に起きたものでは無い。
並び立つ木々が、迫りくる炎と共になぎ倒されていく。
「ぬわァッ!?」
衝撃。顔を上げたグレオが飛び退いた直後、地面が斬撃で真っ二つに切り裂かれた。
眼前には、火山の噴火のような紅い炎が浮かび上がる。
足に掠り傷を負った彼は、額から汗を浮かべながら、攻撃のあった場所を睨んだ。
「チッ、来やがったか」
「グ、レオッ……!」
いつもの優しく温かいそれとはまるで違う、低く鋭い声。
火花が辺り一帯に散らばる。乱れた髪の中から、吊り上がったミシェルの瞳が見えた。
「イリーナに、何をしたのォッ!!」
こちらを庇うように立ち塞がり、剣を構えるミシェル。灯に照らされた自分の身体が、彼女の影に覆われる。
「……面倒くせェ奴だな!」
「ッ!」
緊張が走る。一息で、二人の間にあった距離が縮まった。
鉤爪と、炎の剣が正面からぶつかり合う。大きな、二つの爪から来る力を、ミシェルは難無く押し返した。
グレオが後ろに下がる。今度は、額に切り傷が入った。
「ケッ……インヘリット・ホエール!」
斬撃に怯まず、彼は真っ白な霧を辺りに充満させる。
周りの景色が瞬く間に見えなくなる。相手の姿を捕捉するどころか、身構えることが関の山。
蹲っていると、離れた所から叫び声が聞こえてきた。
「きゃっ……!?」
「生憎だが、こんな所で死ぬわけにはいかねェんだよ!」
リッシュの声。それに、グレオの足音も、徐々に遠くなっていくように聞こえる。
「あばよ!」
「……ううっ!?」
「待ちなさい、グレオっ!!」
まずい。せめてリッシュは守らなければと、今ある力を振り絞って手を伸ばす。
本当は、隣にいるはずのミシェルの手も握れないのに。
ガルドの……ストーリアとなった姿が頭に浮かぶ。今の自分には、成し遂げられることなんて、何も。
「私と、戦いなさいよっ……憎いんじゃないの、魔法使いのことが!?」
剣を振りかぶり、ミシェルの斬撃で霧が払われていく。
視界が徐々に晴れてくる。しかし声のあった方を向いても、グレオの姿はもうそこに無かった。
「ミ、シェル……」
「ぁぁぁぁっ!!」
彼と、リッシュの気配はもう残っていない。代わりに額に吹きつける、乾いた風。
声を張り上げながら、ミシェルが大木に斬撃を加える。
衝撃と共に切り倒されたそれは、行き場の無い感情の大きさを暗に示していた。
周りよりも高い木の上で足を組み、ゴオツの街を望む。
遠くで、爆発の音が聞こえてきた。等間隔に並べられた木々の、一か所だけが戦いの余波で消え失せる。
視界に入ったのは氷魔法と、炎魔法。姿を見ずとも、シルビアは当事者に見当が付いていた。
「……一歩、出遅れたようね」
呪術師がゴオツにいる。その噂を聞き、痕跡を追い始めたのは数日前のことだった。
姿を見つければ、魔神器の在処を聞き出せたはずなのに。
白い霧と共に、戦いの音は止んでしまった。今更向かった所で、そこにいるのは残された魔法使いだけ。
交戦を避けた結果、介入する余地を無くしてしまった。
「また、振り出しに戻っちゃったわ」
深呼吸の後、枝から軽く飛び上がって地上に降りる。
呪術師は舞台を変えた。迷うよりも、新たな手がかりを探す他に方法は無い。
溜息を付き、頭の後ろで手を組み、落ち葉を踏みしめながら街の方角へと歩き始めた。
箒を走らせる。今日は珍しく、すれ違う者もいなかった。
「……邪魔するわよ」
ワズランドで随一の腕を持つ、マルクの経営する魔道具店。
正面の扉をゆっくりと開いた。備え付けられた鈴が音を鳴らし、店の者に来客を伝える。
程無くして、薄暗い物陰から店主の男が歩み寄ってきた。
「……君か」
「炎の魔石を買いに来たわ。護身用の小型をお願い」
「ああ。五個で五十マーラだ」
卓上に硬貨を置き、マルクの方へ寄せる。軽くそれを数えた彼は、戸棚から炎の魔石を選んで取り出す。
魔力を込めれば瞬時に爆発する。万が一のために懐に忍ばせておけば、撤退用に心強い。
しかし袋に手を伸ばそうとした瞬間、彼の手が遮った。
「……?」
「話がある。これから時間はあるかい、シルビア?」
首を傾げて考えた。いずれにしても迷うのは時間の無駄なので、判断は一呼吸の間で考える。
「無いけど……作るわ」
自分の他に客はいない。表の看板を準備中に変え、マルクはこちらに向かって手招きをする。
軽やかな動き。物を売っている時よりも、人と話している時の方が、表情が明るいとさえ思える。
窓から外の景色を見つめた後、彼の一歩後ろを歩き始めた。
物置のような狭い通路を潜り抜けると、小奇麗に掃除された、来客用の小さな部屋に辿り着いた。
丸いテーブルに案内され、マルクと向かい合って座る。
「いらっしゃい。ちょっと狭い所だけど、ごゆっくり」
椅子に腰かけると程無くして、長身の青年がお辞儀をしながら部屋に入ってきた。
タキシードと、短い茶髪が目を引く。顔立ちは整っていたが、マルクのそれとは目つきも似ていない。
「……あの男は?」
「アウダー・ラーミック。雑用係兼、跡継ぎ候補って所だな」
「無駄遣いね。人は足りているのに」
「少し……怖くなったのさ。何も残せないまま、一人で死んでいくのが」
言い終えた後、ふと考えた。この店が潰れれば、また他の場所から魔道具を仕入れないといけない。
コーヒーの香りが辺りに漂う。アウダーが手に持つ二人分のカップを覗き込むと、渋みを感じる黒さだった。
目を細める。白い砂糖は、こちらの方に向けて置かれた。
「……あんたにとって、私は小娘なんでしょうね」
「失礼。見くびり過ぎたかな」
「別に、要らないとは言っていないわ」
下げようとした彼の手を止め、一度だけ砂糖を放り込む。
ゆっくりと、啜っていく。苦みはそれでも消えなかったが、豊かな香りと温かさが、口の中に深く刻み込まれた。
「ゴオツに行って、呪術師は見つかったのかい?」
「逃げられたわ。向こうはイリーナたちと交戦したようだけど、双方深手は負わずにお開きとなったようね」
「そうか。ひとまず、生きていたことが幸いだな」
顔を上げる。ちょうど空の向こうから一羽の鳩が飛んできて、窓の桟に留まった。
呪術師がゴオツにいる。自分にその手紙を届けに来た、鳩。
「釣ったわね、私を」
「君は呪術師を潰せて、私は彼女らの命を守れる。お互い損は無いはずだ」
「イリーナを守りたいなら、頼む相手が間違いよ……そもそも、どうしてあんたは私の味方を?」
学校を去った後、自分は戦いの他に、魔法使いと関わる手段を失ってしまった。
分かっていたことで、自ら望んだこと。しかしこの男だけは、秘密裏に魔石や魔道具を贈ってくれた。
自分の立場を咎めずに、ただ望む物を与えてくれる違和感。
「私の判断基準は二つ。魔法使いであることと、私に敵愾心を持っていないことだ」
湯気を嗅ぎ、一口。心地良い香りに、彼もまた微笑んだ。
「どうでしょうね。利用価値が無くなれば、あんたを切り捨てるかもしれないわよ?」
「目で分かる。君は進んで、人を裏切らない」
「根拠の無いことを……」
少し、温くなってきた。香ばしい味が身体に馴染み、張り詰めていた空気が和らぎ始めた一時。
しかし全てを見透かされているようで、完全に心を預けることは叶わない。
「呪術師は、また現れるだろうな。また動きがあれば追って連絡するが、君はどうする?」
「そうね。もちろん探したいけど……」
飲み進めていると、残りは半分を切った。テーブルにカップを置き、背もたれに身を任せた。
「その前に、少しちょっかいをかけに行こうかしら」
限られた時間は無駄にしない。だから、手短に済ませる。
怪我を負い、キャロルから外出禁止を言い渡され、二週間。
ゴオツに出向くイリーナたちを見届け、歯痒い日々を送っていたクリスが、満を持して部屋を飛び出した。
「待たせたな、皆のものォォォ!!」
外に出ても良いかと尋ねると、渋々正式な許諾を得た。
腕に巻かれた包帯を半ば振り回しながら廊下を歩く。痛みはまだ残っているが、自由になった幸せで掻き消える。
ステップを踏む。木の床が少しだけ、軋む音が聞こえた。
「……おっ、ミシェルじゃないか!」
くるくる回りながら進んでいると、見知った顔があった。
日が少し、傾き始めている。ちょうど、生徒たちが授業を終えて寮へと戻る時間。
軽く肩を叩き、疲れた表情を浮かべた彼女を振り向かせる。
「心配をかけてすまなかった。ボクは帰ってきたぞぉ……」
「しっ!」
しかし驚きの表情の代わりに、唇に人差し指を立てられた。
「……ごめん。あんまり、大きい声は出さないで」
「む、どうかしたのか?」
「ちょっと、ね……」
彼女はゆっくりと、自室の方を向いた。珍しく、その視線は泳いでいるように見える。
「ゴオツの任務が終わったの。というか、失敗しちゃって」
「……まさか、依頼者が殺されたのか?」
「一人はね。もう一人は、呪術師に連れ去られた」
「そう……だったのか」
少し、嫌な予感はしていた。密かに抜け出す機会を見つける暇が無く、まずは自分の怪我を治さなければと。
途端に、返す言葉が無くなっていく。ミシェルの頬の半分が日に照らされ、もう半分が影に埋もれた。
「あの部屋にはイリーナがいるの。授業どころか、外に出るのも、難しいみたい」
「すまない。安静にするべきだったな」
第一に療養。今までまさしくその立場だったのに、友達を気遣えなかった自分が情けない。
間髪入れずに頭を下げ、そして恐る恐る掠れた声を出した。
「顔を見るのは……やはり厳しいか?」
「うん。今はちょっと、取り乱すかもしれないから」
「あっ……」
どこか掴み所の無い、明言を避けるようなミシェルの言葉。
ミシェルの制服が、光を受けて淡く輝いていた。一緒にいたはずの彼女が、深手を負うとは考えられない。
「今は、いつ治るか分からないの」
全てが繋がり、静かに俯く。それ以上のことは、分かっていても聞くことができなかった。
「ただいま、イリーナ」
扉を開け、鞄を置いたミシェルが部屋のカーテンを開く。
外の光を浴び、ベッドで一人眠っていたイリーナがゆっくりと目を開けた。
「……んっ」
「おはよう。今日は、ゆっくり休めた?」
しかし、返事が無い。彼女の瞳に光は宿っていなかった。
中身の抜けた、硝子のような目に、人形のような垂れ下がった手足。怪我は無いのに、目を合わすと痛い。
僅かに屈んで覗き込む。自分の至らなさが、かけがえのない存在を壊してしまった。
「み、ミ……シェ」
それでも、必死に立ち上がろうとする。大丈夫だよと引き留めかけた刹那、彼女の手が水の入った瓶に触れる。
一歩間に合わず、床に転がる衝撃音。そして、液体がじわじわと広がっていく。
「ひっ……!?」
大きく見開かれた目。一秒を待たずして、決壊が始まった。
「ご、ごめんなさいごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさ、ごめんなさい」
両耳を抑えて俯き、涙を流しながらただ弱々しく謝罪する。
真っ白な布団に一滴、また一滴と零れ落ちていく。彼女が謝ることなんて、何もしていないのに。
「私、みんなに迷惑かけて、こんなことしかできなくて。嫌だよね。い、やだよ……ごめんなさい」
どのような言葉をかければ、その傷を背負えるのだろう。
言葉が喉の奥に引っかかって、躊躇った。しかし制服の裾を掴み、自身を奮い立たせて告げる。
「わたし、なんか……」
「私なんか、なんて言わないで」
両手を広げ、泣き続ける彼女をゆっくりと抱きしめた。
触れてみると一層、手足が痩せ細ったように感じる。今までの半分しかご飯を受け付けず、外を歩き回ることも叶わない、悲しみと不安の悪循環。
目に見えなかった、小刻みな震え。少しでも和らぐように、その背中をゆっくりと撫でる。
「イリーナは何にも悪くないよ。いつも誰かのために頑張って、必死に戦ってきたんだから」
啜り泣く声が、耳元に入り込んできた。彼女の涙が消えるまで、絶対に離さないと心に誓う。
「辛い時は甘えても良いよ。休んだって、イリーナのことを悪く言う奴なんて、どこにもいないんだから」
どこかにいたとしても、その感情を決して自分は許さない。
鳥が飛び去り、周りの音が消える。互いの呼吸音だけが、寂しくなってしまった部屋を暖かく包む。
「う、うっ……」
「ずっと、ここにいて良いから。イリーナの分は、私が戦う」
考えるより先に出た言葉。それでも、後悔は無かった。
元に戻って欲しいと言葉をかけるのは、無責任かもしれない。今はただ、自分自身を許せるようになることを願って。
日が落ち、その涙が完全に乾くまで、悲しみに暮れるイリーナの傍に寄り添い続けた。
耳元に、爽やかな風と揺られる木の葉の音が聞こえてくる。
「……んっ」
目を開けて、窓から外の景色を見つめる。つい昨日に、呪術師の襲撃があったとは思えない程……ゴオツの街は今までの平穏を取り戻していた。
立ち上がり、軽く身なりを整え、リッシュは彼の待つ大広間へと足を進める。
「おはよう、ガルド」
「おはようございます、リッシュ様」
眠気の残る頭が、時が経つにつれて冴えていく。朝食の支度は、既に済ませてあった。
本当は大切な両親と共に、囲んで話をしたいけれど。
物思いに耽りながらスプーンを手に取ると、ふと眼前の景色に違和感を覚えた。
「あ……」
「どうされましたか?」
「ううん、何でも無いわ」
そこに、今まで誰かがいたような気がする。歳は自分と同じくらいで、遠い街から来た二人の少女。
彼女らと飲むスープは暖かかった。自分の知らない場所の話は、分からないからこそ心が躍った。
今が楽しくないとは言わない。しかし、あの日々は……
「願うことは、罪なのかしら?」
ふと我に返る寸前、自然とその言葉が飛び出していた。
「今日の夢は明日の現実。叶えるための小さな努力を欠かさなければ、届かないものはありませんよ」
こちらに優しくかけられた、しかし芯のある力強い言葉。
自分よりもずっと遅くまで働き続け、ずっと早くから支度をしてくれる、たった一人の大切な執事。
今この瞬間を生きようと思える、最も大きな理由だった。
「……どんな時でも、諦めないのね」
「これも、主の姿を見て過ごしてきた成果ですよ」
「ふふっ。自分ではとても、そう思えないけれど」
口を軽く拭き、食事を終えて席を立った。ガルドが頭を下げ、こちらに歩み寄る。
「それなら、努力しなくちゃね。魔法に頼らない強さを身に付けて、この街で人脈と信頼を手にしてみせるわ」
同じ境遇を持った住民と手を組む。協力の輪が広がれば、大きな力に抗う転機になる。
生まれや才能に縛らず、誰もが自由に生きられる世界。
「そしていつか、私もワズランドに……」
朧げな記憶を頼りに、二人の少女を見つけ出してみせる。
「いつまで寝言ほざいてンだ、能天気が」
しかしその瞬間、目の前に広がっていた景色が暗転した。
窓から見えた美しい庭園は、見慣れない街並みの灯りに。屋敷の白い壁は、廃屋の薄汚れた壁に。
そして、目の前で微笑んでいたガルドは、グレオへと。
「貴方、は」
「主従揃って間抜けな奴だな。寝ぼけんのも大概にしろよ」
ガルドはもういない。自分の見ていたのは、都合の良い夢。
起き上がると、肩と腰に痛みを覚えた。身体の自由が利かないまま、堅い床に寝かされていたのだと気付く。
記憶が戻ってきた。意識を失う寸前、ミシェルが……
「あっ……!」
「助けを呼ぼうだなんて思うなよ。俺の指示に従わなきゃァ、その時点で殺す」
「……っ」
繋がれていた縄が解かれる。代わりにグレオに肩を掴まれ、半ば強引に連れられる形で廃屋を後にした。
込められた力は強い。手足が動かせても、振り解けない。
「アイツらが恋しいか? まァ、簡単には忘れられねえよな」
建物の間から覗く朝日。石畳の道を進むにつれて通行人が多くなり、賑やかなで店も点在するようになる。
僅かな可能性に賭け、声を出して抗えば、誰かが身を挺して守ってくれるのだろうか。
しかし、彼らの持つ杖が視界に入った時、思考が止まった。
「この……人たちは」
自分を捨てた者たちとは、何の関係も無い場所。それなのに胸がざわつく。ここにいてはいけない、疎外感。
「着いたぜ。ワズランドの中心街だ」
「あっ……」
空を飛ぶ箒や絨毯。店では魔石や水晶が売られ、魔法が当たり前になった街。
そこには、自分たちと同じ一般人の姿はどこにも無かった。
「哀れなモンだよなァ。こんな賑やかな街に、一般人の居場所はどこにも無ェんだから」
遥か昔は、誰もが同じ人間だった。時が進むにつれ、魔法使いが一人、また一人と増えていき、その度に住処を追い出される一般人たち。
どれだけ苦しかっただろう。そして、悔しかっただろう。
「憎いだろォ、魔法使いが?」
「私たちの居場所を奪ったのは、ディロアマの指導者たちよ。ワズランドの住民は関係無いわ」
「……そいつは、ただの建前だ」
グレオが足を止め、肩を掴んだままこちらに歩み寄る。
少しでも気を抜けば、命を刈り取られる殺気。ガルドの言葉を思い浮かべ、必死に平静を保とうとする。
不意に全身が震え上がる程の、鋭い目を向けられた。
「最初から魔法使いとして生まれてりゃあ、オメーは惨めな人生を送らずに済んだ。ただの一回でも、力が欲しいと思ったことは無ェって言い切れんのかよ!?」
張り上げられた声。その場に漂う異様な雰囲気に、数名の通行人が足を止めて怪訝な表情を浮かべる。
もしも……自分たちが魔法使いだったなら、家族は壊れなかった。使用人たちも、屋敷を去らなかった。
呼吸が荒くなっていく。面と向かって、否定できない。
「それ……は」
「図星みてェだな。なら、望むモンを与えてやるよ」
本のページを、パラパラと捲る音が耳に飛び込んできた。
ガルドを殺した、黒い本。凍り付いた身体を必死に動かし、その場から走り出そうとする。
しかしグレオが一足先に距離を縮め、眼前に立ち塞がった。
「……ここまでご苦労だったなァ。オメーの役目は、これで終わりだ!」
笑みを浮かべる彼の身体を靄が包み込んだ。ただならぬ気配を感じ、身構えようとした刹那。
黒い本から伸びてきた怪物の手が、瞬く間に全身を覆った。
「えっ」
痛覚や、苦しみが襲い来るよりも先に、視界が暗転した。
「アイツと同じ末路だ、良かったじゃねェか」
通行人のどよめきが聞こえる。目を開けようとしたが、眼前に広がるのは光の消えた真っ暗な世界だった。
手を伸ばしても何も届かない、誰も助けに来てくれない。
これが、あの人に見えていた世界。呻き声も、雄叫びも、全ては行き場を失った苦しみ。
「どう、して……」
声が低くなっていく。身体が変質して、引き伸ばされて、原型を留めずに歪められていく感覚がある。
こんなの、自分が今まで望んでいた力では無いのに。
人を守ることも、平穏な世界を創ることもできない、ただ振るうための力なんて。
意識が徐々に薄れていく。悲しみも後悔も残したまま、何も無い世界に沈められてしまう。
「どうしてワタシをオいて行ったの、ガルドォォォッ!!」
張り上げた声を最後に、微かな感覚さえも掻き消えた。
続く