第25話 踏み外す足、また暗雲Ⅴ
憎しみにも、悲しみにも取れる掠れた雄叫びが、静かな森林の中で響き渡る。
「ウ、ァ、ァァァァッ……」
視線の先にいるリッシュは身構えたまま、唖然とした表情で巨体を見つめる。
信じられない。何の憎しみも持っていなかったガルドを、化け物に変えて戦いに駆り立てるなんて。
こちらには一瞥もせず、ストーリアは両足を踏み鳴らした。
「ガル、ド」
「もうガルドなんて男はいやしねェよ。ここにいるのはバカ二人とバケモン、そして俺だけだ」
「ギュァッ!」
声を上げたストーリアの口から、青い炎が飛び出す。
葉が燃えると枝に移り、枝が燃えると木々に移る。瞬く間に、辺り一帯が青く燃え上がり始めた。
逃げ場が無くなっていく。このままでは、山火事。
「手始めにここを焼き払ッてやるか。粗方片付いたら、街に降りて一暴れしてやるぜ」
ストーリアの腕を叩き、満足げな表情を浮かべたグレオがゆっくりと背を向ける。
考えるよりも先に、震える口から言葉が溢れ出した。
「……ないで」
「ああん……聞こえないなァ、バカ魔法使い?」
絶対に許してはいけない。何の罪も無い人々を、嘲笑いながら踏み躙るなんて。
「ふざけないでっ!!」
張り上げた声と共に、自身の身体から冷気が漏れ出した。
「ッ……!?」
力が溢れている。感情の動きに合わせて、魔力が増す。
広がった冷気は牙を剥く炎を抑え込み、燃え上がっていた木々が一気に凍り付いた。
だが、周りの光景は視界に入らない。今目に映っているのは、人の命を奪った憎き呪術師のみ。
「ほォ、中々やるじゃねえか」
「ガルドさんを、返して……!」
リッシュの夢を、共に叶えて欲しい。ガルドは自分に全てを打ち明け、そう言ってくれた。
彼女の夢を叶えるには、彼も一緒にいなければ意味が無い。
「手遅れだって言ってんだろォ? そいつはもう……」
「返しなさいッ!」
「チッ、話の通じねえ奴」
舌打ちをしながら、グレオは一歩後ろに下がった。代わりに、ストーリアが眼前に立ち塞がる。
「アイツを叩き潰せ、ストーリア」
「グゥッ!」
視線が合う。そこには彼だった面影も、攻勢を緩める様子も感じられない。
戦うしか無い。白くなった世界の中で、ふっと息を吐いた。
「アルター・スピリット!」
前を向いて走る。その隣に、自分の分身を作り上げた。
相手の戸惑う隙を突き、分身が背後に回り込み、ストーリアを前後から囲む。
「ギュラ……ッ!」
「アイス・ムルバ!」
沈黙の後、まずはこちらに向かって炎が飛んでくる。
寸前、魔法で靴を凍らせた。次に地面にも氷を張り、勢いに乗って滑ることによって掻い潜る。
分身も同様の術を使う。二人で、ストーリアの周囲を滑る。
「はぁっ!」
杖から氷塊を射出した。目を回らせ、視界を奪いながら徐々に怯ませていく。
「グルゥゥッ!!」
しかし、これに負けじとストーリアも雄叫びを上げた。
蹄から炎を上げ、走り出す。こちらの速度を上回り、瞬時にその姿が見えなくなる。
走れば走る程に加速していく。動きの止まった分身を後ろ脚で蹴り飛ばし、消滅させた。
「な、っ……!?」
足跡が燃え上がる。動いても、その場に屈んで盾を構えても、敵は背後から襲いかかってくる。
そして、その余波は前線から離れていたリッシュにも。
「……きゃっ!」
掠った衝撃によろめき、落ち葉の折り重なる上で倒れ伏す。
転んだ彼女に追い打ちをかけるように、ストーリアは口に炎を溜め込んだ。
「ガルド、やめ……」
「ゥゥ、ガァァッ!」
言葉は通じない。彼女が歩み寄ろうとすればする程、拒絶からその力が増幅していく。
「させない……リフレクト・ミラー!」
しかし命中の寸前に庇い、鏡を構えて正面から受け止めた。
勢いに負け、一度は後ろに下がってしまう。だが、右足を地面に食い込ませて持ち堪えた。
「倒れるわけには……いかないのっ!」
煌々と光る青い炎が自身の眼前で反射し、相手に跳ね返る。
横に倒れかけ、ストーリアの体勢が崩れる。今なら、逃げられる恐れも無い。
「……イリーナ」
「私があの人を止めます。リッシュさんは、安全な所へ!」
「グゥ、ゥゥァッ……」
遠くに離れたリッシュが、こちらに視線を向ける。大丈夫、と言葉に出さずに大きく頷く。
「ガルドさん……痛いかもしれないけど、我慢して下さい!」
杖に魔力を込め、数十に上る氷塊を一気に顕現させる。
致命傷になってはならない。標的を胴体から外し、足元で今も炎を出す蹄へと向けた。
「アイス・エル・ムルバ!」
凍結と融解の衝突。拮抗の末、両足が凍り始める。
前に進むことも退くこともできず、ストーリアは横に倒れた。動きこそ止まったが、身体は深手を負っていない。
これで良い。万に一つでも、そこにガルドがいるならば。
「ゥ……ァ、ァァッ」
戦闘不能。その姿を見届け、自分はグレオに視線を向けた。
「はぁぁっ!!」
大丈夫。彼を助けられる道は、まだどこかに残っている。
盾で鉤爪を防ぎ、グレオの胴体に回し蹴りを加える。魔力の増加に伴い、自身の皮膚にも霜が現れ始めていた。
それでも、頭の中にあるのは、つい先程までの彼の姿。
「ケッ……しぶといなァ、オメーも!」
「貴方だけは、絶対に許さない!」
まだ、ストーリアにされてから時間が経っていない、それに、人だって襲っていない。
きっと……きっとこの呪術師を倒せば、彼は元に戻れる。
そうすれば、リッシュもガルドももう一度、あの屋敷で平穏な日々を送ることができる。花々に囲まれ、言葉を交わしながら、夢を追いかけることだって。
「ッ……!」
ふと自分の姿が、凍った地面にうっすらと見える。
気力が消えかけているのが、一瞬だけでも見て取れた。それでも、歯を食いしばって踏みとどまる。
たとえ離れ離れになっても、自分はミシェルと共に戦う。
「インヘリット・クロウ!」
鋭く尖った黒い羽が、無数に舞って竜巻を引き起こす。
長い髪が巻き上げられ、風に引き込まれそうになる。渦の中心は、入った者を切り刻む殺気の塊。
だが、深呼吸の後、負けじと杖を風の中心に押し当てた。
「アイス・ムルバ!」
「んっ……ぐわァァッ!!」
竜巻が軌道を変え、跳ね返る。荒れ狂う風から、吹雪の混じった青白いものへと。
術を使い、防がれるより先に、グレオの身体を吹雪が覆う。
転がりながら、後ろに倒れ込んだ。呪術教典は風で飛ばされ、遠くの茂みに放り出される。
「いける……今なら、勝てる!」
妨害は無い。そして、こちらにはまだ魔力が残っている。
杖に力を込めながら。ガルドの表情を思い浮かべた。戻してみせる、他の誰の力も借りずに、自分の手で。
「とどめだよ。アイス・エル・ムルバ!」
小さな雪の結晶が象られた、魔法陣が目の前に浮かぶ。
坂の下に転げ落ち、立ち上がろうとするグレオに、隙が生まれたその瞬間。
魔力の充填が終わる。身の丈を超える程の大きさの、巨大な氷柱が射出された。
「ッ……!?」
避ける暇も無く、一呼吸で相手の眼前に迫っていく。
胴体を狙ったそれは、寸分のズレも無い。氷柱の陰から、一瞬だけ彼の表情が見えた。
「来い、ストーリア」
死を目前にしているはずのグレオは、笑っていた。
「グォォォッ!」
「え、っ……!?」
足元の氷が砕け、自由の身になったストーリアが、吸い寄せられるようにグレオのもとへ走る。
視認できない速さ。そのまま、標的の前に立ち塞がった。
「本があろうが無かろうが関係無ェ。ストーリアは、呪術師の意のままなんだよ」
一度放った魔法は軌道を逸らすことも、途中で止めることも叶わない。
まずい。声を上げるより前に、意味も無く手が伸びた。
時間が再び動き出す。ストーリアの身体に突き刺さった氷柱は、瞬時に胴体を凍り付かせた。
「ガ、ガルドさん!!」
「どうして……どうしてなの、ガルドっ!!」
救い出さなければ、坂を下りて駆け出すより前に、巨体から冷気が漏れ出してきた。
それはまるで発煙……爆発をする予兆、のような。
胴体の氷は、瞬く間に内部から全身を侵食する。その魂を、次第に蝕んでいく。
「ワ、タシの、ことは……気にしな、イデ」
堪えかねたリッシュも、危険を省みずに走り出す。
しかし、ストーリアが視線で制した。口を小刻みに震わせながら、形を失いかけた言葉を発する。
「……リッ、シュ、様、ヲ」
違う。一人で戦ってきたリッシュの傍にいるべきなのは、自分だけでは無いはずなのに。
イリーナと、ミシェルと、そしてガルドと過ごした日々。
失ってはならないし、壊してはいけない。どれだけ時間をかけてでも、せめて元に戻るのならば。
「待って。待って下さい、ガルドさん!!」
言葉はもう返ってこない。その場に立ち尽くしたまま、ストーリアは氷像となる。
額の部分に亀裂が入り、それは瞬く間に砕け散った。
「……あっ」
「う、そ」
「フッ……ハ、ハハハッ」
白い残骸が地面に降る。雪のように、ただ虚しく。
「ガル、ド……起きてよ、ねえ」
リッシュがその場に駆け寄った。ストーリアの残骸を拾い集め、俯きながらただ元に戻るよう祈る。
それでも、その場に残っているのはグレオの笑い声のみ。
どれ程待っても奇跡は起こらない。一度起きてしまった死は、二度と覆ることは無かった。
「勝手なお願いだとは承知しています……リッシュ様の夢を、共に叶えては頂けないでしょうか?」
「皆さんが同じ考えを持つことは難しいと思います。それでも、同じ世界に住む人間が、互いに分かり合えずに戦い合うことは、あまりにも悲しいですから」
「……ありがとうございます。そのお言葉が、何よりの励みですよ」
あの人の言葉が頭を巡る。ストーリアを倒すこと。その本当の意味を、自分は今まで何も知らなかった。
目の前の光景を受け入られず、数歩後ろへ下がる。二人の命を守れなかった……それだけに留まらない。
助かるかもしれない命を、自分がこの手で殺めてしまった。
「私が、あの、人、を……」
自身の手をまじまじと見つめる。杖を目にすることも恐ろしくなり、地面に取り落としてしまう。
目を背けてきた悲しみと、後悔が一挙して襲ってきた。
「オメーのやってきたことなんざ、全部無意味なんだよ」
「いやァァァァッ!!」
頭を抱えて、叫びながら蹲る。戻ってこないと分かっていても、溢れ出る涙が止まらない。
「いやだ、いやっ、こんなの嘘、うそだよっ、ガルドさん、ガルドさァァんっ!!」
クリスの想いに応えられなかった、ミシェルの覚悟を無下にした。それどころか、アセビを助けられなかったあの時の失敗を、もう一度繰り返してしまった。
他のみんなは覚悟を持って戦っていたのに、自分は何も持たずに、ただ成り行きで戦い続けて。
「人殺しの自覚も無かったのか、無様だなァ」
「違う……違う違うっ、違う! 私は人殺しなんてしてない。人なんて、殺してな……ぁぁっ」
目の前の落ち葉を握り締め、地面を叩き、髪を振り乱す。
「みんなを、守りたかった、だけなのに、私、わたしっ……う、ああ、ううっ」
指を鳴らすグレオ。茂みに落ちていた呪術教典は、宙を浮きながら彼の手元へと戻っていく。
「口だけならガキでも言える。軽く、考え過ぎだ」
インヘリット・クロウの呪文。瞬く間に、グレオの両手がオオカミの鉤爪へと変化する。
今度は自分が、一瞬にして命を刈り取られる窮地へ陥った。
立ち上がらなければ。分かっているのに、身体が動かない。
「チェックメイトだぜ、魔法使い」
猶予も容赦も無い。枯葉を踏み潰す音が近付き、鉤爪が自身の首元に突き付けられた。
傷付いた床、使い古した机に、擦り切れた椅子とベッド。
穴の開いた天井から垂れてきた雫が頬に落ち、少女はゆっくりと目を覚ました。
「……ん」
頭を軽く振るが、眠っていた前後の記憶が思い出せない。自分はどうして、ここにいるのか。
薄汚れた窓から外を見つめる。街並みは、ボストレン。
鍵のかかった戸を何度か叩きながら、手を振った。しかし、馬車はおろか通行人の気配も見られない。
「だれ、か、誰か、いませんか?」
ここにいてはいけない、と誰かが告げている気がした。
部屋の隅から隅まで見渡せるかも怪しい薄暗さと、まるで浮浪者が住み込んでいたような生臭さ。
ずっと同じ場所にいれば、頭がおかしくなりそうだった。
「おや、目が覚めたのかい?」
「ひぃっ……!?」
「驚かせてごめんね。別に、危害を加えるつもりは無いから」
戸が開く。飛び退きながら振り向くと、男が立っていた。
二十代ぐらいの、長身の青年。つり目と茶髪が目を引くが、優しい声で腰は低そう……な、雰囲気。
しかし、その張り付いたような笑顔には、妙な違和感があるように感じられた。
「手荒な真似をしてすまないね。君にはいくつか、聞きたいことがあってさ」
面識の無い、得体の知れない人物。逃げ出したかったが、彼の気配がそれを暗に制していた。
この男が頷かない限り、部屋から出ることは許されない。
「聞きたい、こと?」
「すぐに終わる。申し訳無いけど、協力してくれるかな?」
「っ……」
椅子と机が指差された。もしいいえと言っても、それ以外の選択肢は最初から許されていない。
「分かり、ました」
そう言うしか、この場を切り抜ける方法は他に無かった。
「僕はアウダー・ラーミック、よろしくね。君の名前も、教えてくれるかな?」
アウダーと名乗ったその男は、机を挟んで向かいに座った。
水もペンも紙も何も置かれていない、ただ相手の話を座りながら聞くだけの空間。
退屈だった。目を逸らそうとするが、それは不満らしい。
「あの……」
「君の名前も、教えてくれるかな?」
「あっ、ルードミア……です」
「ルゥちゃんか。なるほど、綺麗な名前だね」
誰にだってそう言っているであろう、ありきたりの常套句。
友達や両親から呼ばれている、ミアというあだ名を素通りして、アウダ―は独自の呼び名を考え付く。
「ルゥちゃんは何歳なの?」
「今年、で……九歳になります」
「思ったよりも幼いね。普段は何をしてるの?」
「お母さんの、お手伝いとか」
「そうか。ボストレン人は、学校に行かない子も多いもんね」
「そう、ですね。お金が、足りなくて」
品定め。その表現が、最も自分にとって納得できた。
会話では無く、情報を聞き出すための交渉。同じ言葉を話していても、決して心が通じていないのだと分かる。
薄笑い。彼の表情も、先程から全くもって動いていない。
「本当は、学校に行きたいの?」
俯いて、自分の膝を見下ろす。嘘をついても、この男には全て見透かされそうな気がした。
「……はい。魔法使いになって、ワズランドに行きたくて」
「そうだよね。ボストレン人は、みんなそうだ」
「もう、無理だと思いますけど」
魔法使いになれば、一人で豪邸が建てられると聞いた。
自分の力で、両親を支えられる。もう、誰にも見下されない立派な人間になれる。
でも、それはきっと雲を掴むような話なのだと思う。
「ゼロでは無いと思うよ。生まれつき力が無くとも、ちょっとしたきっかけで、魔法使いになれた人は五万といる」
「きっかけ、って?」
「さあね。じゃあ、次の質問に移ろうか」
ため息をついた。こちらが心を開いても、向こうは取り繕った表情と言葉ばかり。
いつになったら終わるのだろう。少し、不安になってきた。
「明日世界が滅ぶとしたら、君は何がしたい?」
「……はっ?」
「もしもの話だ。思い付いたことを、正直に答えて」
突拍子も無い話だった。明日自分が死ぬなら、というのと同じ意味なのだろうか。
頭を捻る。真剣に考えても、どうせ軽く流されるだろうが。
遠くで風の吹く音が聞こえた。建付けの悪い窓は大きく揺れ、隙間風が仄かに冷たい。
「残ったお小遣いで、お父さんとお母さんにプレゼントしたい。大した物は買えないけど、きっと今しかできないから」
泣いて別れるなんて絶対に嫌。せめて最後は笑って、身を寄せ合いながら死んでいきたい。
本当は友達も家族も、みんなとずっと一緒にいられる方が幸せだけれど。
「そうかそうか。親孝行なんだね、君は」
大きく頷き、アウダーは徐に椅子から立ち上がった。
ポケットから何かを探る。ようやく終わりか、と胸を撫で下ろしかけたその直前。
「質問はこれで終わり。お疲れ様、ルゥちゃん」
小さくて鋭いナイフが、こちらの眉間目がけて投げられた。
「えっ」
痙攣は一瞬。頭から血を流すルードミアの全身から力が抜け、瞳から光が消え失せた。
人形のように虚ろな表情になり、頭にナイフが刺さったまま床に倒れ込む惨めな姿。
美しくて惨たらしい。それはある意味、前衛的な芸術作品のようだった。
「儚いものだな……恨むなら、君を生んだ親を恨むが良い」
遺体を背負い、上階にある別の大部屋へと足を運ぶ。
中年の男性、主婦、狩人、赤ん坊。立場も性別もまばらな抜け殻たちは、腐り果てた瘴気をその空間に発する。
不快な音を立てながら、頬を掠めた蠅を軽く手で潰す。顔を顰めながら、残骸はさっさと払い落とした。
抱えていた少女は、遺体の山の中に放り投げた。うつ伏せの姿勢で、こちらからその表情は読み取れない。
瘴気が濃くなったら、まとめて焼き払うのが丁度良い。
用を済ませたら先程の部屋に戻る。戸棚から一枚の紙とペンを取り出し、彼女の情報を箇条書きにしていく。
名はルードミア、歳は八歳。出身はボストレンで、学校には通っていない。
魔法使いになるのが夢で、貧乏な家族を支えるために一人前になりたい。自身や皆の死を前にしても、愛する家族を守る想いは変わらない。
ペンを置くと、白紙だったそれは一つの筋書きとなった。
「死は孤独なもの……しかしこうして書き残しておけば、あの子の生きていた証は永遠に残る」
壁に貼り付けた、大きな板。そこには、今まで集めた様々な人間の情報が溜め込んである。
遺体と同様、年齢も性別も全て散らばっている。恨みどころか面識さえ無く、偶然自分の目に付いたというだけの理由で、ここに連れてきた者たちの記録。
ルードミアの紙も、ピンで留める。精一杯の力を込め、決して抜けないように。
「これは名誉なのだよ、ルゥちゃん」
幸せな死だ。誰の目にも止まらず、大きな病や積み重なった飢えで人知れずこの世を去っていく者のことを思えば、比べるまでも無い。
窓の外から、ボストレンの景色をゆっくりと眺めた。
今は、悠々と出歩いている人影は無い。だから、次の獲物が来るまで、この住処でその時を待つ。
「……さあ、次は誰にしようかな?」
足をトン、トンと踏み鳴らしながら、アウダーは窓に反射した、自分の笑顔に視線を向けた。
続く




