第24話 踏み外す足、また暗雲Ⅳ
「えっ、ガルドさんが消えた?」
翌朝……何事も無く起床し、ミシェルと顔を合わせた直後。
大慌てで廊下を走ってきたリッシュは、その額から汗を滲ませていた。
「そうなのよ。いつもは部屋の前にいるはずなのに、姿が見当たらなくて」
「えっと……厨房とか、お庭にもいないの?」
「いないわ。探し回ったけど、どこにも」
手紙も残さず、何かの用事で外に出るとは考えにくい。
残っていた眠気が不安と共に覚めた。万が一の用心をしていなかったことが悔やまれる。
ミシェルと手分けし、全ての部屋を見て回った後、大広間で頭を抱えた。
「どこに行ったのかしら、こんな時に」
リッシュは窓から視線を離さない。その隙に、ミシェルがそっと歩み寄ってきた。
「これ……やっぱり呪術師かも」
「そうだよね。でも、どうしてガルドさんが?」
「ゴオツの一般人は限られてる。街で騒ぎを起こす目論みで、以前から目星が付けられてたんじゃない?」
容易に想像できるが、信じて受け入れたくは無い現実。
痕跡が残っていないことが何より歯痒かった。彼がストーリアになり、騒ぎになってからでは遅いのに。
杖を取り出し、ぎゅっと握り締める。それでも、焦りは増していくばかりだった。
「手当たり次第、探すしか無いのかな……?」
箒で飛び回っても、いつになるのか分からない。それでも、リッシュやガルドの命を、守らなくてはいけない。
決断に迫られる。自分たちはこれから、どうすれば。
「あっ……ガルド!?」
その時、外を眺めていたリッシュが不意に声を上げた。
「ガルドさん!?」
「あそこよ、門の所にいる!」
顔を上げ、リッシュの隣に駆け寄った。そして、ミシェルも遅れて続く。
彼女が指を差した方向に、慌てて視線を変えて探すと……
「……ほんとだ」
そこには、ゆっくりと門を横切るガルドの姿があった。
何かを考えるよりも先に、三人で屋敷を飛び出した。
「ガルド、どこにいるの!」
「ガルドさーん!」
見間違いのようには思えない。しかし、この一瞬の間に彼の姿は消えていた。
まだ、そう遠くには行っていないはず。彼が歩いていた方角を頼りに、追いかけなければ。
箒を取り出しかけた瞬間、屋敷の西で爆発音が聞こえた。
「っ……!?」
「きゃあっ!」
「何!?」
叫び声が聞こえる。煙は上がっていないが、遠目で一瞬だけ巨体が蠢いているのが見えた。
一帯に緊張が走る。間違いない、ストーリアの仕業。
「まずいよ……助けに行かなくちゃ!」
どこかの屋敷が襲われている。足を踏み出しかけた瞬間、左手をミシェルに掴んで止められた。
「待って、イリーナ!」
「ミシェル、どうして!?」
「ストーリアは私が倒す。イリーナは、先にあっちに行ったガルドさんと合流して!」
そうだ。ガルドは、ストーリアと逆の東を歩いていた。
両方を、彼女と一緒にこなすことは恐らくできない。成し遂げるには、手分けをする他に方法は無かった。
「っ……!」
また、頼ってしまうなんて。躊躇う自分に、ミシェルは鋭い視線で背中を押した。
「ガルドさん、リッシュさん。二人の命を守るのが、私たちの任務だから。戦いは、私が引き受ける!」
「で、でも……」
冷たい風が吹く。ミシェルはもう、箒を抱えていた。
迷っていれば、事態は悪化し続ける。彼女が不安だからと言って、ガルドを見捨てることはできない。
迷いはそれでも尽きない。だが、決断するしか無かった。
「……分かった。絶対、無理はしないでね」
託されたのなら、やり遂げなければ。一呼吸を挟み、リッシュの手を掴んだ。
「一緒に行こう、リッシュさん」
「ええ。早くガルドを見つけましょう!」
互いに頷き、背を向ける。自分は東に、ミシェルは西に。
覚えの無い道は、果てしなく長く見えた。だからこそ、自分を奮い立たせて走り始める。
「ミシェルさん……貴方も、どうかご無事で」
リッシュの言葉と共に、背中の向こうからも駆け出す足音が聞こえてきた。
「……見えた、あそこよ!」
地図を片手に、東への道をひたすら真っ直ぐ走っていく。
屋敷が次第に少なくなり、緑が増え始めた時。見覚えのある背中が、二人の視界に飛び込んできた。
「ガルド、私よ!」
「待ってください、ガルドさん!」
彼は振り向かない。自分たちの声が聞こえないのかと思ったが、何か様子がおかしい。
佇まいに生気が無かった。確かに呼吸はあり、肌に暖かみがあるが、歩く速さも、仕草も何も変わらない。
ただ、与えられた指示をその通りに行う人形のような。
「あの人、どこに行こうとしてるの!?」
「分からない。でも、あの先はアリファ山脈よ!」
「アリファ、山脈……」
聞き覚えがあった。反対側はカルミラの奥地と繋がっている、人里から離れた危険な場所。
季節を問わず厳しい環境に、魔獣の大群。本来なら近付くことすら難しく、誰も足を踏み入れない地域。
でも溢れ出す好奇心に駆られ、幼い頃に一度だけ……
「どうしたの、イリーナ?」
「ううん……何でも無い。急ぐよ!」
雲が黒くなっていく。過ぎたことは、もう関係無い。
住居が無くなっていき、湧き上がってくる不安を、首を振って思い切り振り払った。
立ち上る煙と蠢く巨体を目印に、ストーリアの暴れている場所を探る。
開け放たれた屋敷の庭園に駆け寄ると、二つの悲鳴が耳に飛び込んでいた。
「お坊ちゃま、危険です!」
「くっ、何なんだ、この化け物!?」
逃げ遅れた少年と、一人の使用人。異形の怪物に為す術が無く、巨木を背に固まっている。
周りの草木が軒並み凍り付ている、異様な光景。
その氷の中心にいたのは、クジラのストーリアだった。
「きれいな服だね。まったく……にくたらしいなあ!」
僅かに浮かんだ疑念が確信に変わる。聞き覚えのある、幼い子供のような声。
「なっ!?」
瞬きする間も無く、ストーリアが息を吸い込む。触れた者を臓器ごと凍らせる、氷の吐息。
少年にそれが放たれる寸前、炎の剣が攻撃を振り払った。
「ちっ……!」
「ここは私が何とかします。逃げて下さい!」
僅かに漏れた冷気だけでも、全身が震え上がりそうだった。
両足に力を込める。怖気づいてはいけない、戦うことを決めたのは、自分なのだから。
使用人がこちらに頭を下げ、少年の身体を抱え上げた。
「今のうちに……安全な所まで!」
「ああ。助かったぞ、ワズランドの魔法使い!」
屋敷の中を見つめる。恐らく、中にいた者はこれで最後。
「ひさしぶりだねえ。元気にしてた、おねえちゃん?」
自分の勘違いでは無さそうだった。ボストレンで出会った少女が姿を変えた、クジラのストーリア。
瞳も巨体も能力も、その全てがそのままの形で蘇っている。
おぞましい悪夢のように思えた。イリーナを残したことが、ただ一つの幸いだろうが。
「バレーナ……シルビアに、殺されたはずなのに」
「んー、きのせいじゃないの?」
「何、ですって?」
話は通じない。剣に魔力を込め、巨木から一歩前に進んだ。
「またあそぼうよ、あの時みたいにさあ!」
右足をぐっと踏み込み、すれ違いざまに左目を狙って一撃。
手応えはあった。しかし切り落とすには足らず、傷は瞬く間に塞がってしまう。
「そんなの、お断りだよっ!」
地面に剣を突き立てる。そびえ立つ炎の柱が、押し寄せる冷気から自分の身を守った。
しかし、どうも違和感がある。いつもは近くにいるはずの、呪術師がどこにも見当たらない。
そして、過去に倒されたストーリアの、前触れの無い復活。
「……どういう、ことなの?」
罠かもしれない。その考えが、一瞬だけ頭をよぎった刹那。
次の行動に移る隙を与えず、ストーリアの巨体がこちらに迫ってきた。
「私の手を握って、はぐれないようにね」
彼は立ち止まる素振りを見せず、やむなく二人で森林へと足を進める。
傾斜が次第に大きくなってきた。遭難を防ぐために、辺りの景色には常に意識を向ける。
光の入らない薄暗さが、不安を感じさせる。だが彼女のために、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「ミシェルさん、大丈夫かしら?」
「きっと大丈夫だよ。私なんかより、ずっと強いんだから」
「そう……それなら、良いのだけど」
一瞬だけ立ち止まり、振り向く。緑の葉と風の音に遮られ、ここからではあちらの様子が伺えない。
希望を捨ててはいけない。ミシェルが不利になったとしても、騎士団がいる。
「あっ、あれは!?」
「どうしたの、リッシュさん?」
「ガルドが倒れているわ。右よ!」
まさか、と思い身体を曲げる。つい先程まで、彼は前方を歩いていたはず。
枯葉が積み上げられ、小さな山のようになっていた。横目では認識できなかったが、側面から飛び出た手足が伺える。
二人で手分けして枯葉を除ける。やがて現れた顔は、確かにガルドのものだった。
「ガルド、しっかりして!」
「大丈夫ですか!?」
軽く肩をたたき、何度か身体を揺する。呼吸はあったようで、彼は程無くして目を開いた。
「ここ、は……」
「……良かった。心配したのよ、ガルド?」
「お嬢、様。どうして、こちらに?」
起き上がろうとするガルドを、リッシュが優しく抱きしめた。まだ周りの光景が見慣れないからか、目を細めながら辺りを見回している。
恐らく音識を失ってから、相当な時間が経過していたのだろうと思えた。
身を寄せ合う二人から一歩離れ、腕を組んでふと考える。
「確かにガルドさんだよね……じゃあ、あれは誰だったの?」
後ろ姿も同一だったガルドらしき人物に、この場所まで導かれた。まるで、幻を見ているような……
幻。その言葉が頭をよぎった瞬間、不意に後ろから声をかけられた。
「この程度の策にまんまと引っかかるンなら、先が思いやられるなァ?」
目を見開く。服装から顔立ちまで、ガルドと何一つ変わらない人物。
瓜二つの存在が、不敵な笑みを浮かべながらこちらに向かって仁王立ちをしていた。
「えっ……?」
「ガルドさんが、もう一人っ?」
「違います……イリーナさん、こいつは偽物です!」
後ろからガルドが指を差した。慌てて身構えながら、飛び退いて離れる。
上空からは、鳥の鳴き声。気付けば森の奥地に足を踏み入れ、中心街からかなりの距離を取ってしまっている。
言葉の通り、呪術師があちら側にいると思い込み、人気の無い場所に誘い出された。
「俺たちは過去に召還したストーリアを自由に復活させられる。向こうであの女が戦ってるのは、使い古した玩具だぜェ」
戦えるのは、自分一人だけ。肌寒いはずなのに、額から汗が零れ落ちる感覚があった。
「貴方、誰?」
「もう察しはついてんだろ、ビビってんなよ」
真っ黒な露と共に、ガルドの姿に化けていた男がその風貌を変えていく。
長かった背丈はほんの少しだけ短くなり、低く逞しかった声は、こちらの神経を逆撫でするような、僅かに高い声となっていく。
押し潰されるような重圧。呪術師グレオ・ソルディネが、その正体を現した。
「さァ、本日のメインディッシュといこうじゃねえか」
「たべてあげる……あの、おねえちゃんみたいにね!」
目の前に、ストーリアの大きく開かれた口が迫る。
寸前まで引きつけ、横に受け身を取った。先程まで自分がいた場所には、塀の砕かれる生々しい音。
「もう、しつこいよっ!」
「セット・ウォ―ド!」
氷柱針を結界で防ぐ。しかし、保ったのは数十秒だった。
「ん、っ……!」
猛攻は止まらない。速度を上げていく針の中心を捉え、炎の剣で切り捨てていく。
滝のように流れる汗。防ぎ切れなかったものが、やがて左腕を掠めてしまう。
「エンハンス、ブレス!」
一歩下がり、宙返り。屋敷の真っ白な壁を蹴り、高度を上げてストーリアの巨体にしがみ付こうとする。
「これで、どうだっ!」
目を狙って、動きを止める。剣が標的を捉えた瞬間。
相手が身をよじる。こちらの勢いを利用され、長い尾で弾き飛ばされた。
「おみとおししだよ!」
「……いやぁぁっ!!」
霜の混じった草原に叩き付けられる。冷え切った感覚と、鈍い痛みが同時に襲いかかってきた。
起き上がることができない。一瞬で手足は凍り、その場に縛り付けられる。
「つまんないな。氷のおねえちゃんをよんだらどうなのさ?」
できない。戦うと決めたのに、助けを求めることなんて。
そんな自分の想いとは裏腹に、ストーリアの表情は勝ち誇ったものへと変わっていく。
取り落とした炎の剣が、杖へと戻った。隙を見て、氷を解かすことも叶わない。
「やっぱり……私一人じゃ」
アセビの姿が脳裏をよぎる。あの時のように、自分はまた。
滲み出る悔しさを力に変えることができず、ただ虚しく目の前の氷を握り潰した。
しかし、ストーリアが再度冷気を蓄え始める、その寸前。
「サンダー・レ・ムルバ!」
「ッ……!?」
男性の張り上げた声と共に、耳に突き刺さるような雷撃音。
魔石のそれとは思えないような眩い光は、凄まじい衝撃と共に巨体を吹き飛ばした。
「……だ、誰?」
身体を動かせず、顔だけを向ける。門の前に現れたのは、白銀の鎧に長剣を携えた戦士、十数名。
表情は伺えない。しかしその佇まいには、言葉で表せない逞しさと頼もしさを感じられる。
メルアチアの言っていた、街を守るための騎士たち。
「ゴオツ管轄の騎士団です。お怪我はありませんか?」
「えっ……あっ、はい」
「すぐに氷を溶かします。少しの間、動かないで下さい」
差し出された炎の魔石が、地表を仄かに暖めていく。自由になった手足を軽く左右に振りながら、慌てずゆっくりと起き上がった。
「みーんなおなじカッコ……何だか、きみわるいねえ」
立ち上った煙を払い、ストーリアが再び姿を現す。
睨み返そうとした自分を制し、代わりに騎士団長と思しき人物が、敵に剣を向けた。
「この街は、共存と尊重の精神により成り立っている。それを乱す者は、何人たりとも許すわけにはいかない」
後ろに控える騎士たちも剣を引き抜く。懐から魔石を取り出し、臨戦態勢を取る。
一糸乱れぬ統率と、誰も犠牲にしない覚悟に満ちた佇まい。
再度自分も杖を拾い上げる。無意識に、少し曲がっていた背筋が伸びていく。
「私たちは……絶対に負けない」
「魔法使いの信念を思い知れ、ストーリア!」
共に突き立てた言葉が、広い庭園と屋敷に響き渡った。
「第一小隊は正面で防御と迎撃。第二小隊は回り込み、背後から攻撃を集中させろ」
「はっ……!」
まず取り出したのは土の魔石。最前線に壁を張り、障壁としてこちらを守る。
そして、敵が怯んでいるうちに火球を飛ばしていく。
「フレイム・レ・ムルバ!」
「うあっ!?」
膨大な数で傷を付けていく。冷却による治癒も、山のような爆発に追い付くことはできない。
「ちっ……しつこいなあ!」
堪えかねたストーリアが、口の中に再び冷気を滲ませる。
前線に立っていた一人の騎士が、追撃を止めずに首だけをこちらに向ける。
「攻撃、来ます!」
「光魔法で動きを止めるんだ!」
合図と共に、巨大な光の魔石が上空に打ち上げられる。
目を閉じろと、団長の声。慌てて両目を手で覆うと、直後に眩い閃光が辺りに広がった。
「ブライト・レ・ムルバ!」
全員がその場に座り込む。残されたのは、ストーリアだけ。
鋭い輝きは、その大きな目を瞬時に焼く。反撃の勢いは止まり、相手はその場から動けなくなった。
光が静かに消えると、団長はこちらに合図を寄せる。
「……ううっ!」
「決めるならば今です。同時攻撃を!」
勢いをつけて懐に飛び込む。敵の巨体を足場にして、瞬く間に頭頂部へと上り詰めた。
箒を呼び出し、自分も一歩遅れて団長を追いかける。
宙を舞いながら、互いに剣を合わせた。魔力を纏った斬撃が、そのままの勢いで交差する。
「トレイ・レ・ムルバ!」
「フレイム・エル・ムルバ!」
硬い皮膚の奥底。その芯を、真正面から叩き斬る感覚。
「どう、して。こんな……ところでェェッ!!」
断末魔と共に、傷口から刻み込まれた魔力が溢れ出る。
庭園の、およそ半分を巻き込む程の爆発は、ストーリアの身体を木っ端微塵に吹き飛ばした。
屋敷や周辺の家屋を騎士たちが探索する。その被害に反し、死者はおろか怪我をした者も見つからなかった。
「ディロアマ騎士団、ゴオツ支部団長のミラベル・ケインです。この度はストーリア討伐と民間人救出へのご協力、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。私はワズランド魔法学校、属性科一年のミシェル・メルダです」
団長の男性が仮面を外す、お辞儀の後に握手を交わすと、鉄のように力強い表情に綻びが生まれた。
「一年生ですか。まだ学生なのに……勇敢ですね」
「いえいえ、そんなことは」
策があったわけでは無い。本能に導かれ、動いただけ。
「ただ……あの子ならそうするって、思っただけですよ」
雲行きは怪しくなっていた。日が昇り、本来なら明るくなるはずなのに、光はこちらに届かない。
ガルドを追い、イリーナが向かった方角をじっと見つめる。
そびえ立つアリファ山脈。自分としてはあまり思い出したく無い、嫌な場所。
「……そうだ。私、行かなきゃいけないんです」
「ストーリアか、呪術師ですか? 出現した場所を教えて下されば、私たちも……」
「いえ、そういうのでは無いので、大丈夫です」
嘘だった。でも、イリーナが本当に狙われているのなら、自分の手で一刻も早く助け出さないといけない。
ありがとうございますと頭を下げ、箒に跨った。
「そうですか。またお困りごとがあれば、いつでも私たちをお呼び下さいね」
深呼吸と共に魔力を込め、再び上空へと飛び上がる。
こちらに吹いてくる風は薄ら寒い。身体の震えを堪えながら、手を挙げてミラベル団長に別れを告げる。
軌道を正したのを機に、箒はその速度をぐんと上げ始めた。
「イリーナ、さん……」
木の陰からリッシュが見つめる。落ち葉が、舞い上がった。
「インヘリット・ホエール」
虚空から生み出された無数の氷柱が、グレオの周囲を回る。
皮膚を貫き、命を狩る鋭利な形。相手の合図と共に、こちらに向かって襲いかかってきた。
「……っ、アイス・シールド!」
盾で身体を覆う。直後、砕け散るような音と衝撃が来る。
跳ね返った氷柱は地面を抉る。後ろに飛ばされそうになるのを堪え、一歩ずつ確実に踏み出す。
術の攻撃が止む瞬間を待ち、勢いを付けて前方へと飛んだ。
「はあっ!」
ほんの一瞬でも、打撃で怯ませれば。至近距離で、氷の盾を横に振りかぶる。
「インヘリッット・ホッグ……甘ェな」
「っ、偽物!?」
しかし命中の瞬間、グレオの身体がその場から消え失せる。
声が聞こえ、見上げる。木に登っていた本物は宙を舞い、飛び蹴りを加えてきた。
「どうして、貴方たちはこんなことを……」
「決まってる。魔法使いをブッ殺すためだ」
拳を受け流し、足を払う。一歩前に進み、一歩後退りを繰り返していく。
「俺たちが黙ってても、魔法使いは人を殺す。無様に死ぬか最後に暴れるか、選べつッたら答えは明白だろォ?」
「違う! 魔法使いは、そんなことしないもん!」
「知らないフリすんなよ。オメーだって気付いてるはずだ」
自分の知っている魔法使いは、誇りと優しさを持っていた。
生まれで人を差別しない、どんな時であっても、誰かのために戦える強さがある。
そのはずだ。そのはずなのに……手足から力が出ない。
「力があれば欲が出る、欲が出れば一線を超える。どンだけ身なりを整えても、魔法使いはバケモンなんだよッ!」
術の大風で土を巻き上げられる。視界が阻まれ、グレオの姿が視認できない。
次の瞬間、飛び出してきたグレオは鉤爪を携えていた。
「アーマメント・ウルフ!」
盾が粉々に砕かれる。受け身を取ろうとする寸前、左足からの蹴りが肩に命中した。
「うっ、わあああっ!!」
盾の残骸が杖へと戻る。立ち上がる力は、残されていない。
「威勢だけは一丁前だが……オメー一人で何ができる?」
ガルドとリッシュがさらに遠くへと逃げようとする。その先へ、グレオは走って回り込んだ。
身を挺して庇い、何かを言おうとする彼女の頬に、拳が叩き込まれて吹き飛ばされる。
「きゃっ……!?」
「リッシュ様!」
「自分がどンだけバカなのか、思い知れ」
ガルドの胸倉を掴んだグレオは、その首を絞め上げた。
「離せ、この悪魔め……」
腕を左右に振るい、足で蹴り飛ばして必死に抵抗する。
しかし彼の抗いも虚しく、一度固められた腕は決して解かれることは無かった。
「ガルドさんに、何をする気なの!?」
「動くなッ! 少しでも余計なことをすりゃあ、コイツは木っ端微塵になる」
目の前の杖を拾い上げようとした手が、ピタリと静止した。
「私のことは、構いません……リッシュ様を、早く」
できない。ガルドを見殺しにしても、残されたリッシュは一生、死を背負い続けることとなる。
及ばない力と、助けなければという思いの狭間で、心が押し潰されそうになった。
「見上げた忠誠心だなァ。よぉし、気に入ったぜ」
こちらの迷いを嘲笑うように、グレオは黒い本……呪術教典を懐から取り出す。
「試してやる。命を天秤にかけられても、同じことが言えるかどうか、な」
「何、を」
「簡単な話だ。使えるモンは、とことん利用してやるのさ」
慣れた手つきでページを捲る。その中の一つで手を止め、奇怪な微笑みを浮かべた。
ほんの一瞬だけ視線が逸れる。戻ってきた感覚で手を伸ばし、杖に指が触れる。
「よォく見とけ魔法使い。一生に一度見れるかどうかの、貴重な光景だ」
今しか無い。意を決して飛び出しかけた、その直前。
呪術教典から、怪物のような異形の手が飛び出してきた。
「なっ……!?」
「っ、ガルドォ!!」
リッシュの叫びは届かない。手は彼の全身に纏わりつき、周囲に黒い靄のようなものを撒き散らす。
小鳥が揃って逃げ出していく。苦悶の表情を浮かべたガルドは、不意に呻き声を上げ始めた。
まずい。周囲に漂う異様な気配は、まさか。
「ガルドさんを離して、グレオっ!!」
引き離さなければ。駆け出したが、真っ黒な結界に衝突して弾き飛ばされてしまう。
「残念だったなァ。もう手遅れだよ」
ガルドの身体は黒く変質し始める。血走った瞳は徐々に形を変え、体格も一回り、二回りと大きくなってきた。
向かい風が吹き荒れる。近寄るどころか、その場に立っていることさえままならない。
「う、うっ、うァァ……」
木々が根元から折れる。舞い上がった落ち葉は、絶え間なくこちらの目に向かって飛んでくる。
力を振り絞って進む自分を、リッシュが追い抜いた。
脇目もふらず走り出す。結界を殴って壊そうとするが、そこにはヒビ一つ入らない。
「い、や……そんなの嫌よ、ガルドっ!」
「ダメです。正気に戻って下さい、ガルドさん!!」
絶対に守ると告げた自分の言葉が、胸に重く突き刺さる。
リッシュが声にもならない叫びを上げた。僅か数歩で届くのに、結界に挟まれた距離は、余りにも遠い。
最後の瞬間、涙を流す彼と視線が合った……気がした。
「ぬァァァァッ!!」
尾と口から青い炎が燃え上がる。蹄は鋭く尖り、地面を抉り取るような形となる。
ガルドは、巨大な馬の形をしたストーリアに変貌した。
続く
 




