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ウィッチ・オブ・アクア  作者: 夢前 美蕾
第1章 魔法学校1年生編
23/30

第23話 踏み外す足、また暗雲Ⅲ

 屋敷を一通り見て回ったイリーナたちはリッシュに案内され、大部屋にあるクローゼットを開く。

 保管場所の範疇を超え、それは一つの空間と呼べる程の大きさを見せつけていた。

「ええっ……こんなにあるの!?」

 近付いて、再び目を丸くする。細部に宝石や装飾の付いたドレスが、等間隔に並べられていた。

 見ていると思わず穏やかな気持ちになりそうな、華やかで暖かい色の物から、パーティの余所行きに役立ちそうな、落ち着いた雰囲気の物まで。

 一生、これだけで過ごせそうだと思ってしまった。

「結局、ほとんど使っていない物だけど。せっかくだから、着替えてくれないかしら?」

「良いの? うーん、ちょっと迷っちゃうな」

「わ……私もやるの、これ?」

 鏡に向かい、それぞれのドレスを身体に合わせてみる。

 自分に何が似合うのかが分からない。選択肢も多く、自由のように見えて不自由だった。

 背後を振り向くと、同じようにミシェルも悪戦苦闘。

「慌てなくて大丈夫だから。困った時はいつでも呼んで」

 頭を捻りながら、ドレスと鏡を往復すること数十分。ようやく、自分のイメージに整理がついた。

「よし……取り敢えずこれが良いかも!」

 白いレースに水色が入った、爽やかでありつつも落ち着いた雰囲気を意識したコーディネート。

 誤って裾を踏まないように足元を睨みながら、ゆっくりとリッシュのもとへ向かう。

「ミシェルはどう、うまくいった?」

「まあ、あんまり自信は無いけど……」

 私もだから、と声をかけると、ミシェルは頬を赤めながらこちらの方へと歩み寄って来た。

 一目で分かる豪奢な姿。中央のベージュ、白いレースに、側面は情熱的な赤をあしらっている。

 そして、上下に加えられたリボンが可愛らしさを増す。

「か、可愛いっ……!」

「よく似合っているわね。素敵よ」

「そ、そんな……恥ずかしい」

 もう一度、今度は窓に映った自身の姿を見つめる。

 羞恥心は隠せない。でもドレスとは縁の無かった自分たちが、生まれ変われたようで嬉しかった。

「次は何をする? 私だけが楽しむのも申し訳無いから、お二人のやりたいことも試してみたいわ」

 どうしようかと首を捻る。この広い屋敷を活かし、目一杯楽しめることと言えば……

「じゃあ……かくれんぼとか?」

「え、この格好でするの?」

「良いわね、やってみましょう」

 間髪入れずにリッシュの快諾。俄然、胸が高鳴ってきた。

 踏み入れていない部屋に、探検できていない場所。素材はいくらでも眠っている。

 一度やると決めたなら、童心に返って楽しんでみせる。

「よーし、レッツゴー!」

「そんなぁ……」

 隠れる場所を探さなければ。ミシェルの手を引き、イリーナは廊下を進み始める。

 道中、物陰で様子を見守るガルドの姿が視界に入った。

「楽しそうで何よりです、リッシュ様」


 鬼となったリッシュから逃れるため、イリーナは屋敷中を縦横無尽に駆け回った。

「はぁ、はぁっ……」

 隠れる場所は、両手で数え切れない程に見つけられた。

 しかし、絞り切れない。何度も回っていくうちに息が上がり、深く考えることが億劫になっていく。

 一見楽なように見えて、何より難しいように思えた。

「……もう、ここで良い、かな?」

 大きな窓がカーテンで閉ざされた、暗がりの部屋。

 ベッドが色褪せ、机には傷が見える。生活の跡は伺えるが、その他の家具や本棚は空になっている。

 屈んで姿勢を下げ、イリーナはベッドの陰に隠れた。

「イリーナさん、ミシェルさん?」

「あっ……」

 声と共に足音。両手で口を塞ぎ、全身の神経を研ぎ澄ます。

「どこかしら?」

 やり過ごせば幸運、見つかればそこまで。自分の呼吸にのみ意識を向けながら、時間が過ぎるのを静かに待った。


「……いなく、なったかな?」

 ほっと胸を撫で下ろし、両足に力を込める。ほんの一瞬だけ、立ち眩みがした。

 ミシェルは、今もまだどこかに隠れているのだろうか。

 先程よりも暗がりに慣れてきた。静かに部屋を歩き回っていると、机の上に何かが見えた。

「ん?」

 ゼンマイのような物が付いた、木箱。手のひらに入るような大きさで、可愛らしい印象を受ける。

 だが、どのように使うのかは全く見当が付かない。

 ゆっくりと裏返し、様々な部分を凝視していると、背後から扉の開く音が聞こえてきた。

「こんな所にいたのね、イリーナさん」

「わわっ……ビックリした」

 取り落としかけた木箱をぐっと掴む。通路から外の光が漏れ、少し眩しく思えた。

「それはオルゴール。回すと音が鳴るのよ、ほら」

 リッシュが歩み寄り、ゼンマイを回す。耳に入ってきたのは、暖かく優しい音色だった。

 暗闇に刺し込んだ光、差し伸べられた手。心を委ねても構わないと思えるような、安心。

 その木箱……オルゴールには、一つの世界が詰まっていた。

「き、綺麗な音色……!」

「世界に一つしか無い、宝物よ。小さい頃、お母様がよく鳴らしてくれたの」

「そう、なんだ」

 目を閉じてみる。童心に返って、両手を上げて走りながら、両親と笑顔で遊ぶ、懐かしい感覚。

 そこで不意に、躊躇よりも好奇心の方が勝ってしまった。

「リッシュさんの、お母さんって……」

 無意識に出てきた、イリーナの言葉。リッシュは何かを言いかけ、しかし笑顔で口を噤んでしまう。

「それより、かくれんぼのこと、忘れてない?」

「……あっ!」

 言葉を返すより前に、右肩に手をかけられている。

 はっと慌てて飛び上がる。その場の流れに身を任せ、何も考えていなかった。

「尻尾が出てしまったわね、イリーナさん?」

 期待を込めて始めた遊びは、呆気無い終わりを告げた。


 時に隠れ、そして追いかけ、かくれんぼを終えたのは数時間後のことだった。

「はぁ、何だか疲れちゃった……」

 寂しさと解放感が混じり合う。テラスの椅子に腰かけながら、ミシェルは静かに庭園を見つめた。

 ピンクのバラ、白いアザレア。明るい色が散りばめられたそれらは、一生ここで暮らしていたいと思える程の豊かさが感じられる。

 一人では孤独。でも大切な人と一緒なら、きっと……

「身体をあまり動かさなくとも、常に集中した環境下にいると、気疲れが起きやすくなるようですね」

「……ガルドさん」

「私も、ここは落ち着きます」

 想像の世界から、その言葉でふと現実に引き戻された。

 視線を横に向ける。向かいの椅子には、本を読みながら静かに佇むガルドの姿があった。

「それは、何を読んでいるんですか?」

 立ち上がり、顔を近付ける。本を見つめる彼の瞳には、ほんの僅かに情熱の色が宿っている、気がした。

「架空の物語ですよ。隊を追われた騎士が異国の地で新たな仲間と出会い、自分にしか無い本当の強さを見つける……そんな所でしょうか」

「へぇ……何だか、かっこいいお話ですね」

 羨ましい、と思ってしまう。自分の過去を振り払って、新たな居場所を見つけるその騎士が。

 様々な言葉が脳裏に思い浮かび、また消えていった。

「本当の強さって、何でしょうか?」

「難しいですね。その個人によって違うと思いますが」

「ガルドさんにとっての、強さを知りたいです」

 考えるよりも先に、ミシェルの口は動いていた。

 数十秒の沈黙。生温い風が、花の鮮やかな匂いを織り交ぜながら鼻に飛び込んでくる。

 視線を落としかけた矢先に、その答えが返ってきた。

「心の強さでしょうか。力があっても、心が弱ければ生きていけませんが、心が強ければ……何があっても挫けず、前に進んでいけます」

 深く、何度も頷く。微かに震えの入った声は、それがお世辞や方便では無く、自身の経験によるものだということを如実に表していた。

「心って、力と違って形にならないから、大切だと思われにくいですよね」

「その通りです。本当は心こそが、大事であるはずなのに」

 折れない心があれば、ある程度の力が後で付いてくる。

 明確な定義や形が無いものは、存在するものを求められるよりも遥かに酷であるように思えた。

「私は他者と関わることで、心を強くしたいと志すようになりました。一人だけの世界では、思考も行動も人生も、やはり自身を中心としたものになってしまいますから」

「リッシュさん、ですか?」

「ええ。今の私がいるのは、あの方のお陰です」

 イリーナはどうだろう、と考えた。学校で色んな出会いを経験し、クリスという友達も新たにできた。

 心のどこかで踏みとどまっている、自分よりも先に。

「ミシェルさんも、様々な人と関われば、心の強さが身に付くのではありませんか?」

 今自分が立っている方向と、向くべき方向が違う捻じれ。

 分かりましたと快く言えなかった。成長することが自然だとしても、簡単に受け入れられない。

 それが弱さだと知っていても、過去に縋り付いてしまう。

「そう……かもしれませんね」

 想像していたよりも、自分の掠れた声は情けなかった。


「イリーナさん、ミシェルさん、本日はお疲れ様でした」

 日が落ち、何よりも長いと感じられた一日は、ようやくその終わりを目前とする。

 疲れ果てたリッシュが眠りについたのを見届け、ガルドは音を立てずにドアを閉めた。

「いえいえ。こちらこそ、お食事までいただいてありがとうございます!」

「本当に、私たちの方がお世話になってばかりで……」

 学校では時折休みたいと思うのに、ここでは申し訳無くて休めない。矛盾しているようにも見える不思議な感覚。

 明日は、何かお手伝いできることを探してみよう。

 イリーナは力強く、そしてミシェルは深々と、締めくくりに相応しいお辞儀をした。

「お気になさらず。リッシュ様に新たなご友人ができたことは、私としても大変喜ばしいことですので」

 言葉を紡ぎながら、ガルドはドアの横に移って直立する。

「翌朝まで、ここで見張りを致します。もし怪しい存在を発見すれば、この鈴を鳴らしてお知らせします」

 最低限の呼吸、動かさない視線。その姿は、来る者を全て受け止める岩のようだった。

 分かりました、と頷く前に、イリーナは恐る恐る歩み寄る。

「あの、ガルドさんは寝ないんですか?」

「日中に、何度か仮眠を取っています。ご心配なく」

「えっ、でも……」

 万が一身体を壊せば、日常生活は回らなくなってしまう。

 灯りを頼りに、彼の顔を覗き込む。一度気がかりになれば、その額に隈があるように見えてしまった。

 それでも悲痛さは感じられないし、表にも出さない。

「私は私のできることをやり遂げていきたいのです。たとえ力が及ばずとも、志が弱くてはいけませんから」

 今できる精一杯の笑顔。その表情を目の当たりにすると、止めるばかりか何も言えなくなってしまった。

「それでは、また明日」

「は、はい……おやすみなさい」

 これで良かったのだと自身に言い聞かせ、背を向ける。

 彼の姿が遠くなっていく。結局、最後の最後でもう一度だけ振り向いてしまった。


 瞼の奥に、冷たい風がずっと吹きつけているような感覚。

「やっぱり……眠れないなぁ」

 煌々とした灯りを消し、大きな布団に入り、いつもよりずっと広い空間で過ごす、就寝時間。

 それでも、心にぽっかりと開いた穴は塞がらない。

 何かが足りない虚しさに耐え切れず、イリーナは徐に起き上がって布団を抜け出た。

「う、ちょっぴり寒いかも」

 横になっていた時は感じなかった、窓からの隙間風。

 小走りになりながら廊下を進んでいると、先程見送った彼は依然としてそこに立っていた。

「……イリーナさん?」

「いや、やっぱり動かないと落ち着かなくて……」

 ガルドの手にあった鈴が床に置かれる。壁にほんの少し体重を預け、首を傾げる彼と向かい合った。

「私は大丈夫ですよ、慣れていますから」

「そこも、心配でしたけど……それよりも、ちょっと気になったことがあって」

「どうされました?」

 どのように聞こう、と思考を巡らせた刹那。無意識に、最も直線的な言葉が口から飛び出てしまう。

「リッシュさんの、ご両親のことです」

「ああ……」

 視線が逸れる、背筋が寒い。何でも無いですと言って逃げれば、明日は平和に続くのだろうか。

 でも、その道だけはどうしても選ぶことができなかった。

「私たちが、勝手に踏み入っちゃいけない問題かもしれないって、思ってました。でも、もっと近い場所で、あの人の力になりたいんです」

 ガルドのようにはできなくても、せめて、苦しい時に手を握れるような暖かさを。

「前に出て失敗するよりも、立ち止まって後悔する方が、きっと辛いから……」

 自分よりも少し高い背を見上げる。怒りの色は見られなかったが、しばらくの沈黙が続いた。

 強い風が窓にぶつかる。揺れる音と、空虚な唸り。

 深呼吸を重ね、何度か自身で小さく頷いた後、彼はようやく重い口を開いた。

「……いつかは、イリーナさんにもお伝えしなければならないと、覚悟をしておりました」

 背筋を伸ばす。扉の向こうで眠る彼女を起こさないように、そろりとガルドに歩み寄った。

 心を開いてくれた彼の温情を、無駄にしてはいけない。

「少し、昔のお話になります」


 十年前、リッシュの父親が高熱で動けなくなり、母親も程無くして病に倒れた。

 二人の身体に生々しく現れたのは、水脹れのようなもの。

「お父様とお母様のもとには、いつかえれるの?」

 まだ六歳だった彼女と、そしてガルドに言い渡されたのは、伝染を避けるための隔離。

 右も左も分からない場所で、明日この先生きていけるかがも分からない生活を送っていく。

 日を跨ぐにつれて、焦りは雪崩のように襲ってきた。

「元気に……なるまでです。ご主人様も、奥様も、きっと今も病と戦っていることでしょう」

「だい、じょうぶ……?」

「ええ。残された私たちが、諦めてはいけません」

 家族が罹った、友人が死んだ。今になってみれば、どうして自分は折れなかったのか不思議に思う。

 自身の命よりも、守りたい存在があった。ただそれだけ。

「共に乗り越えましょう、この苦境を」

 外の景色に視線を移す。長い冬に草木は枯れ、一つ残らず葉が零れ落ちた、無機質で寂しい庭園。

 それでも、いつかは暖かい春が来ると信じていた。

 特効薬が開発され、流行が収まり、幸せだったあの時のような、ゴオツでの日々が……


 いつしか報せが途絶え、不安に駆られていた折、ガルドのもとに一通の手紙が届いた。

 リッシュを守るために、自分は泣いてはいけない。

 思っていたはずなのに、それを読み進めているうちに、大粒の涙を零してしまった。


「もう、ここにいる意味はありませんね」

 隔離が終わり、リッシュと共に屋敷に戻ると、程無くして遺体と顔を合わせた。

 あの日には戻れないことを悟り、口を閉ざした彼女の代わりに、耳に飛び込んできたのは使用人の噂話。

「ご主人様と奥様ならともかく、あの子供一人は、ね?」

「何の得もありませんね。一緒にいると、無能がうつるかもしれませんよ?」

「ふふっ。無能菌ですね、まさしく」

 新たな居所を見つけ、一人、また一人と去っていく。本当の意味で、この屋敷に身を置いていた人間は存在しなかったのだと思わされる。

 季節が廻ると、残された者はガルド一人となってしまった。

「貴方は、あちらに行かないの?」

 ある時、背を向けたリッシュに低い声で告げられる。

「……ご不満なら、止めないわ。私は一人でも、お父様とお母様の無念を晴らしてみせる」

「いえ。もう、決めたことですから」

 親しかった人間が離れ、孤独になる感覚。彼女はどれだけ、辛い思いをしたのだろうと何度も考えた。

 そして、考えるよりも先に自身の口が動いていた。

「私も魔法の力は持ち合わせておりません。ご主人様に拾って頂いたこの命を無駄にするのは、不敬も甚だしい」

 リッシュが振り向き、宝石よりも美しい目を丸くする。

 願っても病は収まらず、死んだ者は蘇らない。大切な人と過ごした記憶は、時に呪いのように残された者を襲う。

 ならば、自分がこの身体を張ってでもリッシュを守る。

「お金でも、名誉のためでもありません。私はリッシュ様と共に、未来へ進んでいきたいのです」

「茨の道に、なるかもしれないのよ?」

「お役に立てるのなら、私が靴になり、盾となります」

 自分に課せられた、一世一代の試練だとすら思えた。

 彼女の冷えてしまった表情に、ほんの少しだけ、光が戻ってきたように見える。

「変わった人ね……けれど、ありがとう」

 葉が戻り、花が咲く。長かった冬は間も無く、春を迎えようとしていた。


「特効薬は、まず生きるべき者に優先して与えられました。身分が高くともそれは変わらず、ご主人様と奥様は後に回されてしまったようです」

 そして、順番が回った時には既に手遅れとなっていた。

 イリーナの額から汗が滲み出た。誰を救い、誰を捨てるかの極限状態は、自分の頭では想像もできない。

「そんな、ことって……」

「あるべきではありません。しかし現実としてある以上、あの時の私にはどうすることもできませんでした」

 その背中が、僅かに丸くなるのが見えた。自分の力が及ばなかった、苦悩と後悔。

「本来ならば、目を逸らして逃げたくなるのも無理はありません。ですが、私は驚きました」

「何に、ですか?」

「リッシュ様ですよ。使用人たちが姿を消してもなお、あの方は一人でも生きていこうと考えておられた」

 だからこそ、覚悟してその手を取ったのですと彼は続ける。

「勝手なお願いだとは承知しています……リッシュ様の夢を、共に叶えては頂けないでしょうか?」

 静かになった寝室の扉を背に、ガルドは深々と頭を下げた。

 反射的に、ぐるぐると視線が回る。迷いでは無く、言葉の重みに圧倒されていた。

「魔法使いでなくとも、誰もが幸せに暮らせる世界……」

「ええ。それこそが、私たちの追い求める希望です」

 同じ人間のはずなのに、どうして憎み合うのだろう。

 何度も思っていた。思いながらも、叶わなかった時の光景が頭の中に浮かんで、その度に苦しんだ。

 高い壁を乗り越える鍵は、同じ志を持つ仲間と友達。

「皆さんが同じ考えを持つことは難しいと思います。それでも、同じ世界に住む人間が、互いに分かり合えずに戦い合うことは、あまりにも悲しいですから」

 そう思いますと、簡単に言うことはできないけれど、それでも一歩前に進まなければならないと思った。

目の前のガルドが勇気を出してくれたように、自分も。

「私、この任務が終わっても……」

「はい?」

「リッシュさんと、一緒にいたいです」

 絞り出した言葉を、そのままの形でガルドに託した。

「……ありがとうございます。そのお言葉が、何よりの励みですよ」


ガルドに別れを告げ、忍び足で暗がりの廊下を歩く。

ドアに差し掛かり、手をかける寸前。イリーナは、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「何してたの、こんな時間に?」

 目を細めながら振り向く。待ち構えていたのは、ミシェル。

「……ミシェル、どうして?」

「足音、丸聞こえだったからさ。まあ、私もちょっと寝付けなかったんだけどね」

 理由は聞かれず、手招きされる。自室の隣にある、ミシェルが寝泊まりしている客人用の部屋。

 視線の向こうにある、白い椅子にゆっくりと腰掛けた。

 レイアウトは同じ。しかし自分のそれよりも整理された荷物が、僅かに羨ましく感じてしまう。

「気持ちは分かるけどさ、ダメだよ? 知らない場所でふらふら出歩いちゃ」

「いや、ガルドさんとお話してて」

「ああ……あの人、まだ上の階にいたんだ」

 天井をじっと見つめる。一晩寝ずに大切な人を見守るなんて、誰にも真似できないことだと思えた。

「……思っていたよりも、ずっと強かったな、って」

「えっ?」

「ガルドさんと、リッシュさんのこと」

 笑顔と後ろめたさが交じる。目の前に鏡は無かったが、きっと自分は弱々しい顔になっているのだろう。

 両膝をぐっと内側に向けながら、イリーナは肩を狭めた。

「魔法の強さとか、力の強さとか、そういうの何にも関係無いんだなって。あの人たちにはね、誰にも負けない強い心があるってことが、分かったの」

「強い、心……やっぱり、そうなんだね」

「私さ、見えなくなっちゃった。今まで、何のために頑張ってきたのか」

 今この瞬間も、二人はきっと成長している。だから、自分が前に進めないことが歯痒い。

 何も分からないまま戦って、何も知らないまま村を出た自分は、一体何者になれるのだろうか。

 不安だった。このまま進んでいくのも、どこか怖い。

「そうかな? イリーナのやってきたことは、一つも無駄じゃないと思うよ」

「えっ……?」

 しかし、不意に伝わってきた優しい声音に、少し面食らってしまった。

「力を振るいたいから、欲望を満たしたいから……そう思って強くなろうとする人は大勢いるよ。でも、イリーナは自分のことよりも、大切な誰かのために戦ってきた」

 言葉を反芻し、俯いて、今までのそれを思い返してみる。

 村のみんなを守るため、ミシェルと共に戦うため、そしてクリスと心を通わせるため。

 確かに、その理由は全て一つの形に行き着いていた。

「でも、私……」

「比べる必要なんて無いんだよ。あの人たちにはあの人たちだけの人生があったように、イリーナにはイリーナだけの人生があるんだから」

 夜空の星。紅いものがあれば青いものもあり、強い光も淡い光も、その星の個性によって異なっている。

 よく見ると、全てが少しずつ違うそれらは、合わさることで唯一無二の世界を目の前に映し出していた。

「辛い時は、最初の自分を思い出すの。その時に出した答えが、きっと今にも繋がってるはずだから」

 呟きながら、ミシェルは鞄から魔法の杖を取り出した。

 魔力を込めず、光もしない。けれど神妙な面持ちで、彼女はそれをイリーナに向ける。

「イリーナ、元気になれーっ!」

「え……ええっ?」

 無音。一瞬だけ、辺りの時間が止まったような気がした。

「何だったの、今の?」

「軽いおまじない。もしかしたら、イリーナのお守りになってくれるかもね」

 根拠も無い話だった。でも、行き先を見失っていた心が、再び熱を帯びて動き出していく。

 肩の重荷が外れていく。代わりに自分を包むのは、ミシェルの与えてくれた見えないお守り。

「じ……じゃあ私も、ミシェルに!」

 ポケットを探り、もしものために持ち出した杖を取り出す。

「これからも、元気になぁれ!」

「おおっ……何だか、力がみなぎってくるよ!」

「えっ、本当に?」

 何も変わらないはずなのに、満面の笑みを向けられて首を傾げる。相手からおまじないを受けたらすかさず返し、互いに元気を与え合う。

 暗雲も眠気も吹き飛ばし、明日やるべきことは一旦忘れて言葉を交わす束の間の一時。

「そーれ、おまじない!」

「やったね。じゃあ私ももう一回!」

 隣にミシェルがいてくれることが、何よりも心強かった。


 耳に入る音が消え、自分の呼吸だけが断続的に聞こえる。

 ガルドは空を見上げた。詳しい時間は分からないが、どことなく人影を目にしたのもこの頃だった気がする。

 脈が速くなる。気を紛らわすために、背筋を伸ばした。

「……ん?」

 夜を明かすまでもう一息。油断してはいけないと気を引き締めた瞬間、外の景色に動きがあった。

 蠢く人影。全体像は暗がりで見えず、あまり背の高くない少年のような人物に思える。

 鈴に手をかける。しばらく様子を伺っていると、首が……

「っ!」

 無意識に目を逸らしてしまった。慌てて寝室を見るが、リッシュの様子は変わっていない。

 次に庭園。しかし、その人影はいなくなっていた。

「……何だったんだ?」

「オメーこそ、人のことを何ジロジロ見てんだ?」

 自分の気のせいだったのかもしれない。気を取り直し、持ち場に戻ろうとした刹那。

 外に見えていた少年の声。怪しい人影は、いつの間にかこちらの背後に迫ってきていた。

「なっ……!」

「おっと、そんな危ねェモン鳴らすなよ」

「く、離せっ!」

 自分のそれよりも僅かに小さな手、そのはずなのに。

 掴まれた腕は動かない。岩に挟まれたように、引き抜こうとすると逆に力を加えられる。

 少年は怒りも軽蔑もせず、無邪気な笑みを浮かべた。

「なァ、俺の遊び相手になってくれねえか?」

 小さな囁き。その一言が耳に入った瞬間、ガルドの首に手刀が加えられた。


 続く

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