第22話 踏み外す足、また暗雲Ⅱ
新しい場所での、大事な任務を控えて寝付けず、しかし瞬く間に過ぎていった数日の準備期間。
それでも胸を張って進まなければという想いを抱え、イリーナとミシェルは学校を後にした。
「……お二人は、ゴオツに行かれますか?」
「はい。よろしくお願いします」
出発を待つ乗客は皆、ワズランドでの用を済ませ、これからゴオツの街へ戻る貴婦人や、紳士たち。
過ごしていて孤独にはならないが、誰かの話し声も聞こえてこない、そんな不思議な感覚。
「何だか、ワイワイできる感じじゃないね……」
「うん。折角だし、外の景色でも眺めていよっか」
「そうだね。本読むと酔いそうだし」
互いに向かい合わせの席に座る。イリーナは時折視線を変え、窓の方を向くミシェルの表情を見つめた。
守られるのか、戦うのか。相反する意思は擦れ合い、納得できるような答えは結局出てこなかった。
いつの間にか馬車は動き出し、景色が移り変わっていく。
「……どうしたの?」
「ん……あ、いや、新しい所だからドキドキするなって」
思い付きで出た言葉だった。でもその通りに、目の前に広がる風景は荘厳なものに変化する。
窓から一度顔を出せば、誰かが手を振ってくれる賑やかなワズランドを抜け、街の至る所に屋敷がそびえ立つ、静かで穏やかなゴオツへ。
ワズランドを初めて訪れ、そして目にした時と同じく、違う国に来たような感覚だった。
「最近さ、カルミラにいた頃の記憶、薄くなってきたかも」
「そうなの?」
「もちろん、みんなのことはずっと覚えてるけどね」
いつかカルミラにも、様子を見に戻らないとね、と付け加える。毎日を過ごす場所が変わっても、最も大事なのは生まれ育った故郷なのだから。
「……また戻れるよ。呪術師をみんな殺せば、私とずっと」
「えっ、何か言った?」
「ううん。ほら、もうすぐ着くんじゃない?」
ミシェルが窓の向こうを指差す。メルアチアから貰った地図を片手に、今いる場所と照らし合わせた。
思っていたよりもあっという間だった。緊張が余韻を打ち消し、自分たちを次の舞台へと駆り立てる。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。また次もお待ちしていますね」
足元に気を付けながら、最初の一歩を踏み出す。
見る人によって、余分な雑音を許さない孤独の地にも、心を穏やかにする憩いの地にも思えてくるゴオツの街。
自分たちにとっては、これが初めての来訪だった。
「えーと……ここで良いんだよね?」
地図をもう一度見つめる。確かに、依頼者の家だった。
周りのそれよりも少し年季の入った、静かな屋敷。庭に植えられた美しい花と、建物の一部に生えた長い蔦が、どこか有機的な印象を与える。
門の前に人はいなかった。灯りも、遠くてよく分からない。
「合ってると思う。目印も正しいし」
「でも……勝手に入って大丈夫なのかな?」
「私が入るよ。イリーナは後ろに」
ついてきて、とミシェルが告げる。上下左右を確かめながら、彼女はゆっくりと足を踏み入れた。
また、頼ってしまった。せめて足手まといにならないように、その背中に手を添えながら距離を縮める。
「あっ、中から灯りが見える。人がいるみたい」
濃い木目の、どこか懐かしいドアを彼女が軽く叩く。しばらく反応は無かったが、待っていると向こうから規則的な足音が聞こえてきた。
「はい。何か御用でしょうか?」
穏やかで優しいが、力強い声。黒い服に身を包んだ、長身の男性だった。
こちらの姿が視界に入ると、その表情は僅かに緩む。
「魔法学校、属性科一年のミシェルです」
「同じく、一年のイリーナです。えっと……リッシュさんの依頼で来ました」
ふと扉の向こうを見る。赤い絨毯と大きな階段に日の光が差し込み、暖かい印象を与える。
しかしその風景とは裏腹に、目の前に立つ男性の他に人の気配は感じられなかった。
「ワズランドのイリーナさんと、ミシェルさんですね。お待ちしておりました」
考え事をしていたら、お辞儀をするのが一歩だけ遅れる。
「私はガルドと申します。この屋敷で、リッシュ様の執事を務めております」
「ガルドさん、ですね。初めまして」
「よろしくお願いします」
ガルドと名乗った男性に、こちらへどうぞと招かれ、恐る恐る屋敷の中へと入っていく。
別世界に足を踏み入れたような、華美な花とシャンデリア。きっと今から人生をやり直しても、辿り着けないと思えるような輝きと高揚感が溢れてくる。
不意に立ち止まりたくなってしまう。だが、やるべきことは他にある。
「あの、リッシュさんって、この屋敷の持ち主の方ですか?」
「お嬢様です。かつては旦那様と奥様がいらっしゃいましたが、今は私とリッシュ様のみです」
声が一瞬だけ、震えたような気がする。彼の背に、その理由を聞くことはできなかった。
「……リッシュさんは、今どちらに?」
今度はミシェルが口を開く。歩幅を合わせながら、ガルドはゆっくりと振り向いた。
「広間でお待ちです。この廊下の先にある、大きな扉の向こうにいらっしゃいます」
ここに来て緊張がじわりと増してきた。ここで護衛をするということは、常に彼女の身を守りながら、時に生活を共にするということ。
先に彼が扉の向こうへ歩く。先程ミシェルがしたのと同じように、コン、コンと優しくノックをした。
「リッシュ様、魔法学校のお二方が来られました」
しばらくすると、お入りくださいという声が返る。お辞儀をしながら、ガルドはこちらに微笑みかけた。
静かに扉を開くと、眩い光と明朗な声が同時に差し込む。
「初めまして、遠い所からようこそ」
黒い髪を団子にまとめ、花を象ったドレスを纏う少女。
頭に付いたティアラが光るが、全身を視界に収め、受ける印象は清楚で……穏やか。
誰もいない大広間に、唯一無二の輝きを放っていた。
「こんにちは、イリーナです」
「ミシェルです、初めまして」
少女の向かいに、隣り合う二つの椅子。優しい表情で頷かれ、大きな机に自然と誘われる。
「私はリッシュ。今は、この屋敷の主を務めています」
よろしくお願いします、と一礼。先程まで立ち込めていた緊張は、実際に声を交わしたことで薄まっていく。
「……しかし、私は今年で十六。イリーナさんやミシェルさんと、より近い立場でお話したいので、堅い言葉はこれきりにしましょう?」
「はい……あっ、じゃなくて」
思わず両手で口を塞いだ。ちゃんとしないと、と逸る気持ちを抑え込み、胸を押さえて深呼吸。
今は、彼女が最も望んでいるであろう言葉をかける。
「うん。よろしくね、リッシュさん」
絡まっていた糸が解れる感覚。ふと気配を感じて視線を動かすと、裏で準備を整えていたガルドが、人数分の紅茶とお菓子を運んできた。
甘い匂いと、鮮やかな色。最後に、湯気で心が温まる。
頬を僅かに赤く染めたリッシュがカップに触れるのを見て、こちらも静かに啜り始めた。
「二人は、ずっとワズランドに住んでいたの?」
「ううん、昔はカルミラっていう村に住んでた。私……魔法が使えるようになったのは、つい最近だから」
「私は、子供の頃から魔法が使えたよ。でも、去年まではカルミラにいたの」
イリーナと、離れ離れになりたくなかったから、とミシェルが付け加えて、少し嬉しい気持ちになる。
断片的な言葉ながら、リッシュは大きく相槌を打った。
「そう。それじゃあイリーナさんは、生まれながらの魔法使いじゃないのね?」
「うん。魔法使いになれたのは、ちょっとしたきっかけ」
「羨ましいなぁ……何だか」
含みのある言い方だった。しかしながら、悪意は感じない。
「私も、戦う力が欲しい。どれだけこの国のことや、魔法使いについて学んだとしても、大切なものは守れないから」
身に付けた知識では、生まれ持つ力に勝てない。沈んだ表情で語る彼女の視線は、真っ白なテーブルに映った。
「情けない、話だけどね」
「そんなこと無いよ。私は正直、最初は何も分かってなかったから……戦う、ってことを」
それでも、とイリーナは強張る自身を奮い立たせる。
個人の意識では難しいとクリスは言った。だが国が変わるためには、一人の決心がスタートになる、と思う。
今までも、そう信じて前に進んできたのだから。
「私は、リッシュさんのことが羨ましいよ」
「イリーナさん……」
「安心して。この屋敷とリッシュさんは、私たちが守るから」
言い終わって少し。声の震えは、隠せなかった自覚がある。
だがその後の感覚には、臆病だった時には掴めなかった暖かさがあった。
「三日前の夜、ここの門を通る妙な人影を目にしたの」
長い廊下を歩きながら、リッシュは深刻な面持ちで語る。
今は暗闇を知らない庭園と門。その時の光景を思い浮かべてみると、背筋に鳥肌が立ってしまう。
「普段、この辺りの人通りは?」
「夜はほとんど。それに最近、呪術師の目撃情報が出回っていたから、警戒していた矢先にね」
「確かに、そうなると怖いよね……」
話しながら、浴室や広間を見て回る。人を招いて、皆で時間を過ごすにはこれ以上無い場所。
そして、二人で過ごすには少し寂しい雰囲気の漂う場所。
「ゴオツは表面上、魔法使いと一般人が共生している。暴動や戦争も起きていないから、事が起きた時、冷静に動くことができるかがカギになってくるのよ」
パニックにならないようにね、と彼女は付け加えた。
見えないナイフを喉元に当てられているようだった。いつ刺されるか分からないまま、進み続ける無力感。
そして、一歩前にいたリッシュはふと足を止める。
「着いたわ。ここがイリーナさんのお部屋で、ミシェルさんはその隣を使って」
「おおっ、すっごく綺麗……!」
二人は入りそうな真っ白なベッドに、持て余してしまいそうな大きさの書斎、クローゼット。
学校の寮より良さそう、と言いかけた口をぐっと堪える。
室内に目立った埃は無いが、足を踏み入れても人の痕跡は見当たらなかった。
「リッシュさん、何かお手伝いできることはある? 戦いは大事だけど、それ以外でも力になりたいの」
リッシュの方に向き直る。申し訳無さと、期待に応えたい気持ちがイリーナの中で混じり合った。
「そうね、お掃除はガルドがやってくれているし、正直あまり必要は無いけれど、強いて言うなら……」
天井の輝くシャンデリア、格子の窓から見える青空、手入れされた美しい庭園。
その全てを見回した後、彼女は息を吸い込んで告げた。
「暇な時は、私の遊び相手になってくれないかしら?」
「……へっ?」
「遊び相手……?」
ミシェルとイリーナの、怪訝な表情が不意に重なる。
時が経っても、無機質な天井には変化が訪れない。
退屈な世界に諦めて目を瞑り、静かに眠る体勢に入っても、欠伸の一つも出てこない。
「……ひまだぁぁぁっ!!」
我慢の限界に達したクリスは、布団を勢いよく捲り上げた。
「やってられるか、バカタレ」
痛みは幾分か引いてきた。最低限の荷物を抱え、いつまでも代わり映えの無い寮を後にする。
教師たちが常に歩く、広い通路は避け、生徒たちの視界に入ると腕の包帯を隠す。
そうして辿り着いた先は、人のまばらな学校の図書館。
「叫ぶなよ、人が来る」
「完全に悪党の言い草ですね……」
腰を曲げ、受付に座る司書の女性に声をかける。唇の上に人差し指を添え、しっと小さく呟いた。
「外出禁止のはずでは? 貴方が思うよりも、その包帯は人の目を引きますよ」
「人の目を盗んでちょっぴり悪いことをするのが、この一年で学んだ最も大きい事柄さ」
「……何をお探しで?」
イリーナたちは、遠い場所で頑張っている。友達が勇気を出して戦っているのに、休むことはできない。
ならば自分にもできることをすると、そう心に誓った。
「シルビアが狙っている物品だ。三種の魔神器、という言葉に聞き覚えはあるか?」
司書は首を捻る。やはりダメか、とクリスが頭を抱えた。
「ありませんね。その魔神器というのは、武器ですか?」
「恐らく。確証はまだ無いが、呪術師も同様の物品を狙っているという話を聞いた」
周りに聞こえないよう、距離を詰めて小声で告げる。
危険を及ぼす物ならば、誰かの手に渡る前に押さえ、場合によっては破壊する必要がある。
間近で視線を合わせ、司書は渋い顔をしつつも頷いた。
「魔神の書籍で絞り込みをかけます。その先はご自分の手で」
「ちょうど手が空いていたところだ、ありがとう」
真っ白な紙に、魔神、とだけ記す。杖に魔力を込めると、その文字が生物のように浮き上がった。
「サーチ・オーダー」
数千はある図書館の蔵書のうち、任意の言葉が入った物だけが浮かび上がり、受付に積み上がる。
本が二十を超えた直後、光は消えて術式が役目を終えた。
「ここで読んでも?」
「まあ……構いませんよ」
「では失礼する」
この世界に魔法使いを生み出した創始者とされる魔神。クリスもあまり、意識して学んだ経験は無い。
ほんの僅かな勇気と知的好奇心を共に抱え、彼女は積み上げられた本の山に手を伸ばした。
「二人の魔神にはそれぞれ使者がおり、現世の罪人を裁くため、魔獣の上位種である神獣を従えていた……」
文字が進んでいき、夢中に読み進めるにつれ、身体に残っていた痛みが次第に薄れていく。
時間が湯水のように過ぎ去る。いつしか、まだ読んでいない本より、読み終えた本の方が高くなってきた。
「求めていたものとは、少し違うようだな」
「実の所、魔神に関する研究には嘘や迷信に基づくものも多いです。カルミラの奥にある山脈では、魔神の痕跡が数多く残っていると聞きますが……」
「実地に赴くのは、死も同然だな」
無謀にも調査に向かった者は、死因さえ定かにならない。
すきま風さえ吹かない穏やかな図書館の中で、背筋が少しだけ寒くなったような気がした。
「念の為、学園長に聞いてみては?」
「まあ……もし彼女が把握していれば、とうに伝達が来ると思うが」
そうは言っても、最後まで諦めるわけにはいかない。
パタリと本を閉じ、次に移ろうとしたクリスは、ふと手を止めて目を丸くした。
視線を動かした床の上に、受付から零れ落ちた本が一冊。
「……ちょっと待て、これは?」
腰を下ろして手に取る。薄く黄ばんだ紙の上に、メモのように文字が記された簡素な冊子。
他の整った本とは、一線を画す存在感を放っていた。
「正式に保管されている本ではありませんね。恐らく誰かが悪戯で置いて、偶然絞り込みに引っかかったのかと」
「どうなってるんだ、ここの管理は?」
「いや、普段こんなことは起きないはずですが……」
ため息をつきながら本を開く。大きく記された表題は、魔法の起源と魔神の存在。
僅かに滲んでいるが、目を凝らすとまだ読むことができた。
「……私は、ワズランド中央学校の生徒だ。生まれながら魔法の力が使えたため、他者から奇異の目で見られた。しかし、この学校で同じく魔法が使える生徒を見つけたため、今は彼女と魔法についての研究を進めている」
指で文字をなぞる。本当は、意味が無いと分かっていても。
「中央学校?」
「ワズランド魔法学校の昔の名称です。恐らく、二百年は前だったと思いますが」
「二百年前……魔法の黎明期、ベルドール・エーレンドが生きていた時代か」
この本の著者が一人と、同じく研究を進めていた女子生徒が一人。少なくとも、魔法使いは二人いたことになる。
先程よりも、心の奥底から興味が湧き上がってきた。
「この魔法の力は、誰が生み出したものか分からない。その正体を探るため、私たちはカルミラ村の果てにある、アリファ山脈へと足を運んだ」
死地と呼ばれる場所に立ち入り、生還を果たす。二人で成し遂げるには、あまりにも高い壁のように思えた。
しかしクリスの疑心を振り払い、文章はさらに続いていく。
洞窟には、古代文字で描かれた壁画があった。以下はその内容を、今の言葉に直した文章である。
相対する思想を抱えた二人の魔神。一人は生物の誕生を司り、もう一人は生物の絶滅を司る存在である。
彼らは常にこの世界の生物を監視しており、もし守護に値しない存在を見つければ、三種の魔神器を使ってその生態系を破滅させる。
いずれ、人間も他の上位種に置き換わる日が来るだろう。
時が来れば、魔神がアリファの頂に降りてくる。我々にできることは、日々の行いを省みることのみ。
つまり、魔法使いは人間が進化した種であり、魔神は今、私たちの行動を監視している可能性がある。将来、魔法の力を持たない人間を魔神器で滅ぼすために。
この本を手に取ってくれた、貴方に伝えたいことがある。
もし貴方が魔法使いで無いのなら、異端な存在である私たちに恐怖を覚えたかもしれない。
もし貴方が魔法使いなら、自分たちの居場所に困り、他の人間に恨みを覚えたのかもしれない。
でも、相手もまた人であることを忘れてはいけない。
誰を救い、誰を切り捨てるのか。そんなことだけを考える社会には、絶対になってはいけない。
置かれた立場に関係無く、誰もが手を取り合って未来へ進んでいける世界こそ、私たちが目指すべき到達点だ。
もし私や彼女が死んで、今までの研究が全て無意味になった時に備えて……
私たちの意思を、ここに遺しておきたいと思う。
「今、魔法使いは国民の五割だったか?」
「ええ……能力の強弱を問わなければ」
「人は異端を嫌い、弱者を排斥する。遠い昔の時代も、根幹は何も変わらなかったのだろうな」
魔法使いは守られる存在に、一般人は排斥される存在に。
誰もが失敗から学べなかった歯痒さと、自分の力では何もできなかった無情さが背中にのしかかる。
「三種の魔神器は生態系を操る。呪術師はそいつを悪用し、同胞を増やそうとしているということか」
どこまで読み進めても、魔神器の全貌は掴めなかった。
知っている者は、シルビアと呪術師だけ。いずれも、血を流さずに情報を得られるとは思えない。
選択肢が消えていき、最後に残るのは戦うことのみ。
「しかし、その本の著者は誰でしょう?」
「分からないな。ベルドール以外に、当時魔法使いがいたという話は聞いたことが無いが……」
ページを捲る。元より記録簿のような役割を担っていたそれに、人名と思われる文言は入っていない。
諦めかけたその時、最後の余白にそれは紛れ込んでいた。
「あったぞ、恐らくこれだ」
聞き覚えの無い名を、クリスはそのまま読み上げる。
「……ジョン・オウタム?」
時を同じくして、歩く人のいない白昼のボストレン。
「……ずるいと思わないかい、メラト?」
入口に準備中の札を掲げ、バーの店内は灯りが無い。
僅かに入ってくる太陽の光を頼りに、呪術師のリューズとメラトはワインを飲んでいた。
「何のこと?」
「グレオのことさ。前衛に出るのは酷だと思っていたが、後衛で人を待つのもそれなりに酷だ」
「……良いじゃないのよ、死期が遠くなったと思えば」
任を受けたのはグレオだった。魔法使いと決着を付けたいと告げても、戦わなければと頼み込んでも、リューズに返ってくるのは、無理の一言。
かつては自分の軸で、生きがいだったバーの営業が、今は雑用のように見えてしまう。
「どうせ死ぬなら同じことだ。大事なのは期間の長さでは無いよ」
声が大きくなった気がして、深呼吸をしながら抑え込む。
「そう? 生きるか死ぬか、選べるならやっぱり生きる方が良いと思うけれど」
「それなら、君はどうして戦っているのかい?」
グラスを置き、メラトがこちらを見つめる。沈黙が重苦しく、咳払いを一つ。
「逆上しない、ジョンさんには言わない……守れる?」
「敢えて面と向かって口には出さないが、僕は大切な仲間だと思っているよ、君を」
「……及第点ね」
念の為、徐に立ち上がって店内をぐるりと見回す。
常連客も灯りも消え、聞こえてくるのは風の音だけ、残っていた恐れは、辺りの風景で消え失せた。
「グレオ、リューズ、そして私。この三人の中で、まだ死人は出ていない。ただ戦っていく中で、誰かが散ることは容易に想像できるわ」
頭の痛くなる言葉だった。一瞬だけ視線を逸らし、グラスに映る自身の姿を見つめる。
「生き残って一人。でもストーリアが全て揃えば、犠牲に見合う実力は得られると思うのよね」
「その一人に、君は入りたいと?」
「ええ。完全体の力はまだ見えてこないけど、試してみる価値はあるわ」
不敵で余裕のある微笑み。彼女の表情から、その発言がどちらの意味かは分からなかった。
踏み台にされると取るか、自分が死んだとしても、その想いがメラトに継がれると取るか。
先程の言葉を軸に、リューズは後者の可能性を選んだ。
「どうだろうね、良くてエルア・ラーナと互角程度か。ジョン様の力は未知数だが、ひょっとするとそこに届くかも……」
音を立てずに、ワインを一口。苦みと高揚感が同居する特有の感覚に、鈍った感覚を研ぎ澄ます。
その時、ふと言葉の中に隠されていた鍵に気が付いた。
「おい、まさか……!?」
「それが答えよ、リューズ」
試してみる価値。その大きなゴールに繋がるのは、届かない存在を掴むための努力。
「私は貴方を信用している。だからせめて、貴方も私を信用して貰うわよ」
メラトが先にグラスを置く、ふと手元を見ると、彼女のそれはとうに空となっていた。
ありがとう、と手を振った後、背を向けて立ち去る彼女。
呼び止めようにも面食らい、まともに言葉を伝えることさえ叶わなかった。
「……こいつは、一本取られたな」
後を追うようにワインを飲み干す。自分の抱えた弱さが、また一つと増えた気がした。
続く




