第六話 風呂
書き直したら改訂前と比べて長くなってしまった。約六千字弱です。
応接室から離れた部屋で待機していたコリンズが俺に歩み寄る。
「お疲れ様です。どうでした?」
「私の望みがあまりにもささやかだったもので、国王陛下が申し訳なさそうな顔をしておいででした」
「はあ、それはそれは」
「逆に訊きますけど、歴代の勇者様たちはどのような望みを口にしてましたか?」
「大金持ちになりたいとか美女を侍らせたいとか、一国の主になりたいと申す者もいたようです」
「……欲望に忠実ですね」
そんな願いをした者たちは年若い者ばかりだったんだろうなと、呆れた気持ちになり、俺が若い頃もそうしていただろうなと反省した。
あまりにもわがままを言い過ぎた奴は、不審な死を遂げたのだろうけど。
物騒な考えが脳裏を掠めたが口には出さなかった。
「……故郷に帰った者はいないのですか?」
「数は少ないですが、おりますよ。勇者殿と同じく残してきた家族が待っているからと」
「ふむふむ」
「中には家族と不仲で、心機一転してここで新たな生活を始める方もいらっしゃったそうです」
「まあ、いるでしょうね」
世の中、家庭円満ならいざこざは起きない。
「ところでそろそろ夕食の時間なのですが、ここで食べていかれますか?」
「ああ、私にとっては敷居が高いので、どこか適当な場所で食事を取れたらなと思ってます。……厨房の賄いでも構いませんよ?」
「いえ、さすがに勇者殿にそれはどうかと。食堂に案内します。ついてきてください」
「分かりました」
食堂は登城した貴族を出迎えるためのものか、かなり室内の広い場所へ通された。
勇者一人のためにここまでされると恐縮してしまう。
この国が豊かな証拠かな。食事は一人で食べきれる量を頼んでおいたけど、……過剰じゃなければいいなあ。
俺の心配をよそに、食事量は多くもなく少なくもなく、フランス料理っぽかった。学生時代に習っていて良かったテーブルマナー。
食事中に壁際にずらりと並ぶ幽霊メイドたちが壮観だなあ。
魔法の照明でくまなく照らされる室内を、それとなく見回しながら食べる。
ここまで持て成さなくてもいいのに。というかあれか、貴族の格式というか見栄か。
恙なく食事を終え紅茶を飲み、一緒に食事をとっていたコリンズに声をかける。
「この後の私の予定ってどうなっているんですか?」
「風呂に入られて就寝となっておりますが、何か?」
中世ヨーロッパ風と見ていたのであるが、ぎょっとする。
「風呂に入ることができるのですか? 水や薪は貴重だったりしませんか?」
「ご心配には及びません。水や火は魔法で足りてしまいますので」
「……便利ですねえ。ということは、平民の家庭でもそれが一般的と?」
「一般家庭で使われる水の量と火であれば十分可能です」
「へええ」
魔法文明は意外にも発達していた。
てっきり、魔法は貴族のみでしか使えないものだとばかり思ってた。
意外に思っていると、コリンズが不思議そうな顔で尋ねてきた。
「失礼ですが、勇者殿の故郷では風呂は一般的ではないのですか?」
「気軽に安武と呼んでください。いえ、一般的です。病気を遠ざけるためと健康のため、清潔に保つのが主な理由です」
「それはこちらも同じですね」
彼の話を聞いていると、存外日本の文明とあまり差は無い気がしてきた。
しまったな、この世界に銃が存在しているかウェスティンに訊くのを忘れていた。
そう反省するも、逆に思う。
不用意に相手に存在を教えて、万が一実用化されたら困るから言わなくて正解だったかも。
銃がこの世界で実用化された場合、脳裏をよぎるのは第一次世界大戦のペタン要塞攻略戦だ。あれ一つ獲るのに十万人が犠牲になったのだったか。
勇者が教えたばかりに大量の死者が出るというのは避けたい。
「では、浴室へ案内します」
「お願いします。あ、でも着替えがありません」
そういえば着替えを持たされていない。
「ご用意しておりますのでご安心ください」
「お手数おかけします」
「いえいえ」
そして浴室。
広い、以上。
と表現したものの、日本風に言えば昭和時代の風呂屋さんの浴場に近い。
やっぱり過去に来た勇者に日本人がいただろ、これは。
コリンズは親切にも勝手が分からないだろうからという理由で同行している。当然お互いに裸だ。
それは良い。良くないのは……。
ちらりと視線を走らせると壁際に幽霊メイドが複数いるのが見える。
正直、落ち着かない。
「どうかなさいましたか?」
「ああいえ、メイドたちの世話にならずに風呂に入るのが普通でしたので、戸惑っています」
「なるほど。ですがお気になさらず、背景か何かだとお思いください」
普段から慣れていると思われる、少しも動じないコリンズに感心した。
いや、こっちが落ち着かないんだよ。幽霊とはいえうら若き女性だぞ。
もたもたしているのもどうかと思ったので、さっさと目的を達成することにした。
風呂に入る礼儀として、まずは体を洗って汚れを落としてから湯船に入ることにする。
近くにあった椅子に何気なく座った直後、背後に気配が生まれた。
『お背中を流させていただきます』
「うひぃっ」
いきなりのことで思わず変な声が出た。
足が滑らないように注意しながら中腰で振り返ると、石鹸を持った幽霊メイドが膝をついた姿勢できょとんと俺を見ている。
「あ、いや、自分でできますから。間に合ってます」
『それでは私たちの存在意義がありません』
意味不明の返答があって頭が痛くなった。
背中を流さないだけで揺らぐ存在意義とは一体……。
内心困惑していると、別のメイドに背中を洗われているコリンズが声をかけてきた。
「ヤスタケ殿、落ち着いて。彼女たちも己に課せられた仕事がございます。素直に背中をお預けください」
「ええー」
メイドを見て思案する。
……背中くらい何だ、郷に入っては郷に従えと言うじゃないか。
男は度胸、とメイドに背中を向けてどかりと椅子に座り直す。
「やってください」
『では、失礼いたします』
ぺたり、と掌を背中に直接つけられたような感覚がした。
え、もしかしなくとも素手で洗うのかよ!?
他人の手で洗われる感触は気恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと待って」
『はい、どうかしましたか?』
「体を擦るタオルみたいな物はありますか? できればそちらで洗いたいんだ」
そうとなれば断固拒否して自分で洗った方が良い。
『こちらです』
「ありがとう」
予め用意していたのかタオルを渡される。
そうそう、こういうので良いんだよこういうので。
違和感に気づいた。
タオルは綿で出来ているようだが、感触がごわごわする。
これで擦ったら肌がぼろぼろになるんじゃないだろうか。
え、王様が住む城でこれか?
トイレと違って技術がちぐはぐしてるな。
「…………すみません、やっぱ素手でお願いします」
『はい、かしこまりました』
素直に洗われることにした。
我慢だ、我慢……。
ある意味で拷問に等しき所業を耐え抜き、何事もなく背中を流され終わった。
『終わりました』
「……ありがとう。それでは……」
後は自分で洗うからと言おうとしたが、メイドが言葉をかぶせてきた。
『次は前を向いてください。洗わせていただきます』
「さすがに拒否するわ、恥ずかしい!」
思わず素が出た。
『えー』
女性が表情を変えないまま抗議らしき声を上げた。
声が棒読みだ。面白がってるだろう!
精神的な頭痛に悩まされていると、コリンズが会話に割って入ってくる。
「からかわれていますよ。……気にしないでください、本来は前は自分で洗います」
コリンズはどこか疲れたような笑みを浮かべる。
そうだろうと思ったよ。
内心でため息をつきつつ、気を取り直してメイドにぴしゃりと言う。
「石鹸を貸して下さい。自分で洗うので」
『分かりました、どうぞお使いくださいませ』
俺が突き出した掌の上に、メイドは微笑みながら石鹸とごわごわのタオルを手渡した。
……タオルは使わないでおこう。
こうして、何とか全身を洗い終わった俺は無事、コリンズと風呂に入ることになった。
「コリンズさん、幽霊メイドのあしらい方が上手いですね。コツを教えていただけませんか?」
「経験ですかねえ。私も若い頃は散々からかわれましたよ」
対面でコリンズはしみじみと語る。
俺の年で経験積んでも意味が無い。長くこっちに留まるつもりなんて無いし、どうせすぐ故郷に帰るからな。
それよりも彼女たちを心配する気持ちが持ち上がってきた。
「メイドさんが目上の人にあんなにはっちゃけていると、見ていて心配になってくるんですけども大丈夫ですか?」
「ごく親しい人にしかからかわないのですが、不思議ですねえ。」
「私、初対面のはずなんですが……」
舐められているのか、人物像を把握しようとわざとやっているのだろうか。
「それと彼女たちには物理攻撃は全く効きませんので、むきになるだけ時間の無駄ですよ」
実体が無いからすり抜けてしまうのだろう。逆に言えば、魔法なら効くという彼の回答に納得する。
あれ、じゃあ何で彼女たちは物体に触れることができるんだ?
彼女たちの意思で自在に触れたりすり抜けたりできるということか。
「怖がられたりしないんですか?」
「彼女たち幽霊族は基本、人間に対して友好的ですので」
「そうなんですか……。いや、待ってください、この世界って魔物とかいたりしますか?」
「いますよー。それがどうか……、ああ、なるほど、幽霊族は魔物ではありませんよ。魔物の中に悪霊と分類されているのが存在しますが、彼らは元は人間種が死んだ後、変化するもので、対する幽霊族は一つの種族です」
「つまり?」
「二つは似て非なるもので簡単に見分けがつきますよ。何故かと言えば、悪霊は生きている人間に対して無差別に襲いかかってくるからです」
「へえ。……ここに来る前に耳にしたんですけど、メイドが人間だと貴族がお手付きして望まない子供が生まれ、諍いのもとになるので幽霊族をメイドにしたとか」
「はい、そうですね」
「本当にそれだけで雇ってるんですか?」
「他にも色々ありますよ」
「……例えば?」
「…………貴族と言うのは自由恋愛はあまり許されていません。貴族同士の取り決めで許婚になったが互いに相性が悪かった場合、王立魔法学園に在学中に限り良き伴侶を見つけ婚約し直すこともありますね」
貴族の世界は窮屈なんだな。
「ただし見つけられず他に良い物件に巡りあえなかった場合、契約のもと結婚せざるを得ないのですが……」
結婚できるだけましだろう。
「主に妻が嫌がるんですよ。『交わってまで子を成したくない』と」
「でも、そうしないと血筋が途絶えちゃいますよね?」
「そこで幽霊族の出番です」
やっと本題か。
「幽霊族の役割のひとつが、夫から出た子種を妻の胎内に移すことです」
「……ん?」
理解が追いつかん。
「すいません、意味が良く分かりません」
「失礼ですが、ヤスタケ殿は子供の作り方はご存知で?」
「学校で習いますので知ってます」
「では飛ばします。……要するに、男女が直接交わらずに妻を身籠らせます」
「ん、え? ……何となく理解はしましたが、奥さんはその手法でよろしいので?」
「『嫌いでもないが好きでもない男の肉の一部が中に入ってこられるのはお気に召さない』という事だそうで」
「……家庭崩壊寸前なのでは……」
「離婚なんてしようものなら、他の貴族から表に裏にの陰口が酷いですよ。それを理解しているから多少は我慢するんです」
「うーん」
額を揉む。
貴族も大変なんだな。
「この方法を我々は介入受胎と呼びます」
「介入事態?」
「受胎です、受胎」
「はあ」
無意識にため息を吐いていると、コリンズはところで、と話題を変える。
「明日のご予定なのですが、ヤスタケ殿を魔法学園へ案内します。入学……というか、今の時期だと編入手続きをしていただく事になります。ちなみに中等部と高等部、それに学力と実力次第では専門科を掛け持ちで学んでいただきます」
「いきなりですね」
「戦争中ですので、国はヤスタケ殿をなるべく早く戦力化したいと考えておいでです」
「言語理解の魔法をかけられたのですが、読み書きも応用可能ですか?」
「昔は無理でしたが、改良を重ねたおかげで可能となりました。幼子たちと一緒にお勉強する必要はありません」
「ほお、便利ですね。……ん? ということは、幼子たちに言語理解の魔法をかけてしまえば勉強の意味は無いのでは?」
「あの魔法、大人相手に使うならまだしも、子供に使うと耐えきれずに頭がぱあになる可能性が高いのでできません」
「おい」
無意識に出た突っ込みは異様に低い声だった。
そんな危険な魔法を俺に使ったのかよ!
半眼になる俺にコリンズは両手を見せる。
「まあまあ、言語理解の魔法は一般的に使用されている安全性の高い物です。他国の言語をいちいち勉強する手間が省けるので、商売をしている者たちがこぞって利用しています」
「……ということは、私が故郷に帰れば、色々な国の人間との会話が勉強無しでできるということですか」
「そのように考えていただいて結構です」
「……ちなみに、この魔法の効果は一時的なものですか?」
「いえ、一度使用されれば永続的……死ぬまで有効です」
「いよっしゃ」
両手を拳に握って喜ぶ。
今の会社をクビになっても、すぐに再就職できるな。というか、引く手数多ではなかろうか。
強制的に呼び出されたことに不快感を抱いていたが、恩恵もあったことが分かったので、まだ他にも不満はあるものの無理矢理納得することにした。
その後特に必要な連絡事項は無く、この世界の日常的な世間話を聞いて風呂から上がった。
故郷に帰還できる日が来るだろうか? 大騒ぎになってるだろうなあ。親父もお袋も心労で倒れなきゃいいけど。
そんな悩みを脳の片隅に押しのけ、用意された寝室までコリンズに案内され、今夜はここで就寝することになった。
ちなみに寝室も広い。ベッドも大きい。一人で寝るには過剰ではないだろうか。
『何か御用の際はこのベルをお鳴らしください。では、良い夢を』
幽霊メイドはそう言って、扉を開閉せずに廊下へとすり抜け出て行った。
「横着するなよ……」
幽霊だからできる芸当に半ば感心しつつも、残り半分は呆れる。
特に用も無いので早々にベッドに潜り込み、今後の事を考える。
勉強、苦手なんだよな。
暗記は得意だったが、あくまで雑学といった趣味丸出しの方に偏っていたため、中学高校と成績は悪かった。
今日は色々ありすぎて精神的に疲れた。
明日以降の不安を抱えつつ悶々としていたが、眠気が増していつの間にか意識は闇へと落ちていった。
次回の投稿は明日の22時前後を予定してます。それでは。