第四話 謁見
四階まで登り、人の背丈の二倍もある両開きの扉を衛兵の介添えで潜る。
そこはまるで別世界だった。
天井は所々丸みをおび、羽の生えた天使などが細かな絵画として描かれているのが見えた。
赤い絨毯の両脇に衛兵たちが一定間隔で槍を立てて並んでおり、その背後に恐らくこの国の貴族であろう者たちが立ち並んでいる。正面に二つの椅子が並んで置かれており、片方は王座でもう片方が玉座と思われた。二つともまだ誰も座っていない。
補佐役に連れられて王座の十m手前まで進むと、補佐役がしゃがんで右ひざを絨毯に押し付け頭を下げた。見様見真似で俺も同じ姿勢をとる。
「国王陛下と王妃陛下のおなーりー」
誰かは分からないが、男が全体に響くほどの声で目上の来場を告げる。
複数の気配が歩いて前方を横切り、王座と玉座に座る音が聞こえた。
「皆の者、苦しゅうない、面を上げよ」
「勇者殿、顔だけを前に上げてください」
王の言葉の後に補佐役が俺だけに聞こえるように小声で言ったので、ゆっくりと顔を上げてみる。
二つの椅子には豪奢な衣装を着た男女が座っていた。
椅子に座る男女の年の頃は化粧をしていて分かりにくいが、四十か五十か、そのくらいだろう。
王が威厳に満ちた声で話しかけてきた。
「はるばる遠い所から、我らの呼び声に良く応えて来てくれて嬉しく思う。我が国は現在、魔王領から進軍してきた魔王軍と我が軍が軍事国家の国境で一進一退の攻防を繰り広げており、予断を許さない状況である。……ただ、ここしばらくの間は小康状態でお互いににらみ合っていると言った方が正しい。我が軍はそこまで疲弊してはおらんが、いつ均衡が崩れてもおかしくない」
王はそこまで言うと一息ついてから再び話し出す。
「そこで、勇者召喚に応じてくれた勇者殿に少数の協力者と共に魔王領へ潜入、魔王を討ち果たしてほしい。それで国境に陣取る魔王軍は瓦解し、我が軍は一気に有利になるだろう。見事、魔王の首を持ち帰った暁には望む報酬を与えよう」
おお、と両脇にいた貴族たちが小さくどよめく。
王が手を上げるとどよめきが治まる。
「……と言いたいところであるが、我が娘と婚姻を結びたいという無理や無茶な金銭の要求は却下させてもらおう。聞けば勇者殿は残された家族のため故郷に帰りたがっている様子。我が娘を嫁にやることもやぶさかではないが、手の届かぬ遠い所まで連れていかれても大変困る。その代わり、国庫が傾かない程度の金銀財宝を与えよう」
先ほどではないが貴族たちが小さく騒めく。
多数の人間が囁き合っているため聞き取りづらいが、概ね納得しているようだった。
どうやら王の娘と繋がりを持つこともそうだが、新たに領地と貴族の位を与えられないか警戒していたようだ。
そんな面倒な事、こっちからお断りだ。
大体、俺に領地を経営する才能なんてない。自身が持っている無属性と闇属性の魔法が領地を運営するほどの相性が良いかと問われれば否、と答えるだろう。……現時点では。もしかすると隠れた才能があるかもしれないが、あまり期待しても良くないと考える。
これが土属性であれば、土木工事で貢献するために一念発起していたかもしれない。
どこかに気立ての良い女と結婚して、故郷に連れ帰ることができればそれで十分だ。
脳裏でそんなことを考えながら王に対して礼を言う。
「格別なる配慮、ありがとうございます」
「うむ」
そこへ王座の脇に控えていた文官らしき男が進み出て、紙の文書を読み上げ始める。
羊皮紙ではなく紙が実用化されているのかと感心しながら聞く。
「勇者殿は直ぐに魔王領へ行くわけではございません。聞けば、本人は戦の経験が全くないそうですが、魔力測定を行ったところ、《《それなりに優秀な》》数値をたたき出したとのこと。このことからまずは王立魔法学園に入学し、戦力の底上げを行うとのことです。また、彼と同行する者たちを在校生から選抜し、勇者殿を手助けするよう計らいます。以上です」
文官の言葉に貴族たちは隣り合う者と小声で話し合っている。表情が笑顔なので彼らにとっても悪くないと考える。
「勇者殿、ご苦労であった。下がって良いぞ」
「はっ」
王に言われたので退室することにした。コリンズも一緒だ。
「勇者殿、お疲れ様でした」
「いえ、そんなに発言することがなかったのでありがたかったです」
事実である。
いきなり転移したばかりで話を詰められても、というのが正直な感想だ。
何か、街頭のセールスに取っ捕まって商談を進められている感じに近いよな。
どうしても胡散臭さが拭えない。
俺が若い頃だったら、異世界転移して勇者と呼ばれた時点で浮かれるだろうなあ。
それだけの人生を歩んできた身としては、逆に警戒するに越したことはない。
そんなことを考えていると、コリンズに近寄って来た男が彼に耳打ちして去っていった。
何か起きたのだろうか。
「勇者殿、国王陛下が応接室にて会談がしたいと仰せです。移動しましょう」
「え、あれで終わりじゃないのですか?」
「先ほどのは、あくまで貴族たちに貴方様をお披露目するという形だったのですが、これ以後のことの詳細をこっそり詰めておきたいとのことです」
「ああ、そういう……。分かりました」
要するに、貴族に不満が出るかもしれない取り決めを裏でやってしまおうと言いたい訳だ。
まあ政治家にとっては領地や爵位を有力者に与えることができないというのはこの国に繋ぎとめられない、いずれこの国を去る可能性があるということだもんな。
魔力測定で異常な数値を出したのが原因だろう。
たまたま購入したカードゲームのスーパーウルトラなんちゃらレアカードを引き当ててしまったようなものだ。
手放したくないに違いない。
コリンズの後に付いていき、応接室に入る。
密談するための場所なのか、他の部屋との距離が多少開いており、若干小さな部屋だ。それでも最低十二畳の広さはある。
「ここで少々お待ちください。ところでお手洗いに行く必要はございませんか?」
「あ、そうですね、今のうちに済ませておきたいですね」
「それではこちらへどうぞ」
この世界のトイレというのはどんなものかわくわくした。
トイレの区画に入り内部を観察する。
うん、男女の区別がついていて……臭いがしないな。ほのかに柑橘類の香りがする。
男性用トイレは各個室に水洗タンク付きの洋風大便器が据え付けられており、反対側に水洗付きの小便器が並んでいた。奥の方には窓と壁際の隅の方に換気扇が取り付けられている。
現代の日本の公衆トイレと変わらないな。やっぱ日本人が過去に呼び出されていたんじゃないか?
内心苦笑しながらも、使い勝手が変わらないことに安堵して用を足す。便器の脇に各種スイッチがあり、流すという文字が書かれているスイッチを入れると水が汚物を流していった。
王族やその関係者が利用するからここまでの設備になっているんだろうけど、庶民はどんなものなのかね。……ってトイレソムリエか俺は。
つらつらと考えながら応接室に戻る。
まだ王様は来ていないようだ。補佐役にどこのソファーに座れば良いか聞き、幽霊メイドの紅茶を堪能したところで王様がやって来た。
カップを置いて立ち上がり王様と正対する。
「待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
「ああ、座って良い。これから詰めておきたい話があるのでな。それとこの場ではいちいち畏まらずとも良い、堅苦しいのは疲れる」
「……努力します」
王様に言われて座るが、遥か目上の人に対しての普段通りの喋り方はきつすぎるだろう。下手すればその場で不敬罪で殺されかねん。
コリンズが退室していった。
王様は俺と対面のソファーにどっかりと座る。
「まずは挨拶といこうか。俺はこの国の王でケビン・アングル・ウェスティンと言う」
「氏が安武、名が典男と言います。よろしくお願いいたします」
「さて、ヤスタケ殿との大まかな契約内容はさっきの謁見の間で交わしたところだが、細部をどうするかなんだが、……何か希望はあるかね?」
俺は紅茶を一口飲んでしばし考える。
どうする? この場にはアンリたちがいないようだし、踏み込んだ発言をしても大丈夫か?
とりあえず、本題には入らずに遠回しに尋ねてみる。
「この部屋は《《掃除》》が行き届いていますか?」
「俺のメイドたちは綺麗好きだからな、ぴかぴかだぞ」
ウェスティンの返事に安堵する。
なら本音を出しても問題ない、かな。
この国の頂点なのだ。誰か一人くらい信用しておかないと精神的に疲れてしまう。
「アンリ大長老とは仲が良いのですか?」
「ふむ。酒を飲む仲ではないが、執務の上では気兼ねなく話し合える程度には、だな」
ウェスティンの返事を吟味する。
仕事は円滑に進めることができるが、腹を割って話すほどの仲ではない、と解釈してもいいのだろうか?
そもそも俺の事情をどこまで伝え聞いているのかどうかが問題だ。