第7話 安い愛
「ごめん、待った?」
もう少しで日が落ちてしまいそうな時間になってようやく現れた花楓は、右手で頭を掻いている。
ちなみに、私達が落ちあっている場所は、図書室じゃない。
もう18時を過ぎてるから、図書室は閉まっちゃったんだよね。
半ば強引に追い出された私は、仕方がないから自販機コーナーのベンチに腰かけて待ってたってワケ。
もちろん、花楓にチャットを送ってたから、行き違いにならずに済んでる。
「かなり待ってたけど、そんなに話長かったの?」
「そう、ホントにさぁ~。学生の時間を何だと思ってるんだろうね? 喉乾いたなぁ。スーミィは何にする?」
「抹茶オレで」
「あ、それ美味しいよねぇ。ワタシもそれにしようかなっ!」
花楓から紙パックを受け取った私は、軽く礼を言いながらストローを挿した。
そして、1口だけ抹茶オレを飲んだ後、気になってたことを口にする。
「で。結局アンタは何をやってるの?」
「気になる? ふふふ。気にされるのって、結構嬉しいもんだねぇ」
「喋るつもりが無いなら、私はもう帰るけど」
「またまたぁ~。ツンツンしちゃってぇ……って、ちょっと!? そんなに急いで飲み干す必要ないんだよ!?」
はぐらかそうとする花楓を見た私は、持っていた抹茶オレを一気に飲み干して、ゴミ箱に捨てた。
もちろん、すぐに帰るために。
そんな私にしがみ付いて来た花楓は、頬を膨らませながら抗議の視線を向けて来る。
「花楓ってあれだよね? 普段あまり人と話さないから、距離の詰め方が分かって無いよね」
「それはスーミィも同じでしょ? いいじゃん。仲良くなれるんなら、一気に仲良くなった方が、絶対に楽しいんだから」
「絶対に、ねぇ……」
「まぁまぁ、今は落ち着いて話をしようよ。ほら、ここにお座りなさい。硬くて座り心地の悪いベンチだよ」
「それはどんな誘い文句なの?」
そう言いながらも、花楓の隣に腰を下ろした私は、彼女に視線を投げた。
もちろん、私が投げたその視線の意図を、花楓は完全に理解しているはず。
「何をやってるの、かぁ……そうだなぁ。簡単に説明すると。佐藤さんの感情を消費させようとしてた。ってのが、分かりやすい言い方かな」
「いや、ごめん。全然意味わかんない」
「そうだよねぇ。だけど、スーミィも見たはずだよ? 今回で言えば、そう、裁ちバサミが彼女の感情になるのかな」
「ねぇ、説明する気ある?」
「べつに冗談を言ってるわけじゃないんだって! ほら、スーミィも見たでしょ? 佐藤さんが裁ちバサミを持ってた所。あの時、彼女の様子が変だなって思わなかった?」
「それはまぁ、確かに変だったけど」
変。と言うほど漠然とした印象じゃない。
あれはもっと普遍的で、明確なもの。怖い。と言う感情が似つかわしい気がする。
「そうだね。何をするか分からないような雰囲気。確かにあの時の佐藤さんは、怖いって思われてもおかしくなかったかもしれない」
「それを見たから、何なの?」
「あの時の佐藤さんは、いわゆる暴走状態だったんだよ。胸の内から溢れだす感情に身体が支配されて、理性を失った状態。私はそうなった彼女の感情を減らそうと、1週間ずっと頑張ってたんだ」
「暴走……裁ちバサミが彼女の感情って言ったけど、それはどういう意味?」
「簡単だよ。スーミィも聞いてたでしょ? 佐藤さんは祇園寺君に未練があった。だけど、その未練と同じくらい強烈な感情が、彼女の中に生まれ始めてたんだよ。それは、祇園寺君との縁を断ちたいって気持ち。それが具現化しちゃったのが、あの裁ちバサミってワケ」
元カレに対する未練と、それを断ちたいっていう気持ち。
矛盾してる2つの感情たちが具現化したものが、裁ちバサミ。
なんていうか、理屈として通っているようないないような、釈然としない気分になる。
何か1つ、大きなピースが欠けてしまってるような気がした私は、おもむろに花楓に目を向けた。
「さすがはスーミィだね。もうそこに気づいちゃったかぁ……」
「そんな不思議な話が、身の回りで頻繁に起きるわけないでしょ?」
「それもそうだね。そうだよ。スーミィが察してる通り。今回の佐藤さんの件、確かに感情自体は佐藤さんのそれが原因だけど、根本的な原因は他にある」
そこで一度口を噤んだ花楓は、大きく深呼吸をした後、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「彼女が……ううん。そうじゃないね。ワタシが居る限り、周囲の人は彼女と同じようになる可能性があるんだ。原因も分かってる。ワタシが人の心を読んでるから。まぁ、心を読むのを止めることはできないんだけどね。勝手に流れ込んで来ちゃうから」
「花楓が人の心を読むと、感情が暴走するってこと?」
「うん。もっとわかりやすく言うとすれば、ワタシが人の感情を引きずり出してしまってるってことなのかな?」
「……だから、自分で解決しようとしてるんだ?」
「まぁ、そんなところかな。あんまり迷惑、掛けたくないしね」
珍しく気落ちしてるように見える花楓。
そんな彼女の肩に私が手を置いた瞬間、驚いたような表情で花楓がこちらを見てきた。
「スーミィ……良いの?」
「わざわざ聞く必要ある? どうせもう、本音は分かってるんでしょ?」
「でも」
「抹茶オレ、もう1本ね。それでチャラにしてあげる」
「嘘だぁ~。ことあるごとに奢ってもらおうって思ってるじゃん!」
「そこはほら、本音と建て前ってヤツよ」
私の言葉を聞いた花楓は、一瞬キョトンとした表情を浮かべると、すぐに笑い始める。
そんな彼女の笑顔に釣られるように、私も思わず笑ってしまった。
こうして友達と一緒に笑うのはいつ以来かな?
自然と花楓のことを友達だと認識してる自分に驚きつつも、隣で笑う彼女を見て、改めて納得してしまう。
『須美ちゃんとなら、仲良くなれる気がする』
ほんの数日前に彼女に言われた言葉の意味を、私は初めて理解した。
だってそうでしょ?
花楓なら、やろうと思えば私の記憶を自由に弄り回して、強引に仲間に引き入れることだってできるはず。
そしてそれを思いつけない程、彼女の思慮が浅いわけじゃない。
だけど、その選択を花楓はしなかった。
隣の席の彼女は、世界の全てを見透かして、それでもなお、まっすぐに生きようとしてる。
それはきっと、大変なことだと思う。そう思ったから、私は彼女の手助けをしたいと思った。
隠すか隠さないか、見え方に差はあるけれど、本質はきっと変わらない。
完全に陽が落ちて自販機の灯りが存在感を増した頃、2本目の抹茶オレを受け取った私は、その場ですぐに飲み始める。
気のせいかな? 1本目よりもおいしい気がする。
「気のせいじゃないよ。だって、ワタシが愛を込めて、100円を入れたんだもん」
「安い愛だなぁ」
そんなやり取りの後、顔を見合わせた私達はしばらくの間、談笑した。