第61話 私の隣の席
学校が変われば、環境が変われば、私の周りの何かが変わるんだって。
高校に入学したばかりの私は、そう思い込んでた。
そんなちっぽけな希望に縋り付くためだけに、私は親に無理を言って、地元から遠く離れた高校を受験したんだ。
逃げ出すために。
誰にも知られていない場所で、新しい自分の人生を生きて生きたい。
だけど、そんな簡単に人間が変わるワケ無いよね。
だってそうでしょ?
どれだけ遠くまで逃げ出したところで、私の人生は、全てが地続きなんだから。
クラスに馴染もうとしても、中学校の頃の嫌な記憶が意思を蝕んで、何もできなかった。
多分、周りの皆からしたら、私はすごく付き合い難い人って思われてたんじゃないかな?
それだけでも苦痛だったのに、気が付いた時にはさらに事態は悪化してた。
当たり前だけど、歩けば足跡が残る訳で、そんな足跡をたどれば、誰がどんな道を歩いてきたのか知ることができるよね。
それが、過去って言うもの。
足跡だけなら、まだ別に良かったかもしれない。
だけど私の場合は、それだけじゃなかった。
地面に這いつくばって、沢山の人から逃げ出すために藻掻いた跡が、至る所に残ってる。
そんな跡を見ながら、皆が言うんだ。
大心池須美はここで、あんな風に暴れてたらしいよ。って。
荒れた大地から巻き上がった大量の砂粒が、噂と言う風に乗って、私の背中に突き刺さってくる。
その噂が襲い掛かったのは、なにも私だけじゃない。
気が付けば、母さんと父さんが頻繁に喧嘩をするようになっていったんだ。
事情を詳しくは聞けてないけど、家のローンだとか、学校での私の様子だとか、そんな言葉だけが聞こえて来たから、まず間違いなく、私のせいだよね。
こんな私と、友達になってくれるような人は、誰も居なかった。
クラスの誰も、ましてや、隣の席の人と話したことすらない。
だから私は、保健室に逃げ込んだんだ。
外の世界から隔離されてるここなら、きっと吹き付けて来る砂粒から身を守れると思ったから。
そして私は、そこで初めて桜先輩に出会った。
「いらっしゃ~い! あれ? 見ない顔だね。新入生かな?」
窓の近くの椅子に座って外に咲く桜の花を眺めてたらしい彼女は、椅子に片足を乗せたまま私の方を振り返る。
長いサイドテールを穏やかな風に靡かせる彼女の姿に、一瞬呆けてしまった私。
すると彼女は、何か面白い物でも見つけたように言ったんだ。
「もしかして、君もここに逃げ込んで来たクチかな?」
この時、私はなんて返事をしたんだろう?
よく覚えてない。
だけど、先輩が良くしゃべってたことだけは覚えてる。
それからというもの、私は保健室で過ごすことが増えていったんだ。
私が部屋に入ると、大体いつも桜先輩が先に居て、2人で色々な話をする。
まぁ、大半は桜先輩が話してばっかりだったけどね。
絵を描くのが上手い彼女は、時折私に絵を見せてくれた。
その中でも一番印象的だったのは、黄色い花の絵だったな。
「これはね、水仙の花なんだ。綺麗だよねぇ。ちなみに、黄色い水仙の花言葉は、『私の元に帰って』それってなんか、すごく未練がある感じだよね」
そう言いながら、彼女は趣味の編み物で黄色い水仙の花をモチーフにした何かを作りたいって言ってた。
保健室で少しずつしか作れないから、完成させるのはまだまだ先になりそうだって、笑ってたけどね。
ここにおいで、と呼びかけられて彼女の隣に腰を下ろす。
そんなやり取りが習慣になってた頃かな、どうしてか私は、彼女が保健室にいる理由を知りたくなったんだ。
明るくて面白くて何でも知ってて、彼女は本当にすごい人だった。
そんな彼女がどうして、私と同じように、保健室に逃げ込んでるのか。
多分、この時の私は、自分と同じ仲間が欲しかったんだと思う。
だけど、これが全部間違いだったんだよね。
過去を変えることはできない。
そんな過去から逃げるために、私達はここにいるのに、私は自ら、この保健室の中に大量の砂粒を持ち込んじゃったんだ。
優しい桜先輩は、少し切なそうな顔で教えてくれたんだ。
彼女には好きな人がいたんだってことを。
その人に関することで、もう一人仲の良かった女の子と、喧嘩になっちゃったこと。
その喧嘩で、桜先輩が勝てるはずがないことを。
「あの子はね、この世界の全てを見透かせるんだよ……そんなの、私に勝ち目なんか無いじゃんか、だって、負けてるんだってことを、面と向かって言われちゃったんだから」
薄っすらと涙を浮かべながら言う彼女に、私は混乱した。
「もう負けてるのは分かってるから、未練なんて何もないんだけどね」
小さく笑いながら、おどけて見せる桜先輩の行動が理解できなくて、私は混乱した。
「だからこうして、保健室の窓から外を眺めてるしかできないんだよ。どうして私は、あの桜みたいに綺麗に咲けないのかなって」
完全に諦めてる素振りを見せる彼女。
だけど私には、彼女のその行動が理解できない。
だって、逃げてないじゃんか。
自分勝手で、独りよがりな私は、自分の中に湧き上がって来た疑問を、そのまま彼女に向かってぶつけた。
ぶつけてしまった。
それだけははっきりと覚えてる。
「それじゃあ、どうして同じ学校に進学したんですか?」
そんな、素朴にも取れる私の質問に、桜先輩は固まった。
諦めてるなんて、嘘。
負けてるなんて、嘘。
咲けないなんて、嘘。
それらはきっと、彼女の甘さなんだよ。
桜先輩は、逃げてるんじゃない。追いかけてるんだ。
そんな、誰にでも分かることを、私は彼女にぶつけてしまった。
誰にでも分かるということは、きっと、彼女自身も分かってるはず。
それに、彼女の周りにいた他人たちも、知ってたはず。
そして、私もその他人たちと同じように、彼女に砂粒をぶつけてしまった。
私がとてつもない過ちを犯したんだと知ったのは、それから数日後の事になる。
その日までの3日間、彼女が保健室に姿を現さなくなったことに不安を感じてた私の元に、ある報せが届いた。
それは、桜先輩が亡くなったという話。
自宅の部屋で、水を張ったバケツの中に頭を突っ込んでたらしい。
その異様な状態に、学校中が騒然としてる中、私はようやく、自分のやったことを理解した。
悪意はなかった。
ワザとでも無かった。
単純に、疑問に思っただけ。
そうやって、どれだけ言い訳をしてみても、私の中の罪悪感は消えない。
謝る事さえできない事実に打ちひしがれて、彼女のお墓の前で泣いてた時に、私は初めて、彼女と出会ったんだよね。
それは、夏休みに入る前の7月。
いつの間にか隣に立ってたその子は、私に向かって言ったんだ。
「ごめんね。全部、私のせいだ」
栗色のショートボブが似合う女の子が、私を見下ろしながら告げる。
全く見たことの無いその子に、どういう意味なのか問いかけようとした時、私はゆっくりと意識を失っていった。
暗転していく意識の中、微かに聞こえた言葉は、彼女の声。
「大心池須美さん……スーミィかな。迷惑かけちゃった分は、ちゃんと埋め合わせするから。また今度、夏休み明けに会おうね」
その声を皮切りに、その後の記憶があやふやになってる。
1つ覚えてることがあるとすれば、夏休み明けの初日に、その栗色のショートボブの女の子が、私の隣の席に座ってたってコトだけ。
夏休み前の教室には居なかったはずなのに。
これが、私が思い出した記憶の全て。
そして今、私は全ての決着をつけるために、花楓の元に向かってるところ。
取り敢えずは、色々と言いたい文句をぶちまけないと始まらないよね。




