第51話 泣き、叫び
私、服部凛は今、狭いお部屋で布団の中に潜り込んでる。
ここにいるってことを、気づかれちゃいけないから。
こうして隠れてなさいって、お母さんとお姉ちゃんがいつも言ってくるんだよ。
まだ眠たくなんてないのに。
でも、外に出るのは怖いから、私はちゃんと、隠れてるの。
お布団の外には、怖いものが沢山あるんだ。
例えば、明るいお部屋。
いつもお家に帰ってきた時、部屋に明かりがついてたら、ちょっと怖くなっちゃう。
だって、明かりがついてるってことは、誰かが居るってコトでしょ?
私はいつも、一番初めに家に帰ることが多いから、真っ暗な家の中を見たら、安心するんだ。
それから、静かな部屋も、ちょっとだけ怖いかも。
今も隣の部屋から聞こえて来る声。
それはいつもと同じで、お姉ちゃんとお母さんがお父さんに対して向けてる声だ。
これが聞こえてる間、お父さんは寝室に入ってくることは無い。
その声が聞こえなくなって、静かになっちゃったら、私を守ってくれる人が誰も居なくなっちゃうみたいで、怖くなっちゃう。
そしてもう1つ。
私には怖いものがある。
だけど、そのことはあんまり考えないようにしてるんだ。
だって、私以外のクラスの子達は皆、“それ”のことを怖いだなんて思ってないみたいだから。
真っ暗な布団の中で、音を立てないように膝を抱え込んだまま、ジーッと時間が過ぎるのを待つ。
今日もこうやって、いつの間にか眠っちゃってるのを待つしかないんだ。
そう思ってた私は、ふと、気が付いた。
なんか、焦げ臭くない?
ふと、そう思った私は、同時に別の異変に気が付いた。
隣の部屋から聞こえてたはずの声が、急に聞こえなくなってる。
お姉ちゃんの怒声も、お母さんの泣き声も、お父さんの罵声も。
全部、消えちゃった。
残ったのは、布団の中に響く、私の息遣いだけ。
まるで、耳の傍で囁かれてるみたいに、自分の息が耳に障る。
物音なんて立てたくないのに、こういう時に限って、布団とパジャマのすれる音が、いつもより大きく聞こえるのは、なんでなのかな?
このまま隠れてても、大丈夫だよね?
そう思った時。
どこからともなく、小さな音が響いて来る。
タンタンタンッ
何の音かは分からない。
だけど、その音を聞いた時、私は少しだけ怖く感じた。
だって、お父さんが寝室に入って来る時の、足音に似てたから。
もしかしたら、隣の部屋が静かになったのも、この焦げ臭さも、私に向かって来てるのかな?
なんて、恐ろしい考えのせいで、私の身体は固まってしまった。
もう、隠れてても意味なんてない。
私を包んでくれてる布団も、隣の部屋で守ってくれてたお姉ちゃんたちも、全部いなくなっちゃうんだ。
そうなったら、絶対にお父さんは、私に気がついちゃう。
「もう、学校お休みするの、嫌だよ……」
学校に行ったら、先生に見つかっちゃうから。またお休みしなくちゃいけなくなる。
そして、お休みが終わった後に、皆に言われちゃうんだ。
どうしたの? なんで休んでたの? って。
どうしたらいいの?
ねぇ、私、どうしたらいいのかな?
そう思った瞬間。
布団の外から荒々しい音が聞こえてきた。
バタンッと激しく扉が開いて、ドタドタという足音が、一気に私の方に近づいてくる。
直後、ものすごい力で布団が引き剥がされた。
「っ!?」
あまりに勢いよく引っ張られたことで、私は布団を掴んでた手を離しちゃう。
一気に開けた視界。そんな視界のど真ん中には、目を血走らせたお父さんが、布団を手にして立ちはだかってる。
そんな様子を目にして、私は思わず膝を抱える腕に力を込めた。
だけど、私を一瞥したお父さんは、慌てたように私を跨ぐと、部屋の奥に駆けて行った。
そうして、まだ寝てた私の背中を蹴りつけて、隣の部屋の方へと押しやる。
「こ、こっちに来るな!! 化け物!!」
怯えた表情で叫ぶお父さん。
蹴られた背中の痛みと、理解できない状況に混乱してた私は、彼の視線の先を見て絶句する。
「化け物? そんな私を作り出したアンタこそ、化け物でしょ?」
全身に赤く燃え盛る炎を身に纏ってるお姉ちゃんが、リビングの真ん中に立ってる。
お母さんは、ソファの近くに横たわってた。
お姉ちゃんの足元からは、沢山の火花が弾け飛んでて、少しずつリビングの床を焦がし始めてる。
「お、姉……ちゃん?」
思わず呟いた私の声は、お姉ちゃんには届いてないみたい。
ゆっくりとお父さんの方に向き直ったお姉ちゃんは、一歩、足を踏み出した。
すると、元々立ってた所に、小さな火柱が上がる。
「ずーっと、ずーーーーーっと我慢してきたけど、もう無理。どうして私がこんな目に合わなくちゃいけないわけ? ねぇ、どうしてなの? なんでこんな男が、私の親なワケ? ふざけないでよ。お母さんが何したっての? 私達はアンタのおもちゃじゃないんだけど? なんであんたのご機嫌取りしながら生きてなくちゃいけないわけ? ねぇ、教えてよ!!」
怒りに任せて叫ぶお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんが歩くたびに、足跡の火柱が少しずつ大きくなってく。
逃げなくちゃ。
胸の内から湧き上がってくる恐怖が、私にそう告げてくる。
だけど、思うように身体が動かない。
よく見たら、両手がブルブルと震えてる。
倒れてるお母さんは動かないし、お姉ちゃんは火をまき散らしてるし、お父さんは寝室の隅っこで怯えてる。
この部屋の中で、動けるのは私だけなんだ。
だけど、私に何ができるの?
私は何をすればいいの?
燃え盛る炎のせいで、部屋の中がどんどん熱くなってる。
それに合わせて、私は沢山汗をかき始めてた。
火を消せば、少しは落ち着いて考える事が出来るかな?
なんてことを考えた瞬間、頭の中に声が響く。
『凛ちゃんなら、できるよ』
「っ!? 誰!?」
『ワタシは、え~っと、そう、妖精だよ! 凛ちゃんを助けるために、話しかけてるんだよ』
「妖精さん!? 出来るって、何を!?」
『凛ちゃんなら、火を消すこともできるし、ここから逃げ出すこともできる。なんだって出来るんだよ!』
「なんだって?」
『そう。だけど、凛ちゃんが何もしなかったら、とても悲しいことになっちゃうね』
少しだけ悲しそうな声でそう言った妖精さん。
彼女の言った言葉の意味が、私にはわからなかった。
「悲しいことって、何?」
『うん。それはね、綾子ちゃん……お姉ちゃんのことだよ』
「お姉ちゃんのコト?」
私のすぐ横を通り過ぎて、寝室に足を踏み入れたお姉ちゃん。
足跡から立ち上がる火柱の眩しさと熱気に、思わず顔を手で覆った私は、縋るような気持ちで、妖精さんに尋ねた。
「妖精さん! 私は何をしたらいいの!?」
『簡単だよ。お姉ちゃんを止めるだけ』
「止めるって、何を?」
『お姉ちゃんはね、諦めちゃったんだよ。我慢して生きていくのを。だから、全部終わらせようとしてる』
「どういう意味?」
『お父さんを殺して、凛ちゃんとお母さんも殺して、自分も死のうとしてる』
「……え?」
『おまけに、この家に火を付けようとも思ってるみたいだね』
「そんな……」
『だから、凛ちゃんが止めなくちゃ』
「私が、お姉ちゃんを?」
『凛ちゃんが、お姉ちゃんを』
「でも……!」
『凛ちゃん。今のお姉ちゃんには、凛ちゃんしか助けてくれる人がいないんだよ? お布団も、守ってくれる人も、なんにもないんだよ』
妖精さんのその言葉を聞いてから、私はよく覚えてない。
憶えてるのは、泣きながらお姉ちゃんにしがみ付いて、やめるように叫んでたことだけ。
泣く度に、叫ぶ度に、目と喉が渇いていくけど、それでも私は泣き叫び続けた。
どれくらい経ったのかな。
私が疲れて、お姉ちゃんの腰に顔を埋めた時、誰かが頭を撫でてくれたんだ。
「凛……ゴメンね……ありがとう」
弱々しくて、疲れ切った。そんなお姉ちゃんの声を聞いた私は、そのまま気を失っちゃった。




