5 平均的陰キャの俺は天使様と同居する。
『天使でもおトイレ行きますし!』
「せめてそこはお花を摘みに行きますわーとかもっと言い方があるだろ……」
あとは化粧を直しに行くとか、靴擦れしたから絆創膏貼りに行くとか。この天使、いろいろと直球過ぎる。
『いやいや。摘むというよりは肥料与えてるじゃん』
いや、大事なのはそうじゃなくて。可憐な乙女(?)がそんな話に花を咲かせちゃ駄目だと俺は思うのだが。
『あと、実体化終わったんですけど? でもさお前、足以外ろくに見てないよなぁ』
ただ、それを直接言う勇気なんて俺にはなく。
そもそも人と目を合わせて話すことなんて不可能であり、それが人智を超えた存在なら尚更である。普通の人に向かって出来ないことを、天使様にやれという方が無茶な話だ。
『こーんなに可愛いのに無反応とか、ちょっと傷つくんですけど。少しは見てくれたって良いじゃんか』
「下ネタサキュバスが今さら何を言っても効果な……」
『淫魔違うし。あたし、そーいうエロティックな権能は持ってませーん。それとも権能抜きでお前を惚れさせればいいのかな?』
俺がこの淫魔……ではなく天使に惚れたら本末転倒だ。実体を持った幻覚に惚れるとか、どんなファンタジーかっての。
そしてここは紛れもなく現実。そんなことが起こりうる余地などない。この天使は俺が見ている幻覚。きっとこの声も俺が産み出した幻聴。
「俺の青春のお手伝いをしに来たって言ってたよな……?」
『えー、めんどい』
「おい。お前は俺が見ている幻覚なんだろ? なら、俺を手伝わないっていう選択肢は無いんじゃないか?」
『見方を変えれば確かにそうだけどさぁ。あたしだって恋の一つもしてみたいお年頃なんだよ。ちょっとくらいつまみ食いしたっていいじゃん』
「つまみ食いって……お前やっぱり」
『淫魔みたいに精気とか取らんし。大天使としてのプライドくらい残ってるもん……小指の爪の先くらい』
「それ、ほとんど残ってなくね?」
『さっ。月のパワーで実体化も出来たし帰ろっか』
「誤魔化すなっての。で、どこに帰るって?」
『家。それ以外どこがあるのさ』
そりゃそうだ。家以外に帰れる所など無いのだから。だが、そうだけどそうじゃない。
「……誰の?」
『お前の。当たり前のこと言わせるなし』
いや、意味がわからない。学校に置いてきた忘れ物が女の子だったとか、絶対に社会的な意味で死ぬ。
女の子のお持ち帰りとか、どこの陽キャ様の所業だ。流石にこれは業が深すぎる。
『むっ、あたしは他の人には見えないはずだよ?』
「ふ、普通そうだよな。……ちょっと待て、ということは」
『そゆこと。今までお前は何もない空間というか、地面と喋ってたのさ。それもかなり大きな声で。こっちが気を利かせて人払いしてなかったら、今頃どうなっていたことか』
「俺、結構イタい人でした?」
『でした。見てる分には面白かったけどね』
「俺的には全く面白くないんだが」
『まぁ……とにかく、お前がある程度ジェントルマンで助かったよ。普通だったらあたしの美貌の虜になって、社会的にジ・エンド状態になるわけだし』
そして俺はジェントルでもなんでもない。ただの陰キャだ。一歩退く彼らとは違って、俺はその一歩を踏み出せないだけ。
客観的に見たらほとんど同じかもしれないのだが、当人からすればこれは全く別の現象といえるのである。積極的か消極的か、能動態か受動態か。そのくらい違う。
「……いや。そっちを見なかったのは、普通に目を見て話すのが苦手なだけだから」
一言にまとめることなんて不可能。だから、当たり障りのない言葉に詰め込む。たとえ彼女が俺にしか見えない幻覚の類いであっても、女の子を傷付けてはならないことに変わりないから。
『ふぅん。ならこっちを見なくても済むように、耳もとで会話を全部済ませてあげよう。偉大なるサリエル様に感謝するがよい!』
「ど、どうも……?」
氷上のスケーターのように、彼女は地面を滑る。天使だからだろうか、物理法則を全部無視していやがる。
彼女の気配は俺の真横の方に移り、そうして少しずつ近づいてくる。三メートル、二メートル、そして三十センチ。
『じゃあ、帰ろっか?』
呼吸が鼓膜を震わすくらいの距離。若い女性特有の良い香りが鼻腔に広がる。
月のような色の金髪。それが視界の隅のほうにチラチラと映り込む。足しか見ていなかったから気づかなかったけれど、こいつ意外と髪長いんだな。
ここまで伸ばすのにどのくらいかかったのだろう。そんなどうでも良いことに思考回路が占領されていく。
……いや、ちょっとまて。天使が出てくる宗教は、少なくとも二千年前には成立していたはずだ。受胎告知とか確実に天使がアレしてたし。確かユダヤ教の時代にもいたはずだし。
ということはアレだ。この天使、間違いなく女の子という年齢ではないということだ。
『これからよろしくね、天宮快斗くん?』
いや、ツッコんだら駄目だ。確実に地雷を踏んで人生ジ・エンドだ。
こうして、俺にしか見えていない天使様との同居生活が始まったのであった。