45 終幕的ヒーローの俺は青春を謳歌しようとする。
『あたしがお前を呼んだ理由、もちろんわかるよな?』
「むしろ、わからないと?」
これはきっと、別れの挨拶というやつだ。昨日の夜に聞いた声は幻聴なんかじゃなかった。つまりそういうこと。
『まぁ、そうだよね。お前が今日の朝に告白した。その時点であたしはもうお役御免ってわけだ。今まで消えずに残ってたのは執念……かな』
「待っ……」
『大体三ヶ月くらいだよね、ここにいたの。結構楽しかったよ? 同棲してたはずなのにラブコメ的展開にはなってくれなかったけどさ。それだけがちょっと心残りかな』
なんで、どうして行っちゃうんだ。告白はしたかもしれない。オーケーに近い言葉も受け取った気がする。だけど。だけどまだ付き合ってはいないんだ。
夏休みの間に勉強会のようなことはすると思う。花咲さんと今より深い関係になることだってあるかもしれない。でもそれは俺一人の力では絶対に無理なんだ。
言いたいことはたくさんあるはずなのに、なにも言えない。
『じゃあね。あたしがいなくてもちゃんと早起きするんだよ?』
「わ……わかってるし」
『面倒でも朝ごはんは食べるんだよ?』
「お前は俺のおかんか」
『――――花咲ちゃんのこと、大切にするんだよ?』
それは目の前にいるはずの天使様も同じ。諦めたように指を絡ませて、ほどいて。達観してるように見えるのに、本当は人間よりも感情が豊かで。
「今さらっ、今さら当たり前のこと言うなっての……もっと大事なこと、伝え忘れてるじゃんか」
『あたしにはなにもないさ。お前が生み出した幻想。それ以外のなんでもないんだからね』
異常なほどに下ネタとか振ってきて。
「お前は、幻想なんかじゃないっ!」
いつでも俺のことを応援してくれて。
『そんなこと言ってくれたのはお前くらいだよ。はぁ……すごーく帰りにくくなっちゃった。全部お前のせいなんだからな』
「だから、ずっとここにいてくれないか……?」
『でも、ごめん。それは無理。じゃあね』
彼女との間にある数歩分の距離。俺は一歩目すらも踏み出せない。躊躇っている間にも、天使様は光の粒へと変わっていく。
粒は空気に溶けていき、彼女がいた場所にあるのは普通の空間。触ったところで温もりなど残ってはいない。そんなこととっくにわかりきっている。
わかっている、はずなのに。
「なんでっ、どうしてっ」
俺はここから離れられない。
涙が止まってくれない。いないはずの影を求めてしまう。天使なんてもともと存在していなかった。そう切り捨ててしまうのは簡単だ。
でも、だけど。
あの時の言葉も、勇気も、俺のものじゃないって知っている。俺だけじゃなにも出来なかった。進めなかった。
「まだスタート地点に立っただけなのに……ゴールなんて見えてないのに」
これからは長い道のりを一人で歩かないといけない。怖い、寂しい。たくさんのマイナスが頭の中に浮かんでくる。
『はぁ、一言だけだからな』
「えっ……?」
『屋上から飛び降りてもおかしくない精神状態だったから、面倒だけど声だけ飛ばしてる。お前に足りてないのは一歩目を踏み出す勇気、それだけだ。じゃあ、次会うときはお前が死んだとき……いや、これは冗談だけど。期末テスト、頑張れよ!』
「最後の最後にテストと単位の心配って……お前は俺のおかんか」
『おかんだったらどうする?』
「それはない。息子に下ネタ投げまくる親がいてたまるか」
『それもそっか。下校時間が来る前にはちゃんと帰ること。いいね?』
「りょーかい。じゃあなっ!」
人差し指と中指で無理やり口角を上げて笑顔を作る。ここで泣きわめいていたところで、俺はきっと進めないのだから。
夏の夜は遅く、朝は異常に早い。日の出と共に起きることは出来ないけれど、いつも五時半くらいには目が覚める。
今日は待ちに待った終業式の日。期末テストは毎回恒例の平均点ラッシュ。高校に入学してから通算七回目の全科目偏差値五十。逆に強すぎる。
そんな馬鹿なとは思ったものの、事実なのだから仕方がない。
「成績表いらないんだが……」
「別にそっちはいいじゃん。赤点どころか全部平均点なんだし」
「まさか今回も……?」
「いやいや、今回は基礎だけを固めたから赤点は回避したよ?」
「基礎……だけ?」
花咲さんとの距離は少しだけ縮まり、クラスメイトとの距離は少しだけ広がってしまった。もともとシベリア横断鉄道並みに開いていたから関係ないのだけれど。
そんなこんなで夏休みが始まって、勉強会という名のデートを何回もして。二人で大量の宿題を消化して。
俺が思い描いていた恋人関係とは少し違うような気もするけど、これはこれで面白いからこのままでいいと思ってしまう。
当然だが、楽しい楽しい夏休みが永遠に続くはずもなく。宿題の類いが終わっていると暇でしかない八月の最後の一週間。花咲さんは帰省しているらしく、特にやれることもない。
寝正月ならぬ……いや、なんて言うのが正しいのかわからないから言わないことにしよう。
そんな感じに一週間ほどグダグダして。
ようやく始まる学校。花咲さんからの正式な返事が聞ける日。全く眠れなかった俺はなぜか盛大に寝坊して、駅から学校まで全力ダッシュする羽目になってしまった。




