35 優越的モブの俺は素数を順番に数える。
俺はさっきトリプルに挑戦するのはおかしいと言った。ならばなぜ、テーブルの上にアイスが三つほど入ったカップが一つ、置かれているのだろう。
『お前な、押しに弱すぎるんだよ。店員さんがオススメはこちらですって言ったあとに、じゃあそれで……って言ったよね? あれはマジでウケる』
「……忘れろ」
そうか、思い出したくないから忘れようとしていたんだ。それを天使様が掘り起こしてしまったと。全てをなかったことにしてスイーツだけを食べたかったのに。
『えっ、やだよ。あたしがあんな面白いこと忘れるわけないじゃん。でもそうだなぁ、あたしに食べさせてくれるなら考えてあげてもいいよ?』
「だが断る。レモンシャーベットだけ勝手に食ってろ」
俺のファーストキスを淫魔みたいなやつに渡す気などさらさらない。それもこんな場所で。いや、いい感じのシチュエーションだったらいいというわけではなく。
『でもスプーン一つしかないし。これ、確実にやれってやつじゃん』
「……スプーンが無いなら、取ってくるけど」
初めてはクルーズ船の上でしたいのだ。もちろんただの妄想だけれど。クルーズ船に乗れるお金なんて持っていないのだけれど。
とりあえず天使様にそんな大事なものを取られるわけにはいかない。取られるくらいなら、恥をしのんで店の前に置かれたスプーンを取りに行くに決まっている。
『行ってらー。あたしは先に食べてるから。このラムネ味も気になってるわけだし。あっ、全部は食べないから安心して!』
この天使、全部は食べないけどある程度食べる的な発言をしていなかったか。いや、間違いなくした。
「絶対にチョコミントだけは食べるなよ! 絶対だからな」
全部食わせてなんかたまるか。俺は何度も天使様に釘を刺しておく。もちろんフリなどではない。
『フリだとしても絶対食べないから。歯みがき粉だよ? 食べろと言われて食べる人の方が頭おかしいでしょ。バカなの?』
「そこまで言われると無性に食わせたくなるんだが。食わせた上で歯みがき粉じゃないことを証明させたいんだが」
『どうでもいいからはよ行け。あたしだって液状チョコミントなんか見たくないんだ』
「それには同意だ。アイスがアイスでいられるうちに食べたいし」
天使様とアイスと袋を席に残して俺はスプーンを取りに行く。帰りにセルフサービスのお冷を二人分頂いて席に戻る。この間およそ一分半。
「……おい、天使」
『にゃんだ、人間。あたしはちゃんと予告したからな? はむっ、ラムネ味結構いけるじゃん。なんかスカッとする』
「言いたいこと、わかるな?」
彼女の目の前にあるのは、チョコミントだけが入ったカップ。入っているというよりは残されていると言った方が正しいか。
『ごちそうさまでした、まる』
「お粗末さまでした……バツ。ラムネ味結構楽しみにしてたのに」
『ここにスプーン一杯分だけラムネ味のアイスが残っています。お前にはこれを食べる権利があります。さて、こんなときにはどうするのが正解かわかるよね?』
これを食べたら天使様と間接ほにゃららをすることになり、食べなかったら後悔することになる。いや待てよ、明日のお出かけで花咲さんと一緒にアイスを食べに行けば全て解決するのではなかろうか。
「俺、決めたよ」
『わくわく、ドキドキ』
彼女が何を期待しているのかはなんとなくわかるが、俺がそれを叶える義務も義理すらもない。だからこう言う。
「明日同じアイスを食べるから、この件については怒らないことにした」
『は? そこは嘘でも天使様のアイス食べたいとか言うところでしょうが。なんで、そうなるのさ』
「いや別に。楽しいことはあとに取っておいた方が楽しくなるかなってな。ここで迷ったってチョコミントが液体になるだけだろ?」
『うぅ……わかったよ。はい、これ。チョコミントには一切口もスプーンも付けてないから』
ぐいっとアイスのカップを押し付けてくる天使様。彼女の言った通り、チョコミントに接している部分が削られた形跡は全くない。
持ってきたスプーンでひんやりとした菓子をすくい、口へと運ぶ。ふんわりとしたチョコレートの甘味とミントの爽やかな香りが、口いっぱいに広がっていく。
「やっぱりチョコミントは……」
『歯みがき粉だ』
「は……歯みがき粉って言いかけちゃったじゃんか」
『……ぷいっ』
そっぽを向いてしまった天使様のことは放っておいて、俺は表面がドロドロになりかけているアイスクリームを必死に掻きこむ。
「うぐっ」
唐突に襲ってくる頭痛。アイスは頭がキーンとならないというのはどうやら嘘だったらしい。ぶっちゃけあれは一気に口に入れる量の問題らしいのだが。
『ふんっ。自業自得でしょ?』
天使様のおっしゃる通り、これは俺の自業自得だ。惜しくも間に合わずさらさらになってしまったミントジュースを飲み、プラスチックのカップをゴミ箱に捨てる。
「そうかもな。じゃあ帰るぞ」
『えー、もう帰っちゃうの? ショッピングは?』
「俺にはそんな金も時間もないっ」
袋を右手に、鬱陶しい天使様を左手に……って何をしているんだ、こいつは。袋を左手に持ち替え、天使様の束縛をなんとかする。
落ち着け、落ち着くんだ俺。大事なのは今じゃなくて明日の方だ。天使様の行動一つ一つでこんなに動揺していたら本番に心臓が爆発してしまう。
こんなときには平常心だ。
「に、さん、ご、なな、じゅういち、じゅうさん……」
『素数唱えるってことは欲求不満なの? まぁ思春期男子だし、そんな日もあるよね。しゃーないしゃーない』
お前のせいだなんて言えない。お前のせいで頭痛が痛いと言いそうになったなんて絶対に言えない。華麗に天使様をスルーしていく帰り道。
数えた素数が三百を超えたあたりでようやく家にたどり着く。素数かける素数のトラップがちりばめられていたから、四桁到達しなかったことに関しては仕方ないと思っている。
お腹が空いたからという理由で適当にご飯をレンジに放り込み、加熱が終わる一秒前に取り出す。
時間が早く流れて欲しいのか、それともゆっくり流れて欲しいのか。それすらも既に良くわからない。
ちなみにこの日の夜、楽しみ過ぎて眠れなかったのは言うまでもないことであった。




