14 壊滅的凡人の俺は三十秒で準備をする。
教室の花咲さんの座席。昼休みが始まった瞬間だからだろうか、そこにはもう誰もいない。もう行ってしまったのだろうか。いくらなんでも早すぎじゃないだろうか。
『早いなぁ、花咲ちゃん。ジャパニーズNinjaって言われても今なら信じちゃうかもね』
「ジャパニーズNinjaって日常会話で初めて聞いたわ。で……もう、行ったってことか?」
『そゆことそゆこと。お前も早く飯を調達して行かなきゃ駄目なんだぜ? レディーを待たせるのは大罪だからな』
ここで彼女を待たせる以前の問題が浮上してくる。オーケーを貰って、浮かれて、あれを忘れていたのだ。
「あっ……飯買うの忘れてた……」
『すぐに買ってくるよん。お前の晴れ舞台なんだからね、あたしがちょっとだけ奮発してやるさ。ってわけで三十秒待ってて!』
これだけを言い残して、開けっ放しの窓から飛び出す天使様。
「三十秒でどうするつもりなんだよ……」
カップ麺でも三分かかるのに、三十秒で何をするつもりなのだろうか。
そもそもあいつ飛べたっけ……と思いながら、窓から下の方を眺める。ここは三階、地面から約九メートルくらいだから、普通の人間が落ちたらひとたまりもない。
確かにここの二つ下のフロアには購買があるが、いくらなんでもショートカットしすぎなのではないだろうか。天使だから物理法則も法定速度も守るはずがないのだけれど。……いや、法定速度だけは守ってくれ。
『はいなっ、買ってきたよん!』
「はやっ」
その間およそ十五秒。
『三十秒って言ったっしょ。つまりそれ未満でもいいってことじゃん。つまり半分でもいいわけ。どやぁ、褒めまくっても良いんだぜ』
ばさりと出されるのは、あんぱん二つとスポーツドリンク。トータルで三百三十円|(税込価格)。俺のいつもの飯の三倍とか、ちょっとどうかしていると思う。
「じゃあ、行くとするか」
『お食事はあたしが運ぶよ? だってこんなの持って階段上ってたら怪しいじゃんか。鳩と戯れるとかだとしてもここまでの量は持っていかないでしょ?』
「そもそも俺は、鳩に餌をやらない派だ」
机の上に置かれた食べ物が、彼女によって回収される。その瞬間は他者にはどう見えていたのだろうか。
俺に興味を持っている物好きはほとんどいないはずだから、知る方法もないのだけれど。
「……その、サンキューな」
俺達二人は歩き始める。建て付けの悪い引き戸を開け、天使が通ったことを確認してからそっと閉める。
『いいのさ。あたしはお前の守護天使様なんだからな。このくらいのパシリは当たり前のことだ』
歩きながらこいつは何を言っているのだ。自分に敬称を付けながらパシリを当たり前って矛盾してないだろうか。
「流石に天使にパシリやらせるのは罰が当たりそうだよな。こう、雷が頭に落ちるー的なやつ」
『いや、落ちないぞ?』
「えっ?」
『神は死んだ、byニーチェ』
「おい」
『もちろん冗談だけどね。でも科学の進歩のお陰で人間が信仰してる神様の偶像は死んだわけっしょ? というかさ、そもそもそんな神秘的なこと起こるわけ無いじゃん。もしかしてサンタさんとかおへそ奪う雷様とか信じちゃってるタイプだったり?』
「……いや、信じてないけど」
『サンタさんくらいは信じてあげようよ……。まだまだ子どもなんだからさ』
そんな感じに天界うんちくっぽいものを聞かされていると、いつの間にか例の階段にたどり着いていた。
「その……会話サポート、頼んだぞ」
花咲さんに聞かれないように、天使様にお願いをする。多分俺は面と向かった状態ではろくに会話が出来ない。だから、使える手段はすべて使ってやる。
『ほいほい、サポートだよね。この大天使サリエル様に任せなさいっ!』
どさりと昼飯を渡された。あとは目の前の階段を登るだけ。
一段、二段、そして三段。
「その……待ってたよ」
数段上に座って待っている彼女。その手元には可愛らしいお弁当箱。
「ごめん、待たせちまったな」
昼休みが始まってから五分も経っていないけれど、お世辞のようにその言葉を絞り出す。いわゆる社交辞令みたいなものだ。
「いいの。私が早く来すぎたのが悪いんだから」
「いやいや、俺が悪いって」
早く来すぎるのは全く悪いことじゃあない。むしろ一分でも彼女を待たせた俺が悪いんだ。そう言う声が頭の中からしてくる。
「違うからっ!」
それに負けじと花咲さんも反撃してきた。
「悪いのは俺だし! ごめんっ!!」
ここまで来てしまったのだから俺も止めるわけにはいかず、どんどん言い争いはエスカレートしていく。
というのは嘘で、お互い言えることが無くなってすぐに終わってしまった。コミュ力足りないとこうなるのか……なんか悲しいな。
「なんか、現実世界で誰かとこんなにおしゃべりするのってすごく久しぶりな気がする」
「……そう、なのか?」
俺も人のことは言えないけれど。というか、天使様と親以外まともに会話が成立した記憶とか無いのだし。
「うん。SNSとかの文字媒体だと普通に話せるんだけど、現実だと直接相手の感情に触れなきゃいけないからちょっと……。あと話すまでに考える時間がないから辛い」
「それ、なんとなくわかる気がする。俺は人の目を見るのがちょっと苦手でさ……」
……まさか、そのネタで会話が弾むとは思っていなかった。