11 壊滅的凡人の俺はパンに心を動かされる。
「購買といえば自販機。自販機といったら会話しなくても買える。会話しなくても以下略といったらコミュ障。コミュ障といったらおーれっ!」
結局花咲さんを誘うことなく。いや、誘いたいなとは思ったのだが、教室にクラスメイトだと思われる知らない人が入っていったのを見て諦めた。流石に男としていかがなものかと思ったけれど、こればかりは仕方ないのである。
『超絶自虐的ソングだなぁ。自分で言ってて悲しくならんの、それ』
「……うっさい、わかってるし」
自販機に俺の分身こと五百円玉をつっこむ。チョコにしようか、小豆にしようか。それともメロンにしようか。
どれ食べてもそこまで変わりはしないから、天の神様の言う通りにしてもいいのだけれど。あっ、この場合は自称天使様の言う通りか。
『パンひとつでホントに足りるわけ? それだから背が伸びないんじゃね?』
「……今日は、メロンパン。悲しくなんて無いから。倹約だから。あと、成長期はいつか来るから」
それに、パンひとつでも足りないことは無いのだし。だってただの帰宅部だから。授業が終わったら家に直行するだけだし。
『そんなにお金貯めてどーすんのさ。華の高校生活を節約で終わらせるつもり? 虚しくない?』
「華? 草すら生えてこない青春には目標と一貫性が必要だろ?」
『草でもいいから生やす努力をしろってこと。痩せた大地に植物が勝手に生えてくるとでも思ってるわけ? 馬鹿なの?』
「……」
そうかもしれない。今まで草も生やそうとしなかったのはどこの誰だって話だ。陰キャだからという理由で勝手に諦めてたのは俺自身なのだ。
だからそれはもうおしまいにしたい。
『やり方がわからないなら周り……というか、あたしに頼ればいい。なんてったって大天使だからな』
「お前、俺のことをなんだと思ってんだよ。人間関係においては伸び代しかない男だぜ?」
『あー、はいはい。そうですねー、すごいすごい。でさ、お前パン買い終わったっしょ? じゃあ、教室に戻ろっか』
折角いい感じの決め台詞を言ったのに、残酷にもスルーされてしまう。そんなにイタかったのか、俺は。
「というか天使様はなにも食べないんですか? ダイエッ……」
『ちゃうわ。ダイエットちゃうわ。そもそも天使は食べ物食べなくても生きていけますし。誰かの信仰心さえあれば存在出来ますし。どうしても食べさせたいなら食べてもいいけどさ』
食べさせたいならという表現がまず謎。信仰心うんぬんの所はなんとなく理解出来ないでもないが。
『お前が買わなかった分のあんぱんとチョコパン食べよっかな。……欲しいって言われてもあげないんだからね』
「要らんし」
『そこは嘘でも欲しいって言えよっ!』
とりあえずパンを合計三つ持って教室に帰っていく。俺の席はさっきも座っていた、特等席と呼ばれる場所。つまり窓際で、めっちゃ後ろで、黒板が異常に見えにくいエリア。
「早く席替え来ないかなぁ……」
『いや、最高の場所じゃん。内職し放題じゃん。スマホいじってもバレないじゃん』
確かに内職はし放題かもしれない。ゲームもやり放題かもしれない。でも、俺はそこまで非道にはなれないのだ。いつかはやってみたいと思っているが、そもそも俺にそんな勇気はない。
じゃなくて。ちょっとまて。なんで貴様(先生)が既にそこにいるっ!
「ちょっと早いが授業始めるぞー」
生徒からの大ブーイング。本来の授業開始まであと五分。
「起立、気をつけ、礼」
やる気の無さそうな号令。周りと同じタイミングで座って、高校生らしく授業を受ける。いや、普通に高校生だけど。
たまに天使とか窓の外とかをぼんやりと眺めたり、あくびを噛み殺したり。
「……そこ。天宮、答え言ってみろ」
あっ、ヤバい。当てられた。ウィーン会議の話だったはず。
『しゃーない。メッテルなんとかだよ、それ。ぼーっとしてたっしょ?』
「メッテルニヒ……ですか?」
「正解だ。千八百十四年にオーストリアで開かれ……」
これ以降ほとんど当てられることもなくあっという間に時は流れ、もうすぐお昼休み。
『覚えてるよな?』
えっと……あれか。ノートの隅っこにさらさらと書いて彼女に渡す。
『さっきはありがとう……って。べっ、別に。なんつーかさ、あれはお前のためにやったわけじゃないし。留年とかされるとあたしが困るし』
「なんでみんな俺が留年する前提で話してんだよ……」
『いや、だってそうでしょ? お前の母親も実際そう言ってたわけだし』
俺、ほとんどの科目で平均点取ってるんだけどな。赤点とか普通にナッシングなんだけどな。留年要素がどこにも見当たらないんだけどな。
「はぁ……そのうち家族会議な案件だな、これ」
『……じゃなくって。お昼ごはんのこと』
「お前が大食い選手権に出るんだっけ」
『ちっ、違っ……! 花咲ちゃんとランチなやつだよっ!』
「そうだったな。朝やらかした分、取り戻さないとだし」
『そしてそのままゴールインっ!』
そうなればいいんだけどな。そう言おうとしたけど、やっぱり止めた。その代わりに親指をスッと上に立てる。いわゆるサムズアップだ。ここで決めてやるという決意決定。
『じゃっ、行くタイミングになったら言ってくれ。あたしはここで風にあたってるさ』
「そんなところに何時間もいて寒くないわけ?」
『もうすぐ、六月だぜ? 結構気持ちいいぞ』
「……よって、一の三乗根は」
数学教師のつまらないお話。早く終わればいいのに。そう思っていると、チャイムが鳴り始める。
「起立、気をつけ、礼」
「ありがとうございました」
いつもより呼吸が浅い。酸素が、圧倒的に足りていない。あと糖分も。こういうときは、そうか。深呼吸をすればいいのか。
「深呼吸深呼吸っと」
『なに? ラマーズ法試すの?』
「ヒッヒッフーじゃなくて。思わず笑っちまったじゃないか。どうしてくれんだよ」
『どうもしないさ。とりあえず緊張は解けたでしょ。そんじゃデートのお誘いにでも行こっかね、王子様?』
「誰が王子様じゃ、おい」
頭の方に血液が集まっているような気がする。こんな顔のまま行ってもいいのだろうか。いや、もう選択の余地も時間もないのだ。
『女の子なら誰だって一度は憧れるやつでしょ。白馬の王子様が迎えに来るやつ。拗らせたら、えっと……なんだっけ』
「シンデレラコンプレックス、だろ」
『あー、それそれ。ってなんで知ってるのさ』
自分がそうなりたかったなんて、口が裂けても言えない。
「あー、今はそんなこと関係ないだろ。……それじゃ、頼んだ」
『はぁ。りょーかい。で、花咲ちゃんはどこにいるのかな?』
どこにいる、というのはどういうことなのだろうか。
「えっ……いない?」
『授業中は確かにいたんだけどなぁ。ちょっと探してみる』
彼女の席の近くにいるのは、苛立ちを隠そうともしない女子生徒の群れ。中には金髪でめちゃくちゃ化粧の濃い生徒もいる。俺からは絶対に関わりたくない系だ。
金髪は金髪でも天使様のような綺麗な金ではなく、軽そうで品のない色。あんな人、このクラスにいなかったと思うのだが。
「あの雌豚、マジで信じれんわ。昼休みにいっつも姿隠してさぁ。折角アタシらが遊んであげようって言ってんのにね」
「それな。マジありえない。あんなやつさぁ、とっとと……」
下品な笑い声。聞きたくない。聞きたくなかった。
誰かの陰口。
花咲さんの、陰口。
「……死んじまえばいいのにな」
『ちょっ、待ってよ!』
それを聞いた瞬間にはもう、俺の足は教室の外に向かっていた。