番外 総合評価10000ポイント記念SS
本作の総合評価10000ポイント到達を記念してのSSです!
その日、アベルの執務室には、いつもとは少し違う光景が広がっていた。
壁に貼ってある中央諸国地図の前に、涼がずっと立っているのだ。
手を顎の下に持っていって、何事か考えながら。
最初のうちは、アベルは気にせずにいつも通り書類仕事を続けていたが、さすがに十分以上もそのままであれば、気になる。
「リョウ、どうしたんだ?」
「いえ……中央諸国だけでも、けっこう広いなあと」
涼やアベルがいるのは、ナイトレイ王国。中央諸国の三大国の一つだ。
その『王国』の北に『帝国』があり、王国と帝国の東に、『連合』がある。
この三国が、大国と呼ばれているが、それ以外にも、中央諸国にはいくつもの国がある。
王国の南西には、トワイライトランドがあり、連合の東にはジュー王国などがある。
どちらも、涼が関係したことがあるために、知っている国名だ……。
それ以外にも、いくつも国がある!
「中央諸国の西の方には西方諸国があって、東の方には東方諸国があるんですよね」
「そうだな」
涼の確認に、アベルは頷いて答える。
「世界征服は大変そうですね」
「……は?」
涼が思い描いたのは、地球における世界征服。
アレクサンドロス大王、ユリウス・カエサル、あるいはチンギス・カン。
彼らが率いた大帝国。
だが、そんな大帝国ですら、厳密な意味での「世界征服」は、当然成し遂げていない。
アレクサンドロス三世……いわゆるアレクサンドロス大王、アラビア語やペルシャ語では、イスカンダルと呼ばれる王は、ギリシャを発って、インダス川を越えてインドにまで侵攻した。
ユリウス・カエサルとその後継者たちは、地中海全域はもちろん、北はイギリスのグレートブリテン島南部、東はペルシャ湾まで征服している。
チンギス・カンに至っては、中国北部から西はバルハシ湖、南はペルシャ湾、という広大な領土を支配下に置いた。
しかしいずれも、「世界征服」とまでは言えない。
異なる文明圏にまで進出したこと自体が、歴史上、稀なのだ。
だからこそ、彼らの名は、世界史上に記されている。
しかして、この部屋の主はどうか。
いや、それは、今は考えまい。
まず、目の前の問題の処理から……一つ一つこなしていくのは大切なことだ。
「アベル、書類仕事、頑張ってください」
「ん? なんだ急に」
涼の突然の激励に、訝しげに顔を向けるアベル。
「いつか、アベルが世界征服を企てるようなことになったら、僕も少しだけ手伝ってあげますよ」
「……なんだそれは」
涼の突然の提案に、アベルは大きく目を見開いて答える。
「いつかは、世界の一つや二つ、征服してみたいと思うのは当然だと思うのです」
「うん、当然だとは思わんぞ?」
「そんな気概でどうするんですか! アベルも剣士なら、世界を我が手に! とか言ってみたらどうですか?」
「剣士ならって……剣士は世界を征服するものなのか?」
「当然です。想像してみてください。魔法使いが世界を征服したら、すごくやばそうな世界になってしまう気がしません?」
「……ま、まあな」
「翻って。想像してみてください。剣士が世界を征服したら、すごく楽しそうな世界になる気がしません?」
「いや、しないな」
「くっ……」
涼は、アベルの扇動に失敗した。
「やはり人を扇動するのは、夕方が最適なのですね……」
涼はそう呟いた。
夕方は、人の判断力が低下するため、扇動しやすい。あるいは、営業が成功しやすい……と言われている。
歴史学的に言うなら、ドイツのちょび髭独裁者の演説が、いつも夕方に行われた理由であろうか。
「夕方は無理なんじゃないか?」
涼の呟きが聞こえたのであろう。アベルは書類から顔も上げずにそう言った。
「え? なんでですか?」
「夕方は、リョウはケーキを食べるだろう? ケーキを食べてコーヒーを飲んで、そんな幸せな気分になった時に、人を扇動できるか? リョウはそんなに非道だろうか?」
「なるほど……。幸せな気分の時には人を扇動できないと。アベルにしては、非常に面白い切り口の考察ですね」
「お、おう……」
涼を褒めたはずなのに、なぜか上から目線で逆に褒められてしまうアベル。
「わかりました。アベル、その仮説を実験で確かめてみましょう。善は急げです。今すぐに、ケーキを!」
「ダメだ。ケーキは三時だ。まだ二時だから、あと一時間待て」
「くっ……。今日のアベルはガードが固い……」
世界征服の話をしていたのに、なぜかケーキに落ち着く……。
きっと、この部屋は、とても平和が似合う空間であるに違いない……。