平民と仲良くする
ルネに頼んで髪をボブ風にアレンジしてもらった。貴族は艶やかな髪を惜しげもなく周囲に見せびらかすのがデフォルトだから、下ろしていた方が貴族らしいけど、平民に紛れるためにルネに頼んだのだ。
最初は訝し気に首を傾げていたルネだけど「何事も歩み寄りの姿勢を見せることが大事だと思いますの」と言うと顔を綻ばせて喜んで髪を結ってくれた。
どうやらルネは本当に学院時代の平民との関りが楽しかったようで、ぜひアタシにも経験してほしいらしい。
本来のアタシなら絶対にしないことをする作戦決行中なのだ。
髪を結ってもらったアタシは、ランチタイムになるといそいそと食堂の隅に固まる平民たちの輪に入って行った。
みんな、キャッキャはしゃいでいて本当に楽しそうだ。貴族同士の取り繕った表情や言葉にはない親近感があって、前世を思い出して懐かしい気分になる。
前世の学校も、容姿や成績、運動神経とかでちょっとしたランク付けはあったけど、誰が誰に話しかけるのも自由という雰囲気はあった。
ま、アタシは最終的に弾かれたけど。
「みなさん、楽しそうですね。お仲間に入れてもらってもよろしいかしら?」
アタシがそう言うと、席に着いていた四人がガタっと一斉に席を立った。緊張の面持ちでアタシを見つめる。真っ先に口を開いたのはゲームの中のヒロインだ。
「これはリュシエンヌ様。わたくし共も一度お話ししたいと思っていたのです。どうぞお掛けになってください」
ヒロイン以外の顔を見渡すと、とても一度お話したいと思っていた相手を迎える顔ではない。なんというか……迷惑そうな、嫌そうな、あっち行けよ的な、視線を逸らして気配を消そうとしている感じだ。
気にしないけどね! 嫌われるのは慣れているんだから。教室中の女子からハブられるという、もっと壮絶な経験もしたことあるしね!
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」
そう言って腰掛けると、みんなの視線はヒロインに注がれた。小麦色に日焼けした男子が、戸惑うように椅子を準備してくれる。ヒロインはその視線を受けるように自己紹介をした。
「わたくし、アニーと申します。どうぞ仲良くしてくださいませ」
釣られるように他の人も自己紹介をしていく。
「フロリアンです」
その言葉に体がビクッとなった。さっき椅子を準備してくれた男子だ。まさか平民の中に攻略対象がいるとは思わなかった。安全圏だと思っていたのに。平民といれば王子も平民に気をつかって近づいてこない。貴族であれば、奇異の目で見てやはり近付いてこない。そういう打算もあったのだ。
……一瞬で崩れたよ。だけど。
だからと言って、自分からやって来て急用を思い出すわけにもいかないし、正直ヒロインを除いた平民がアタシに何かできるとも思えない。だいたいのことは捻りつぶせる自信がある。それだけの権力もある。
「わたくしは、リュシエンヌ。リュシーとお呼びいただけると嬉しいですわ」
みんなが口々に「それは失礼では……」と言う。そう思うのも無理はないと思う。だけど、正直このアタシに仇なす力のないテリトリーでアタシを守ってほしいと思う。なんならアニーと仲良くなって好きな人を知って、協力してうまくいってもらえば死亡フラグは消滅すると思っている。
「みなさんと仲良くしていただきたいのです。その……お恥ずかしい話ですが、わたくし友達がいなくて……。皆さまのように素敵な笑顔でご学友と接する様子を見て、わたくしもお仲間にいれていただけたらと思ったのです」
嘘です。わざわざ平民と仲良くならなくても、貴族連中の中で取り繕うくらいできる。ただやらないだけだ。……友達がいないのは本当だけど。
「ダメかしら」
淋しそうに俯いて、膝の上に置いた手をもじもじして見せた。
「そんなことないですよ」
そう情に満ちた優しげな声が聞こえてくる。思い通りに事が運び思わずニヤケそうになる。やっぱり思った通りだ。平民は結びつきが強いうえ、みんな助け合おう精神が強いから、困っている人は放っておけないと踏んだのだ。
瞳を潤ませてお礼を言えば庇護欲もそそることだろう。正直そういうのは得意なのだ。父、叔父、兄たちにでろんでろんに可愛がってもらい、思い通りの結果を得るためのアタシの処世術だから。
「皆さま、ありがとうございます」
「わたくし共もそんな風に思っていただけるとは嬉しいです。ですが、本当にお友達に接するようにして失礼ではないでしょうか?」
「えぇ、もちろんです。その方が嬉しいです」
アタシはかつて父を翻弄し続けてきた天使の笑顔を浮かべる。これでイチコロのはずだ。
思った通りアタシの純真無垢な天使の笑顔に安心したようで、みんな一様にふにゃっと笑ってくれた。
「皆さまはどのようなお話をしていらっしゃったのですか?」
「あら、平民はそのような丁寧な言葉は使いません。どうぞ言葉を崩してください」
「え、えぇ。どんな話をしていたの?」
貴族口調をやめるように言われて、前世の楽しかったころの記憶が蘇る。まだ親友と仲良くしていたころ、毎日のように放課後食べ歩きをしたり、カフェでお茶したり。喋って喋って気付いたら日が暮れて真っ暗になっていた、あの楽しい思い出。
……またあの頃のような楽しい時間を過ごすことができるかな。
みんな家の家業は農家で、今の季節収穫時らしい。自分たちがいないから今頃家は大変だろうと話してくれた。もう少ししたら台風の季節になるからその準備も慌ただしくなるそうだ。とくにフロリアンは妹たちが無理していないか心配で仕方がないらしい。こんなのんびり学院に通う時間があれば働きたいと言う。
アニーたちは平民の一日の生活について教えてくれた。早朝、教会でお祈りを済ませたあと、簡単な朝食を摂り、農作業、昼食後また農作業らしい。
学院に通うには国からの援助が必要で、入学の選抜試験があり、ここに来ているみんなは、午前中の農作業は免除されて勉学に励んでいたそうだ。
「ご両親にしたら、午前中いっぱい戦力を失うことになるのよね? 勉強することに反対はされなかったの?」
なぜかみんなが気まずそうに顔を見合わせた。カンタンと名乗った男が口を開いた。
「その……、ここで貴族の方とお近づきになれれば、その、下働きででも雇ってもらえるかもしれないから……」
なるほど。就職のための人脈づくりも兼ねているということか。平民にとって貴族との関わりが持てるのは学院だけだもんね。でもそれなら、最初アタシが声をかけたとき嫌そうな顔しちゃダメでしょ!
「でも、下働きも大変なのではなくて?」
「農業は利益が一定ではないから、その年ごとに利益が変わります。ですが、下働きなら……」
「決まったお給金がもらえるということね」
アタシが納得したと頷くと、バツが悪そうに視線を落とした。
「なぜ、そんな風に気まずそうにするのかしら?」
「だって、お貴族様であるリュシエンヌ様相手に、貴族相手の下心を話してしまって……」
「それの何が悪いの? 生活の質を向上させたいと思うのは誰でも同じでしょう」
魑魅魍魎モンスターは、功名な話術で思い通りにしようとするところが不快だけど、平民たちは素直で取り繕うことを知らないようで逆に微笑ましい。
「……そう思っていただけますか?」
「もちろんよ。そんなことより、わたくしに丁寧な言葉はいらないと言った貴方たちが、わたくし相手にきれいな言葉を使うとは……。わたくしだけが砕けた言葉で偉そうじゃない。誰もリュシーって呼んでくれないし……。淋しいではありませんか」
視線を落として頬を膨らませれば、みんながクスクスと笑ってくれた。セヴランと名乗った男が面白いものを見つけたように楽し気に話しかけてくる。
「リュシエンヌ様、いじけてるんですか?」
そんな直球で来られると恥ずかしい。本当は計算してもっとうまくやるつもりだったのに、本音を隠さず話してくれるこの雰囲気が居心地よくなってしまった。
「そんな風に直接的な質問をされると困ります!」
熱くなる顔を感じてぷいと顔を背ければ、円卓に座る二つ向こう側のフロリアンと目が合った。フロリアンは眉毛を下げて困ったような、優し気な顔でははっと笑っている。顔が更に熱くなる。
「リュシエンヌ様。お言葉が丁寧になっていますよ。それに、顔が赤いようですが、夕日が出るにはまだ早いようです」
セヴランのアタシへのいじりは止まってくれない。セヴランが楽しそうにからかえば、円卓は笑い声で溢れた。初対面で貴族をからかうなんてセヴランはなかなか肝が据わっている。
「あら、セヴランも愛称で呼んでくれないし、言葉も丁寧ですわ。人に言う前に自分がしろ、ですわ」
前世の記憶が蘇ってから思考は砕けた言葉だけど、会話となるとまだ慣れない。そんなことも恥ずかしい。
小一時間程度の会話なのになんでこんなに楽しいのだろう。ふわふわお布団に包まれているみたいに心地がいい。
「リュシーの言葉はおかしい、ですわ!」
「そう、ですわ! 自分も気を付けろ、ですわ!」
「ですわ!」
「ですわ!」
……散々からかわれてしまった。ムキ―と歯を食いしばればまた笑われて。
平民は生活を背負っているぶん、アタシみたいな貴族より精神年齢が高いのかもしれない。傷つけない範囲で仲間入りできたことを示すようにフランクに接してくれる。
「ですわ、ですわ、うるさい、ですわ!」
おちゃらけたように言えば、みんな温かい笑顔で笑ってくれた。
今まで生きてきた中で上位の楽しい時間だった。
***
あの日からアタシはせっせと平民の集う円卓に通った。三日も経てば当たり前にアタシの席は準備されていた。それがくすぐったい気分にさせてくれる。
この人たちに魑魅魍魎とした下心がないわけではないということは知っている。最初に下働きでも……と言っていたし。だけど、本当に一縷の望みを託して、チャンスがあれば、といった感じだ。だから、分かりやすいおべっかもない。アタシが感じる限り、ではあるけど。
ルネに平民との会話を思い出し笑いしながら話すと、満面の笑顔で喜んでくれた。貴族との交流がないことには表情を曇らせていたけど……。
「リュシーは本当に友達がいないの?」
「……せっかく楽しく過ごしているのに、酷いことを言うのね」
何の気なしに聞いたのだろうカンタンをジト目で見つめながらそう言うと、意外そうに口を開いた。
「いや、だってリュシーふつうに楽しい子だから、なんでかなって」
アタシは思い切って、前世での親友の話をしてみた。もちろん前世ということは内緒で。親友の片思い相手に親友が片思い中であることを告げたのは悪かったと思うけど、他の友達を巻き込んでハブにするのはやりすぎではないだろうか、と。
みんなが息を詰まらせて、場が静まり返った。アタシのかわいそうな境遇に同情してくれたのだろう。
「それは……何と言うか……酷いことを……」
「そうでしょう? わたくし悪くないわよね? 何も集団から爪弾きにするようなことしなくてもいいと思わない?」
アタシの味方であるみんなに鼻息荒く詰め寄る。確信した。ここにいる人たちはみんなアタシの味方だ。
「いえ、リュシーが」
「なんですって?」
思いがけない言葉に目をパチクリさせる。
「だって、その親友の方は予想外のところで、自分の気持ちを片思い相手に知られてしまったんだよね? リュシーなら、自分の秘密を一番知られたくない人に他から勝手に伝えられていたらどう思う?」
……アタシの秘密。それは国外留学だ。そのことを知られたくない人に他からバラされて、本懐を遂げられない事態になったら。きっと、絶対許せない。
でもアタシみたいに生死が関わっていることじゃない。
「だけど、別に生死がかかっているわけでもないし……」
「知られたくない秘密をバラされて、それでも生きていく辛さってあるだろ? そんな風に思うような人、俺だったら安心して話もできないよ。どこで吹聴されるか分からないしね」
「そんな……」
……確かに。口外しないと信用してもらえたからこそ打ち明けてくれた事実を、アタシは勝手に、あろうことか本人に言ってしまったのだ。でも、と思う。やっぱりハブにするのはやりすぎだと思う。
「……確かに。それは反省するわ。……だけど、ハブ……爪弾きにまでしなくても。わたくし本当に辛かったのよ」
慰めて! と心を込めてみんなに順繰り視線を滑らせるけど、誰も頷いてはくれない。隣に座っているフロリアンが小さな子を諭すように言った。
「結果的にそうなっただけで、その子ももしかしたら爪弾きにする気はなかったかもしれないよ? 悲しくて他に相談していたらその噂が広がって自然とそうなったのかもしれないし……。リュシーの親友は、どんな子だった? あえて爪弾きするような子だった?」
アタシは親友を思い出してみた。いつもニコニコ笑ってアタシの話を聞いてくれた。だいたい嫌われるアタシの高飛車な態度も適度にあしらって、注意してくれて、ちゃんと向き合ってくれていた。
前世でのアタシの最初で最後の親友……。
そうだ。そんな子じゃなかった。
悲しくて怖くて見ることができなかったけど、アタシが不登校になってからも親友からのメールや着信はあった。それを怖がらずに開いていたら何か変わったのだろうか。
ポタリと涙がこぼれた。前世でも自分は悪くないと強がって泣けなかった悲しみが、今になって溢れてきた。現世になって気付くなんて遅すぎるよ……。もうどうやっても取り戻せないよ。
アタシは俯きながら首を横に振った。
「そんな子じゃなかった……」
アニーがそっとハンカチで涙を拭ってくれた。カンタンはヤバイところを突いたと言わんばかりに青ざめた顔をして、セヴランは何とかしてこの場を取り繕おうと視線を彷徨わせている。
フロリアンは透き通った瞳でじーっとアタシを見つめていた。
「それに気づけたなら良かったじゃないか。またやり直せばいい。きっと話せばわかってくれる」
アタシはもう一度首を横に振る。
「もう、会えないの。どこにもいないの……」
ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
フロリアンが頭をぽんぽんして、困った顔で励ますように笑った。
「今の時代、死は身近だから。すれ違いなんてしている余裕ないもんな。それに気づけたんだ。これからは言葉を尽くして人と関わっていこ?」
「……うん」
フロリアンはたぶん勘違いしている。死んだのはアタシの方だ。フロリアンの申し訳なさそうな顔に思わず笑ってしまった。アタシの笑顔を見て今度は安心したように顔を綻ばせた。絶対に誰にも言えない本当のことを想ってアタシはまた笑う。
少し元気が出たと思ってくれたのだろう。みんなが場を取り繕うように話を変えてくれて、終始笑顔で過ごした。
心の中で前世の親友に謝って、その親友とフロリアンが教えてくれた相手とちゃんと向き合うということを心のメモに書き足した。
本当はずっと大好きだった。だから悲しみに囚われないように強がっていたんだ。大好きなあの子に、ずっと大好きでいてほしかったから……。
本当のところは分からないし、もう知る術もない。だけど、アタシはアタシの見たあの子を信じるよ。