味方だと、信じてた……
なぜかサミュエルから逃げるための研究の間、サミュエルと過ごすことになってしまったアタシはひどく困惑していた。意味が分からない。
シルにサミュエルを図書館に行かないよう言い含めてほしいと頼んだけど、しがない公爵子息の自分に一国の王子の行動を止めることができるとでも? と一蹴されてしまった。シルならできると思うけどね……。
サミュエルには「お菓子のレシピをそんなに真剣に読むなんて、家庭的なんだね」だの「作ってもらえる人が羨ましいよ」だの「僕はクッキーが好きだな」だの、満面の笑みで言われてウザかった。貴方に嫌われるための研究中だというのに。
ちょっと酷い感想だとは自分でも思うけど、やがて自分を殺すと分かっている相手を、そう簡単に好意的に捉えることなどできるはずもない。むしろ、その一瞬の気の緩みが命取りだ。
そして、激マズクッキーができた。サミュエルはクッキーが好きと言っていたからクッキーにした。好きなクッキーをこの世のものとは思えないほど不味く仕上げたアタシは脅威に違いない。これを口に入れたが最後、もう近づいてはこないだろう。
念のため、三種類準備した。アタシ好みの唐辛子入りのピリ辛クッキーに、分かりやすく塩と砂糖を間違えたクッキー、それにレシピ通りのクッキーだ。好みなんて三者三葉。アタシがおいしいと思う者を不味いと言う人間もいるだろうから、種類は豊富な方がいい。
シルをこっそりと前世でアタシが殺された崖に呼び出した。ここなら誰も来ないと踏んだのだ。頭の良いアタシが平民を殺すために選んだ場所だ。誰でも通る場所なはずがない。
「できたの。オススメはこれね。味が分からなくならないように、一つ食べたら、これ飲んで味覚をリセットしてね」
「お……おぅ」
本当に嫌そうにシルは眉を寄せてクッキーに手を伸ばす。まずは、レシピ通りのクッキーだ。激マズレベルが低いものから渡す。不味いものは刺激が強くて、お口が味覚の役割を放棄しかねない。
「さぁ、シルが言いだした作戦よ。グイっと男らしく食べなさい」
渋々といった感じで、ちょっぴりだけを口にした。そして、ほっと表情を和らげる。
「うまいじゃないか。これなら間違いない」
「ふふん。不味いものを作るにはまず、基礎を知らないとね。これは王族が食べている味に近いかしら?」
「変なところ完璧主義なんだな……。前にサミュエルからもらったクッキーの味はこれに近いよ」
「そう。ひとまず成功ね」
アタシは思わずニヤリと口角を上げる。その企み顔に気付いたシルは「怖いな……」とボソリと呟いた。
ルネに水筒に入れてもらった紅茶を飲んでもらい、次にアタシ好みの辛いクッキーを食べてもらう。
「辛っ!! なんだこの辛いの! しかもほんのり甘さがある分マズっ! 殺人的マズさだな!」
失礼な。実はちょっとオススメの一品だったのに。この辛いのが良いと思えないなんてシルはきっと子供舌なんだわ。
紅茶を差し出すとシルは、紅茶でうがいをして崖の下にペッと吐き出した。本当に失礼極まりない。
「ちょっと失礼なんじゃないの、その反応」
「いや、マズい選手権してんだから、これは成功だろう」
「……おいしいと思ってたのよ」
「あん? なんだって?」
「おいしいと思ってたの!!」
目をパチクリさせたあと、唖然とした表情で「信じられない。これが……?」と呟きやがる。
「失礼ね! 辛いのが好きな人だっているでしょ?」
「マズいと思わないなら、なんで持って来てんだよ?!」
「色んな好みの人がいるから、これがマズいと思う人もいるかもしれないって思ったんだもの!」
「じゃあ、僕の反応は予想範囲内だろ。……ウザイな」
ウザイですと? マジムカつく。このミシェーレ公爵家第一令嬢様に向かってウザイなんて! いいわ。思い知らせてあげる。この激マズ塩入りクッキーをとくと味わうがいい。
「うるさいっ。ほら、次はこれよっ。約束したんだから最後まで味見しなさいよね」
「……本当ウザイわ、お前」
お前呼びも若干ムカついたけど、それもこの激マズクッキーを食べてもらうためなら耐えられる。気がする。
紅茶を二杯飲み干し、味覚のリセットをしたシルは手を伸ばすがクッキーには届かない。食べなければと思ってはいるようだが本能が拒否している。そんな感じがした。アタシは塩入りクッキーを掴み、シルの口の中に入れようとするが、固く閉じられた唇はテコでも動かない。
もう片方の手で顎を掴み、口を開こうとするが開かない。シルの意思が強すぎる。もう力づくしかない。シルのお腹をくすぐって、くすぐって、くすぐりまくった。「やめろ……」と言いかけたその口に塩入りクッキーを放り込み、嚥下するまで口を押える。ゴクリと喉の音が鳴り、アタシの押さえていた手を払いのけた。紅茶を口に含み、激マズ選手権の勝者を告げる。
「これだな。これが一番マズい。殺人級のマズさだ」
そう言って指さした先にあったのは、アタシのお気に入りの辛口クッキーだった。少ししょんぼりしながらも、その意見を受け入れたアタシは偉いと思う。
翌日、サミュエルが取り巻きから離れた瞬間を見計らって辛口クッキーを差し上げた。後で言い訳がたつように見た目だけでも、とルネに教わってかわいく包装したのだ。王子はふんわりとそれは嬉しそうに笑った。
シルでさえ手作りお菓子をもらっているのに、こんなに嬉しそうな顔で笑うなんて、サミュエル殿下はもらったことないのかな? もしかしたら、王子という立場が邪魔して他の令嬢たちは、あげたくても上げられないのかもしれない。
ともかく、ミッションコンプリートだ。きっとこんなマズイものを食べさせたアタシには近寄りもしなくなるだろう。マズイものを食べさせた罪を問われれば、アタシはおいしいと思って! と言えばいい。なにも毒を入れたわけではないのだ。人の好みは三者三葉なのだから。現にアタシは自分用に辛口クッキーを作って休憩時間のたびにおいしく食べている。
「おいしかったよ。ありがとう。お礼に何かさせてもらえないかな?」
サミュエルのその言葉に幻滅した。シルに殺人級のマズさと太鼓判を押されたのに、感謝されてお礼まで提案されるとは。
シルの嘘つき!! もう信用しないんだから!
「……おいしかった……ですか?」
「はい。とても僕好みの味でした。お菓子のレシピを見ておられたのは、僕に作ってくださるためだったのですね。あんなに熱心に……。本当に嬉しかったのですよ」
すごくにっこにこの顔だ。子犬が喜んでキャンキャン寄って来る感じだ。そのうち腹を見せられるのではないかと思ってしまうくらいに喜んでくれている。もしかしてサミュエル殿下も辛いのが好きなのだろうか。
「サミュエル殿下も辛いのがお好きなのですね?」
「いえ、私は辛いものは苦手で。ですから、あの砂糖が効いたクッキーは大変おいしくいただきました」
照れながら恥ずかしそうに伝えてくれるサミュエルには悪いけど意味が分からない。
砂糖? なんのこと? アタシが挙げたのは辛口クッキーだったはずだけど……。でも余計なことは言うまい。意図的に辛い物を上げようとしたとバレれば、この計画ゆえに死んでしまう。
とりあえず、シルだ。あとでシルを捕まえて問い詰めるしかない。
「喜んでいただけたのなら、光栄です」
「本当に嬉しかったので、何かお礼をしたいのですが……」
「いえ、そのお言葉だけで恐悦至極にございます。それでは……」
アタシは恭しく一礼して颯爽と王子から逃げ、シルをとにかく探した。探して、探して、探しまくった。
こんな時に限って見つけられない。くぅー。なんたることだ。
前世の学校であれば下駄箱に手紙を入れたり、スマホでメッセージしたりできるのに、この世界にはそんなものはない。メッセージは全て自分で伝えるか、学院に同行している側仕えに伝えてもらうしかない。
シルを捕まえることができなかったアタシは、ルネに手紙を渡すように頼んだ。これでシルとは連絡がつくだろう。
シルからは三日後の昼休みなら空いていると連絡が来た。どうも家業の手伝いのため領地に戻っていたらしい。どうりでいないはずだ。アタシは友達がいないので、いつでも予定は空いている。すぐに了承の手紙を書いた。
崖で落ち合う男と女。男は心底嫌そうな顔で、女は腕組をして怒り顔を隠そうともしない。風が吹いて髪がなびく。ほぼ戦闘態勢といっても過言ではない。ちなみに、アタシとシルのことだ。
「さて、説明してもらいましょうか?」
「……何を?」
シルは本当に何のことか分からないといったように、きょとんとした顔をしている。だけど、こいつが元凶だ。そんな気がする。
「サミュエル殿下にクッキーのお礼を言われたわ。貴方嘘ついたのね? サミュエル殿下は辛口がお好みだったのね?」
「いやいや、サミュエルは辛いのは苦手だ。だから、辛口クッキーをすすめたんだ」
……話がかみ合わない。シルに事の起こりを最初から説明するように言われ、お礼を言われたところから一言一句漏らさずに話した。
首を傾げながら額をポリポリと掻いたシルが口を開いた。
「それってさ、辛口クッキー、サミュエルに渡ってないんじゃない?」
「そんなはずないわ。ちゃんと準備していたもの。誰がクッキーをすり替えられるって言うの?」
「僕に起きたこととして考えると、すり替えることができるのは使用人じゃないかな?」
「そんな! ……あり……得るわね……」
そう言えば、ルネが「クッキー喜んでもらえるといいですね」と言っていた気がする。それはとてもにこやかな笑顔で。ルネならやる。アタシのプレゼントを味見してすり替えることくらい簡単にやってのける。
「今度はちゃんと辛口クッキーが殿下に届くようにしないとだめね」
「いやいや、もうだめでしょ。サミュエルと話したときに、辛いのが苦手って知っちゃったんでしょ? それで辛口クッキー渡すのは、さすがに言い訳が立たないんじゃないかな?」
「じゃあどうすれば……」
「前から思ってたんだけど、なんでそんなにサミュエルから逃げたいの? 普通なら王子が寄ってきたら喜ぶもんじゃないの?」
首を傾げ不可解な面持ちでアタシの顔を覗き込んでくる。殺される運命にあるからとは言えない。死神だからとはもっと言えない。どうしたものか……。そう思考を巡らせているアタシに更に質問を重ねる。
「そもそも目立ってサミュエルの気を引きたかったんじゃないの? なんかさー、最初はそう思って観察してたのに、サミュエルが近寄ると逃げるでしょ? 意味わかんなくて。しばらくリュシーと行動を共にしてみたけどやっぱり分かんない」
この人は何を言ってるの……?
「目立つ……? アタシのどこが目立っていたというの? 完璧に埋没していたでしょう」
そう言うとシルは「はぁ?」と驚愕の表情を向けた。顎が外れるのではないかと心配になるくらい口を開けている。正直みっともない。
「髪の毛。ブロンドの髪が次の日には茶髪、それから時間が立たないうちにグレー。目立ちたかったんじゃないの?」
今度はアタシの目と口がこれでもか! とシルに負けないくらい大きく開いた。
「……なに言ってるの? 大多数の髪の色を真似たのよ? なんで目立つのよ?」
「元の色を知っている人から見たら『また変えた。何がしたいんだ?』って興味の対象にしかならないよ。サミュエルがリュシーに興味を持ったのもそのせいだしね。あんなに目立つ行動しているのに、なんで一人で静かにしていられるんだって」
シルが口元に拳をあててクックックと悪役のような笑みを浮かべる。
「まぁ、リュシーに人が近付かなかったのは、頭がおかしいと思われていたからだけど」
どうやら、王子は髪色を変えるアタシの目的が分からないうえ、自分がなりたい孤独の位置をキープしているアタシに興味を持ち、それ以外の人には変人と思われて寄り付かれなかったそうだ。
つまり、半分はアタシの目的は達成したことになる。もう半分の方が大事だったけれど。
なんか疲れた……。
「なんか疲れたわ……。もういいわ。さようなら」
「さようならってなんだよ。感じ悪いな」
「シル。アタシが気付いてないとでも思ってるの? 最初は楽しそうに近寄ってきてたくせに、最近は面倒くさそうに、嫌そうにアタシに付き合ってるじゃない。いい頃合いだから、もう貴方にも近づかないわ。結局何も得られなかったもの」
「バレてたか。じゃあ、またいつかタイミングが合えば」
シルはあっさりそう言うと、それは嬉しそうに満面の笑みを顔に浮かべて、アタシの前から去って行った。
本当になんて奴だ。波乱しか呼ばなかったではないか。もう絶対近付かない。なんであんな奴を信用できていたのか、今となってはその時の自分の事さえ信じられない。