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ただいまのあと


 リュシーがニキアスと結婚するため巣立った後、わたくしたちはお通夜のようにその夜を過ごしました。


「……リュシー、幸せになれるといいのだけど」

「私たちの娘だ。絶対に幸せになってくれるさ」


 そう言って、グレゴワールが優しくわたくしの肩を抱いてくれます。


 フロリアンに気持ちを受け入れてもらえなかったと沈む気持ちを隠しきれていなかったリュシー。ニキアス殿下の後押しがあって告白することができたと、そう言っていました。


 ですが、わたくしはこう思うのです。平民のフロリアンがミシェーレ公爵家唯一の令嬢のリュシーの気持ちを受け入れることなどできないだろうという打算のもと、リュシーに告白を促したのだと。


 ニキアス殿下がリュシーを慕っているのは、我が家に挨拶にいらしたときから気付いておりました。「挨拶をしておこうと思って、寄らせてもらったのだ」と言ったニキアス殿下の瞳は険しく、暗に自分との婚約が整うよう取り計らえと言っているようで、思わず身を竦ませたことを覚えております。


 グレゴワールとわたくしがリュシーとの再会を喜んでいるのを見て、嬉しそうに微笑まれていたことからもリュシーへの気持ちは確かなものだったのでしょう。


 リュシーの嫌がらせにも嬉々として応じ、むしろ、そんな小細工するリュシーを愛しそうに見つめるニキアス殿下を見ていれば、これで良かったのだと。……ですが、愛する人から気持ちを受け入れてもらえないまま、努めてニキアス殿下と向き合おうとする我が娘を見ていると居たたまれない気持ちにもなります。


 

「本当にそうお思いになって?」

「あぁ……そうであってほしいと……」


 どうやらグレゴワールも少なからずわたくしと同じ思いを抱いているようです。


「だけどさ、フラれたんだから仕方ないよね?」

「そうそう。身分差がどうとかはあると思うけど、それを乗り越えてでもリュシーの気持ちを受け入れるだけの男気がないと。いづれにしても二人に未来はなかったよ」


 さっぱりとした口調でリュドリックとフレデリックがワイン片手にそう言いました。


「それは、そうなんですけど……」


「母上。全ては過ぎたことです。結果としてあるのはリュシーはニキアス殿下の手を取り、リンネルに旅立ったこと。それだけです」


 リュドリックがなんのことはないようにそう言いました。


 ……リュドリックはリュシーがかわいくないのかしら?


「そうそう。もしかしたら婚約式で幸せそうにしてるかもしれないし」

「……それもそうなんですけど……」

「母上。これはリュシーの旅立ちを祝う場でしょう? 憂いなく祝ってやらないとリュシーも気に病みますよ」

「えぇ。……そうね……」



 そうは言いながらも、リュドリックもフレデリックも空元気のように見えます。目に入れても痛くないほどリュシーをかわいがっていたグレゴワールは、ため息をつきながらも懸命に口元に弧を描きます。


 リュシーの旅たちの宴は家族みんな憂いを帯びた空元気で、なんともいえない空気で終えました。



 グレゴワールと寝室に入り、二人天井を見つめたままため息を漏らします。娘の結婚をこんな気持ちで迎えることになろうとは夢にも思っていませんでした。


 言葉を交わさないまでも、寝具の擦れる音でグレゴワールが寝付けないことは分かっていました。


 ……こんな夜に、眠りにつけるはずないですよね……。




 それでもなんとか眠りにつこうと寝返りを打って寝心地のいい位置を探していたとき、外の方から馬車の止まる音が聞こえました。


 グレゴワールと目を合わせて首を傾げ合います。


「こんな時間にどなたかいらしたのかしら?」

「……こんな時間に公爵家を訪ねる無礼者はそうそういないだろう」

「リュシーが忘れ物に気付いて使いをだしたのかしら?」

「……それは、ありえそうだな。まぁ、いづれにしても執事長はまだ起きているだろう。対応してくれるさ」

「えぇ、そうね」



 バタバタと階段を駆け上がる音に二人してベッドから身を起こしました。


「なんの騒ぎかしら? まさか、強盗……?」

「……分からないが……」


 グレゴワールが枕元に常備してある剣を手に取り、片手でわたくしをかばうようにして扉に近づいていきます。


 声を出すなと指示するように唇に人差し指をあてたグレゴワールに、緊張感が走りました。



 ノックの音の次に、聞き覚えのある執事の声がしました。



「旦那様、奥様、お嬢様のお帰りです!」

「……」

「……」




「「は?」」


 ソファにかけてあったストールを肩にかけ、マナーを忘れてグレゴワールと共に階段を駆け下りました。



 途中、泊まっていたリュドリックとフレデリックと合流しました。



 驚いたことにそこには、送り出したはずのリュシーが。その隣にはリュシーの気持ちを受け入れなかったフロリアンがいます。


 二人の手はしっかりと握られています。正確にはリュシーの手がぎこちない笑顔のフロリアンの手の上に重なり、しっかりと握っていました。



「ただいま帰りました」


 いつものように笑顔で。学院から帰宅したときのように朗らかな声でそう言います。


 そのリュシーが醸し出す日常感に釣られて「おかえりなさい」と言いそうになりました。


 いえ、そんな呑気な返事をしている場合ではありません。ニキアス殿下との結婚のために他国へ送り出したリュシーが普通に帰ってきたのです。これは一大事です。


 ニキアス殿下をさしおいてフロリアンと手と手を取り合って帰ってくるなど、下手したら国際問題になりかねません。



「……なぜ、リュシーがここにいるのですか?」


 聞くのも怖いけど聞かないのも怖い。そんな気持ちで喉はひどく乾燥して、掠れた声が出ました。


「フロリアンが告白してくれたところ、ニキアスに追い払われました!」


 あっけらかんとそう言う娘にめまいを覚えます。あぁ。頭痛が……。


「どういうことだい?」


 二の句を継げずにいると、グレゴワールが言葉を引き継いでくれました。


「『大国の王子である俺がなぜ自分を好きでもない女と一生を添い遂げないといけないのだ』と追い返されたのです」


 ……そのニキアス殿下の言葉が愛の言葉に聞こえるのはわたくしだけなのでしょうか? わたくしには「愛しているからこそ、自分を愛していないリュシーとは一緒にいることはできない」という悲痛な叫びに聞こえます。


 ……あぁ、なんてこと。


「その言葉をそのまま受け入れたのですか?」


 わたくしの言葉が胸に刺さったのでしょう。リュシーがポロポロと、その大きな蒼の瞳から涙をこぼします。「リュシー」とフロリアンが気遣うようにリュシーの肩に手を回しました。そして、視線をこちらに向けます。


「俺……私が、勇気がなかったためにニキアス殿下を傷つけることになってしまったのです。リュシーは何も悪くありません」


 今度はリュシーがフロリアンの前に出ました。頬をつたう涙をそのままに視線をまっすぐこちらに向けます。


「違う。わたくしが悪いのです。ニキアスを……フロリアンを想うようには愛せなかったから……」


 なんとなく三人の間に起きたことが分かりました。ニキアス殿下は自分を想ってくれない現実を憂いて、もしくは、リュシーの幸せを願って、身を引いてくれたのでしょう。そして、そんなニキアス殿下の気持ちをリュシーも感じ取っているのでしょう。



「ニキアスは、どちらが先に逝くかは分からないけど、どちらが先だとしても幸せな人生だったと思える関係を築いていきたいと思っていると言ってくれました。わたくし……その言葉をいただいたとき……確かに、ニキアスとそんな時間を作って……いけるように、頑張ろうと……」



 拭っても拭っても涙が溢れてくるリュシーを見て、ニキアス殿下の気持ちは痛いほどリュシーに届いていたのだと思いました。


 ……それでも、止められない想いだったのでしょう。フロリアンへの気持ちは……



 自分も泣きそうな目でリュシーを見つめ、髪をなでてやるフロリアン。ニキアス殿下の気持ちを察していたわたくしとグレゴワールもなんともいえない気持ちでリュシーを見つめます。


 リュシーの気持ちが届いたことが喜ばしい反面、そこまで娘を想ってくれるニキアス殿下となら、例え今は愛していなくてもリュシーは幸せになれたのではないかしらと想ってしまうのです。



「なんか暗い感じになってるけど、結局リュシーは今どんな気持ちなの?」

「そうそう。幸せなのか? それとも、ニキアス殿下のところに戻りたいと思ってるの?」



 リュドリックとフレデリックが確信に迫ります。確かに、帰ってきてしまったリュシーとフロリアンを見て、ニキアス殿下のことを憂いてしまっていましたが、今は娘の気持ちを聞くことが大事でしょう。



「リュシー。どうなんだい?」


 リュシーが真っ直ぐな視線をグレゴワールに向けました。



「ニキアス殿下には悪いと思っています。ですが、わたくし、それ以上に、フロリアンに気持ちが届いたことが嬉しいのです……。まるで、わたくしは悪魔のようですね……。ニキアス殿下の気持ちを痛いほどに感じながら、それでも自分の気持ちを優先させるなんて……」



「リュシー。それは普通のことだよ」

「そうそう。リュシーが幸せならそれでいいじゃないか。いつまでもグダグダ言ってても、過ぎたことだ。ニキアス殿下も、納得してくださったから、今リュシーはここにいるんだろう?」

「そうだね。リュシーが幸せならそれでいいさ。ニキアス殿下も、いづれ愛し愛される女性を迎えられるだろう」

「……そうね、ニキアス殿下は素敵な方ですし……」



 リュシーが自分の気持ちとニキアス殿下の狭間で揺れ、それでも自分の気持ちを優先させて自分を責めるのを痛いほど感じたわたくしたちは、場を明るくしようと努めます。


 リュシーが嘆けばリュドリックとフレデリックが飾らない言葉で慰め、グレゴワールとわたくしはリュシーが幸せならそれでいいのだと諭します。



 そんな日々が続いたある日、ニキアス殿下からリュシーへ手紙が届きました。


 緊張した面持ちで執事長から手紙を受け取って自室に引きこもったリュシーが、久しぶりに、本当に久しぶりに満面の笑顔を見せてくれました。そして、数日後、大きな小包を執事長に渡します。


「これをニキアス殿下へ」

「承知しました」



「リュシー。今の小包は何かしら? ニキアス殿下へ?」

「えぇ。先日ニキアス殿下から手紙が届いたでしょう? 『婚約破棄したからといって其方に課したレポートの提出がなくなったわけではない。まだ受け取っていないがどういうことだ?』と」


 「ふふふ」と口元に手を当てて嬉しそうに笑うリュシーを見て、わたくしも安堵しました。真剣な気持ちを伝えてくれたニキアス殿下とのお別れが悲しいものになってしまったことが気がかりだったのでしょう。




「これからどうするのですか?」

「これからといいますと?」

「復学するかどうかということです。リュシーはリンネル国に戻る予定でしたから」


 夏期休暇が明けて半月が経ちます。これまではリュシーが塞ぎ込んでいたため話題に出すことをためらっていましたが、ニキアス殿下のお心遣いによりリュシーの気持ちは上向きになっています。そろそろ今後について考えなければなりません。



「……それは保留でお願いします。いま少し考えていることがあるのです」


 ……嫌な予感がします。リュシーがなにか考えると良いことが起こる気がいたしません。気持ちがざわめきます。



「……なにを考えているのかしら?」

「……わたくしの将来の夢についてです」

「将来の夢?」

「……えぇ。わたくし医師になりたいのです」



 グレゴワールに医師の弟子入り先を斡旋してもらうよう依頼したリュシーは、その数日後から嬉々として弟子入り先に通い始めました。


 



 あんなに紆余曲折があったフロリアンとなんの憂いもなく婚姻を結べる状態になっているというのに、我が娘ながら何を考えているのか分かりません。



「わたくし、生まれてきた子供は必ず寿命を全うできるものと思っていたのです。ですが、そうではないことを知りました。きっと平民は貴族よりも寿命を全うできる可能性が少ないでしょう? ですから、わたくしは医師になりたいのです」


 「貴族として生まれ、平民として生きていくわたくしだからこそ、できることだと思うの」と、強い眼差しで前を向くリュシーは、もう子供のままではないのだと思いました。


 平民には優秀な医師はいない。それは安定した収入を得られないから。安定した収入がなくても生活が困ることのない自分が優秀な医師として平民を支えていくのだとリュシーは言います。


 平民として生きていくと言いながらも、後ろ盾としてしっかりと公爵家を利用するつもりなのは逞しいで終わらせていいものか悩むところですが、平民と結婚したからと言ってリュシーを見捨てるつもりなど爪の先ほどもないことをリュシーも分かっているのでしょう。


 ……本当にこの娘は……自分が家族に愛されていることをよく分かっているわ。



 卒業のタイミングでフロリアンとの婚約パーティを開催し、屋敷を新築し、住める状態になる1年後には結婚生活を始めるのだろうと思っていたリュシーは、婚約さえも先送りにして医術を学ぶことに精をだしていました。





 フロリアンの卒業から3年が過ぎた頃、フロリアンの農場のすぐ近くに小さな診療所が立ちました。診療所の前には色とりどりの花が咲き誇っています。


 ヴェールの上にその花であしらった色彩豊かな花冠を乗せて、純白のドレスに身を包んだリュシーは、幸せ溢れる笑顔で、すぐ隣にいるフロリアンを見つめています。



「汝、健やかなるときも、病めるときも、妻リュシエンヌを愛し、慈しみ、敬うことを誓いますか?」

「誓います」


「汝、健やかなるときも、病めるときも、夫フロリアンを愛し、慈しみ、敬うことを誓い……」

「誓います!」



 牧師の声を遮ったリュシーはあろうことか自らヴェールをあげ、フロリアンの頬にキスをしました。一瞬戸惑いの表情を見せたフロリアンが、困った顔で唇に弧を描き、リュシーの頬にキスを返します。



 ……我が娘ながら、本当に困ったものです。



 そう思いながらも、幸せそうに微笑みあう二人を見て、わたくしの唇も自然と弧を描き、心は灯がともったように温かくなるのです。





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