巣立ち
あっという間だった。たった一ヶ月の間に帰国して、農場見学をしてレポートを書いて、ニキアスに告白されて、ついでにフロリアンに告白してこいと言われて。フロリアンに告白してフラれた。そして、ニキアスとの婚約は決定して明日にはリンネルに旅たち、およそ半月の旅程を終えた数日後には婚約式だってさ。
……お誕生日会、嬉しかったな。
って、怒濤の一ヶ月すぎるでしょ! アタシの頭の中はハチャメチャだよ!
十六年間を生きた前世の人生より、ここで前世の記憶を思い出した2年間の方がよっぽど濃密だよ!
なんて、頭を抱えていたところで、その日はやってくるわけで。今、ニキアスが用意した馬車にアタシの嫁入り道具を使用人がせっせと詰め込んでいる。
前世でアタシは盲腸の手術をしたことがある。なぜ、いきなりそんな過去すぎる過去を思い出しているのかというと、腹を括る必要があるから。医者に「手術が必要です」と言われて怖くて泣きじゃくっていたアタシは、手術室に入るときには笑顔で「行ってきます」と両親に行ったらしい。
そう。アタシは腹を括ればどんな障害にも笑顔で立ち向かえる人間なのだ。
ニキアスとの婚約を障害と言うのは申し訳ないけど、アタシは生まれた国を離れて生活していかなければいけない。アタシにとっては障害だろう。公爵家の娘として円満に乗り越えなければいけない。
「お嬢様。ニキアス殿下がお見えです」
「えぇ。今行くわ」
他国に嫁ぐわけだけど、半月もきらびやかな肩の凝る衣装なんて着ていられないわけで。社交的に見える洋服はふわふわかわいらしく見せているようで、そのボリューミーなふわふわを利用してコルセットなんてしていない。できるわけがない。
「そろそろ出発しないと、予定している宿に明るいうちに着くことが叶わなくなる。両親への挨拶を」
「えぇ、承知しました」
荷物がたくさん詰められた馬車を背に両親と兄たちに向き直った。父と兄たちは涙目で、母は既に号泣してハンカチを目元に充てている。その様子にアタシも思わず涙ぐむ。
……あぁ、本当にこれが最後なんだな……。
「お父様、お母様、これまで育てていただき……ありがとうございました……。十四年という短い……間ではありまし……たが、わたくしは……この世の誰よりも……幸せな娘だったと、心から。……心から思っております」
父と母が揃ってアタシを抱きしめてくれた。そのぬくもりに安堵しながらも、このぬくもりを感じることができるのは最後なのだと。このぬくもりを生涯忘れず。例え何があろうとも。
「私たちも、リュシーがいてくれたから、この世の誰よりも幸せな親でいることができたよ」
父が抱きしめていた腕を滑らせ両肩に手を乗せる。母の腕はアタシの肩を抱いたまま。
「よく顔を見せておくれ。私たちから巣立つことに変わりはないけれど、これからもリュシーが娘であることを幸せに思う。一生、私たちとリュシーは親子だ。……いつでも帰ってきていいのだよ」
父が柔和な笑みを見せ、アタシも笑顔で答えていると、「コホン」と母の咳払いの音がした。父と共に母の視線をたどると眉間にしわを寄せたニキアスがいる。
うわぁ……。
「まぁ、良い。感傷的になってしまう気持ちは分かるからな」
「リュシー!! 俺たちはいつまでもお前の兄だ。それにも変わりはない。いつでも手紙を寄越せばいいし、いつでも会いに来ればいい」
「あぁ。俺たちもこれを機会にリンネル国に度々邪魔する予定だからな!」
兄たちの勝手な言い分にニキアスの反応を見ると「……そんな簡単に国境を越えられるのも問題なのだが」と険しい顔をしている。たぶん、他国に易々と侵入されるリンネル国ではないと言いたいのだろうし、そうであっては大国としての威厳が保てないと思っているのだと思う。
しかし、兄たちの軽口にそんな真面目に答える必要はない。わりと悪乗りが好きな兄たちだ。それに、ここで公言することで「そのように取り計らってくれるとうれしいな!」という要望なのだ。
「リュドリック兄様、手紙を書きます。絶対に返事をくださいね」
「当たり前だ」
そう言って、リュドリックはアタシの額にキスをした。
「フレデリック兄様のお茶目な要望はニキアス殿下には伝わっていませんよ。リンネル国に訪れたいのであれば率直に申し出ないと」
「そうなのか? では」
コホンとフレデリックが咳払いをして、ニキアスに向き直ると、それに応じるようにニキアスが姿勢を整えた。
「ニキアス殿下、俺……私はリンネル国に是非行ってみたいです!」
直球な意見を言われるのは初めてなのだろうニキアスが戸惑いの表情を浮かべる。が、ニヤリと口角を上げた。
「承知した。先触れを出してくれたら、そのように取り計らおう。……と言うか、其方らは何か勘違いしているのではないか? 婚約式には其方らも出席するであろう?」
両親も兄たちも、アタシもハッとした。この今生の別れのような空気に流されてすっかり忘れていた。
照れ笑いを浮かべるほかない。
「そうでした! ははっ」
両親と兄たちと向き直る。
「それでは、行って参ります!」
「リュシエンヌは家族に大切にされていたのだな」
なぜか、というか、当然なのか、二人きりの馬車の中でニキアスが言った。アタシは思わず首をかしげる。
「家族が家族を大切にするのは当然ではありませんか?」
前世も現世もそれは変わらなかった。絶対的な自分の味方。それが家族だ。
「……そうか。……そうだな」
ふっと寂しげにニキアスが笑う。その微笑に、皇族は少し違うのかもしれないと思った。
「……ニキアスは言ってくれたでしょう? どちらが先に逝くかは分からないけど、どちらが先だとしても幸せな人生だったと思える関係を築いていきたいと思っている、と。それは家族を大切に日々を過ごした先にあることだと思うのです」
「……あぁ、そうだな」
「でしょう? わたくし、ニキアスの言葉が嬉しかったのです。結婚生活という未知の世界もそうですが、母国を離れることに不安がないわけではないので……」
「そうだな。リュシエンヌには慣れない環境で過ごさせることになると思う。……だが」
熱のこもったニキアスの視線がしっかりとアタシの瞳を捕らえた。
「だが、俺はリュシエンヌがいい」
「……なぜ、わたくしを?」
「目が離せないと思ったのはお前が初めてだ。他の誰よりも近くにいたいと思ったのも」
「……ありがとうございます。一国の王子にそんな風に思ってもらえるなんて、わたくしは幸せ者です」
静かな時間が、正確には沈黙の時間が流れた。アタシのニキアスへの返答がニキアスの意にそぐわなかったのだと思う。
長い長い沈黙の間、気まずすぎて何か話そうかと口を開いたときだった。護衛騎士が声をかけてきた。
「後方から、青年が追ってきています。おそらくこの馬車を狙ってのこと。始末しますか?」
真顔のまま表情を変えないニキアスが馬車を止めるように指示して、窓から後方をのぞき込む。
「リュシエンヌ。始末してもいいか?」
「……なぜ、わたくしに?」
「リュシエンヌの知り合いであれば、始末してしまえば其方の心の傷になるだろうと思ってな」
正直、アタシにはニキアスも知っている友人しかいない。魑魅魍魎モンスターと自分以外の貴族を揶揄してきたアタシの顔は広くない。
首を傾げると、ニキアスが窓から後方を見るよう顎をしゃくった。
促されるまま窓をのぞく。
必死の形相で馬車の後ろを駆けてくるフロリアンが目に入った。




