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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第三章 悪役令嬢は好きにする
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とにもかくにもレポートを


 とりあえず課題だ。リンネルにレポートを提出しないといけない。


 そもそも夏休み中に無理やんこ帰省したのだ。手ぶらで戻る訳にはいかない。サミュエルの許可を得て王宮図書館に、父から学院長に話を通してもらいキュレール学院の図書室にも通えることになった。


 期間は2週間を切っている。控えめに言っても慌てないと。


 なんといっても専門書が充実しているのは王宮図書館だろう。アタシは地質調査の専門書を手に取るとキャレルに入った。リンネルから持ち帰った肥料をプレタールのどういった土に使用したのかをまとめるためだ。どの土にどの肥料を使えば良いかはロランが詳しく説明していたけど、他国であるためロランが首を傾げる土質もあったわけで。


 今回のレポートはそれに関しての報告書にしようと思い立ったのだ。

 既に育てている野菜があるため区画で肥料を試すことはできない。植木鉢に土を取り分けて4種類の肥料を説明通りに混ぜ込んで同じ野菜を育ててみる。育てやすいといわれている前世でも現世でも同じ名前のトマトだ。


 研究材料の土が一種類しかないとリンネルという大国は納得がいかないのではないかと不安になったアタシは、我が家の庭園の土も同じように研究材料にした。それでも不安だったのでアニーやセヴラン、カンタンの農場の土も分けてもらった。


 とはいえ、さすがに2週間で収穫できるわけもないので生育状況で勝負させたいと思い、種まきから頑張った。それぞれのポットに肥料別に記号を振り観察するのだ。


 種まきから早ければ3日で発芽するというトマトは、肥料ごとになかなかおもしろい結果が出た。まずはフロリアンから分けてもらった土。何事もなかったように変化のないままの土が2つ。発芽したのが一つ。何かの魔法にでもかかったのではないかと思うくらい間引きが必要になったのが一つだ。



 アニーから分けてもらった土も、どの肥料でも種を撒いたことに気付いていないかのように静かになりを潜めている。



 セヴランの土は、どれも発芽に5日程度要した。いわゆるプレタールの土では標準的な育ち方だ。


 一番驚いたのは我が家の土だ。発芽までに1週間ほど要し、しまいには枯れてしまったのだ。庭師に確認したところ、我が家は数年前から草木灰を使用していたという。草木灰について叔父から「ここだけの話」として聞いた父が庭師に漏らしたそうだ。


 ……お父さま、叔父様のために内緒にすることはしなかったのね……。そして、草木灰が既に含まれた土に更に肥料を加えたための過剰投与になった、と……。



 情報の秘匿の重要性が兄弟間という緩衝(クッション)によって漏洩されていたことに軽く眩暈を覚えたが、さすが父が信用して話しただけあって、その庭師もこっそりと草木灰を作成し、ひっそりと使用していたらしい。それにしても漏らしちゃだめだろう。


 なにやら庭師が作成方法については聞いておらず、草木灰という名前だけを頼りに試行錯誤したと、詳細については叔父も父も知らなかったと擁護しているがそういう問題じゃない。


 ということで、聞かなかったことにしたアタシはレポートに書く研究材料はフロリアンとアニー、セヴランの土に決定して、我が家の土は研究材料からそっと外した。


 情報漏洩した事実をさらに漏洩するわけにはいかない。



 土を分けてもらうときはちょっとためらった。なんせ、プレタールの肥料は排泄物。端的に言って、それぞれの一家の排泄物と直結して意識してしまうことからは逃れられないよね。だけどアタシは頑張った。どうせ、なにも考えずに野菜として食べてたんだからね。割り切ったよ。



 キャレルに入って本を開いて、それっぽい目次を辿りページを捲ってため息をついた。

 どれだけ目で追っても、色とか断層とか水場が近くにあるか否かしか書かれていない。なんの手掛かりにもならない。


 書いてない!! そりゃそうだよね! 一平民の農場の土について書いてあるわけないよね!



 甘かった。王宮図書館に行けば全ての答えが用意されていると思っていたアタシは馬鹿だ。


 だけど、土質の手がかりになるのは色や粘性、硬度だと分かった。これは調べるしかない。フロリアンとアニーとセヴランから分けてもらった土と同じ場所の土をもらってくるようにセヴランに頼むと、すぐに土は手元にやってきた。



 ザルで漉してどのくらいの大きさの石や土が混ざっているか確認したり、水に溶かして透過性を比較したり、手で丸めてみて形を同じ環境下において維持できる時間や、プランターに入れて指が沈む深さを比較してみた。それぞれの色も添えて土の特性として記載した。これはもう実物がないとリンネルの文官も意味が分からないと思うので少量ずつ箱に入れて一緒に提出することにした。


 これだけ実験した経緯を記せば文句を言われることはないだろう。そうであってほしい。


 専門的な土質の名称は分からないので、だから? と言われてしまえば返す言葉はないが、見る人はプロだろうし、そのプロが不明と判断したなら、さらにさらにプロに託すことになるだろう。そこまでアタシの自由研究に興味を持ってくれるか……。いや、持つと思う。


 他国の土の特性と肥料の相性の自由研究だ。やりようによっては貿易でがっぽりと稼げる。「お宅の国の土質に似た土壌でこんなに成果のあった肥料ですよ」ってね。


 それにあの新しいことが大好きなお国柄だ。更に違う土地で研究したいと意欲を燃やすことだろう。むしろ他国の土が手に入っただけでご満悦だと思う。



 農村の土質の答えは書いてなかったが、考察を書くには専門書が必要と感じたアタシは、実験が終わった頃には王宮図書館に通っていた。図書館内はもちろん私語厳禁、飲食厳禁なのだけど、休憩所が素晴らしい。前世で言うホテルのラウンジみたいなのだ。


 床一面に品の良いベージュの絨毯が敷き詰められ茶色のテーブルにふかふかのソファがある。さすが王宮図書館! ソファの座り心地は前世のベッドに近い。うっかりすると寝てしまいそうなくらいだ。


 だから、持ち出し禁止の専門書が必要でない時は、もっぱらこのラウンジに通っていた。優雅にソファに腰掛け、思案する。思いついたらサクサクと手を動かしレポートをつめていく。



「リュシー。捗っているようですね」


 ペンを持つ手を止めて頭を上げればサミュエルの姿が目の前にあった。


 アタシはニコリと笑みを広げる。


「えぇ。サミュエルは庶務の報告をされるのでしょう?」

「はい。僕はリンネル国で教示いただいた国政における庶務管理を行う上での長短についてまとめようと考えています」



 サミュエルもニキアスの同行、いわゆる国賓への接待のためとはいえ一時帰国したのだ。手ぶらでは戻れない。ゆえにサミュエルも今必死なのだ。



「往復の時間を夏休み前に組み入れて下さったとは言え、国政の書類管理に他国の方法を取り入れて、そのうえで長短を見つけるのはさぞ大変だったのでは?」


 アタシの問いは的を得ていたようで、サミュエルの表情に暗い影が落ちた。睫毛を伏せて自嘲気味に小さく笑った。


「はい。第一王子とは言え、国政への参加は見学程度なので、学んできたことを実践で活用してもらい、その長短を聞き取りしているのです。ただでさえ人員不足で多忙な官僚に、業務外のことを頼むのは些か恐縮しますね」

「あら。第一王子がそんなに申し訳なさそうな顔でお願いするのですもの。官僚様方は逆にやる気に溢れているのではないでしょうか」


 実は父から聞いたことがあるのだ。この王子は表情を取り繕ろおうとしているのが、古参には丸わかりで、頼りなく感じる一方かわいくもあると。


 ……まぁ、その取り繕っているのも他の学院生にはうまく効果を発揮しているみたいだけどね。現にアニーは絵にかいたような王子様を見るようにうっとりとした表情でサミュエルを見つめているし、平民フレンズはサミュエルがいると緊張感が走るもの。


 もしかしたら、その緊張感がサミュエルにも伝わって物々しい感じに映っているのかもしれないけれど。


「……僕は一目で分かるほどの申し訳なさそうな顔をしていましたか?」


 え? 無意識? やばい。アタシの口がまた余計な事を言ったかもしれない。


「え、いえ。……まぁ、そうですね……」


 うん。うまいこと言えなかった。これがリュシークォリティ。許して。


 ヤバイと思いながら、サミュエルの表情から心情を読み取ろうとじっと見つめると、スッと真顔になった。ニコリと王族スマイルを見せる。キラキラと星が周りに見えるようだ。


「どうです?」

「どうです? と言われても……」

「僕は、少し、リュシーの前では気が抜けてしまうところもあるかもしれません。……そこに関しては少なからず自覚しています。ですが、他の者たちの前ではいたってこの顔です」


 ……そんな得意気に言われても……。確かにアタシが一目惚れした煌々としたキラースマイルだけれども。感情を見せない表情ではあるけども。父の話しぶりから察するに演じきれていないぞ、王子様。


「……そうなのですね。それだけ、わたくしには心を許してくださっていること、嬉しく思います」


 心の言葉を隠してそれだけ言うと。ふふっと笑顔を見せた。同じように笑顔を返してくれるだろうと見上げたサミュエルの顔が真面目なものだったため、小さな緊張感が心に張った。


「……リュシーは、ニキアスと結婚を?」

「……このままいくとそうなりますね……」

「それは、ニキアスとの結婚を望んでいないということですよね?」

「……そう、ですね……。サミュエルにはわたくしの気持ちも知られてしまっているので隠さずにお話しますが」



 そしてアタシはサミュエルにニキアスが後押しをしてくれたことでフロリアンに想いを告げることができたこと、けれどもフラれてしまったこと。それすらもニキアスに報告して、今はニキアスと向き合う努力をお互いにしていることを話した。


 どんな表情を作るのが普通なのか分からないアタシは、とりあえずお貴族様然とした笑顔をサミュエルに向けたけれど、サミュエルは固い表情で唇を噛み締めている。


「……サミュエル?」

「……ニキアスと向き合って、今は……気持ちに変化があったのですか?」

「……変化があればいいと思っています。……それがきっと、みんなが幸せになれる方法だと思います……」


 「恋ではないだけで、ニキアスのことは好きですし」と、また笑みを広げて見せる。


「……僕の……」

「はい?」

「いえ、リュシーも、リュシーの周りの方々も、みんな幸せになるといいですね」

「えぇ、そうなるように努力するつもりです」


 サミュエルを見上げると何度か口を開け閉めして、意を決したように言葉を紡いだ。


「……リュシー。以前、僕は貴方のことを好きだと言いました」

「……えぇ、覚えております」

「僕の好きなリュシーが、この先の未来も幸せに包まれることを祈ります」


 サミュエルの前半の言葉に思わず息を呑んでしまったけど、アタシの幸せを祈ると言ってくれたこの優しい人を、アタシは、やっぱり好きだなと思った。決して口には出さないけど、サミュエルが求める気持ちとは違う感情で、アタシはサミュエルのことが大好きだ。


「ありがとうございます。わたくしもサミュエルの生涯の幸せをお祈りいたします」

「ありがとう」


 そう言ってサミュエルはさみしそうな子犬の顔で笑った。


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