凶暴な気分なのです
デートの約束をして、とっととニキアスを追い返したあと、アタシは自室でぼーっとしていた。
最初は打算だった。
平民に囲まれていれば高貴なサミュエルは近付いてこないだろう。あわよくばアニーと仲良くなってアニーの味方になってしまえば死ななくて済むのではないか。
ただ、それだけの気持ちで近付いた。
平民と仲良くなろうだなんて毛頭考えていなかったし、その輪にフロリアンがいたことで頭の中は警報が鳴った。逃げろって。でも高慢なアタシは平民風情に貴族のアタシに何ができるの? って高を括った。
親友との喧嘩を愚痴ると、こんな考え方もあるんだよって教えてくれた。どんなにアタシが救われたかフロリアンはきっと分かってない。あんなに大事だった親友一人を悪者にすることで自分を正当化して逃げていた。
親友に嫌われてしまったかわいそうなアタシに気付きたくなくて。どうせアタシも嫌いだから! って強がって。
だけど、本当は誤解だったかもしれない。その可能性を与えてくれた。アタシは彼女を好きなままで良かったんだ。変に強がって今までの彼女との時間をすべて嘘にしなくていいんだって。
そして、それはいつしかアタシの真実になった。どうせ答え合わせなんかできないんだから幸せな方を選んだ。疑うことも強がることもやめて心の底から息がつけた。
気付けば、頭の弱そうな子を見るような目で見られるのも、怒りを露わにされるのも、心配そうに触れられるのも。フロリアンからもらえるものは全部、心地よかった。
「そんななのに、どうしてリンネルに行くまで自覚がなかったのかってことだよ」
そう独り言ちて、笑みが零れる。静かに流れる涙を指先で拭いながら。
気付いてしまえば、逃れることのできなかった自分の想い。
「本当に大好きだったんだよ……。……同じ気持ちは返してもらえなかったけど、それでも好きなんだよ」
迷惑かけないから、この想いは自然に風化されるまで持たせてね。
***
「迎えにきてやったぞ」
「はぁ」
約束の日。たぶん、サミュエル、いやプレタールの国王から借りたザ・王宮用馬車を背にニキアスが両手を腰にあててふんぞり返っていた。もちろん我が家の前で、だ。
ちなみにアタシのニキアスの返事の「はぁ」はため息がもれてしまった声だ。あわてて取り繕ったが、ニキアスは「ふん」と鼻を鳴らしてアタシの頭を撫でるだけだった。
その姿を見送る両親はほっとした顔をしていた。「一時はどうなることかと思ったけど、仲が良さそうで良かった」と顔に書いてある。
まぁ、その反応も自然のことだ。なんとも言えない気持ちにはなったけど、我慢した。
「今日は天気がいいな。ピクニック日和だな」
「そうですね。いい天気です」
ピクニック日和という言葉は敢えてスルーした。
「ピクニック日和だな」
「……」
「……双方の努力……」
「……双方の努力です……ね」
心持ち「双方の」という言葉を強めに言ってみる。今現在、ニキアスが何の努力をしたというのだろうか。確かに、この馬車はザ・王宮御用達然としているだけあって豪奢なだけではなく、乗り心地もいい。我が家の馬車とは比べ物にはならない。だけど、それがなんだというのか。ニキアスが国王に貸してほしいと一言言えば、それで用立てられるではないか。
それに引き換え、アタシがさせられた努力は……。
見つめ合ったまま、いや、アタシはガンを飛ばしているが。鋭めのを。そんなアタシの気迫は歯牙にもかけないで、ニキアスの視線はアタシの横に置いてあるバスケットに止まり、頬は緩んでいる。
「それはなんだ?」
「……なんだではないでしょう? わたくしは今日のランチのために朝からたたき起こされて……!」
悔しい! 本当に悔しい!
母には「海よりも深い慈悲を与えて下さったニキアス殿下に少しでも感謝の気持ちを伝えるのは当然のこと」と言われ、ルネには「フロリアン様のことはもう終わったのですから。さっ、軌道修正ですよ。これから歩く道は少しでも歩きやすい方が良いでしょう?」と言われ、軽食を作らせられたのだ。
前世の自由気ままな庶民の記憶があるとはいえ、現世の公爵令嬢としてのこれまでの人生の記憶もあるアタシに、これ以上反抗することはできない。もう充分前世の記憶によるフリーダムなタイムは過ごしたんだから。
アタシだって分かってるもん。好きにし過ぎた自覚はあるもんっ。
だけどさ、ルネどんどん酷くなってない? って思うのは、アタシの感覚がおかしいからじゃないと思うのよ。
まぁ、それは置いておいて。とにもかくにも、サンドウィッチとサラダを作らせられたのだ。前世で作ってたようなマヨネーズとからしを混ぜてーとかじゃない。料理長が出てきて、もう既に思い出せない色々な調味料を入れたソースに鶏肉を付けて焼いて、それをソースにサンドする、みたいな。ほらね。たった数時間前のことなのに二度と同じものが作れる気がしない。
ぷりぷりと思い出し怒りをしているのに、「クククッ」となんとも楽し気なニキアスの笑い声が聞こえて、キッとニキアスを睨みつける。なのに、ニキアスの表情は笑顔のままだ。
「朝からたたき起こされて? どうしたのだ?」
「……大変」
そう言ってわざとらしく、困った顔を作った。なぜだかギャフンと言わせたい。とても狂暴な気分なのだ。
「……なにが、大変なのだ? 具合でも……?」
なんだかんだで優しいニキアスに秒で心が穏やかになりかけたけど、踏みとどまった。
「いえ、今日は湖畔でピクニックでもとルネに言われたものですから、簡単なランチを作ってきたのですが、ニキアスは王族でしょう? それも隣国の。わたくしのような下賤な者の手作りなど……」
「何を言っている? リュシーは俺の婚約者だぞ? 下賤なわけがない」
「ですが、もし食あたりにでもなられたら、わたくし……あらぬ疑いをかけられるのではないかと……」
「それなら問題ない。二人で食べればよいのだから」
「半分に切って、半分ずつ食べれば、例え食あたりになったとて、リュシーを疑う者などいるはずがないだろう?」と、爽やかな笑顔で微笑まれた。
端的に言って負けた。ちょっとした意地悪だったけど負けてしまえば悔しい。
「着いたぞ。……あちらに準備を」
別に乗っていた馬車から出て来たニキアスの側近にニキアスが次々と指示を出し、あっという間にガーデンチェアとガーデンテーブル、それにビーチパラソルみたいなものが設置された。
とても悔しいアタシはニキアスの思惑通り椅子に掛けて優雅にお茶をする気なんてない。今日のアタシは狂暴な気分なのだ。
「ニキアス。花がとてもキレイに咲いていますわ。せっかくだから花冠を作りませんか?」
「花冠? それは女の手遊びだろう? 俺に作れるわけがないではないか」
「そうですか……。ニキアスにきれいな花冠をプレゼントしていただきたかったのですが……」
「お? それは双方の努力の一環か? よし教えろ。作ってやろう」
「いえ。これはどちらがかわいい花冠を作れたかの勝負なので教えることはできません。陛下は陛下の側近に教えてもらってください」
「……俺から花冠をプレゼントしてほしいと言う話では……?」
「はい、スタートです。タイムリミットはわたくしの花冠が仕上がるまでです。ニキアスに作り方を教える方は審査員にはなれません。わたくしがどんな花冠を作っているかも見てはいけません! 少しでも視線を感じたらカンニングと見なします」
「・・・・・・カンニング?」
納得がいかなそうに首を傾げるニキアスはスルーして、パンと手を打ち、ニキアスから離れたところに移動した。
さて。勝負となればぜひとも勝ちたい。前世ではシロツメクサでしか作ったことがないけど、この湖畔には赤、黄、紫、ピンクと多彩な花が咲いている。手のひらサイズから、それこそシロツメクササイズまで。
自分の想う可愛いを落とし込むように掌で花を編んでいき、さぁ完成。というところで、アタシが作り始めたときに熱心に作り方を教わっていたニキアスができていないのではないかと思い、チラリと視線を遠くにやる。サイズを確認するためだろう。ニキアスの頭の上に白い牡丹のような大き目の花冠があった。正直かわいい。なんというか新婦さんのヴェールに付いていそうだ。
アタシのは、というと、サーモンピンクのガーベラみたいな大ぶりな花と白いフヨウ属の花みたいなのを組み合わせたものだ。負ける気はしないが、ちょうど、バスケットの取っ手部分を結んでいた白いレースのリボンがあったのでそれも編み込んだ。かわいさが引き立った。
「ニキアス。わたくしはできましたよ。ニキアスもできまして?」
「もちろんだ」
「では、護衛騎士を除いた側近がニキアスは3名、わたくしは2名いますので、必ず勝負はつきますね」
「おう。受けてたとう」
言わずもがな護衛騎士は護衛対象から目を離すことができないのだから、誰がどの花を作ったか分かっている。他の側近には悪いがアタシとニキアスからは目を逸らしてもらっていた。
「では、ニキアス。あの木のところまで行きましょう」
「なぜだ?」
「あの木の後ろに二人でこっそりと花冠を置いてくるのです」
「そこまでする必要が?」
「ニキアス殿下は一国の王子なのですよ。しかも強国の。それに対してわたくしは強国の皇族でもない、ただの貴族です」
「……そこまで本気で勝ちたいのだな」
「もちろんです」
そう言って、通じるはずもないサムズアップをした。だけど、素直なところもあるニキアスは、人ならざる者のときと同様、同じようにサムズアップで返してくれた。
木の向こう側の木の根の付近に、二つ並べて置く。各々の側近がかわいいと思った方にコインを置いてくる仕組みだ。ガチ勝負だ。
側近が一人木の向こう側に消えては戻り、消えては戻りを繰り返し、公平性を保つためにニキアスと二人で木の裏側に向かう。
結果は……唖然とした。アタシのかわいい花冠にはコイン一つない。これは穏やかじゃない。不正だ。不正のにおいがする。
「ニキアス。やりましたね?」
「どういう意味だ?」
「こんなにきれいに勝負がつくはずないでしょう? 人は人の数だけ好みがあるのですよ。この勝敗の付き方はその摂理に反しています」
「……お前は、そんな戯言を吐くほどに勝ちたかったのか。だが俺もしてもいない不正を疑われるのは気に食わない」
ニキアスがアタシの前でアタシたちの護衛に不正があったかを問い質した。
「いえ。ニキアス殿下は不正などしておりませんでしたし、ニキアス殿下から命じられた通り、お二方から視線を外しておりました」
「それは自分も確認しております」
「同じように我々もリュシエンヌ様からリュシエンヌ様の側近が背を向けているのを確認しております」
女子のアタシが女子力ともいえる花冠づくりでニキアスに負けるとは……。わなわなと震えるアタシの肩にポンと軽快な音を立てて手が置かれた。見なくても分かる。ニキアスの手だ。見なくても分かる。今のニキアスはしたり顔だ。……やっぱり。
「敷物はあるかしら?」
「えぇ、一応ご用意いたしました」
ふふふふ。湖から少し離れたところに低めの坂があった。これを遣わない手はない。これなら不正はできない。敷物は二つだから。一人三回。敷物で滑る速さの競争だ。
「いきますわよー!」
「おい、公爵令嬢。はしたないぞ」
「……こんなはしたない女はお嫌?」
「……そうは言っていないが、俺以外にも男はいるのだ」
「大丈夫です。こんなこともあろうかと中にはドロワーズを履いてますので」
ニキアスはため息してはアタシを見て、また、ため息をしてはアタシを見た。ニキアスの目力だけでアタシの狂暴さは止まらない。止まるはずがない。
「……わかったよ」
勝ったぁぁぁぁぁ!!
「じゃあ、勝負です!」
ニキアスの側近の一人がよーいドンをすると二人、地面につけていた足を離した。負けた。なんか知らないけど、凄い速さで坂のふもとまでニキアスが流れていった。
もしかしたら、敷物の違いかもしれない。それを見越しての敷物交換しての3回勝負だ。負ける気はしない。
……負けた。なんかもうニキアスは地獄に縁があって「早くおいで」と引きずり込まれているのではないかとさえ思うほどに早かった。
でも、これなら!
「ニキアス、次は湖にどちらが長い時間足をつけていられるかの勝負です!」
なんだかんだ言っても勝負に乗ってくれていたニキアスが身を強張らせた。どう考えても「正気かよ?」という目で見ている。
「なんですか?」
「水中にどんな生き物がいるのかも分からないのに、リュシエンヌは足を入れることができるのか?」
瞬間、脳裏にピラニアの四文字が浮かんで、慌てて自分の言葉を撤回すると、ニキアスのお腹の虫の声が聞こえた。
アタシはニヤリと笑う。
「空腹耐久勝負では、わたくしの勝ちですね」
「あぁ。リュシエンヌの勝ちだ。そろそろランチがしたい。作ってくれたんだろう?」
今の今まで一緒に子どものように遊んでいたのに、一丁前に「俺が大人になってやろう」とばかりに勝ちを譲って、エスコートなんかしてガーデンチェアに誘う。
「うまそうだな」
子供のようにバスケットの中に視線を落として、嬉しそうにニキアスが笑う。
ルネが給仕のために皿を取り分けていると。
「今日はリュシエンヌがやってくれるんだろう?」
「は、何を?」
「後々、食あたりが起きたときに疑われないようにと言っていたではないか。そこに側近が介入するとややこしくなるからな」
たぶん、毒を疑われたときに、アタシが切り分けたかどうかも争点になり、そこにルネの手が入るとルネまで疑われることになるのだから、自分で責任をもって給仕しろ、ということなのだろうけど。でも、その言い分はおかしい。だって我が家から持ってきたものなんだから、何かあったとき、どうしたってアタシだけの責任になるはずがない。
そうは言ってみても頑なに譲らないニキアスにアタシが折れることになる。
……だってさ。自分の側近がかわいくないのか。なんて言われたら、ねぇ?
お望み通り、半分に切って半分ずつをお皿に盛りつけると嬉しそうにパクリと食べた。
……おいおい、アタシが毒見がてら先に食べるんじゃなかったのかよ。
呆然とおいしそうに咀嚼するニキアスを見ていると、ゴクリと喉を鳴らしてサムズアップした。
「うん? うん、うまいぞ」
すごいことにサムズアップを使いこなしていた。いやいや、そうではなくて。
「……わたくしが毒見がてら先に食べるのが通例では?」
顔を赤くしたニキアスが狼狽えたように言った。
「リュシエンヌが犯人ではない場合、側近に犯人がいるかもしれないだろう? その場合、俺が間髪入れずに口に入れた俺を見て表情が変わるはずだ。その確認のためだ。なに、毒になら慣らされている」
いやいやいや、言ってることおかしいよ? 犯人とか毒とか言っちゃってるし。それに食べてる間、嬉しそうにサンドウィッチに夢中でしたよ?
……いや、大人になろう。何も言うまい。
「お口に合ったようで良かったです」
「うむ。うまかったぞ」
二勝一敗で勝利をおさめたニキアスのご機嫌な笑顔でピクニックは幕を閉じた。
余談だけど、ルネによると花冠は勝ちにこだわったアタシがリボンを足したことで、どちらがニキアスの作品か簡単に識別でき、忖度されたそうだ。敷物競争はそもそもの体重がお嬢様は敵わないでしょう、と。重力だ。そんな簡単な地学さえすっぽ抜けていた。
うん。理解した。つまり、空腹耐久勝負が一番勝負らしかったということ。まごうことなきアタシの一人勝ちだということだ。




