フラれて一時間以内の悪役令嬢
フロリアンを見つめたまま呆然と立ち尽くし、まるで自分だけが時の流れに置いていかれたように動くことができない。
フロリアンにフラれた。それは、決定的にこの先のアタシの未来にフロリアンがいることはないと、フロリアン自ら断ち切られたことに他ならない。
フロリアンにフラれてしまった今、ニキアスとの結婚生活の中での慰みにフロリアンとの幸せなifを思い描いてやり過ごすこともできない。
そして、フロリアンともう友達でもいられないだろう。アタシがそれを望めばフロリアンのことだ。きっと変わらず接してくれる。だけど、相手を想って叱ることができる優しくて思いやりのあるフロリアンであるがゆえに、今までどおりにはいかないだろう。
今までの気安い関係には、二度と戻れない。
頭の中でぐるぐると、すぐに来るだろう自分の未来を想像していると、何の音も届かなかったアタシの耳にフロリアンの焦ったように紡ぐ言葉が聞こえて来た。
「リュシー……、ごめん、その、俺……、俺は……」
背後にいたはずのパトリックの背中で視界が塞がり、アタシの目にはパトリックの背中しか映らない。
「……リュシエンヌ様」
振り返ったパトリックが痛ましそうな視線を向けてきて、アタシは自分の視界がぼやけていることに気付く。
ほろほろと零れる涙を拭う気力もない。呆然と立ち尽くすアタシにパトリックがもう一度「リュシエンヌ様」と小声で囁いた。その声にさっきの「ご自身のお気持ちを伝えられるのでしょう?」という言葉を思い出す。
……そうだよ。このまま逃げちゃ、アタシがかわいそうだよ。
自分が泣いていることに気付いた今、声を出して思いっきり泣き叫んでしまいたい。そのままフラれたことをなかったことにして眠ってしまえたらどんなにいいか。
だけど、それじゃダメだ。あんなに眩しくて宝物のように大事にしていた気持ちを、悲しい思い出にして終わらせたくない。
サッと涙を拭いて、にっこりと笑顔を浮かべる。パトリックの背中に手を充てた。「アタシは大丈夫だから」。そんな気持ちを込めて。
その背中の感覚だけでアタシの意図したことを読み取ってくれたパトリックは、スッとアタシの背後にまた戻った。
にっこり笑顔を浮かべたまま、困ったような顔で口をパクパクさせては噤むフロリアンを見る。
「フロリアン、ありがとう。わたくしの気持ちに誠実に、自分の気持ちを答えてくれて。……まぁ、望んだ答えではなかったけどねっ」
そう言って、冗談っぽく「ふーんだ」とそっぽ向いて見せる。チラリとフロリアンを盗み見すると、やっぱり困り顔のままだ。
・・・・・・そんな顔させたくて言ったんじゃないんだよ。お願い。笑って。
フロリアンの困ったように眉を下げた笑顔、大好きなんだから。
「わたくしをフッたからって調子にのらないでよねっ」
ビシッと人差し指を向けてそう宣うとフロリアンはぶるぶると首と前に出した両手を横に振った。
「わたくしをフッたからって、わたくしとの縁がここで切れるとは思わないことね。フロリアンはわたくしをフッた十字架を背負いながら生きて、わたくしを見るたびに悪いことをしたって贖罪の念にかられればいいのよ」
「……リュシーは俺と友達でいてくれるの?」
「当たり前じゃない!」
フロリアンの言葉に間髪入れずに答える。
当然のことだ。こんなに好きになった人をフラれたってことでサヨナラになんてなりたくない。
「本当に……?」
訝しむ顔でフロリアンが言った。その表情に今度はアタシが怪訝な表情を作る。
「何? これは振り? もう友達でもなんでもないって言ってほしいの?」
「そんなわけないじゃないか!!」
ダニエルに襲われたときと同じような荒げた声でフロリアンが言う。その勢いに今度はこっちがビクついてしまう。
「じゃあ、これでいいじゃない」
眉を下げて困った顔でフロリアンが笑った。
そう。その笑顔。大好きよ。
「ははっ。リュシーには敵わないや」
「ふんっ。当然よっ」
もう一度プイっとフロリアンから顔を背けて、また視線を戻し、二人見つめ合う。そのまま静かに微笑み合う。
今度会うときは友達だ。そう思って、今までも友達だったけど、と自虐的なツッコミが自分に入る。
フロリアンの好きな子にはなれなかったけど、ずっと友達でいたいと思ってもらえる人になろう。
静かな沈黙が流れる中、アニーと屋敷内にいるはずのルネの声がした。
「お嬢様。お客様がお見えです」
約束の覚えがないアタシが首を傾げていると、ルネが近付いて来て耳元で「ニキアス殿下です」と小声で囁いた。
ギョッとしたアタシは思わず「え?!」と素っ頓狂な声を上げてしまう。するとフロリアンが心配そうに「どうしたの?」と尋ねて来た。
たった今告白した相手の前で婚約者と会うわけにはいかない。言葉にするとアタシが酷い不埒者のようだけど、婚約者といっても政略結婚だし、アタシの意に沿ったというよりは国の意に沿った結婚だ。それに、この告白はニキアスの後押しがあってのことだ。と、浮気がバレた人妻のような言い訳が頭の中を駆け巡った。
だからといって、フロリアンの前でニキアスと会うのはなんか嫌だ。どうしたものかとルネを見ると、ルネは静かにうなずいた。
「フロリアン様、申し訳ありませんが、火急の要件でございます。お嬢様の我儘に付き合わされてお時間を取らせてしまったにも関わらず大変心苦しいのですが……」
ルネがそこまで言うと、気を利かせたフロリアンが暇を申し出る。
「リュシー、またね」
なんてことはない、いつもの決まり文句。だけど、今はこの「またね」って言葉がすごく嬉しい。次に会うことが当たり前のことだと言ってくれているようで、自然とご機嫌な笑みが零れた。
「うん、フロリアン。またね」
そう言って手を振りあった。踵を返したフロリアンが門へと続く道を抜けていく姿をアタシは見送る。
フラれちゃったけど、良かった……。
「お嬢様、お急ぎください」
フロリアンの背中を安堵と寂寥の想いで見つめていると、焦らせるようにルネがまくし立てた。
アニーにアタシの洋服を着せて、中庭に向かう途中で、ニキアスが来訪したことを告げられたルネは、アニーに詫び帰ってもらい、ニキアスには応接間で待ってもらっているとのことだった。
大国の王子という大それた婚約者がいながら、他の男に現をぬかし、かつ告白までやってのけた恥知らずなお嬢様なのだから、せめてニキアス殿下の前では礼儀を尽くせ、と。
ルネの言うことも分かるが、忘れないでほしい。提案してきたのはニキアスの方だ。そしてなんて言い様だ。歯に衣着せぬとは現世で出来た言葉かもしれない。
婚約者の掌の上で他の男に愛を囁くのは何事か。その掌の上で失恋までして、一体何がしたかったのか。などと散々罵詈雑言を浴びさせられながら、それでも早歩きで応接間に向かう。なんならもう泣きそうなので、ルネの毒舌を聞いているよりはニキアスに会いたかった。
扉の前で少し上がった息を深呼吸をして整えていると、ルネがアタシの背中を優しく撫でながらボソリと言った。
「お嬢様は頑張りましたよ」
せっかく気持ちを失恋から、突然来訪したニキアスへとアタシの気持ちを推し量ってくれないルネへの怒りにシフトしているのに、そんな優しい言葉かけないでほしい。
……もう、せっかく泣き止んだのに……。
しかし、ここでおめおめと泣き始めるわけにはいかない。音が響かないくらいの強さで、両手で頬をパンと叩いて気持ちを立て直し、背筋を伸ばした。その姿を見ていたパトリックが応接間の扉を開けた。
そこにはソファーの真ん中にどかっと足を組んで座り、コーヒーを飲んでいる俺様王子だ。アタシに気付いたニキアスが挑発的に目を細めた。
「塩梅は?」
何が塩梅だよ! 今日告白するなんて伝えてない!
告白する日も伝えていないし、なんならフラれたことも言いたくない。それなのに。
「リュシエンヌ。聞こえなかったか? 成果は?」
「……れました」
「何? 聞こえぬ」
本当ムカつく! 威風堂々とした感じが今日は妙に鼻に付く。だけど、ニキアスの婚約者であるアタシが、ある意味ニキアスを後ろ盾にフロリアンに告白したのだ。報告義務からは逃れられるはずもない。
「フラれました!!」
「は?」
応接間の誰の耳にも聞こえそうな声で、やけっぱちに叫んだのに「は?」とは何事だ。聞こえていないはずがない。
アタシはニキアスの近くまで歩み寄り、隣に座るとニコリと微笑んだ。
「フロリアンにフラれてきました」
「……そうか」
一瞬言葉を失ったように固まったニキアスはそう言うと、ニヤリと口角を上げる。
「では、今後は何も憂うことなく存分に俺に傾倒するとよい」
「……善処します」
「なに?」
予想外の反応だったのかニキアスは目を見開いた。
「リュシエンヌはフロリアンにフラれたのだよな?」
「……そうですが……」
「俺は言ったはずだ。心の整理を付けて俺に向き合えと」
「はい。覚えております。ですが、ニキアスは双方の努力が大事ともおっしゃいました」
訝しむような探るような目でニキアスがアタシをみた。
「……言ったが」
「わたくしはニキアスがおっしゃった提案を一つ遂行してきたところです。ニキアスも努力なさってください」
ニキアスが面白そうに頬を緩め片眉を上げる。
「ほう。自分を好きにさせてみろということか。……おもしろい。やってやろう」
一国の王子相手に、好きになってほしいなら好きになってもらえるように努力しな? 的なすごい発言のように聞こえるかもしれないが、その通りだ。アタシだってフロリアン以上にニキアスを好きになれたらこんな楽なことはない。ぜひとも頑張ってほしい。
というか、アタシは怒っているのだ。どこからか知らないが、アタシが今日フロリアンに告白するという情報を手に入れて、邪魔するかのごとくフロリアンと滞在時間が被るような時間におしかけて、あまつさえ告白の結果報告を要求してくる。
腹が立たないはずがない。
それに、フロリアンとニキアスがばったり鉢合わせなんてことになっていたらと考えると恐怖でしかない。アタシの気持ちがねじ曲がって伝わる可能性だってあった。平民をからかう公爵令嬢と思われたって仕方がない。
そうなるとアタシへのフロリアンの評価が目も当てられないものになっていただろう。
「やはり婚約者同士、ここは逢引をするべきだろう」
アタシの思考にニキアスの言葉が割って入った。お前が頑張んな? 的なことを言ったあとなのに悪いけど、そんな気持ちになれるわけがない。
フラれたばっかなんだから、そっとしといてほしい……。
「ニキアス、ごめんなさい。自分から言っておいてなんですが、まだそういう気持ちになれないの……」
「……リュシエンヌが俺に好きにさせてみろと言ったのに、その機会を与えないのか?」
不愉快そうな顔でニキアスがそう言った。
「俺にしても、これは賭けだったのだ。リュシエンヌにも言っただろう? フロリアンと同じ気持ちであるなら俺は婚約を破棄しても構わないと」
「えぇ。そう背中を押してくださいました」
ニキアスはキョトンとした顔でアタシを見つめたあと、ふっと笑顔になった。
「そうだ。俺はリュシエンヌの幸せのためなら、と一度身を引こうとも考えたのだ。だが、結果がリュシエンヌの想うようにいかなかった今、俺との時間を持つ努力をしてくれても良いのではないか?」
いつもはっきりとすっぱりとした物言いのニキアスが酷く優しい声で諭すように言った。
……そうだよね。アタシの願いを叶えようとしてくれたのに、アタシだけがニキアスの願いを反故にするのはダメだよね。
「……分かりました。いつにします?」
ニキアスは今日一の満面の笑みを浮かべて、考えるように視線を斜め上に向けた。
「……そうだな。明日は予定が詰まっている。明後日にしよう」
「承知しました」
「自分から誘っておいてなんだが、俺はこの国の男女が逢引に利用する場所は知らない。場所はリュシエンヌが決めてくれ」
「……わたくしも逢引など初めてなので、それ相応の場所と言われてもパッと思い浮かばないのですが……」
「そうか」
デートスポットが分からないというアタシに、なぜか満足げなニキアスはルネに視線を投げた。その視線に気付いたルネが視線を彷徨わせたあと、ポンと手を打った。
「ここから10分程馬車を走らせたところに湖畔があります。そちらはいかがでしょう? 逢引にふさわしい場所かは存じませんが、人も少ないしゆっくりとお話ができると思います」
「ではそこにしよう、リュシエンヌ」
「承知しました」
フロリアンにフラれて1時間もしないうちに、他の男とデートの約束をするアタシは本当に悪役令嬢かもしれない。




