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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第三章 悪役令嬢は好きにする
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ニキアスが格好いい


「なんだ。今日はもてなしてはくれないのか?」


 ガーデンチェアに座り頬杖をついていると小川を眺めていたニキアスが振り返った。さも当然のように頬杖をついたアタシの手の上にニキアスの手が重ねられる。


 距離の詰め方がおかしい。


 アタシは頬杖をしていた自分の手ごとニキアスの手を振り払った。


「一体なんですの? この前からずいぶんと気安く触れるではありませんか」


 そう。クソ甘バウムクーヘン攻撃をした時から、何かと触れてくるのだ。中庭の散歩をすれば手を繋ごうとしたり、ソファに座れば隣にきて肩を抱こうとしたりする。


「おかしなことを聞くな?」

「わたくしの質問のどこがおかしなことですの?」


 座ったまま目の前に立つニキアスを見上げていると、髪を梳くように撫でて、そのままアタシの頬を大きな掌で包んだ。


 ふっと目を細めて優しく笑う。その優しい視線に居心地の悪さを感じて、ふいっと視線を逸らした。


「リュシエンヌは俺の婚約者だろう? 自分の婚約者に触れることの何が悪い?」


 思わず息を呑んだ。目の前に立つこの俺様王子はなぜアタシに触れたいなどと思うのか。


「まさか、ニキアス。貴方、わたくしのことが好きなの……?」


 聞きたいような聞きたくないような答え。質問をしたのはアタシ。ニキアスがアタシを気に入ってくれていることはもう分かっている。だけど、そこに恋情はないはず。


 もし恋情があったとしたら困る。フロリアンが好きなアタシにニキアスを愛することはできない。婚約者になることを違うことはできない。だから婚約は受け入れた。だけど、それは愛のない結婚であって。愛し合っていない二人だからこそ今までの関係のまま夫婦になれると思っていた。


 どちらかに愛があるのはだめ。それは辛い。フロリアンとの未来を諦めたアタシには分かる。


「はんっ」


 怒ったような笑い声に脊髄反射で顔を上げると、一瞬。ほんの一瞬。眉を寄せて辛そうな表情のニキアス。そのすぐ後に、いつもの太々しい自信たっぷりの高慢ちきな笑顔を見せた。


「俺がお前を好きだと? どうしてそうなる? 自分の女を自分のものにしたいと思うのは男として当然だろう。お前みたいな訳の分からない女が、俺のような大国の王子の気を引けるとでも思っているのか。勘違いも甚だしい」


 腰に手をあてて実に得意気だ。一瞬見えた辛そうな表情はどうやら気のせいだったらしい。


 言葉の意味はよく分からなかったけど、好きなわけではないようで良かった。


「そうなんですの! ニキアスがわたくしのこと好きだから触れたいと思うのではないかとつい……。それなら良いのです。節度ある距離感の婚約者でいましょうね、ニキアス。……少し肌寒くなってきましたし、そろそろ屋敷に戻りましょう」


 屋敷に戻ろうと踵をかえすと、アタシの背中にニキアスの声がぶつかった。


「何が良いのだ!」

「……何が良いのだ、とは……?」

「その言いようだとまるで俺がリュシエンヌを好きだと困るみたいではないか!」

「えぇ。まぁ、困るというか……」


 カッと目を剥いたニキアスがアタシの言葉を遮った。


「ふんっ! お前のことなんか好きなはずがない! 俺は大国の王子だぞ! お前みたいなちょっと見た目がいいくらいの矮小な国の女なんか……」

「ですから、それは分かりました。わたくしみたいな訳の分からない女が大国の王子様の気を引けるはずもないですわよね。申し訳ありませんでした。さあ、お風邪を召されてしまいます。戻りましょう。応接間に温かい紅茶を用意させますから」


 分かったと言っているのにそう何度も繰り返されると、好かれていると勘違いしていたのが居た堪れなくなってくる。なんなら好かれていると困るとかなりの上から目線の拒絶だ。


 ニキアスにバレないように小さくため息を吐いて、屋敷の方に足を向けるとガクンと腕が引っ張られて、そのままニキアスの腕の中に閉じ込められた。


 何が起きたのか分からず、とりあえず体を引き離そうと腕に力を入れるが全く動じない。


 こんなときに体力自慢はいいのだけれど。


「はいはい。ニキアスは鍛えていらして本当に力強い殿方だと思いますよ」


 体を引き剝がし、ニキアスの胸をポンポンと叩いてなだめようと思ったら。


「そうじゃない!」


 思いがけない大きな声に身がすくむ。アタシを閉じ込める腕に更に力が入った。それに負けじとアタシの体も強張るのが分かった。


「……きだ」

「はい? 何でしょう? ちょっとこの姿勢だと声が聞き取りづらいです。いったん離していただいて、ちゃんと話しましょう?」


 もう一度腕に力をこめてニキアスの体から離れようとするが、離れない。体力の差か。しかし、ずっとアタシの後ろにいるはずのパトリックは一体全体何をしているのか。主人を助けないのか。


「好きだと言っている!」

「はぁぁぁぁ?」


 呆けたアタシの声に、今度はニキアスの方からアタシの体を離してくれた。離してくれたと言っても接触面が減っただけで腕はしっかりと掴まれたままだ。ニキアスの瞳はじっとアタシの瞳を捕らえていて居心地の悪さは変わらない。


「はぁぁ? とはなんだ! 失礼なやつめ! お前みたいな女は初めてだ!」

「それはそうでしょう。みんな似ているようで違うのが普通ではありませんか」

「そういう意味ではない。なぜ思い通りにならない。この俺が好きだと言っているのだ。お前も好きだと答えるのが礼儀だろう!」


 意味が分からない。礼儀を求めるのであれば、さっきのアタシの好かれていると困るという言動は誠実でなかなか礼儀を尽くしていると思うのだけど。


「それが礼儀だと申されるのであれば、矮小な国とはいえ公爵家の者として礼儀をはらうよりほかありません。ただ、ニキアスが本気でおっしゃってくださっているのであれば、わたくしも本音でお返ししたいと思います。それがわたくしの考える礼儀です」

「……なんだ。言ってみろ」


 アタシの言葉を待つニキアスの顔がどんどん険しくなっていく。それに反して臆病な瞳。苦しそうに寄せられた眉根。


「……わたくし、他に好きな方がいます。ニキアスとは政略結婚です。であれば、恋情がなくても友情でお互いを大切にしていけるかもしれないと思っておりました。だけどニキアスはわたくしを好きだとおっしゃいます。それは恐らく恋情なのでしょう? ニキアスはわたくしに恋情を持ってほしいとお望みですか」


「当然だ」


 苦虫をつぶしたような顔でニキアスが頷く。アタシの腕を掴んでいるニキアスの手に力が籠る。


「……それは無理なのです。今ほども申し上げましたが、わたくしにはほかに好きな方が……」

「フロリアンのことだろう?」


 思わず目を見開いてしまった。相手の名前さえ言わなければフロリアンには何も迷惑をかけずに済むだろう。そのうえでニキアスには誠実に向き合おうと考えたことだったのに。まさかピンポイントで名指しされるとは思っていなかった。



「何をおっしゃっていますの? フ、フ、フロリアンではありませんわ。ニキアスは会ったこともない、ご存知のない方ですよ」


 嘘は得意じゃない。だから、視線をニキアスから逸らしたくて仕方がない。だけど、そんな分かりやすい行動をしてしまえばニキアスは疑いを持つだろう。本音がバレないように必死でニキアスを凝視する。


 本音を探るように見ていたニキアスの瞳が根負けしたように、溜息と共に逸らされた。


 ……勝った! 


 フロリアンを巻き込まずにニキアスへの思いに答えられないことを告げることができた勝利の喜びに自然と口角が上がろうとしたが、それも必死で止めて、真顔でニキアスを見続けた。


 視線を一度遠くにやったニキアスが、もう一度視線でアタシを捕らえた。


「耳たぶ触っているぞ」


 その言葉に一瞬意味が分からなくて、首を傾げる。


 耳たぶがなんだというのだ。触ったからって……。


 ハッとした。誤魔化そうとしたり、悪巧みしているときに耳たぶを触ってしまう癖があるとバレていたんだった。


 考えなしのアタシが自分でバラシちゃったんだけどね……。さて、どうしよう。この間とこの見開いてしまった目。すでに全身で「バレた!」と表現してしまっている。


 自分でも分かるくらいあたふたとして、ニキアスに視線を向けたり外したりしてしまう。何の言い訳も思い浮かばないまま、それでも何か言わないといけないと口を開こうとしたその時。ニキアスの両手でアタシの頬が包まれた。


 恐る恐るニキアスを見上げた。「ふぅ」と疲れたような諦めたようなため息を吐いた。


 逃げたくて仕方ないけど、顔がホールドされていて逃げられない。


「分かっていたことだ。フロリアンと過ごすリュシエンヌを見ていて、そうなのだろうと思っていた。それが、確信に変わっただけのことだ」


 サーっと血の気が引いて、背中に嫌な汗が流れる。ドクドクと鼓動が胸に響く。


「……フロリアンに……何かなさる……なんてことは……」


 ニキアスは不快そうに片眉を上げ、じろりとアタシを睨んだ。


 さすが大国の王子。威圧感がハンパない。怖い。怖すぎる。


「何かするとはどういう意味だ?」

「……その……フロリアンを気に入らないからと……」


 隠し立ては許さないといわんばかりの睨みに、怖すぎて、本音が漏れ出た。だけど、王子に対して失礼な言い回しのような気もして、最後までは言えない。


 カッとしたニキアスの表情に、殴られる! と目を瞑った。


「……お前は、俺がそこまで狭量だとでも思っていたのか……?」

 

 怒られると思ってビクビクしていたアタシの耳に届いたのは、悲しそうに、辛そうに絞り出すように発せられた掠れた声だった。


 予想外の反応だった。家族会議では、婚約を受け入れないと国ごと貶められる事態になるかもしれないという結論だった。アタシ自身が見て来たニキアスもまた、思い通りにいかないことがあると、力ずくで思い通りにしてしまおうとする人だったし、言っちゃいけないことを言ってしまうところには不本意ながらも、親近感さえ抱いていた。


 それなのに今、目の前にいるこの人は、アタシを好きだと言い、好きと言えと言い、フロリアンへの暴挙を恐れるアタシに、酷く悲しそうな瞳を向けてくる。


 傷つけた。間違いなく。アタシの腕を掴んだ手は力をなくしてぶらりと垂れ下がり、みるみる肩が落ちていく。


 今度はアタシがニキアスの腕をガシッと掴み、ブンブンと首を横に振った。


「違うんです! そういう……意味では……」


 ジトっとした目でアタシを見下ろすニキアスが言う。


「……では、どういう意味なのだ……?」


 そういう意味もないとは言い切れないけど……。


「……その……リンネル国は大国でしょう……? その、貿易も盛んで、他の国と比べても発言権があるといいますか……。その、ですから、ニキアスのことを狭量と思っていた、というわけではなくてですね……。その、プレタールはニキアスもおっしゃっていた通り、矮小な国でしょう? ですから、ニキアスが、というよりは、その……」


 一生懸命、言い訳を考えながら話していて気付いた。これではニキアスを上げるためにリンネルという大国を貶めるような言い方をすることになってしまうではないか。よほど訳が悪い。このままでは、矮小な国の一公爵家の娘が、大国を非難することになるではないか。


 どうしよう……。喋るほどに追い詰められていく感じがする。


 縋るようにニキアスを見上げた。


「……いま、何か聞こえました……?」

「……あぁ。リンネルは好きな女が手に入らないという理由で、国を挙げての、ひいては他国を巻き込んでの嫌がらせをする国だと」


 渾身のぶりっ子な表情を作り、コテリと首を傾げてみた。


「変ですね。わたくしはそのようなこと言っておりませんが。……これはもしかして、人ならざる者が……」

「悪いが、今はそういう冗談に付き合ってやれる心情ではない」


 ですよね……。この件気に入ってたみたいだったからイケるかな、と淡い期待を抱いたけど、世の中そんなにうまくはいかないらしい。


 さて、どうしたものか。


「もうよい。力のない国が、我が国のような大国を相手にすると畏怖の念を抱くことくらいは承知している。……それが、リュシエンヌの口から出たということが、少し気に入らなかっただけだ」

「申し訳ございません。ですが、これは、プレタールの総意ではなくて、あくまでわたくしが想う大国のイメージです。ニキアス自身がそのような方だとは思っておりません」

「疑わしいな」


 そう言って本当に心底疑った目を向けてきた。


「わたくしとて、付き合いは短いですが、ニキアスが素直で正直で楽しいことが好きな格好いい方だと存じております」

「本当だな?」

「神に誓って」


 なんて、無神論者だけどね。と心の中で舌を出してみる。


「では選べ。フロリアンにフラれるか、俺と真剣に向き合うか。あぁ。俺に嫌われるように引き続き頑張ってくれても構わない」


 バレてた! ゲロ甘スイーツ食べさせて嫌われようとしてたのバレてた! 分かってて気づかないフリして距離を縮めて来てたんだ!


「気付かないとでも思ったのか? 馬鹿が。リュシエンヌが俺相手に自分の好みでもない味の甘味をわざわざ作るはずがない。リュシエンヌが俺を知っている以上に俺はリュシエンヌのことを理解しているつもりだ」


 なんてこと。アタシはそんなに分かりやすかったのか。ショックだ。策を練っているつもりが、全てニキアスの掌の上だったとは。


 敵わない。



「さぁ。どうする? フロリアンにフラれるか、俺と真剣に向き合うか。俺に嫌われるように引き続き精を出すか」

「……わたくしがニキアスと婚約するのは決定しているのに、なぜわざわざフロリアンにフラれてこなければいけないのですか?」


 わざわざフラれてリンネルで一生を過ごすより、もしフロリアンと結婚していたら、と楽しい妄想をしながら友達のような気安い関係でニキアスといたい。それくらい夢を見させてくれたっていいと思う……。


 ニキアスは刺すような、アタシの心の内を見透かすような目で「だからだ」と言った。


「たとえ俺と結婚しても、リュシエンヌの心の整理が付いていなければ、俺との結婚生活の中でフロリアンとの夢物語に心を奪われ続けるだろう。俺は自分の妻が、自分以外を想いながら俺と一緒に過ごすことは許容できない」


 言いたいことは分かるけど、それは普通の恋愛結婚の場合だ。政治まで絡みそうな政略結婚なのだから心の自由くらい欲しい。


「政略結婚なのだから、そのくらい我慢しろとでも思っているのだろう? だが違う。俺がリュシエンヌを好きになった時点で、これは恋愛結婚だ。これは決定事項だ」


 さすがは俺様王子。言うことが違う。自分がどんなに勝手なことを言っているのか分かっているのか。そこまで言うならアタシにだって言い分はある。


「決定事項ですか……。ですがそれは、ニキアスの心の内で起きたことを決定事項としただけですよね。それこそ権力でわたくしの気持ちの自由まで奪おうとなさるおつもりですか?」

「そうではない。結婚とは双方の努力が必要なのだ」

「ですが、いまの話を聞く限り、努力するのはわたくしだけですよね? フロリアンにフラれろ? 俺と真剣に向き合え? 嫌われるように頑張れ? どの選択肢もわたくしだけだ努力するものではありませんか」


 一度言葉を切って、はぁー。とわざとらしくため息をついた。


「結婚どころか婚約もしていない状態でこちらにばかり要求なさるなんて、先が思いやられます」

「な! 俺はずっと努力しているではないか!」


 うわっ。びっくり。どこを見て努力ととれと? 


 アタシの表情だけで感情を読み取ったのか、顔を赤くして言い募った。


「好意を伝えてきたはずだ! 俺はリュシエンヌに好いてもらえるよう努力しているのだから、リュシエンヌも俺を好きになれるように努力すべきだ!」


 えぇぇぇぇ。子どもなの? 


「もとより、嫌いになる努力をするつもりなど最初からございません。わたくしだってニキアスのことを好きになれたら、それが一番幸せだということくらい分かっています」

「では、励め。さぁ。どれから実行する?」


 言質をとったとばかりに、ニヤリと口角を釣り上げた。すんごく悪い目をしている。


「どれからって! 選択肢ではなかったのですか?!」

「選択肢ではない。あぁ。俺に嫌われるように努力はしないならそれでよい。まぁ、してもよいが。あれはあれで、なかなか楽しいしな」

「いやで……」

「さぁ。どれからにする? 全部同時進行でも構わない。だが、フロリアンにフラれるのはプレタールに滞在中ではないとできないからな」


 随分な言いように怒りが止まらない。全身に力が入って頭に血が上っていくのがわかる。


「フラれなかったらどうするのです?!」


 ニキアスがふっ。と苦い笑みを浮かべた。


「フラれなければそのままフロリアンと過ごせばよい。想い合っている二人を無理やり引き離してお前を手に入れたところで、俺が惨めだ」


 思わぬ希望に目の前が明るくなっていく。頭に上っていた血がサラサラと全身に返っていく。


 今までで一番ニキアスが格好良く見える。


「本当に?」

「あぁ。そのときは俺から婚約を解消してやろう」

「絶対ですよ?」

「あぁ。男に二言はない」


 心は決まった。フロリアンに告白する。アタシこの気持ちをフロリアンに伝えることができるんだ! 


「分かりました。なるべく全部同時進行でできるように励もうと思います」

「よく言った。この約束を違えようものなら、俺もプレタールにリンネルを狭量な国と蔑まれたと、うっかり父上の前で零してしまうかもしれぬ」

「……違えることなどありません」


 悪人面でニヤリと笑うニキアスが手を差し伸べて来た。アタシはその手を力いっぱい握りしめる。ニキアスの大きな手が更に力をこめてアタシの手を握った。


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