嫌われよう。
「ふふふん。ふーん。ふふー。らーんらーらら、らららーん」
上機嫌で生クリームを泡立てる。ツノが立ったら完成だ。この生クリームを、バウムクーヘンに乗せて……。おっと、ばっかみたいにデロ甘好きのニキアスにはもうちょっとかな。
「ルネ? はちみつはどこかしら?」
「こちらに……」
戸惑いながらはちみつを差し出すルネの手はちょっと震えている。顔を見れば、戸惑いを隠せない様子が見て取れる。
「なぁに? そんな変な顔して。何かおかしいかしら?」
はちみつを大量投入して作ったバウムクーヘンの生地を層にする過程でもはちみつを塗りたくった。薄く焼いた生地を丸い筒に巻いて、はちみつを塗りたくり、また生地を巻く。その繰り返しで作った甘々バウムクーヘンだ。
「いえ……。あ、お嬢様、そんなにかけられては……」
お皿にバウムクーヘンを切り分け、層も何も分からなくなるくらい、でろんでろんにはちみつをかけたところで、ルネの待ったがかかった。
「これでいいのよ? ニキアスは馬鹿みたいに甘いのが好きなんだから。ルネもリンネルであのパイを食べたでしょう? あんなのが好きなのよ? だから、ニキアスの好みに合わせればこれで正解なの」
「ですが、ものには限度というものが……」
「限度? それを決めるのはこれを食べるニキアスよ? ルネではないわ。わたくしだってこんなの食べられたものではないけど、ニキアスの歪み切った舌ならおいしいと思うかもしれないもの」
「あぁぁぁぁ、そんなに……」
ルネの言葉を無視してニキアス好みのバウムクーヘンを作る。はちみちででろんでろんになったバウムクーヘンの上に、見た目が美しくなるように、これまた砂糖を大量投入した生クリームでふんわりとお化粧。その上から粉砂糖をかけた。
ふふふふ。イメージは、雪ん子からの贈り物って感じかな?
お皿の上を少し遠くから見れば、なんかちょっと地味。生クリームと粉砂糖の白に、バウムクーヘンの黄みがかったベージュ。
んー。これはこれで、アタシのセンスが疑われても嫌ね。
キッチンを見渡せば、ルネが準備しただろうラズベリーとブルーベリー、イチゴが目に入った。アタシはお皿を飾るようにそのフルーツで彩を添えた。
よし。これで完璧。あっと。フルーツは酸味が強いかもしれないから……。
フルーツの上にスプーンですくったはちみつを、またかける。すぐ隣で、ルネの狼狽える声。知るもんか。聞こえない。アタシは何も聞こえない。これがニキアスは好きなはずだ。ふふっ。
「ふぅ。完成ね」
「お嬢様……。本当にそれをニキアス殿下に……?」
「えぇ。そうよ。だってわたくし婚約者だもの。婚約者として大切な未来の旦那様をもてなして差し上げないと」
「そう……ですか……。それで、こちらは……?」
ルネが視線をもう一つのバウムクーヘンに向けた。まだ切っていない長い筒のままのバウムクーヘンだ。
「それは、わたくしの分よ。みんなの分もあるわ。お母さまとお父さま、サミュエルの分も。あ、ルネもどうぞ食べて。こちらはプレタール人の口に合うようにしてあるから」
「そういう意味でお聞きしたわけではありませんが……」
「……何? 何か文句でもあるの?」
笑顔を消し、強い目でいなすと、ルネは静かにため息をはいた。
「いえ。……ニキアス殿下のお口に合うと良いですね……」
「えぇ。喜んでもらえるのが楽しみだわ」
ニキアスとサミュエルの到着をルネが知らせ、応接間に向かうとニキアスとサミュエルが既に席に着いていた。
「ようこそいらっしゃいました。今日はわたくし、お二人のためにお菓子を焼いたのよ」
そう言って、後ろからワゴンを押して入って来るルネに目を向けた。サミュエルは所在なさそうに苦笑いを浮かべ、ニキアスは興味深そうに上半身を浮かせてワゴンに視線を向ける。
「リュシエンヌに菓子が作れたとはな」
「あら、こちらの学院ではクッキーをみなさんにごちそうしていたのですよ。ねぇ、サミュエル?」
「えぇ。よくいただきました。おいしいですよ」
「そうか。楽しみだな」
アタシも席に着いて、ルネに視線を向ける。ルネが仕方なさそうにデロ甘バウムクーヘンをニキアスの目の前に、アタシとサミュエルの前にはアタシ好みのバウムクーヘンを並べた。
「おや? 俺のだけ他のと違うようだが……」
「あら。ニキアスは甘党のようですから、特別に甘くしたのですよ。特別に作ったのです」
「そうか。わざわざ別に作ってくれたのだな」
「えぇ。どうぞ召し上がってくださいませ」
「あぁ。いただこう」
ふふ。と、笑いをこらえきれず笑みを零しながらニキアスを見ていると、視界にサミュエルが入った。不安そうに青ざめた顔をしている。
「どうかしまして?」
「いえ、ニキアスのバウムクーヘンは随分と、こう、なんというか……」
「ふふっ。特別ですもの」
サミュエルの言葉を遮り、にこやかな笑みを浮かべると、サミュエルは呆れたように苦笑した。ニキアスは満足そうな顔で、バウムクーヘンを切り分け、一口口に入れる。
どう? 甘いでしょう? こんな味音痴な嫁いらないでしょう?
咀嚼するニキアスを穴が開くほど見つめた。アタシの期待はなんのその。なんのためらいもなく喉を鳴らした。
「うむ。うまい。リュシエンヌは俺の好みをよく分かっている」
……うそ……。おいしいの……? うそでしょう……。
冗談だろうと、ニキアスの顔が曇るのを今か今かと見つめ続けるが、全然全くにこやかな表情を崩さない。逃げ場としてブラックコーヒーを準備していたのに、全然飲まない。それどころか、パクパクとおいしそうに口に入れていく。
甘くみてた。こんなに酷い味音痴だったなんて。味音痴のプロ相手に味音痴を自称する難しさを思い知った。
もう諦めて、アタシは自分のバウムクーヘンを口に入れた。甘さ控えめ。砂糖より、卵の風味を感じる。おいしい。ハムハムと口を動かしていると、まだ口をつけていないサミュエルに気付いた。
「サミュエル? 食べないの? バウムクーヘンはお好きではなかった?」
「いえ。……いただきます」
一口食べたサミュエルは、おいしそうに破顔した。
「おいしい?」
「えぇ。とても」
「それもおいしいのか? どれ」
ニキアスはアタシが食べようと口に運ぶバウムクーヘンを、アタシの腕ごと自分の口に近付けてパクリと食べた。
意に反して「あーん」になった。くそっ。
「うん。これもうまいが、俺はこっちの方が好みだな」
アタシのバウムクーヘン……。アタシのフォーク……。ニキアスの口から戻ってきたアタシのフォーク……。
「ルネ? フォークを……」
「あん? 俺が口に入れたフォークは使えないとでも?」
「そういうわけではありませんが、なんというか……。ルネ」
ルネは新しいフォークを持ったまま、ニキアスの顔色を窺い、アタシに差し出せずにいる。
「ルネ。フォークを」
ルネがアタシの言う通り、新しいフォークをアタシのお皿の上に乗せようとすると、ニキアスが手でそれを制した。
「無礼だ。俺の口に入ったフォークは汚いとでもいうのか!」
「そんなことはありません。わたくしだってニキアスが使ったあとのフォークを使うことにためらいはありません。……然るべき手順を踏んで洗ってあれば」
「然るべき手順を踏んで洗ってあれば? 然るべき手順を踏んでとはどういう意味だ?」
消毒です。とは言えるはずもなく、アタシは微笑むだけに止める。だけどそれを回答として許すニキアスではない。しばらく手順について問われたが微笑み以外返さない。
ちゃんとした返事を返さないことを悟ったニキアスは湿った視線を向けた。
「……いづれにしても汚いということではないか」
そもそも、自分が使ったフォークを嬉々としてアタシが使うとでも思ったのか。謎でしかない。
「そんなことはありません。それよりも、同じフォークを遣うように詰め寄るこの状況は紳士としていかがなものでしょうか?」
「うっ」
言葉を詰まらせて、わなわなと震えていたかと思うと、にっこりと微笑んだ。視線をアタシの斜め後ろに固定して目を丸める。
「あ! アレは?!」
「えっ? 何かありまして? うぐっ」
ニキアスの視線を追うように視線を後ろに向けようとすると、口の中がデロ甘になった。
ニキアスの仕業だ。ニキアスのフォークでデロ甘バウムクーヘンを突っ込まれたのだ。出すこともかなわず、とりあえずコーヒーで流し込む。
ここまで甘いとは……。これをおいしそうに食べるとは……。
ブラックコーヒーの中和は追いつかず、胃の中がもわっとしてきた。……気持ち悪い。
「何をするの?」
「ふんっ。勝ったな」
「何が勝ったのよ? 人の口の中にこんなもの入れて!」
「こんなもの? 俺のためにわざわざ作ってくれた特注品ではなかったのか?」
「うぐっ」
負けた。それに間接キスになってしまった。悔しい。
腹が立ったので、その日のその後はニキアスが何を言おうと無視して、サミュエルとだけ話した。サミュエルは要所要所で会話にニキアスを入れようとしたけど、それすらも無視した。
今度は絶対、こんな味音痴いらないと言わせてみせる。
「ふふふん。ふーん。ふふー。らーんらーらら、らららーん」
バウムクーヘンの生地にはちみつを練り込み、砂糖も大量投入。生クリームも砂糖たっぷりだ。この前と違うのはバウムクーヘンを丸ごと溶かした砂糖でコーティングしたことだ。真ん中の穴にたっぷりとはちみつをなみなみ注いだ。
これなら……。
今日はニキアスだけ、我が家に訪問予定。思いっきりいびってやる。このデロクソ甘バウムクーヘンでね!
「お。今日も俺のために作ってくれたのか。思っていたより甲斐甲斐しいな。この前のもうまかった」
そう言ってニキアスはアタシの頭を撫でた。嬉しそうに、愛らしい子供を愛でるように目を細める。
そんな風に余裕ぶっていられるのも今のうちなんだから!
「どうぞ、召し上がれ」
「うむ。いただこう」
一口口に入れると「うまい」と呟いた。
本当にこの人の舌はおかしい。もう砂糖を固めて金平糖みたいにして砂糖を大量投入したケーキにまぜてやろうか。
ガリガリと音をたてながら食べるがいい。
「この、周りをコーティングしている白いのはなんだ?」
「お砂糖です。ニキアスは甘いのがお好きでしょう?」
「あぁ。この砂糖の部分はカリカリしてうまいし、スポンジの部分ははちみつをたっぷりと付けるとなおうまいな。リュシエンヌにこんな才能があったとは、嬉しい誤算だ。レシピがあれば、もらいたい」
「え? ……えぇ」
そんなに? 城でも食べたいほど? うわぁー。ないわー。
「……ニキアス……。甘いのが好きなのも結構ですけど、こう甘いものばかり食べていてぶっくぶくに太ったらどうしますの? わたくし太った男性は好きにはなれませんわ」
「ほう? では今の俺は好きなのだな?」
なんでそうなる。アタシは太った男性は好きにはなれないと言っただけで、太っていないニキアスが好きとは一言も言っていない。
「確かにニキアスは鍛錬を積んだ素敵な肉体をお持ちだと思いますけど、だから好きという話にはなりませんわ。それだと、わたくし大体の平民のことが好きということになりましてよ?」
この時代の平民は大体が農村で農業をしている。そのうえ、食事も慎ましいのでナチュラル細マッチョが多い。
体型だけでいうと、アタシの周りにいるフロリアンやサミュエル、パトリック、シルなんかも格好いいと思う。だけど、だからってイコール好きってわけじゃあない。
「そうか。リュシーは俺の体を鍛え上げられた美しい肉体だと思っていたのだな」
ニヤニヤと上機嫌そうなニキアスには悪いけど、そこまで褒めた覚えはない。
「ですから……」
「よし。許そう」
「はぁ? なにを……」
呆れて伏せていた視線を上げると両手を開いて「さぁ、来い」と合図しているニキアス。意味が分からない。そんな許しを乞うたつもりは1ミリもない。
ドン引きだ。思わず体がのけぞる。
「ほら。恥ずかしがることはない」
椅子から立ち上がり、アタシの目の前まで歩を進めると、また両手を広げて自慢気に鼻を鳴らした。呆然としたまま視線をニキアスの開いた両手、厚そうな胸板、顔、そして瞳に滑らせる。そのまま流れるように窓の外を見遣る。
全てを放棄した。ニキアスのこのセクハラ行動の意味を考えること、そのニキアスに対してどのように振る舞うかを考えることを。
やってらんない。間接キスといい、抱擁といい、どんな距離の詰め方だ。ついて行けない。
はぁーと大きなため息を吐いて、外のお花を眺めながら意識を飛ばしていた。
「恥ずかしいのなら致し方ない」
右肩に軽く重みを感じた。その重みは力強くなり、アタシの肩を抱き寄せる。そのまま肩に置かれた手はアタシの頭に移動して、アタシの顔はニキアスの右わき腹に着地した。いや、させられた。
驚いて顔を上げて目を剥くと、ニヤリと頬を引き上げるニキアスの顔。
「今日はここまでにしておいてやろう」
……今日はってなんだよ!!




