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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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見とけよ。


「リュシー? どうしたの? 具合でも悪いのですか?」


 夕食中、母の声が意識の遠くに聞こえてハッと顔を上げると、心配そうにアタシの顔を覗き込む母と目が合った。その隣には同じように心配そうな顔の父がいる。


 アタシはナイフとフォークを持ったまま動きの止まった手から、それらを皿の上に置いた。


「具合? とくには……」

「そうなの? 食事がすすまないようだから……。何か気になることでもあるの?」


 気になることならある。ニキアスのあの言葉……。


「いつまでも逃げられると思うなよ」。


 いつまでも、と言われるほどに逃げた覚えはない。意識して逃げようとしたのは記憶にある限り、ニキアスからその言葉を聞く前だけだ。サミュエルから逃げようとしたことなら数えきれないけど……。


「先日、ニキアスと城でお会いしたときに言われたことが気になっていて……」


 アタシの言葉に、父はゴクリと生唾を呑んだ。その顔には恐怖にも似た表情が浮かんでいる。


「……何を言われたのだ?」

「……いつまでも逃げられると思うなよ、と」


 父はアタシの次の言葉を待つように視線をアタシに向けたまま、母は顎に人差し指を当てて小首をかしげている。アタシはニキアスの言葉の真意を探ろうと逡巡する。


 しばし食卓は沈黙に包まれた。


 母が首を左右に振った。


「リュシー。わたくしにはニキアス殿下のその言葉の意味がよく分からないのですけど、そう言われて貴方はなんと返事をしたのですか?」

「わたくしも言葉の意味が分からなくて、けれども、なんとなく恐怖を感じて立ち尽くしてしまいました。返事はできませんでした……。ただ、わたくしから去って行くニキアスの顔が、こう、何と言いますか『フン』と鼻を鳴らすような挑戦的な笑顔に感じたものですから……」

「リュシーは、ニキアス殿下のその笑顔が気にかかっているということか?」

「えぇ、まぁ。……正確には少し怖いなと……。それに、わたくしニキアスから逃げようとしたことなど一度しか身に覚えがありません」


 父が深いため息と一緒に「ニキアス殿下から逃げようとしたのか……」とこぼした。


 ニキアスに、平民に対していつまでも横柄な態度のままだと、いつか反逆に遭うわよ。というようなことを言ってしまったことなど両親に話せるはずもなく、アタシは口を噤んだ。


 その反応を目敏く感じ取った母が眉をしかめた。


「何か余計なことを言ってしまって慌てて逃げようとしたのね?」


 母の言葉の語尾も、顔も怖い。顔に「さぁ、何を言ったのか包み隠さず話しなさい」と書いてある。父はアタシの顔をじっと見つめて、言葉を待っているようだ。


 話さないとここから逃げられない雰囲気に負けたアタシは、一言一句漏れなく正直に話した。どうにかその言動を正当化したいアタシは、苦し紛れに付け加える。


「わたくしは、ニキアス殿下のためを思って言ったのですよ? 学院でもそれは仲良くしてくださっていて、もうお友達みたいなものですもの。お友達の未来を心配するのは当然のことでしょう?」


 父の口からも母の口からも大きなため息が漏れた。


「リュシーとニキアス殿下がどのような関係を築いていたかはわたくしには分かりませんから、そこは問いません。ですが、友人の前に、ニキアス殿下は一国の王子、貴方は公爵家の息女。立場の違いは分かりますね?」

「……はい」

「それなら、自分の口から出た言葉がどれほど無礼なものであったかは分かりますね?」

「……はい。反省しております」

「ならば、無礼な態度についてはこれ以上申すことはありません」


 母の言葉に拍子抜けする。いつもならあと数回は窘める言葉に反省を述べるという会話のラリーがあるはず。こんな簡単に逃がしてくれるとは。


「ただ……」


 安心して気が抜けたところに、母の言葉が重なり、姿勢を整えた。


「ニキアス殿下は貴方を逃がすつもりはないということが……」


 そこまで言った母が申し訳なさそうに口を噤んだ。静かにアタシと母の会話を聞いていた父が、言いにくそうな母の言葉を引き継ぐ。


「陛下と話したのだが……。あぁ、プレタールの陛下だ。今朝呼び出しがあってな、言いにくいのだが……。リンネルの王から正式に婚約の申し入れがあったそうだ。ミシェーレ公爵家は粛々と申し入れを受けるようにとのことだった」


 父と母は、家族会議ではああ言ったけど、公爵家である前に、一人の父、母として、アタシの幸せを考えてくれたらしい。だけど、税収で家を切り盛りしている貴族である以上、国を脅かす行為をとる訳にはいかない。今で言うと婚約候補の辞退がそれにあたる。


 だから、両親としては沈黙を守り、留学の期間が終わることを待つしかできないと考えたそうだ。つまり、アタシが考えたように有耶無耶になるのを待とうと思ったらしい。


 ……そりゃそうだよね。王族の、それも他国の王子に婚約を匂わせられて断れる人なんていない。それに、アタシの気持ちが誰にもなければ、両親として、ただただ喜ばしいことだったに違いない。


 父をかばうように母が言った。


「リュシー。誤解しないでね。旦那様は陛下に、なんとか辞退はできないものかと相談してくださったのよ」


 母が言うには、いざ正式な申し込みが来てしまうと、とてつもなく我が娘を不憫に感じた父が、考えるより先に陛下への相談の言葉が口から出てしまっていたらしい。


 どこまでもアタシ本位な父を感じて、嬉しさに、ついクスクス笑ってしまう。


「リュシー。力になれなくてすまない」

「いいえ。そのようにおっしゃらないでください。両親の愛を感じて、わたくしは今とても嬉しいのです」


 父は申し訳なさそうに眉をしかめて今にも泣きそうな顔をしている。その父の表情とは逆に母は、強い眼差しでアタシを見つめていた。







「お嬢様。奥様がいらっしゃいました」


 ルネの言葉に一つ頷くと、ルネは部屋の扉の外に戻り、母だけが入ってきた。


「ルネにはお茶の準備だけして下がってもらいます。……女同士で話しましょう」


 そう言った母は厳しくも慈愛に満ちた瞳をしていた。


 しばらくするとルネが紅茶とシフォンケーキをもってきた。それらをテーブルに並べて静かに退室する。ルネの退室を目で見送った母がアタシの方に向き直った。


 紅茶に口をつけた母が、にっこりと柔和な笑みを浮かべた。


「わたくしね、最初は旦那様のことが大嫌いだったのよ」

「はぇ?」


 想像もしていなかった母の言葉に思わず変な声が口から飛び出した。父と母はラブラブとまではいかないけど、お似合いの夫婦だ。気の強い母を全て包み込むように見守る優しい父。受け入れてくれる父がいるからこそ母はのびのびと過ごせているに違いないとそう思っていた。


「だって、旦那さまって優しいだけでつまんない男だと思わない?」


 フフッと悪戯な笑みを浮かべた母が更に言葉を重ねる。


「わたくしはね、もっと、こう、刺激的な恋がしたかったのよ。胸が締め付けられるほどに相手を思って、相手もわたくしを思ってくれているけど、なかなか赤い糸が交わらない。そんな恋をしたかったの。……だけど、結婚相手が決まったかと思うと、ぬるま湯のような相手」


 父と同じ公爵家の出自の母は、なんとか破談にならないかと父を困らせるべく好き勝手に振る舞っていた。だけど、父は温かい笑顔を向けながら嬉しそうに母の傍らに居続けた。それがまた母は気に食わなかった。


 なぜ怒らないのか。なぜ、暴力を振るわないのか。なぜ、破談にしないのか。そう思い続けていたという。


 結局、なんてことはない。父は母に一目惚れして、一緒にいられることが嬉しくて仕方がない。思ったことをそのまま口に出す不器用さは、父の目には愛らしく映った。父に向けられた厳しい言葉も父にとっては新しい自分の発見であり、自分のためになることを躊躇わず指摘してくれる懐の深い女性に見えたという。



 一目惚れマジック恐るべし!


 父との馴れ初めを息継ぎの間もなくしゃべり倒した母が一息ついた。


「まぁ、何が言いたいかというと、当初の自分の感情なんてアテにならないってこと。人の気持ちは変わるのだから。女は愛されていてこそ幸せを感じられる生き物なの」



 つまり、今は嫌だと思っていても、いつか貴方もニキアス殿下と結婚して良かったと思う日が来るわ、と言いたいのだと思う。


 「それと」と母が言葉を付け足す。


「生活レベルが変わらないことも一生を考えると大切なことよ。ここからは真面目な話。厳しく言うわ。先程も言ったけど、貴方は貴族の娘。国に仇を成す存在になっては絶対にいけないの。この婚約はもはや王命なの。国民として断ることは許されない。不本意かもしれない。失意のどん底かもしれない。それでも受け入れるしかないの」


 母がアタシの両腕を掴み言い聞かせるようにそう言った。


 家族会議のあとからずっと考えていた問題に結論が出た。いや、最初から選択肢なんてなかったのだから結論は出ていた。


「わたくしは、ニキアス殿下と結婚いたします」


 母の目を見つめ、はっきりとそう告げると、母は大切な宝物を扱うようにアタシの頬に触れて、そして抱き寄せた。


「絶対に幸せになれます。そう信じて。相手がお慕いする殿方ではなかったとしても、幸せを見つけることを諦めなければ、必ず幸せになれます」


 自分に言い聞かせるように、そう告げる母の腕の中でアタシは頷いた。


「しばらくは、心の自由があるよね? すぐには気持ちを切り替えられないよ……」

「えぇ。リュシーの気持ちはリュシーだけのものよ」


 自分の気持ちを大事にしていいと言われたみたいで嬉しかった。家族会議以降、アタシの気持ちはあってはならない危険思想と同等のように思われいるようで辛かった。認められたみたいで嬉しかった。


 嬉しくて涙が出た。


「ありがとう。お母さま」

「お礼なんて言わないで」


 そう言った母の声が掠れていて、その声に母の愛を感じてまた涙が零れた。ありがとうと、今度は心の中で呟いた。



 抱き合って静かに泣き続けてどのくらい経っただろうか。気付いた時にはアタシの肩はびしょびしょに濡れていて、母の胸はアタシの涙でびしょびしょになっていた。


 フフッと微笑み合って、互いに互いの涙を指先で拭い合う。「すっかりお茶が冷めてしまったわね」と母が紅茶を飲んだあとに言った。


 すっかり冷めてしまった紅茶をアタシも一口口に含んだ。



 恋とは違うし、フロリアンとの想像した未来のように穏やかな、それこそ父と母のような生活は、きっとニキアスとの結婚生活の中にはない。だけど、恋とは違ってもニキアスのことは大切な友人だと思っている。


 ケンカ友達のような夫婦にはなれるのかもしれない。



 そう母に言うと、母はクスリと悪戯な笑顔を向けた。


「リュシーはリュシーのままで、ニキアス殿下の前でも思うように過ごしてみなさい。かつての、わたくしのように」

「はい」


 母から、いい子の仮面をとっても良いとの許しが出た。被れていた気もしないけど……。婚約は受けるんだから、それ以降はニキアスに丸投げだ。


 本性丸出しのアタシをどう思うかはニキアス次第だ。ありのままのアタシを受け入れてくれるのなら、母のように幸せな母になれる日も来るのかもしれない。


 いつか、フロリアンのことも淡い思い出になるかもしれない。


 前向きに行こうじゃないか。



 見とけよ! ニキアス! お前こそ逃げられると思うなよ!!



 第二章おしまいです。次の章はリュシーちゃんアグレッシブになる予定です。

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