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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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いつまでも逃げられると思うなよ。


 ルネがお茶の席を準備してくれて、アタシとニキアスが席に着く。ニキアスがアタシの背後に視線を向けた。


「パトリック。席を外してくれ」

「しかし、護衛騎士たるもの主から離れるわけには……」

「給仕ならルネがいるし、護衛騎士は不要だ。それとも何か? 俺がリュシエンヌに仇を成すとでも?」

「そういうわけでは……」


 アタシは背後のパトリックを振り返り、視線だけで退室の許可を出した。応じるようにパトリックは一礼し退室する。


「あの……。話と言うのは……?」

「リュシエンヌはあのフロリアンという男を好いているのか?」


 アタシの気持ちはそんなにも分かりやすいのか。背中を嫌な汗がつたい、言葉が出てこない。


「リュシエンヌ? 聞いているのだ。答えろ」

「……そのようなことはありません。本日お集まりくださったみなさん、一様に大切な方です。フロリアンもその中の一人……」

「そうか……。では、俺との婚約についてはどう考えている?」

「……ニキアスがお望みとあれば……」



 こんな射貫くような真剣な目をニキアスに向けられたのは初めてで体が強張る。怖くて視線を落としてしまう。


 「フンッ」とニキアスが不満そうに鼻を鳴らす。アタシはその音に反応して身を竦めた。下げていた視線を上げれば、腕を組んで、不快なものを見るような目でアタシを見ている。


「つまらぬな」


 これが一国の王子が本当に怒ったときの姿なのだろうか。めちゃくちゃ威圧的で対峙できる気がしない。



「俺は、好き勝手に言いたいことを言うお前が気に入っていたのだ。お前は以前、俺に婚約候補の辞退を求めて来た。今もその時と気持ちが変わっているとはとても思えぬ。それなのに『お望みとあれば』だと? どこにでもいるような女みたいな言葉を口にして。つまらぬことこの上ない」



 今のお前ならいらないとニキアスは言いたいのだろう。


 ……どうしよう。……それはちょっと嬉しい。



 プレタール側から何も言わずして辞退してもらえるのならそれにこしたことはない。それはとても喜ばしいことだ。まさか、ニキアスと結婚しなければいけないと自分の気持ちを諦めた矢先に、こんなチャンスが来るとは。


 思わぬ誤算に口元が緩む。


 ハッとして、緩んだ口元を隠すように手をあてた。



 今はニキアスの心無い言葉に悲しんでいるように見えた方がいい。チラリとニキアスを盗み見すれば、ばっちりと目が合った。ニヤリと片方の口角と眉を上げた。


「何か嬉しそうだが?」

「そのようなことはありません。ニキアスの心無い言葉に傷付いていただけです。ニキアスから見てわたくしは、そのように言いたいことを言う女なのかもしれません。だけれど、従順なわたくしもいるのです。その一部を垣間見たからといって一方的につまらぬなどと……うぅ」


 出てこい! 涙! カモン涙! 今までで一番辛かったことを思い出すんだ! 来い来い来い来い来い!


 そしてアタシは知る。求める時ほど涙は出ない。絶望に「うぅー」と悲しげな声を出すとルネが援護するように、ハンカチを差し出してくれた。アタシはそのハンカチを受け取り俯いたまま、出てもいない涙を拭う。


「酷いです。婚約の辞退はニキアスのご自由になされば良いです。そのことに関して拒否する立場にわたくしはありません」


 わざと音をたてて鼻をすすり、涙声でそう訴える。ニキアスにはどうか、今の気持ちを大事にして婚約は辞退してほしい。そう思いながら、目元にハンカチをあてる。



 ギュッと両方の手首を捕まれ、バッと顔の前から離された。驚いて顔を上げたアタシの乾ききった瞳が、ニキアスの瞳と視線を結んだ。呆れたようなルネのため息が聞こえた。


「涙は出ていないようだが? それに婚約を辞退するなど言った覚えはない」

「……ですが、わたくしのこと、つまらない女だと……」

「先程の『お望みとあれば』と言ったリュシエンヌは酷くつまらなく感じたが……。やはり、お前は面白い。俺の妻の一人にしてやってもよかろう」


 妻の一人ということは、ニキアスは叔父のように婿としてミシェーレ公爵家に入るつもりはないということだ。ニキアスと結婚となると、アタシはリンネルで一生を終えることを余儀なくされる。それは絶対に避けたい。


 フロリアンのことがなかったとしてもキュレール学院で得た友人は大切な仲間だ。あんな希少な友人、もうどこででもできる気がしない。更にニキアスとの婚約を避けたくなった。


「わたくし、他の夫人と仲良くできる気がしませんわ。それにニキアスにわたくしなど不相応です。もっと素敵な方と縁を結ばれた方が……」

「リュシエンヌは拒否する立場にないのであろう?」


 そうだけど、嫌なものは嫌だ。ニキアスのことが嫌いなわけじゃない。だけど愛せる気がしない。フロリアンを好きになって分かったけど、アタシはたぶん穏やかな優しい時間を望んでいる。それをニキアスとの未来で得られる気がしない。


 口を噤むアタシにニキアスがため息交じりに言う。


「とにかく、決めるのは俺だ。リュシエンヌではない」


 苛立たし気に頭をゴシゴシ掻いたニキアスは席を立った。


「リュシエンヌも考えてみると良い。どんな未来が自分にとっての幸福なのか」


 そう言って、ニキアスは城へと帰って行った。


 ニキアスもサミュエルと同じように自分と結婚した方が幸せになれると言いたいのだと思う。だけど、アタシの幸せはアタシが決めることであって周りが決めることじゃない。ニキアスが望めば結婚せざるを得ないけど、そういう決めつけは受け入れられない。




「ルネ……。わたくしはニキアスが望むのであれば縁を結ぶほか道はないと思ってる。だけど、それは本当にわたくしの幸せなのかしら? わたくしはそうは思わない。知らない土地で、何人かのうちの一人の夫人として生きていくことが幸せなのかしら……?」


 ルネの返事が聞こえず振り返ると、ルネの瞳が涙で濡れていた。目が合ったルネが慌てて涙を拭い、首を横に振る。


「わたくしにはなんとも……」

「そう……」


 これ以上ルネに相談するとルネを責めることになるかもしれない。そう思うと何も言うことができなかった。誰が悪いわけでもない。好きな人に思いを告げることもできない、この時代が悪い。



***



 パトリック護衛の下、ルネと宮廷医師の話を聞きに来た。プレタールで得ておかないといけない課題の一つだ。というか、モリスのおつかいなのだけど。


 そこで耳にしたのはサイコパスとしか言えない医療だった。病は悪魔が体に入り込むことで起こる呪い。治療は嘔吐、下痢、瀉血といったあらゆる方法で体液を体から排出させる。驚いたのは水銀治療だ。水銀で燻したサウナに入ると下痢と嘔吐が繰り返され、比較的短期間で毒素を抜くことができると自慢気に言われたときは言葉を失った。


 前世で幼いとき、まだ我が家にも水銀の体温計があった。学校をズル休みしようとしてファンヒーターの前に水銀体温計をかざすと、体温計が割れて水銀が飛び出したのだ。そのとき、体温計の割れた音に気付いた母がアタシに水銀を触れさせないようにしたのを今でも覚えている。


 あの記憶だけでも、水銀が人体に悪影響だと分かる。そんな治療、誰にもしてほしくない。


 そういえば、サミュエルが風邪をひいたとき、看病していたメイドが「まだ嘔吐していないから治らない」と言っていた。現世では根強い治療なのかもしれない。なにかしら後遺症が残るのではないかと怖い。


 瀉血も怖いと思う。静脈に沿ってメスを入れて脱血させるらしい。なんなら健康な人の血を飲むと健康になれるというのもあるらしい。気持ち悪い。身震いがする。感染症への意識はどうなっているのか。それ以前に衛生観念は。この時代に、感染症の検査ができるとはとても思えない。


 このままではいけないと強く思った。


 それに、瀉血は床屋でもサービスの一環としてするらしい。なぜ床屋が医療処置をするのかと聞くと宮廷医師が神妙に答える。


「同じ刃物を扱う職人だからです。……ですが、私はこの風習に疑問を持っています。髪を切ることと人の皮膚を切ることを同じと捉えられては……。しっかりと医術を学んだ者だけが医療を行うべきです。リュシエンヌ様もそうお思いになりませんか?」


「えぇ。髪はまた伸びるし、切ったところで痛みも感じませんが、体は傷つけられると痛みを伴います。その傷の深さによっては取り返しのつかないことにもなりかねませんし、それこそ、その傷から悪魔が入り込むかもしれません」


 宮廷医師が安堵の表情でアタシを凝視した。こんな年端もいかない子どもにそんな安心しきった顔を見せるとは、よほど今まで理解を得られない考えだったのだろう。


「リュシエンヌ様。リンネル国では医師だけが医術を遂行していますか?」

「おそらくは……。わたくしはリンネル国の宮廷医師にあちこち連れまわされ……いえ、色々な場所に同行させていただいたのですが、少なくともその中で、床屋が医術を遂行しているなど聞いてはおりません」

「……そうですか。……王族や貴族にはお抱えの医師がいますが、平民はそうではありません。ですから、床屋や鍛冶職人など刃物を日常的に扱う職人が処置をしているのです」

「お抱えの医師がいないから、刃物を日常的に扱う職人が処置するのですか?」


 医者と言えば、前世では高給取りだ。ここでも人気の職業なのではないのか。


「平民はたいていの不調であれば我慢します。みな生活がありますから、少しの不調で医者にかかるのは経済的にも避けたいのです。そうなると……」

「患者もよほどの事でない限り来ないし、収入もないということですか?」

「はい。それと、平民が医者にかかるときは、よほどの時です。医術をしっかりと学んでいないものに対処できる程度の不調ではありません」


 それでは堂々巡りだ。前世では風邪は万病の素と言われていたくらいなのに。リンネルではどうやって医療を回しているのか、しっかりと学んでこなければいけない。




 宮廷医師の講義を終えたあと、同じ城内にいるニキアスと廊下で鉢合わせした。ついでに質問を投げかけた。



「はぁ? なぜ医師でもないものが医術を遂行するのだ? 医療的な処置は医術を学んだ者だけが行うべきであろう。そのくらいのことも分からないのか? 医師の力量は人命を左右するのだぞ」

「では、下町の医師は?」

「下町の医師は、宮廷医師を交代で派遣して育てている」

「下町の医師の収入は?」

「は? そんなもの国が負担するに決まっているであろう。国民の半分以上が平民だ。その平民の命を軽んじては国が立ち行かないではないか」


 なんでもリンネルでは平民も安心して受診できるように無料診療をしているらしい。正確にいえば、前年度の診療費の1割を税に加算して、平民みんなでその1割を税金として納めているそうだ。この診療体制にしてから平民の死亡率がぐっと下がったらしい。


 診療費の1割を全ての平民で補うのであれば、大した負担でもないはずだし、みんなで負担することになれば、勿体ないからと少しの不調でも受診するだろう。国が保証するのだから、医師も食いっぱぐれない。成り手がいないということも避けられるだろう。



「それだけ平民を大切に想っていらっしゃる割には……」

「なんだ? 平民への態度が横柄だとでも言いたいのか?」

「そういうわけでは……」


 ……なんだ。ちゃんと自分で分かってんじゃん。



「顔にそう書いてある。仕方がなかろう。王族としての権威を常に見せておかなければ、隙をつかれるかもしれぬのだから。言ったであろう? 平民の方が数が多いと」


 王族と貴族に対して平民。戦力の差は明らかだが、数に鎮圧されることも考えられないわけではないとニキアスが言う。虚勢を張ることで威厳を保とうとしているのかもしれないけど、ニキアスの態度そのものが反乱分子になる日が来るのではないかと心配になってしまう。


「権威を示すのと、横柄な態度をとるのとではわけが違うと思います。国民に愛されなければ元の木阿弥ではないですか」

「国民に嫌われてしまっては意味がないと?」


 アタシは力強くしっかりと頷く。


「ニキアスと農業の見学に行ったとき、ニキアスの言葉に農民は表情を曇らせていました。そこにあったのは畏れです。畏れにより従わせることも可能かもしれませんが、その感情は憎しみに変わることもあるかもしれません」


 アタシの叔父は農民に慕われていたし、敬われていたでしょう? と付け加えると、ニキアスが腕を組み、考えるように視線を落とした。


「ふむ。その忠告受け取っておこう。確かにエマニュエル公爵が反逆される姿など想像できぬからな」

「えぇ。誰だって穏やかな気持ちで毎日を過ごしたいでしょう? ニキアスが態度を改めれば、国民も不快な気持ちにならないで済むし、ニキアスも反逆の芽を植え付けずに済みます。みんな幸せです」

「俺の態度は反乱分子を生むほどのものであったか?」


 ニキアスが難しい顔をしてアタシを見た。誠実に耳を傾け真摯に受け止めようとする、そんな目だ。


「まぁ、そうなってもおかしくはないかと……。ゆくゆくは! ゆくゆくは! ですよ!」


 ちょっと言い過ぎたと慌てて掌を胸の前でブンブン振っていると、その手首を掴まれた。そして、そのままギュッと握られる。


「それで取り繕ったつもりか? ゆくゆくは! と言ったところで、確実に俺が平民に襲われる未来が来ると言っているようなものではないか。……やはり、リュシエンヌはおもしろいな」


 心なしかいつもより穏やかな笑顔で、じっとアタシを見つめてくるニキアスの瞳に意味がこもっているような気がして落ち着かない。アタシは手をそっと離して、貴族の礼をした。


「そう言っていただけると助かります。ではまた」


 ニキアスとすれ違って数歩歩いたところで腕を掴まれる。掴まれた腕からニキアスの顔に視線を移すと、ニヤリと笑った。


「いつまでも逃げられると思うなよ」


 ……怖いんんだけど……。



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