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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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耳たぶ


 情報交換会とはよく考えたと思う。アニーの頭の回転の速さと行動力には脱帽だ。やっぱり勝てる気がしない。


 フロリアンの家に農業の見学に行った一週間後の昨夜のことだった。カンタンとセヴランから受け取ったとルネが招待状を持ってきた。


 招待状を開くとシル主催の情報交換会という名のお茶会をする旨が記載されていた。本当はアニーが企画したそうだが、貴族を呼び出すのに平民の招待状では弱いと、シルが名前を貸すことになったらしい。


 メンバーは、主催者のシルとアニー、サミュエル、フロリアン、カンタン、セヴラン、それからパトリックらしい。パトリックはアタシの護衛騎士だけど、留学前と同様の立場、つまり同級生として参加するように、ということだった。そのうえで、護衛にも励むようにと。矛盾してると思う。



 アタシの母は、フロリアンも出席すると知って、この招待にいい顔をしなかったが、招待状を持ってきたシルが、リンネルに戻る前に、ゆっくりと農民の実情を聞ける機会があった方がいいと押し切ってくれたそうだ。そういう背景もあって、当初シルの屋敷で行われるはずだった情報交換会は、母の提案で我が家で執り行われることになった。


 たぶん、自分の目の届く範囲であれば、恋心に現を抜かすことはないだろうと踏んでのことだと思う。それと、見張ってるよ、というサインでもあると思う。


 アタシのフロリアンへの気持ちが暴走して、国際問題になるのではないか、ミシェーレ公爵家が一家もろとも処罰されるのではないか、と母は本当に怯えている。母が時折、目で「大丈夫よね?」と訴えてくるさまを見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 アニーと共に頑張ろうと約束したけど、アタシは頑張るか迷っていた。アタシの気持ちはアタシだけの人生を背負うものじゃない。国もろとも巻き込むことになるかもしれない。死亡フラグがぎっしり詰まった悪役令嬢のアタシだからこそ、そんな未来がとても近く感じるし、なんとなく「そういうオチか」と納得してしまう。どんな状況でも死んでしまう悪役令嬢はどこまで逃げようとも死亡フラグが追いかけてくる。


 だけど、どう頑張っても死亡フラグが追いかけてくるならいっそ、好きなように生きてみてもいいんじゃないかとも思う。そう思って決意を新たに心の中の拳を固く握っては、頭にフロリアンと家族の顔が過り、項垂れるのを繰り返していた。


 どう生きるか、まだ決めることができない。もう、時の流れに身を任せるしかないんじゃないかと思う。


 そんなことを考えながら、ルネに身支度を手伝ってもらっていた。鏡に映る、すっかりカラーリングが落ちてブロンドの髪色に戻った自分の姿を見つめていた。


 クスリと笑う声が聞こえて鏡越しにルネを見ると、ルネが苦笑しながら言った。


「お嬢様のその癖、幼少時から変わりませんね。まぁ、何を考えていらっしゃるのかは聞きませんけれど……」


 癖? なんのこと?


 鏡に映るアタシは、耳たぶを触って虚ろな瞳をしている。ルネはその姿を見てまた苦笑する。


「癖とはなんのことかしら?」

「……ご自分の癖は分からないですよね。……なんでもございません」


 ルネが困ったように首を横に振った。その困った顔とルネの言葉に、以前パトリックに「リュシエンヌ嬢。なにか悪巧みをしていらっしゃいませんか?」と針の筵からどうやって逃げようかと思案していたのを見透かされたことを思い出した。


 もしかしたら、みんながコソコソと話していたのはアタシの癖についてのことだったのかもしれない。


「なぁに? わたくしに何かおかしな癖があるの? 教えてもらわないと直せないわ。ちゃんと教えて。社交界に出たわたくしがその癖で、考え事をしていると他に知られるのはミシェーレ公爵家にとっても良いことではないはずだわ」

「まぁ、お伝えしたところで直らないのが癖ですし良いでしょう。お嬢様は、考え事をなさるとき耳たぶを触る癖がおありです。以前は、悪巧み……もとい、思い通りに事を運ぼうと考えていることが多かったようですけど……」


 ハッと鏡に映る自分を見れば、耳たぶを触ったままだ。気付かなかった! この癖のせいで、あの時みんなにバレたのね……。


「……ルネ? その、この癖はそんなにすぐに他の方に気付かれるものかしら? 半年ほどしか共に過ごしていないパトリックやサミュエル、シルにカンタン、セヴランにまで気付かれていたみたいなのだけど……」


 意識して鏡を見れば、耳たぶをスリスリと指で擦る自分の姿が目に入って、慌てて手を下げる。その後ろに目を丸くしたルネの顔が見える。ルネの驚いた顔が優しい笑顔に変わった。


「みなさん、それだけお嬢様を大切に見守っていてくださったのですね。半年程度で悪巧みをするときだけの人の癖など分かるものではありませんわ」


 後半のルネの言葉がひっかかったけど、あえて気にしない。アニーといい、ルネといい、アタシの周りには身分社会に生きる現代では考えられない失礼な言葉を当たり前にいう人間が多いように思う。……それでいうと、からかってくるセヴランとカンタンもか。


 本音を話してくれているみたいで嬉しいからいちいち怒ることはしないけどね。


「さぁ、みなさんそろそろご到着されますよ。応接間に参りましょう」


 ルネとパトリックにつき従われて応接間に移動すると、カンタンとセヴランがやいやい言いながら準備を進めていた。アタシの後ろのルネを見て何事もなかったかのように静かになる。


 逆じゃない? 普通、アタシを見て、静かになるものじゃない? ルネが上司とは言え、アタシはそのルネの主人なんだけど……。なんか……軽んじられているような……。まぁ、良しとしよう。


「準備は順調かしら?」


 カンタンが微笑を浮かべ「もちろんでございます」と言えば、セヴランはニッと緩んだ顔を一瞬で立て直して「あぁ。いえ。あとはこちらに花を置けば準備完了です」と言った。


 カンタンとセヴランは情報交換会が始まってしまえば、同級生の立ち位置になるらしいけど、今は使用人だ。たどたどしい笑顔と言葉遣いのセヴランに思わず頬が綻ぶ。


 セヴランにはぜひとも、このままたどたどしくいて欲しい。その方がアタシは楽しいと思う。


 ルネがみんなの到着を告げて、出迎えに行き、戻ったところで驚いた。気まずそうな顔のルネの後ろには悪戯が成功した子供のような笑みのニキアスがいた。その後ろにまた気まずそうな顔のサミュエルがいる。シル、アニー、フロリアンと続々と室内に足を運んできた。


 目が合ったフロリアンが眉を寄せて困った顔で口元だけ笑みの形にした。


「どうだ。驚いただろう?」

「いえ……。なんとなく予感はあったので……」


 サミュエルが出かけるというのに、大人しく城でじっとしていられるニキアスではないし、行きたいと言うニキアスにサミュエルが断ることができるはずもない。


 アタシはニキアスに近付くと小声で言った。ニキアスはアタシの口元に耳を近づける。


「ニキアス、本日は同級生として集まったのですから、平民とわたくしたちは同じ立場です。砕けた言葉遣いになりますが、どうか、お気を悪くなさらないでくださいね」


 ニキアスがアタシを見てニッと笑い、その厚い胸板を拳で叩いた。


「そのくらい心得ておる。道中、サミュエルにも耳が痛くなるほど言われたのだ」

「ご理解いただきありがとうございます」


 情報交換会という名のお茶会は、留学前の学院での話から始まった。ニキアスの知らない話題に気を悪くしていないかとニキアスを盗み見すると目を爛々とさせたニキアスが会話に入ってきた。


「そう言えば、リュシエンヌはプレタールの学院で崖から落ちそうになったそうだな。なぜそんなことになったのだ?」


 アニーが笑いながら答える。


「風に吹かれて飛んでいく敷物を追いかけて崖から落ちそうになったのですよ。あの時は本当に心臓が止まるかと思いましたけど、笑い話にできて良かったですわ」


 いや、笑い話にすることじゃないでしょ。アタシ九死に一生を得たんだよ?


 不満な気持ちを込めてアニーを見つめていると、ニキアスが考えるように言った。


「ほぅ。確かに。平民の前で公爵家の令嬢の身に危険があるなどあってはならないことだ。さぞ肝を冷やしたであろう」

「えぇ。本当に。あのときパトリック様が来てくださって本当に良かったです」


 アニーがそんな恐怖を抱えていたとは思わなかった。あれはアタシの過失であって、アニーは関係ないと思っていたからそんな考えに及ばなかった。


 そう言えば、ゲームの中でのサミュエルルートのバッドエンドは、悪役令嬢に襲われた正当防衛でアニーがアタシを崖下に落として殺してしまうわけだけど、公爵家令嬢を殺めた犯人としてアニーは投獄されていた。サミュエルが度重なるアニーへのアタシの嫌がらせを証明することで処刑は免れたけど、その一生を牢の中で過ごすことになった。平民の貴族殺しに情状酌量はない。


 セヴランが思い出すように遠くを見つめて笑う。


「だけど、リュシーは落ちそうになるし、敷物は結局崖の下。その崖下も歩いて行ける所だったっていうのはリュシーらしいよな」

「そうそう。リュシーは本当思いがけないことをしでかすから一緒にいて飽きないよな」


 カンタンがセヴランの言葉に続いてそう言うと、ルネがコホンと咳払いをして、カンタンとセヴランを睨んだ。二人の肩がビクッと震えて小さくなっていくのが分かる。


「ルネ? 今日はみんな同級生として集まって、忌憚のない意見を持ち寄る会なのですよ。そんな目くじらを立てないで。使用人として仕えてくれているときは言葉遣いも表情も弁えているのですから」

「……失礼しました」

「カンタン、セヴラン。いいのよ。学院にいた時のように話して。その方がわたくしも嬉しいし楽しいわ」

「はい。承知……。おぅ。分かった」


 しばらく、カンタンとセヴランはルネの目を気にして、何か話すごとにチラチラとルネの様子を窺っていたが、食事が出そろう頃には同級生の二人に戻っていた。


 話はダニエル事件に変わり、針のむしろのアタシの話になっていた。そこでハッと思い出した。


「そう言えば、あの時みんなが何をコソコソ話していたのか分かったの! わたくしの癖の事でしょう? 耳たぶを触る! わたくしもう分かったから、これからは誰にも気づかれず考え事ができるわ!」


 自慢気に胸を張って腰に手を充てて、フンと鼻息を鳴らしてみんなを見渡すと生温かい視線を向けられていて、なんだか居た堪れなくなった。なにかおかしなことを言ったのだろうか。


「ふむ。リュシエンヌのあの仕草は考え事をしているときの癖だったのだな。俺はてっきり耳がかゆいのかと思っていたぞ。よく屋上庭園に行っていたようだから、そこで虫に刺されたのかと」


 なんだソレ。痒くて掻いているのかと思われていたの? 不愉快だ。その印象だと不潔っぽいじゃない。


「考え事をしていたのか。ふむ。覚えておこう」

「覚えなくてもいいです!」

「リュシー? 今後はその癖を封印するから『これからは誰にも気づかれず考え事ができる』とおっしゃったのでしょう? では、ニキアスが覚えたところで問題ないではないですか」

「……そうですね」


 サミュエルのもっともな言葉に、妙に納得してしまうけど、なんかスッキリしない。なんか手の内を見せたみたいで落ち着かない。癖はそう簡単になおるものじゃないとルネも言っていたし。なんで喋っちゃったんだろう。みんなはともかく知らなかったニキアスの前で!


 そう考えていると、笑い声がした。目で机を一周するともれなくみんな爆笑だ。首を傾げていると背後からルネの呆れた声がした。


「お嬢様、耳たぶに触っていますよ」


 ハッと耳たぶを触っている自分に気付いて手を下ろすと、セヴランが笑いながら聞いてきた。


「何考えてたの?」

「ははっ。リュシエンヌには誰にも悟られず考え事をすることはまだまだ難しいようだな」

「リュシー……」

「リュシー。大丈夫。誰にだって癖はあるんだから、そう気にしないで」


 ニキアスが嬉しそうに笑い、サミュエルがかわいそうな子を見るような目で見てくる。フロリアンの励ましに少し落ち込みそうになった。


「さぁ。本日は情報交換会よ。農業のいろはを教えてちょうだい!」


 威嚇しながら無理やり話題を変えると、みんな小さく笑いながら農業の話をしてくれた。ニキアスが要所要所で質問をして、アタシもその質問に続く。サミュエルは領主から上がってきている情報をもとに事実確認をするように質問を重ねた。


 フロリアンが中心となって答え、それにカンタンとセヴランが続く。アニーは農家の女性の務めについて詳しく教えてくれて、シルは領主としての意見や国への要望をそれとなく伝えていた。


 農業の話を聞くには最高のメンバーだった。新しいことを知り、リンネルで学んだことを話せば嬉々としてフロリアンが質問をして、どうしたらプレタールでも取り入れることができるかと思案する。ニキアスはリンネルの王族として農家に派遣している専門家の話をしてくれた。



 そして、話がまた学院での生活になり、アタシの過去をおもしろおかしく話す会に……。居た堪れなくなったアタシはハーフバルコニーで涼んでいた。


 そこにフロリアンがやって来た。開け放たれた窓の向こうに後ろ姿のパトリックが見える。



 フロリアンがそっとアタシの髪を撫でながら「元気そうで良かったよ」と言った。


 

 アタシはじっとフロリアンの瞳を覗き込んだ。




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