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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
40/57

留学したのは


「サミュエル殿下! 久しぶりにお会いできて嬉しいです。お変わりありませんか?」


 ニキアスとフロリアンとトマトの収穫をしていると背中に黄色い声がぶつかった。その高く甘い声色にすぐにアニーが到着したのだと気付く。振り返ると、畑の近くでシルと一緒にガエタンの話を聞いているサミュエルにアニーが駆け寄っているところだった。アタシの隣で嬉々としてトマトの収穫をしていたニキアスが、不快そうな表情を隠そうともせずに聞いてくる。


「あの婦人は誰だ? 見たところ貴族ではなさそうだが」

「アニーです。あの方もフロリアンやカンタン、セヴランと同じ学院での友人なのです」

「あのうるさい婦人が友人だと?」


 サミュエルに久しぶりに会って感極まったアニーの声がよほど不快だったのか、ニキアスは眉をしかめたままアニーを凝視している。


「うるさい子ではないですよ。誰だって友人と久しぶりに会うと嬉しいものでしょう?」

「そういうものか……」

「そうですよ」


 アニーは、シルへの挨拶を早々に切り上げて、サミュエルへ体の向きを変えると何やら質問攻めにしているようだった。会話の内容までは聞こえないが、甘い声と低めの声が八対二くらいの割合で耳に届くため容易に予想できた。


「あのアニーとやらは、サミュエルに好意を持っているのか?」


 思いがけないニキアスの質問にギョッとする。人の恋路に興味などあるはずもないと思っていた。アタシは見開いた瞳をなるべくにこやかに見えるように細めた。


「なぜ、そのように思われるのですか?」


 ニキアスがふんっと一つ鼻息を鳴らし、吐き捨てるように言う。


「ああいう女は見慣れているからな。王族の肩書に目がくらんであわよくば夫人に収まろうとしている女だ」


 ニキアスもそういう下心を持った女性に言い寄られて面倒な思いをしたことがあるのかもしれない。だけど、なんとも酷い言いようだ。アニーの気持ちはアニーの口から知らされてはいるが、アタシは何も知らないフリをする。一言も会話を交わしていないのに不仲のフラグが立っては、アタシが面倒になるかもしれない。


「そうでうすか。アニーがサミュエルのことをどう思っているかは存じませんが、友人ですもの。少なからず好意はあるでしょう。ですが、よく知りもしないのに、わたくしの友人をそのように言うのはご容赦いただきたいです」

「なぜだ?」

「自分の友人が悪く言われるのは嫌ではありませんこと?」


 アタシの問いにニキアスが腕を組み、考えるように天を仰いだ。


「ふむ。確かに友人のことを悪く言われるのはいい気がしないな。すまない」


 正直、また「なぜだ?」攻撃を受けることを覚悟していたので、肩透かしをくらった気分だ。こんなに素直に聞き入れてくれるとは思わなかった。ニキアスも成長しているということだろうか。


「ふふ。ありがとうございます」

「なぜ礼を言う?」


 でた! 「なぜ?」被せ! 素直に受け入れてくれたと思ったら。


「アニーがわたくしの大事な友人なので、それをニキアスにご理解いただけたことが嬉しいからです」


 ニキアスはアタシを見つめたまま何度か瞬きをすると少年のようにあどけない笑顔を浮かべた。そして満足そうに言う。


「そうか。嬉しかったのか。それは良かった」


「アニーが来たということは、お昼ですね。汚いところですが、ご一緒にランチをいかがですか?」


 フロリアンが慇懃な態度でニキアスをランチに誘う。ニキアスはどう答えるだろう。これまでのニキアスを考えると「平民の飯など食えたものか」と拒否しそうだ。せめて、丁寧な言葉で断ってくれたらいい。ニキアスが断ったところでアタシはランチに参加するけど。


「うむ。馳走になろう」


 ランチの席は屋外に準備してあった。フロリアンの家では側近を数名ずつ従えたアタシたちを全て収容するのは不可能だ。


 畑の横の土の上に呉座が敷かれ、その上にテーブルが準備された。呉座に座るよう促されたニキアスは額から汗をたらりと流して「ここで食事をするのか?」と呟き、サミュエルは笑顔でほぼ地べたに座る。叔父は細長いテーブルに並べられた食事を食い入るように見ていて、シルは特に何も感じていなさそうな表情でニキアスをサミュエルの隣に座るように誘導した。


 アニーはすかさず、ニキアスとは反対側のサミュエルの隣に座る。ニキアスの隣には叔父が座り、その隣にシルが座る。フロリアン一家は給仕に回った。それぞれの護衛がそれぞれの主の後ろに構えて、護衛を除く側近たちはアタシたちの少し後方に準備された席で腰を下ろす。


 アタシが座れる場所はアニーの隣かシルの隣だ。アニーはサミュエルに夢中でアタシの相手なんてしてくれないだろうし、シルはきっと叔父からリンネルの情報を聞きたがるに違いない。どちらにしても話し相手はいなさそうだ。いっそフロリアン一家と一緒に給仕に回りたいくらいだ。


 どちらに座ろうかと迷っているとニキアスが、自分と叔父の間をぽんぽんと叩いた。


「リュシエンヌ何をしておる? ここに座れ」


 どう見ても人が一人入れる空間はない。「いえ……」と、断ろうとすると、叔父が立ち上がり、それを見ていたシルが一つずつ席をずれて、あっという間にアタシの座るスペースが確保された。


 まぁ、どこでもいいんだけど……。


 アタシがニキアスの隣に腰を下ろすと、食事を取り分けようと前に立ったマノンがにこやかな笑みを浮かべた。その控えめな笑みが「お貴族様はお貴族様同士よね」と言っている気がした。フロリアンの母であるマノンに、そんな笑みを見せられて、フロリアンにニキアス殿下との婚約を祝われたことを思い出した。苦い気持ちがこみ上げてくる。


「リュシーとニキアス殿下は仲がよろしいのですね」

「まぁ、そうだな」


 叔父の隣からひょっこりと顔を出して、からかうような弾む声を出すシルに、思わず二度見する。シルがにっこりと微笑んだ。しかし、アタシの目には嫌な笑顔に映る。バッとトレイを持つフロリアンに視線を投げれば、困ったように眉を寄せて口角をぎこちなく持ち上げた。


 フロリアンとどうこうなれるとは思わない。だけど誤解されるのだけは避けたい。


「友……」

「僕もニキアスもリュシーもリンネルの学院では仲良くしているのですよ」


 アタシが誤解を解こうと訴える前にサミュエルが強めの口調でそう言った。ニキアスがわずかに首を傾げ顎に手を充てる。


「まぁ、そうだな。なんだかんだといつも三人でいるな」

「僕はとくにニキアスの城にお世話になっていますし、リュシーとは留学生同士、共に仕上げなければならない課題もありますからね」


 なんだか分からないけど、サミュエル。よく言ってくれた! そう、ニキアスと特別に親しいわけではない。もっと言ってやってサミュエル!


「だが、俺とリュシエンヌは婚約者候補だしな。サミュエルとの親しさとは少し違うやもしれん」

「なっ! 何も変わらないではないですか! サミュエルともニキアスとも同じように仲良くしていますし、お二人も仲良く過ごしていらっしゃるではないですか! ……そう言えば! パトリックの早朝訓練はリンネルでも継続中ですのよ。それもあって三人で過ごすことが多いのです」


 フロリアンの困ったような表情を見て、喋りながら、フロリアンを見ていたことに気付いた。きっと縋るような目をしてしまっていたと思う。


 フロリアンがニコリと微笑んでくれて緊張と困惑で入り乱れた感情が落ち着きを取り戻していく。視線を感じてふと隣を見れば、怪訝な表情のニキアスと目が合った。


「何かありまして? ニキアス?」

「いや、なんでもない」


 ニキアスは怪訝な表情を変えもせずに、アタシから視線を逸らした。


「リュシー。食事を終えたら久しぶりに女同士の話をしませんこと?」


 サミュエルの隣からひょこっと顔を出したアニーが微笑みながらアタシに声をかけて来た。申出はありがたいけど、アタシは遊びに来ているわけではない。プレタールの農業を学んで、リンネルに持ち帰らなければならない。


「お気持ちは嬉しいのですが……」


 チラリと窺うように叔父の顔を見ると、叔父が眩しいものでも見るように目を細めて、アタシの髪を撫でた。


「少し早めに昼食を切り上げて話してくるといい。それで、午後からの作業に戻れば勉強もできよう。久しぶりの友人との会話になるのだろう?」

「えぇ。そうです。だけど……」


 叔父は話してきても良いといってくれたけど、ニキアスの案内もあるし、サミュエルが見聞を広めてくる代わりにアタシは実践を学ばなければいけない。サミュエルとニキアスを窺うように見つめると、サミュエルがふんわりとした笑顔を向けてくれた。


「どうぞ、行ってきてください。午後からの作業には間に合うようにしてくだされば、なんの問題もありませんよ」

「うむ。大事な友人なのだろう? 話してくると良い」


 みんなの優しい言葉に顔に笑みが広がっていくのが自分でも分かった。


「ありがとうございます。叔父様、サミュエル、ニキアス。少しお時間いただきますね」


 叔父とサミュエルとニキアスにお礼を言って、アニーを見るとアニーは含みのある笑顔をしていて、アニーとの時間を獲得できたことに少し後悔してしまった。


 ……今度は何を頼まれるんだろう……。



 アニーと二人で食事を早めに切り上げて、フロリアンの家の土間を貸してもらい、紅茶を啜りながらアニーの様子を窺う。手紙の勢いもすごかったけど、対面となるとその勢いは更に激しいに違いない。


「ねぇ。リュシー?」


 来た! なんだ? 今度はなんだ? サミュエル情報が浅いとか? あの程度の情報なら妄想で補えるとか? もっと真に迫った情報を寄こせとか? ……それならまだいい。サミュエルの想い人について聞かれた日にはなんと答えれば良いのか分からない。


 奇しくも、前世での親友と仲たがいするきっかけになったのと同じ状況に置かれて、焦りと同様で心臓が早鐘を打っている。まるで自分の耳のすぐ近くに心臓があるように響く。怖い。


 アニーは困った所もあるし、最初は公爵令嬢をパシリのように使うなんて! と、もやもやさせられもした。だけど、そんなところもひっくるめて、腹を割ってくれている感じが好きなのだ。平民と貴族間の立ち位置を考えるとアニーの態度は褒められたものではないし、アニーのアタシに対する態度を見て気分を害する貴族もいるかもしれないけど、アタシはこの関係がすごくしっくり来て、居心地がいいのだ。


 考えてみれば、前世も現世も末っ子で、わがまま放題ではあっても基本的には人に行く道を誘導されて生きてきた。だから、居心地がいいのだと思う。前世での姉がちょうどアニーみたいにアタシを振り回していたのだ。


 この関係が崩れないといい、と切に願う。


「なにかしら?」


 アニーは紅茶を一口飲み、息を大きく吸い込み、吸った息を吐きだすように一気に口に出した。


「ニキアス殿下とリュシーは婚約者候補同士で、サミュエル殿下はリュシーが好きで、リュシーはフロリアンが好きなのよね? ニキアス殿下はどうなのかしら? あの感じだとリュシーのこと憎からず思っているようだけど」


 ……絶句だ。口の中が急激に乾燥して、口をあけたまま、あんぐりとしている自分に気付いた。そのくらい呆気にとられた。一気に喋ったかと思うと、全てが核心だった。どうして驚かずにいられようか。それに自分でさえ最近気付いた気持ちをなぜ、ほんの小一時間一緒にいただけで気付かれてしまったのか。


「なに、その顔? 口を開けたまま目を丸くして。そんなに驚くこと? ランチ中の三人の会話を聞いていれば簡単に想像できるわよ。シル様もカンタンとセヴランも楽しそうにほくそ笑んでいたから気付いていると思うわよ?」

「フ、フ、フロリアンは?」


 思わずフロリアンに気付かれたか心配になり、アニーに詰め寄ると、アニーはクスリと笑いティーカップをテーブルの上にそっと置いた。


「フロリアンは気付いていないでしょうね。マノンさんは……気付いたんじゃないかしら……?」

「なんで?」

「なんでって。ちょっと見てれば分かるわよ。リュシーたちの四角関係は。マノンさんも三人の遣り取りを見て目を白黒させていたし。だから、気付いたんじゃないかと思っただけよ。本当の所は聞いてみないと分からないけどね」


 全てを見透かしたように淡々と話したあと、頬杖をついたアニーがふぅとため息をついた。その憂いを帯びた表情をとてもキレイだと思った。二年離れている間に随分と大人っぽくなった。よく見ると髪も伸びている。アタシがキュレール学院でしていたのと同じようにショート風にアレンジしているけど、貴族の屋敷で務めるために、貴族に倣い髪も伸ばしたのだろう。そんな些細なところからも貴族に近付こうと努力しているのが分かる。


 マジマジとアニーを見ていると、鋭い瞳を柔和な笑みで隠したアニーが口を開いた。


「聞いてみる? マノンさんに。それか、フロリアンに。わたくしがフロリアンのことを好きなの気づいた? って」

「そんなの聞けるわけないじゃない!」

「なぜ?」


 アタシは観念して、アニーに全てを話した。サミュエルからの告白だけを除いて。


 ニキアスとの婚約候補の話はこのままいけば、結婚に辿り着きそうなこと。そして、それを拒否する立場に自分がないこと。拒否することで国際問題に発展するかもしれないこと。公爵家の一存で拒否してしまうことで、王族から反乱分子とみなされてしまう可能性があること。どう足掻いてもフロリアンとの未来を考えることすら許されないこと。


 アニーは静かに相槌を打ちながら、アタシの話を聞いてくれた。目の前に座っていたアニーがアタシの隣に椅子をずらし、背中をぽんぽんと優しく撫でてくれた。


 思い通りにいかない悲しみや悔しさがこみ上げて涙になって溢れる。アニーがハンカチを差し出してくれて、そのハンカチを受け取ったアタシは鼻をずるずる言わせながら涙を拭う。


「リュシー。わたくしには予想をすることはできても実感として同じように感じることはできない。わたくしは平民だから。でも、本当に道はないのかしら? ねぇ、リュシー? リュシーはなぜ留学したの?」


 更に核心に触れてくるアニーに心臓が大きく跳ね上がった。アニーに全てを話してしまおうか。アニーの恋路の邪魔をするとアタシが死ぬ運命にあると。だけど、そんなこと言ってしまっていいのだろうか。


 万が一、アニーがサミュエルとの幸せな未来に目が眩んで、アタシの話を逆手にとってしまったら……。アニーのサミュエルに対する気持ちは本物だ。きっと、サミュエルとの幸せのためなら何だってする。そういう意味でアタシはアニーをすごく信用している。


 顔を上げて、アニーを見つめると慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま、優しくアタシの背中をさすってくれている。


「留学したのは……」


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