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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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ちょっと農業体験


 畑に到着すると、ガエタンがニキアスに野菜の種類や調理法について説明した。その近くで叔父がフロリアンに農薬の使い方や、畑の整え方について教えていて、フロリアンは興味深そうに質問を重ねていた。


「農薬は害虫も殺すが、量を間違えると育った野菜を食べた人間にも害が及ぶことがある。フロリアンは農業に熱心であるから、大丈夫だとは思うが決して量を間違ってはいけないよ」

「承知しました。では、この一角に使用するとなると、このくらいの量が適量でしょうか?」

「うむ。そうだな。細かい配合となると実際に使用している者に聞いたほうが良かろう。ロラン。教えてやってくれ」


 叔父に呼ばれて一歩前に出たロランという男は見たことがある。リンネルでの農業見学のときに叔父と親しげに話していた農民だ。見覚えがあると思っていたら叔父がリンネルから同行させていたらしい。ロランはフロリアンと畑の中に踏み入ると手振り身振りを混じえて説明しているようだった。


 しばらく二人を見守っていた叔父は、二人の傍を離れアタシの下へとやってきた。アタシの後ろにはパトリック、両サイドにはカンタンとセヴランがいる。叔父が近付いてくるのを察知したカンタンとセヴランが半歩後ろに下がった。


「プレタールの畑も懐かしいな」

「そういえば、叔父様はリンネルでもプレタールの畑事情をご存知のようでしたね。何故ですか?」


 叔父は少し遠くに視線を投げ、懐かしむように話してくれた。


「私がリンネルに婿入りをすることになったとき、今と同じように農家に見学に来たのだ。友好国とはいえ、単身で他国に乗り込むのだ。プレタールからの手土産は多いにこしたことはないだろう?」

「農業が盛んなプレタールの技術を手土産にと考えられたわけですね?」

「あぁ。まぁ、リンネルの農業の方が発展しておって、大した意味は成さなかったがな」

「……他国に入るというのは恐ろしく大変なことなのですね……」

「行くまでがな。様々なことを想像してしまうであろう? リンネルのような国交の盛んな国が、どうしてプレタールのような小さな国の公爵家の三男を欲しいなどと思える? 不安でいっぱいだったよ。しかし、リンネルに入り、その土地、その国民、生活様式などを知っていくと、また違うのだ」


 他国に入る不安でいっぱいだった叔父の心が、土地や国民、生活様式を知るだけで、どうして変わったのだろう。たしか以前、アタシが叔父にホームシックを語ったとき叔父は「愛しいと思う人がいて、楽しい時間を過ごせる仲間が出来た」と言っていた。


 アタシはその疑問をそのまま口に出した。叔父が目を細めて柔らかく笑みをこぼす。


「姪にこのようなことを話すのは少しばかり恥ずかしいのだが。……その、オリビアが私に、その、な」


 そこまで話した叔父がコホンと咳払いをして、チラリとアタシを見た。間違いなく「察しろ」の目だ。たぶん、叔父にオリビアが一目惚れしたとかそんな話だろう。


「それを知って、危機感や不安感が解消されたということですか?」

「そう簡単ではなかった。時間はかかったが、接する時間に比例して気持ちは伝わってくるものだ」


 叔父がもう一度咳払いをする。風邪じゃないことは分かる。年の離れた姪に恋バナをするのが恥ずかしいのだろう。いつも胸を張って悠然としている叔父からは想像もできない照れっぷりに、アタシまで気持ちがもぞもぞしてくる。思わず笑ってしまう。


 クスクスと笑っていると、赤らめた顔の口元に拳を充てて咳払いしていた叔父の瞳が真剣なものに変わった。


「ニキアス殿下とのことだが……。その、すまなかった。以前は、お断りしても良いと言ったのに……」


 家族会議で感情がめちゃくちゃになって忘れていたけど、確かに叔父はそう言っていた。なんなら、サミュエルのことが好きなら協力するとまで。


「そういえば、そのようなことおっしゃってくださいましたね……」


 叔父の恋バナで上向きになっていた気持ちが、フロリアンへの気持ちの断絶を余儀なくされた気持ちを思い出して、心がしぼんでいくのが分かる。


「あの時と、今とでは少し事情が変わってきてしまってな……」


 王族の婚姻事情だ。私には話せない事情が何かあるのだろう。もしかしたら叔父も知らされていない事情も。


「いえ。良いのです。公爵家に生まれたからには政略結婚をして、良い縁を繋ぐことが勤めですから。わたくしが浅はかだったのです」

「そのようなことは……」


 そこまで言った叔父が言葉を飲み込んだ。きっと何を言ったところで状況を変えられない今、なんの慰めにもならないと思ったのだろう。


 アタシも何を言われたところで、絶望を感じるだけで、更に気持ちが沈むのは目に見えている。いっそ、この話題からこの瞬間だけでも逃げたい。


 泣きそうになる瞳に力を入れて、瞳に溜まった涙を零れないように目を見開いた。視線の先には、満面の笑顔のフロリアン。手招きをしてアタシを呼んでいるのが分かる。フロリアンの横からマノンがズイズイと進み出て、フロリアンの頭をはたいて何やらガミガミ言われているのが分かった。


 たぶん「横着しないで迎えに行け」とでも言われているのだろう。その様子に思わず笑ってしまうと、細めた瞳から溢れた涙が頬をつたった。アタシは慌てて両頬を掌で拭って、フロリアンの下へと歩いた。


「フロリアン。どうしたの?」

「あぁ、リュシエンヌ様。申し訳ございません。愚息が横着をして手招きでお呼びしてしまうなんて……」


 マノンに叩かれた頭がまだ痛いのかフロリアンが頭を撫でながら軽くマノンを睨んでいる。その頭を更にマノンが押さえつけ、アタシに頭を下げた。家族と一緒にいるフロリアンは少し幼く感じる。その様子がかわいくて、自然と笑みが広がった。


「ふふっ。マノン。いいのですよ。わたくしがフロリアンに貴族扱いしないようにお願いしたのですから。学院でとても仲良くしていただいたのです。おかげで、とても楽しい思い出ができました」


 自分の口から出た「思い出」という言葉が、チクリと胸を刺した。


「そうなのですか? ですが、学院を一歩出れば、平民とお貴族様です。このような無礼な態度は……」


 フロリアンの頭を押さえたまま、マノンが反対の手を頬に充てる。フロリアンがその手を退け、体勢を元に戻した。


「だから言ったろ? リュシーはこういう接し方を許してくれてるって!」

「これ! リュシエンヌ様だろ?」

「マノン。本当にわたくしの方からお願いしているのです。アニーもカンタンもセヴランも皆、フロリアンと同じように接してくれて、わたくし本当に嬉しいのですよ。わたくしみんなのことが大好きなのです」

「本当にこんな無礼な態度よろしいのですか?」

「えぇ。学院内外問わず、同じ態度で接していただけると嬉しく存じます。ですから、マノン。フロリアンを叱らないでやってくださいね。それで、フロリアンの態度が変わるとわたくしとても悲しいですもの」

「そうですか……」


 マノンが申し訳なさそうにアタシに視線を向けた。アタシは久しぶりに、とびっきりの天使の笑顔をする。マノンが「そうおっしゃってくださるのなら……」と渋々といった感じで了承してくれた。


 フロリアンに視線を向けると、フロリアンの顔が少し赤くなっているように見えた。日焼けしたのだろう。アタシももしかしたら日焼けしているかもしれない。いや、大丈夫か。生れてこのかた日焼けというものをしたことがない。赤くも黒くもならないのだ。


 フロリアンの頬に土が付いているのが目に留まって、咄嗟に手を伸ばして親指で拭った。フロリアンはバッと頬に手を充てて、アタシの手とフロリアンの手が重なった。フロリアンの手の勢いに驚いて自分の手を引っ込める。


「驚いた」

「驚いたのはこっちの方だよ。なに? なんだったの?」

「土がついていたから……」

「あぁ、土か。ありがとう」


 ……自分からアタシに触るのは良くて、アタシから触られるのは良くないの? ショックだ。


 土が顔に付いていると教えてあげたのに、フロリアンは拭いもしない。肩にかけたタオルは飾りなのか。


「……もしかして、濡れタオル?」


 フロリアンが自分の胸元を見て、タオルを手に取り、困り顔の笑顔で言った。


「そう。リュシーが教えてくれただろう?」

「実行してくれてるんだ。嬉しい。そういえば、フロリアンが手伝ってもらうかもって言ったから、わたくし動きやすい服装で来たのよ。何かすることはない?」


 フロリアンが隣のマノンに視線を向けた。悪戯が見つかった子供のように、その視線はマノンの顔色を窺っている。マノンはフロリアンを一瞥すると、アタシに向かってにっこりと微笑んだ。


「そんなリュシエンヌ様にお手伝いいただくなんてできません。フロリアンの顔を見ても分かるように土塗れになってしまうのですから」

「汚れても良い服ですから大丈夫です」

「そうですか? 随分と高価に見えるものですから、汚してしまったらと……」


 マノンにそう言われて「しまった」と思った。アタシの着ている服は、ワンピースだ。下にはモンペを履いている。動きやすくて汚れても良い服と思って着て来たけど、マノンやイネス、サラを見る限り、アタシの服は彼女たちにとって汚れても良さそうな服には決して見えないだろう。失礼だったかもしれない。ニキアスが失礼な言動をしないかと危惧していたアタシが失礼を働いてしまうなんて。


 しょんぼりと項垂れていると、頭に軽く手が乗った。見上げると笑顔のフロリアンがいた。


「リュシーは課題のためにも農業の手伝いしないといけないんだもんな。俺が教えてやるよ」

「いいの?」

「リュシーこそ覚悟はいいのか?」

「もちろんよ!」


 フロリアンに手を引っ張られて、オウバが植えられている一角に連れて行かれる。アタシの後ろに待機していたパトリックも付いてきた。オウバとは前世で言うナスだ。オウバの剪定をすると言って、やり方を丁寧に教えてくれた。これが終わったらトマトの収穫だとフロリアンが言う。アタシは渡されたハサミで一本ずつフロリアンに確認しながら剪定していった。


 もしも、フロリアンのお嫁さんになれたら、これが日常になったんだろうな。それはとてもしあわせなことだったろうな。


「何をしているのだ?」


 声のする方に顔を向けると、ニキアスが畑の外側からこちらを見ていた。その隣にはサミュエル、シル、ガエタンとイネス、サラ。後ろにはニキアスとサミュエルの側近が控えている。ニキアスは興味津々な顔でこちらを見ていて、サミュエルはどことなく悲し気に見えた。


 アタシは立ち上がって、ニキアスとサミュエルの下へと歩き、後ろからパトリックが付いてきた。


「今、オウバの剪定をさせていただいていたのです。楽しいですよ。ニキアスとサミュエルもご一緒にいかがですか?」


 ニキアスは興味津々な顔で目をキラキラとさせて鼻息荒く言った。


「リュシエンヌにできるなら、俺はもっとうまくできるな」


 ニキアスの言葉に少し引っかかりを覚えたが無視して、アタシはサミュエルに微笑みかける。


「サミュエルもご一緒しませんか?」


 サミュエルは考えるように少し視線を彷徨わせると、首を横に振った。


「リュシーが実践してくださっているのですから、僕は見聞を広めたいと思います」

「なるほど。二人合わせて、実技と理論のレポートの提出が叶うわけですね」


 アタシがそう言うと、サミュエルが微笑みで答えてくれた。なんだか、元気がないような気がする。笑顔に凄味がないというか。アタシにフロリアンのことを諭してきたときには、恐怖さえ感じるほどの貼りつけた笑顔だったのに。


 サミュエルの笑顔には顔立ちが整いすぎているが故の凄味がある。その美しさで心の奥に隠した気持ちを見せないようにしている何かしらの圧とでもいうべきか。だけど、その瞳の奥に喜びだったり、迷いだったり、不安だったり。なにかしらの感情が透けて見える。力のない笑顔に今見えるのは悲しみだ。なにか悲しいことでもあったのだろうか。農業の見学で!? そんなはずないよね……。


 アタシが首を傾げているとサミュエルも釣られたように首を傾げる。


「どうなさったのですか?」

「いえ。サミュエルが元気なさそうに見えたもので。なんとなく悲し気な感じがして……。どうかなさったのですか?」


 サミュエルが小さく首を横に振る。そしてぎこちない笑顔を浮かべた。


「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、なにかあったわけではないのでお気になさらないでください。さぁ、リュシーは実践をお願いします」


 サミュエルの隣にいるシルを見上げると、シルは首をフロリアンとニキアスの方向にしゃくった。


「え、えぇ。もしサミュエルが実践したくなったらおっしゃってくださいね。その時は実技と理論の役割交換をいたしましょう」

「はい。そのときはお伝えしますね」


 あ。今のは分かった。


 サミュエルの目が一人にしてくれと言っていた……。


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