家族会議
早めの夕食を終えると、人払いがされ、アタシと両親、兄二人、叔父の親族だけになった。紅茶を一口飲んだ母が切り出す。
「今日話し合いたいのは、リュシーの結婚についてです」
ルネからの報告では、と母が言葉を重ねる。
ニキアスとの婚約の話が持ち上がっている中、サミュエルから愛の告白を受ける。その場でサミュエルにリュシエンヌは平民のフロリアンが好きなのだと諭される。リュシエンヌは自分の気持ちを自覚して、フロリアンに嫁入りしたいと望んでいる様子。
ニキアスとの婚約は保留状態で、サミュエルへの返事はできていない。正確には、サミュエルに「絶対諦めませんから」と言い逃げされた。現状はそれまでと変わりなく三人で仲良く過ごす学院生活を送っている。
そこまで言った母はため息をつき、父は遠い目をした。兄二人は笑いながら、コソコソと内緒話をして面白がっている。叔父は神妙な顔で真っすぐと母を見ているが、その瞳は心なしか得意気に見える。
事実だけを淡々と述べたようで、大事な言葉が抜けている。そこはハッキリと主張しておきたい。このままでは、まるでアタシが男を手玉にとる悪女のようではないか。
「お母様。ルネからそのように報告を受けたとおっしゃいましたが、大事なことが二つ抜けています」
母は鋭い眼力でアタシを見つめて、ため息を吐いた。
「聞きましょう」
「まず、ニキアスとの婚約の件ですが、わたくしは当初より辞退したいと考えており、その旨サミュエルに相談して、辞退に向けてサミュエルも協力してくれています」
アタシはゆっくりとみんなを見回して、息を大きく吸い込んだ。
「それと二つ目。サミュエルの件ですが、わたくしはお断りしようと思っていました。自分の気持ちがサミュエルにないことがはっきりしているのに、保留にはしておけなかったからです。ですが、お断りしようとした矢先、サミュエルに言われたのです。『返事はいりません。結果は分かっています。僕は勝手に諦めないだけです』と。そこまで言われて、なんと返事すれば良かったのでしょう?」
ルネの報告はあまりに事務的すぎて事実が歪曲されている。それも家族会議が必要と判断されるほどに。アタシはその時その時でできることを精一杯しているはずだ。
母がじっとアタシを見つめたまま目を逸らさず言った。
「ニキアス殿下との婚約を辞退できるようにサミュエル殿下が協力してくれているとはどういうことですか? 貴方は自分を想う相手をそんな風に利用しているのですか? それもこの国の第一王子を!」
何か誤解があったようだ。母の言葉が一段と荒くなった。アタシは気圧されないように背筋を意識的に伸ばす。
「それは誤解です。わたくしがサミュエルにニキアスとの婚約のことを相談したのは、サミュエルの気持ちをまだ知らない時です。その際に、ニキアスから辞退してもらうためのアドバイスを頂いたのです。少し悪意を混ぜた本音で接していれば良い。それと、ニキアスとわたくしが二人きりにならないようにサミュエルも一緒にいるようにすると言ってくれたのです。そして、なぜかいつも三人で過ごすようになったのです」
そういえば、なぜいつも三人で過ごすようになったのかが不可解だ。この話でいくと、ニキアスがアタシに近付いてこない限り、サミュエルと過ごす必要もなかったということになる。
アタシは自分の言葉に疑問を抱き、その不可解さに首を傾げた。みんなを見回すと兄二人を除き、皆一様に呆気にとられた顔で口を開けている。
上の兄、フレデリックが口を開いた。
「つまり、ニキアス殿下がリュシーと行動したがったために、サミュエル殿下とも過ごすはめになったということか?」
続けて下の兄のリュドリックも、心底楽しそうな笑顔で口を開く。
「なんだ。モテモテじゃないか、リュシー。さすが私の妹!」
「そうだな。さすが俺たちの妹だ。自国と他国の王子を手玉にとるとは、なかなかやるじゃないか」
兄二人が豪快に笑い合っていると、母の怒声が響いた。
「何を面白がっているのです! 相手は王子ですよ? それも自国と他国。自国の王子だけでも恐れ多いのに、他国の王子ともだなんて。下手したら国際問題になりますよ! これは一大事です!」
大声を上げて息が上がったのか、母は深呼吸を繰り返し荒くなった呼吸を整えた。
「リュシー。それはサミュエル殿下が貴方に好意を持っているからニキアス殿下を近づけたくなかっただけではありませんか? そうとしか考えられません。ニキアス殿下はなぜリュシーと共に過ごすのですか? それが分からないことには対策の立てようもありません。……今日わざわざ挨拶にいらっしゃったことを考えると、少なからず貴方に好意を持っているようにも感じますが……」
母の思わぬ言葉にアタシは慌てて待ったをかける。そんなはずはない。だってニキアスは……。
「ニキアスはおそらく陛下に、留学生の相手をするように言われているだけのことだと思います。その証拠にニキアスは、わたくしの頬や髪に触れたりしてきたのです。女性相手にそんなことをするような王族はいないでしょう? 貴族でもいないはずですもの。異性として見ている相手にすることではないですから、おそらくニキアスはアタシのことをペットか小さな子供のように思っていると思います」
なぜか母が目を見開き固まってしまった。顔を赤らめた父がコホンと咳払いをする。
「あぁ、リュシー。その、ニキアス殿下はどういった状況でリュシーに触れてきたのだ?」
「サミュエル殿下の風邪の看病をしに行った夜に、城の屋上庭園に誘われたときです。わたくしが毒のあるお花に触りそうになって……」
アタシはニキアスに触れられた時のことを包み隠さず話した。おそらく毒花に触れそうになったアタシを、小さな子供を大人が心配するように気遣ってくれただけだろうと。その後も、近づいてくるニキアスに、また触れられるのではないかとビクビクしていると、それに気付いたニキアスに楽しそうに頭を撫でられたことを考えても間違いないと。
アタシの話を聞き終わったフレデリックが息を呑んだ。
「それは、好きな女の子をからかって楽しんでいるのではないのか?」
リュドリックもフレデリックの言葉に続く。
「あぁ。ちょっかいかけたいだけに思えるな。そもそも、なんとも思っていない女を屋上庭園になど誘わない。逢引ではないか」
両親が揃って大きな息を吐いた。父が言う。
「リュシー。その、ニキアス殿下と関わるなかで、好意を寄せられていると思うことはなかったのか?」
「ないです。ニキアスは本当に普通に仲の良い友人という感じです」
いつもの柔和な笑みは一切見せず、眉をひそめたまま父が質問を重ねる。
「先程、ニキアス殿下から婚約を辞退してもらえるようにサミュエル殿下に相談したと言っていたね。ニキアス殿下とは婚約について何か話したことはないのかい?」
アタシは首を傾げ、記憶を辿るように視線を巡らせた。思い当たることに行きつき、視線を止め、掌に拳をポンとあてた。
「あります。ニキアス殿下が叔父様の屋敷に遊びに来た時に、ニキアス殿下から婚約について聞かされたのですが、その際にわたくしとの婚約に不満はないのかと尋ねると『誰がお前のような田舎者! こちらから願い下げだ!』とおっしゃったので『では、婚約者候補の辞退をなされるので?』とお聞きしたところ『辞退はしない。お前が嫌ならばお前の方から辞退すれば良かろう。できるものならなっ!』と意地悪を言われたのです。ですから困ってしまって、サミュエル殿下に相談したのです」
アタシの説明に納得がいかないのか両親はあきれ顔で、兄二人はニマニマ楽しげだ。叔父は神妙そうに頷いているけど、どことなく誇らし気だ。
言葉を失った両親を置き去りに、リュドリックがニヤケ顔で聞いてくる。
「それは、リュシーが婚約を不満そうにしていたのがニキアス殿下に伝わったから、ニキアス殿下が気を悪くして、そのような言葉を吐いたのではないか?」
アタシはリュドリックの言葉に間髪入れずに質問返しする。
「なぜニキアス殿下が気を悪くするのですか? ニキアス殿下はわたくしに『誰がお前のような田舎者! こちらから願い下げだ!』とおっしゃったのですよ? ニキアス殿下がわたくしとの婚約を望んでいないのは明白です」
フレデリックがため息を吐いて、アタシを見据えた。
「そのやりとりの中で、ニキアス殿下がそのようにおっしゃったのであれば、どう考えても意中の娘に婚約を嫌がられて腹が立ったとしか思えぬではないか。ニキアス殿下は自尊心の高い方なのではないか?」
「それはそう思います。思い通りにいかないことを殊の外お厭いになられるようです」
リュドリックとフレデリックが顔を見合わせて、笑い合う。
「それではやはり、ニキアス殿下はリュシーに少なからず好意を寄せているのだと思うぞ。先程リュシーも言っていたが、貴族はそう簡単に誰にでも触れるものではない。それでもリュシーに触れてきたということは、ニキアス殿下にとってリュシーはすでに婚約者なのだと思う」
そんなことあるはずがない。というか、あってほしくはない。万が一にでもニキアスが婚約を望んでしまえば、公爵令嬢のアタシの気持ちなんて無視されるに決まっている。
フロリアンとの未来のためにどう頑張ろうかと思っている矢先に、サミュエルだけでなく、ニキアスとの問題まで出てきてしまうのは困る。
アタシがサミュエルを手に入れようとした時のように、サミュエルやニキアスに手を尽くされてしまうと、王族と公爵家。抗えるはずがない。悪役令嬢のアタシのようにサミュエルやニキアスが罰せられることはないだろうし。
サミュエルとニキアスが罰せられてほしいわけではない。彼らの本気を遮ることができるストッパーがいないことが怖いのだ。
「リュシー。ニキアス殿下に好意を持たれているかもしれないことは、そんなに恐ろしいことなのかい?」
静かにアタシと兄たちとの話を聞いていた父が優しい声で、問いかけてきた。
「恐ろしい……?」
父の声に自分の体を見下ろすと、全身が震えていた。震える両手を見て、更に恐怖が募る。あの悪夢が現実になると思うと、それだけで失神しそうだ。
「リュシー。同じ男として、その反応はニキアス殿下がおかわいそうだ」
フレデリックがそう言って、アタシを見て首を横に振った。続けて母が言う。
「リュシー。何がそんなに恐ろしいの?」
「わたくしは、フロリアンが好きなのです。離れているのが淋しい。手紙をもらうと、その筆跡を見るだけで飛び上がるほどに嬉しい。手紙の内容に、一喜一憂しては、早くフロリアンのもとに駆けて行って、弁解したいと思うのです。フロリアンには少しのことも誤解されたくはないのです」
フロリアンとの距離が更に開きそうなこの家族会議がアタシの不安を駆り立てる。怖い。恐怖が頭の中を支配して、涙が滝のように溢れてきた。
背中に温かい温もりを感じて振り返ると、父が背中をさすってくれていた。
「お父さま……」
父はいつもの優しい笑顔で微笑んだ。
「そんなにフロリアンのことが好きなのかい?」
「……えぇ。ずっと気付かなかったのです。この落ち着かない気持ちが、この会いたいと思う気持ちが、リンネルにいても毎日のように思い出してしまうことが、好きだという気持ちだと……。ですが、知ってしまうと、もう気持ちが溢れてしまって……。フロリアンに会いたい。その一心で帰国したのです」
父のお腹に顔を埋めて泣き続けるアタシの頭を父が撫でる。
「リュシー。では、ニキアス殿下との婚約については辞退するということで良いんだね?」
「お父さま……?」
父の優しい言葉にホッとしていると、バタンと椅子が倒れる音がした。音の鳴る方向に視線を滑らせると、母が青ざめた顔で立ち上がっていた。
「旦那様! そのようなこと一公爵家で判断してしまっては、どのような扱いになるか……。国に仇成すものとして処分されてもおかしくないのですよ!? ニキアス殿下はリンネル国の王子、いわば我が国の後ろ盾です! リンネル国の出方によっては国ごと! ……あぁ、なんてこと……」
……処分……? ニキアス殿下と婚約……果ては結婚しないと処分対象になってしまうというの? どう抗ってもフロリアンの気持ちを確かめることさえできないということなのか。
父のお腹に顔を埋めて、泣きじゃくったままのアタシの顔を母が両手で包み込んだ。膝をついてアタシと視線を合わせる母もまた瞳に涙を溜めている。
「リュシー。これでもわたくしは貴方の母親です。母として貴方を愛しています。ですが、ニキアス殿下との婚約の話、サミュエル殿下からの好意を向けられている今、貴方の気持ちを応援することはできません。……いい? リュシー。あなたの行動いかんでは国さえどうなることか。そこまでに至らなかったとしても、陛下はプレタール国を守るため、わたくし達家族を……。ごめんなさい……。リュシー、あなたの気持ちを公爵家夫人として応援してあげることはできないわ……」
そう言いながら母は、父ごとアタシを抱きしめた。
母の言葉に呆然とする。両親だけでなく兄までも。もしかしたら、アタシと親族ということで叔父にも処分は及ぶかもしれない。そのうえ、国さえも……?
そんな決断アタシにはできない。アタシは涙を溜めたままの瞳でブンブンと勢いよく首を横に振った。だけど、諦めの悪いアタシは、まだ一縷の望みを託す。
「だけど、ニキアスがわたくしを慕っているなど、この場での想像でしかありません。毎日のように一緒に過ごしているわたくしが、ニキアスからの好意を全く感じないのがその証拠……」
母が目を閉じて静かに首を振った。
「ニキアス殿下は今日、帰国早々、わたくしたちに挨拶にいらっしゃいました。それが何よりもの証拠です。王族が世話になると、どうして、わたくしたちに挨拶する必要がありましょう? 夏休みの間、わたくしたちがニキアス殿下やサミュエル殿下に何をして差し上げるというのです?」
言われてみれば確かに妙だ。一番に挨拶すべきはアタシの両親ではなく、世話になるプレタールの陛下だ。アタシの両親に挨拶する理由なんてない。
さっきまで楽しげに笑っていたフレデリックが申し訳なさそうに口を開く。
「聞いたところ、夏休み中世話になるからという挨拶ではなく、今後ともという、その、一種の圧力だったのではないかと思う」
「あぁ。そこにサミュエル殿下も姿を見せたというのなら、サミュエル殿下がニキアス殿下だけを父上や母上に印象付けることを厭うっての事だろう」
……帰国したら、フロリアンに会って、それとなくフロリアンの気持ちを確かめて、少しでも好意をよせてくれているのなら、永遠に一緒にいられるように頑張ろうと思っていた。
フロリアンの気持ちがアタシに全くないのなら、少しでもアタシを見てもらえるように、好いてもらえるように頑張ろうとも。
アタシ自身に興味を持ってもらえなくても、アタシの情報には興味を持ってもらえる。そこからでいいから、会話を少しでも増やしたいと、そう思っていた。
「……では、わたくしは……フロリアンへのこの気持ちは諦めないといけないのね?」
母が優しくアタシを抱き寄せた。
「ごめんなさい……。リンネル国が大きすぎて……。これはもう貴方だけの問題では……。本当にごめんなさい……」
母の腕の中でアタシは首を横に振る。
この気持ちを手放すのはとても淋しいけど、リンネルに背かれたときのことを考えると、アタシの家族どころか、この国の国民も……。
もしかしたら、その中にはフロリアンも……。
アタシの気持ちがフロリアンにあると知られたら……。
……そっか……。アタシがフロリアンを好きになったばっかりに、フロリアンに危険が迫るかもしれないんだ……。
……そっか。アタシ、悪役令嬢だもんね。人を不幸にする悪役令嬢。
……そりゃ誰も幸せになんかできないよね。
どうしようもない気持ちを抱えて、その夜は、自分の涙で溺れるんじゃないかって思った……。




