えんやこらせっせー
三人でプレタールに帰国するにあたり、図書室でニキアスとサミュエルと三人で集まっていた。ニキアスを中心にリンネルから持ち出して良い情報の確認や、ニキアスがプレタールで得たい情報を三人でせっせとまとめる。
夏休み中いっぱいプレタールでの滞在が許されたため、夏休みが入る半月前にはリンネルを発つ。あと一月半しか時間の余裕がないため大忙しだ。現世にはパソコンなんて便利なものはないため、別々に作業をしても写す必要があるのがもどかしい。
三部プリントアウトできれば一回で済むのに……。
「父上が言っていたが、其方らに見学を許した場所で得た情報は、最初からプレタールに流れるものと考えているから、プレタールで情報を共有してもらっても構わないそうだぞ」
「まぁ! 陛下は太っ腹ですわね。あれだけの情報を得るために随分とご苦労されたでしょうに」
「本当にそう思います。慈悲深い国王陛下に感謝いたします。リンネル国が与えてくださる情報に見合うだけの真新しい知識や技術がプレタール国にもあると良いのですが……」
アタシとサミュエルの感動の言葉にニキアスが「フフン」と悪戯っぽく笑った。「プレタールからなら既に得た情報があるぞ」と、指を折りながら数えていく。
「『風邪患者の看病法』に『自国と他国での病原菌の違いの可能性』『検脈』『視力検査』、それと『火傷の治療法』。リンネルにとっては、この短期間で随分と新しい情報が得られた」
「『火傷の治療法』とは、なんですか? 僕は初めて聞きましたけど……」
「……大したことではありませんわ」
そう。農薬の誤飲患者の話の中で「何か思うところがおありですね?」とモリスに問い詰められた。医療チューブや活性炭の話をすることで人体実験に発展して、死者が出ることを恐れたアタシは咄嗟に火傷繋がりで、テレビ番組で見たことのある火傷の処置について話していたのだ。
前世の母が医療特番が大好きで、夕食の時はいつも流れていたから知っていたのだけど、今となっては良かったのか悪かったのか……。
「リンネルでは、火傷をしたらすぐに受傷部位の衣服を脱がせて冷やすのだが、リュシエンヌは衣服の上から痛みが治まるまで水で冷やすのが望ましいと言ったのだ。火傷した傷口に直接水をかけると火傷により弱くなった皮膚が、水の刺激で剥がれてしまうことがあると言ってな」
得意気に話しているニキアスをアタシはジロリと睨む。大事な言葉が抜け落ちている。
「ニキアス。アタシはちゃんと言ったはずです。火傷の程度によっては従来の処置法の方が良いかもしれない、と。そこすごく大事なのですよ」
火傷の初期対応は冷やすこととテレビ番組では言っていたけど、もしかしたら現世の方が良い処置法があるかもしれない。リンネルの処置法も把握できていないアタシの言葉を丸呑みにされては困るのだ。国際問題になったらどうしてくれる。
睨みを効かせるアタシを一瞥したあと、ニキアスがそれは楽しそうに笑った。
「分かっておる。モリスもそう言っておった。それも考慮して世に広めるかどうか研究すると言っておったぞ。今の所、一人火傷患者が出て、その患者に衣服の上から冷却したところ、皮膚の欠損がなかったと喜んでおった。まぁ、軽い火傷だったから試してみたとは言っておったし、アレも患者思いのやつだ。誰彼構わず試すようなことはするまい」
まぁ、それならいいのだけど……。
モリスが患者思いなのは一緒に診療を回っていれば分かる。だけど、だからこそ、研究を焦るがゆえに症状の程度を考えずに人体実験するということも考えられる。
「ニキアスからも言っておいてくださいね。可能なら陛下からも。こんな小娘の言ったことを真に受けてはなりませんよ、と」
「新しい情報を取り入れるのが好きな国ではあるが、リンネルとて馬鹿ではないのだぞ。世に広めるのに少なくとも十年は見ておる。新しい情報を広めるまでに国で決めた全行程をクリアしなければならないのだ。その研究結果をデータ化して、最終的には陛下が受理しないと、決められたところ以外では、情報を開示してはいけないのだ」
ニキアスの言葉にそっと胸を撫でおろした。風邪っぴきに肉料理なんか無理やり食べさせていたから、酷い惨状だと思っていたけど、情報の取り扱いは案外しっかりしているようで安心した。「やってみたけどダメだった。きゅるん」って感じではなくて良かった。
「リュシエンヌ。これがどういうことか分かるか?」
「どういうことかと申しますと?」
「サミュエルは?」
「分かりません」
ニキアスの言葉の意味が分からないアタシとサミュエルは、顔を見合わせてニキアスに向き直り、首を横に振った。
「情報の取り扱いに関する全ての責任は陛下にあるのであって、情報をもたらした者にあるのではない。他国の工具を真似て作るため同じ材料を使ったとて、必ずしも同じものができるわけではない。土地柄が違うため、材料の材質そのものが違う可能性があるからだ。人もまた然りだ」
……我儘暴君がなんか頭の良さそうなことを言っている。
アタシは普段のニキアスからは想像できない、その賢そうな言葉にアホみたいに口をポカンと開け放していた。ハッとして隣を見るとサミュエルも呆気にとられたように口が開いている。ニキアスがアタシとサミュエルのポカン顔に気を悪くしたのか眉をしかめた。
「なんだ? 俺がこのようなことを言うのは意外か? 俺は王子なんだ。自国のことくらい把握しておる」
ニキアスが気を取り直すように咳払いをする。
「つまり、何が言いたいかというとな。思い付きで構わない。見て聞いて、感じたことはそのまま口に出すように。ということだ。全ての責任は陛下にある。何があったとて其方らに責任を押し付けるようなことは絶対にない」
つまり、出し惜しみせずに頭がからっぽになるまで、情報という名の貯金はリンネルで下ろしていけということだ。
アタシとサミュエルはおそらく、ここに来て初めてニキアス相手に心を込めて恭しく頭を下げた。アタシとサミュエルの声が揃う。
「……承知しました」
この三人での会合の中で初めて知ったのだけど、サミュエルはアタシがモリスに連れまわされている間、リンネルの秘匿情報以外の政務の見学をしていて、プレタールとの違いを述べていたそうだ。プレタールのやり方の方が効率が良いと判断した場合のみ口を開いていたが、サミュエルを取り巻く人はいわば国会議員だ。リンネルのやり方の方が効率が良いと思い、口を噤んでいても、ちょっとした表情の違いを見抜かれ「何か思うところがあるだろう?」と問い質されていたそうだ。「効率が良いかどうかはこちらが決める」のだそうだ。
リンネルは情報の開示も太っ腹だけど情報の仕入れにも貪欲だ。その情報に振り回されて国が破綻しないように、また、これまで円滑に進めていた国交が絶たれないように細心の注意を払っている。だからこそ、国も栄え、多くの国との交易を円滑に進めることができるのだろう。
「聞いているとは思うが、留学終了後もリンネルにレポートの提出が必要だからな」
ニキアスの言葉にアタシとサミュエルはバッと風を切って、ニキアスの顔を見る。
……初耳なんですけど。
ニキアスが怪訝な表情で目をパチクリさせた。
「何を驚いた顔をしておる? 他国から情報を持ち出すのだぞ。その情報が自国でいかような利になったか、または損失になったかを報告するのは情報を得る側の務めであろう。得るだけ得て『はい、さようなら』などと虫のいい話などあるはずもない。リンネルではその情報も欲しいのだ。今後の留学生を受け入れるための参考にもなるからな」
言われてみればその通りだけど、本当にそんなことは聞いていない。正直、死亡フラグ回避の末の思い付きで、リンネルに入ってしまえば旅行気分が味わえるとさえ思っていたのだ。こんなにあちこち連れまわされることさえ想定していなかった。
隣で考え込むサミュエルを見ると、アタシと同じような感覚だろう。まぁ、厳密には王族と公爵家で背負うものが全然違うわけだけど。
サミュエルが俯き、顎に手を当てて考え込んでいた顔をしっかりと上げた。
「承知しました。ですが、自国で広げてみないと利になるか、損失になるかは分かりません。ですから、そのレポートの提出は随分と先の話になると思われます。その、国交が盛んなリンネルでさえ、少なくとも情報開示まで十年は見ているのでしょう? プレタールには情報開示までの工程すら存在しません。どのくらい先になるか……」
慌ててアタシもサミュエルの言葉に続く。たくさんの情報を開示してくれたリンネルには申し訳ないけど、面倒だし、サミュエルの言うように、リンネルで十年もかかるものプレタールでは何十年かかるか分からない。そもそもプレタールとリンネルの文明に百年近くの開きがあるのだから。
「そうですわ。リンネル国は国交の盛んなお国ですもの。レポートが仕上がる頃には、わたくし共が得た情報はリンネルにとって古い情報になっているのではないかしら?」
ニキアスが腕を組み「ふむ」と頷く。
「確かにそれも一理ある。だが我が国は情報を得た国に対し、そのように対応している。礼儀だからな。レポートの提出期間については細かい取り決めがあったはずだ。確認しておこう」
どうやら、レポートの提出は必須条件らしい。逃げられない。ともすれば、レポートのためにほぼ一生を費やすことになるかもしれないのだから、留学にきた時点で職業が決まったも同然だ。……もしかしたら、レポート提出に託つけてフロリアンに頻繁に会いに行けるかもしれない。一縷の希望だ。
そう考えると、政務に確実に関わることになるであろう、第一王子のサミュエルに政務の見学をさせたのも頷ける。確実にリターンが来るように動いているリンネル恐るべし。
後日、ニキアスから受け取った書類には、レポートの提出期間は最大で二十年。その間ほぼ毎年の提出が求められていた。ニキアスが言っていた利益と損失に加えて「改善点もあれば尚良し」とあった。
「改善点もあれば尚良し」って……、ハードル上がったよ……。
因みにニキアスの留学目的はリンネルにあって、プレタールにないものを探すこと、その逆も。工具や花、食材など、リンネルで見かけたことがないものならなんでも良いらしい。つまりは輸入出できるものの調査だ。
……でもさ、それって要は旅行気分でできることじゃない? なんかずるい。高見の見物じゃん。
プレタールへの越境が許されなかったモリスには、プレタールの医術を余すことなく書き留めてくるようにと頼まれ、陛下には農薬もビニールハウスもプレタールに持ち込んでよいから、プレタールの農業技術を書き留めてくるよう言われた。
決してアタシの判断で書き留める内容の取捨選択をしないようにとのことだ。たぶん、プレタール国として情報を秘匿することのないようにという意味だと思う。アタシの判断で取捨選択してもプレタールの総意と見做されるかもしれないと思うと背筋が凍る。
アタシばかりが忙しい気がするのは気のせいではないはずだ。ニキアスは初めての国外への旅行に目を爛々とさせているし、サミュエルはプレタールにいたときと同様の生活に戻るだけだと言う。
そもそものサミュエルの生活が大変なものなのかもしれないが、自国プレタールでは基本的にお茶を嗜むか勉強をするかしかしていなかったアタシに、これだけの課題は重責以外の何物でもない。
そんな風に帰国までの時間は慌ただしく過ぎていった。だけど、なんだかんだと気持ちは軽い。フロリアンのためなら、えんやこらせっせーだ。
そして、帰国当日。予定通りアタシたちは夏休みが始まる半月前には出発した。馬車の中には、サミュエルとニキアスと叔父だ。「リュシーの帰国に合わせて私も暇を作ったのだ」と久しぶりの帰国を嬉しそうに叔父が話す。
アタシと叔父が乗り込んだ馬車に乗り入ろうとする王子二人に、サミュエルとニキアスは王族用の豪奢な馬車に乗ればよいと微笑みながら柔らかく言うと、長旅になるからとなぜか王族用の馬車にアタシと叔父も同乗することになったのだ。意味が分からない。
二人ずつ乗った方が広々できて良いと思ったんだけど。
リンネルに入るときと同じようにパトリックが馬車の外で騎乗して護衛に付いてきた。これは予想範囲内だ。もうパトリックとセットなことは受け入れた。
何にせよ帰国は嬉しい。プレタールに着いて数日後にはフロリアンの家にいると思うと、気持ちが弾む。顔が緩みっぱなしだ。
半月ほど馬車に揺られて懐かしの我が家に着くと、両親が出迎えてくれた。その後ろにはカンタンとセヴランが楚々と控えていた。すっかりと使用人が板についている。
馬車から降りるなり、目に涙を溜めた父に抱きしめられた。
「淋しかった。よく帰って来てくれた」
そう言って髪を撫でてくれた。父の感涙に釣られるようにアタシの頬にも涙がつたう。父の懐かしい匂いに酷く落ち着いた。
その様子を目に涙を溜めて微笑ましそうに見ていた母が、王子二人に気が付き顔を強張らせ、父に王子がいることを小声で伝えた。父は慌てて涙を拭く。
「これはこれは、サミュエル殿下。お元気そうでなによりです。それと、失礼ながら、ニキアス殿下でいらっしゃいますか?」
「あぁ。私はリンネル国第三王子、ニキアスだ。プレタールに滞在中は世話になるから挨拶をしておこうと思ってな。寄らせてもらったのだ」
そう。城経由で帰るという叔父とアタシの主張はニキアスのこの言葉により、虚しくも一蹴された。サミュエルも「僕もご挨拶を。出国の際には満足に挨拶もできませんでしたから」と、にこやかな笑顔でニキアスの言葉を受け入れたのだ。
サミュエルは言葉足らずだ。ニキアスはともかく、サミュエルがアタシの両親に挨拶できなかったのは、サミュエルがアタシを驚かそうと隠れていたからだ。なにも挨拶も交わせないくらい、慌ただしく国を出たわけではない。
本来なら身分が下である公爵が城に出向いて挨拶をする立場だ。帰国したその足で城にも寄らず、挨拶をと足を運んだ王子二人にアタシの両親の強張った顔をよく見てほしい。
王子二人とアタシの両親が恭しい挨拶を済ませると、王子二人を乗せた馬車を見送った。カンタンとセヴランが近付いて来て、再会を歓迎してくれた。それから、どれだけ使用人として立派に働いていたかを聞かせてくる。久しぶりの気軽な会話に嬉しくなる。
「リュシー」
母の声に緩んだままの顔で振り返ると、母はニッコリと微笑んでくれる。その笑顔にまた涙腺が緩み母の胸へと飛び込むと、母もギュッと抱きしめてくれた。その上から父もまた抱きしめてくれる。
「おかえりなさい」
母の優しい声に、母の胸に埋めていた顔を上げると、もう一度にっこりと笑ってくれた。そしてすぐに厳しい表情へと変わる。
「ルネから色々と聞いております。今日は家族会議ですよ」
何を聞いているのかはだいたい想像がつくが、それはそんな厳しい表情で見られるようなことだったろうか。
父が母に怒りを収めるように窘めた。
「話は今日でなくとも良いではないか。リュシーは半月もかけて帰ってきたのだぞ。今日くらいゆっくりと休ませてやっても……」
「いいえ。この件に関しては早々に策を立てておかないと国際問題にもつながりかねません。フレデリックもリュドリックも呼んであります。ファビアン様もお付き合い願えますか?」
言葉には確かに疑問符が付いているのに、母の静かな怒りを含んだ声に拒否権はなさそうだ。瞬時におどろおどろしい雰囲気を察した叔父が「あぁ。もちろん」と強張った笑顔で答えた。さすが他国の民の人心を掌握した叔父だ。勘がいい。
兄二人と叔父を呼んで、盛大にアタシの帰国を祝ってくれるわけではなさそうだ。その緊迫した空気にセヴランが小声で問いかけてきた。
「リンネルで何をやらかしたんだ?」
「さぁ?」
独立して別に屋敷がある兄二人を呼び出してまで、怒られるようなことは本当に心当たりがない。
アタシは首を傾げるしかなかった。




