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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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一時帰国に向けて


 なにはともあれ、プレタールに帰国することは決まった。フロリアンに会える!!


 ニキアスとの結婚祝いの手紙をもらってから返事を書けずにいたアタシだけど、何事もなかったように装った手紙を書いた。


 ずっと返事を書けなかったのは忙しかったからだと。ニキアスとの婚約は決まってもいないことだと。それから、夏休みに一時帰国が決まったので、フロリアンの管理する農業を見学させてほしいと書いた。


 どうか、農業の見学を受け入れてほしい。そう祈りながらルネに手紙を託した。アタシが楽しそうに、時折切なそうに手紙を書く様子を見守っていたルネは悲しそうな、呆れたような顔で、その手紙を受け取った。



「リュシー。プレタールの農業の見学はやはりフロリアンに頼むのでしょう?」


 全てお見通しのサミュエルににこやかにそう聞かれた。アタシは言葉を詰まらせながらも、何食わぬ顔で答えた。


「え、えぇ。農家の知り合いはフロリアンだけですから……」

「カンタンとセヴランとアニーも農家だったと記憶しておりますが?」

「あら、カンタンとセヴランは夏休み中、我が家で使用人見習いとして働きますし、アニーはシルの屋敷で働くのですよ。いわば、使用人として働けるかどうかのテスト期間中です。邪魔してはいけないでしょう」

「それだけが理由とは思いませんけど……」


 何かぼそりとサミュエルが呟いた気がした。たぶん、フロリアンに会いたいだけだろう的なことを言ったのだと思うけど、気にしない。アタシはサミュエルにお断りしようとした。それを許さなかったのはサミュエルだ。少し心は痛むけど、一時帰国に付いてくるなんて、サミュエルだって好きにしてるんだから、アタシも好きにしていいはずだ。


 サミュエルの考えは本当に分からない。告白の翌日呼び出されて、勝手に努力すると言った。そのあと、本当にアタシの気持ちはお構いなしに、今まで通り話かけてくる。それが嫌なわけではないけど、答えられない気持ちを持って接してこられるのは居心地がよいものではない。


 どう考えてもアタシがフロリアンに会いに行くのが目的の一時帰国に付き合う目的が分からない。だけど、これまで友人として関係を築いてきた者としてアタシの気持ちを丸無視した行動をするとも思えない。


 アタシは考えることを放棄した。考えて分からなければ聞けばいいとは思うけど、返ってきた言葉に返事ができない可能性もあるわけで、触らぬ神に祟りなしという諺を信じることにした。



 半月後、フロリアンからの返事が届いた。


『ニキアス殿下と婚約すること、勝手に誤解したうえ、お祝いの言葉まで送るなんて、もしかしたらリュシーを傷つけちゃったかな? 自分のいないところで自分の話が出て、なおかつ勝手に話が進められるなんて嫌なことだよね。ごめんね。

 夏休み帰って来るんだね。楽しみだな。久しぶりに会えるんだね。家はいつでも大丈夫だよ。もしかしたらリュシーに手伝ってもらうかも。動きやすい服装で来てね』


 誤解していたと謝るだけじゃなく、アタシの気持ちを推し量ってくれているのが、なんだかとても嬉しかった。最近は、自分の予定が自分を無視して決まっていくから心に沁みる。


 農業もどんどん手伝うよ。フロリアンさえ許してくれるならアタシ、フロリアンのお嫁さんになって、一緒にフロリアン家を盛り立てていきたいと思っているんだから!


 フロリアンの手紙に気持ちが温かくなっていくのが分かる。あの夢をまた見たって、現実のフロリアンがこうして一時帰国を歓迎してくれている。夢のフロリアンの言葉なんか幻だ。気にするもんか。


 一気に心が上向きになって、なんだってできそうな気がしてくる。フロリアンの洗濯物も洗うし、食事だって作る。仕事から帰るのが楽しみになるような家を維持したいと思う。


 フロリアンのことを想うと、会ったこともないフロリアンのご両親にさえ感謝したくなる。素敵な息子さんをこの世に産んでくださり、ありがとうございましたと。フロリアンのことを考えただけで底なしに頭が悪くなりそうだ。


 この気持ちが恋だと言われたら、今なら文句なしに同意できる。あたしはフロリアンが大好きだ。


 

 夏休みに入ったらアタシを思う存分連れまわそうとしていたモリスにより、アタシの休日は更になくなった。ただでさえ休みの度に貿易会社の見学や取引の様子の見学、農業の見学と見学づくしのうえ、モリスの付き添いと忙しくしていたのに、夏休みに帰国することになり、アタシの休日は分単位で予定に侵食されていった。


 だけど不思議と辛くはなかった。体はへこたれても、心が元気だった。この先にフロリアンとの時間があると思えたから。


「リュシエンヌ様、本日の診療の中で気になる点はございましたか?」


 休日、モリスに連れまわされたあと、例によってモリスに意見を求められた。今日は、街への往診だった。宮廷医師が城から出るなどアタシには考えられないが、リンネルでは普通のことらしい。新しい技術や知識を街の医師に伝えることも宮廷医師の大事な務めだそうだ。


 だからふだんは、診療というよりは講義に近いらしいが、今日は違った。モリスが講義しているところに急患が来たのだ。認知症のおじいさんが誤って農薬を飲んでしまったらしい。


 モリスは他の医師たちを連れて慌てて診療所へと走った。やかんに水を入れて吐くまで飲ませ続ける。飲んだものを吐かせるためには仕方のないことだとは思うが、やせ細ったおじいさんの口に大量に水を入れて、無理やり吐かせるその様は、なんとも痛々しい。


「リュシエンヌ様? その顔は何か思うところがおありですね?」


 モリスの意志と、それを受けた陛下の意志により、無理やり付き合いを深められたアタシは、表情だけでモリスに考えが読まれるほどになった。正直、居心地が悪い。素直に答えるから尚更なのだろうけど、叔父からも思いつくことは何でも話すように言われているから逃げ場がない。


「……おじいさんが苦しそうだったなって……」

「ほう。他にどのような方法で飲み込んだ薬を出すか心当たりがおありで?」

「いえ、ただ、吐かせることで喉を農薬がまた通るでしょう? そのため誤飲した農薬の種類によっては、喉が焼ける可能性もあるのではないかと思ったのです」

「そうですね。それに関しては存じておりますので、吐かせ終わると喉に薬草の湿布をあてたり、喉に良い薬を煎じて飲ませたりしております」

「そうなのですね。気が付きませんで……」


 前世では、子供の誤飲にまつわるアレコレ的なテレビ番組で、吐かせて良いかどうか確認して、吐かせて良いものならば喉の奥に指を入れる。ダメなら牛乳を飲ませると良いとかやっていたけど、流し見程度に見ただけだ。なんの裏付けもない。


 見聞きする限りでは、ここでは誤飲は全て吐かせる前提のようだ。本当は医療ドラマで見たチューブを鼻から胃に通して薬品を活性炭で吸着させるというのが、吐物で誤嚥もしないで良いと思うけど、自信がない。そもそもアタシに吐かせて良いものと悪いものの区別がつくはずもない。自信がないことは言うべきではない。


 風邪の看病とはわけが違う。まかり間違って人体実験でもされようものなら死人が出るかもしれない。それだけは避けたい。


「何か考えているように見受けられますが……?」

「そんなことありませんわ。ただ、毒物を誤飲すると助かるのも命からがらなのだと恐ろしく感じただけです」

「……そうですか。飲み込んだものをまた口から出すというのは至難の業です。時間が経っているほど救命率も下がります。今日の患者は誤飲してすぐに診療所に連れてこられたようですから、意識を取り戻すことができましたが……」


 助けられる命と助けられない命が確かに存在することをモリスは悔しそうに語る。そして伏せていた目をアタシに向けた。


「リュシエンヌ様のような学院生にご教授いただこうなどおかしいことと思われるでしょう?」

「……そう、ですね……。わたくしのような子どもの意見をいつも真剣に聞いてくださるので、身に余る大役だとは感じております」

「今以上の民を救いたいと思ったとき、常識にとらわれていては開く道も開きません。新しい道を探したいときは新しい発想が必要なのです。ですから、それをもたらして下さるリュシエンヌ様の意見はいつも貴重な意見とありがたく思っています。恥ずかしながら、どっぷりとリンネルの医術に染まってしまっている今いる医師だけでは、新しい発想などそう生まれないのですよ」


 「ですから、プレタールの一時帰国に付き添いたいと願い出たのですが……」と言って、モリスはチラリとアタシを見た。アタシは素早くその視線をかわす。ニキアスとサミュエルだけで手いっぱいだ。モリスは医師団として他の医師を集めて別の機会に視察に行けばいい。そこはもう勝手にやってほしい。



***



「ルネ? フロリアンへのお土産は何がいいかしら? 移動に半月もかかるのだから食べ物はまず無理よね? リンネルの農薬なんか喜ぶと思うのだけど。あぁ、それとビニールハウスもいいかもしれないわ。リンネルの服なんかも。何が喜ぶかしら?」

「お嬢様、リンネルの物を持ち出すときは国王陛下にお伺いを立てないといけませんわ。リンネル国とプレタール国は友好国とはいえ、プレタール国はリンネル国から物資を輸入しているわけではないのですから」


 そうだった。プレタールは原油の取引と資金援助をしているだけだ。輸入はしていない。勝手に物を持ち出せば、それこそスパイだと思われる。


 フロリアンに会える喜びに気が急いてしまっていた。


「では、叔父様を通して陛下にお伺いを立ててもらうわ」

「お嬢様。お嬢様とサミュエル殿下の留学さえ、言ってしまえばリンネル国にはなんの利もないことです。そのうえ、物資まで持ち出したいとなると、今後プレタール国としていかような荷を背負わされるか……」


 ルネが頬に手を当てながら、首を横に振る。


 ルネの言い分によるとリンネルへの借りが大きくなる分、今後プレタールがリンネルに求められることが大きくなる可能性は否めないらしい。そして、それを拒否することも。


「だけど、留学は許してもらえたわ。サミュエル殿下も王族として留学していらっしゃるじゃない」


 ルネが言おうか言うまいかと口を開いては閉じ、また開いては閉じた。何かアタシの知らない事実があるらしい。


「何、ルネ? 知っていることがあるなら言ってちょうだい」

「……お嬢様が留学したいと進言したのはエマニュエル公爵にでしたよね?」

「えぇ。叔父様にお願いしたわ」

「なので、この留学は正式には、プレタールからの依頼ではなく、リンネルからの依頼になっているのです」

「……どういうこと?」


 アタシが留学したいと言ったことに気を良くした叔父が、陛下に姪をリンネルに留学させたいと許可を求めた。リンネルの陛下は当初、昔から変わらない資金援助と原油の輸出をするだけで、輸入出の拡大をしないプレタールの者を入国させて、大枚をはたいて得た技術や知識がプレタールに流れることを渋った。


 それでも、かわいい姪のために奔走してくれた叔父により、渋々留学を受け入れた陛下は、プレタールの陛下と留学について話し合おうと文を送った。しかし、プレタールの陛下は何も知らないという。


 一方、リンネルの陛下は今後の留学の受け入れの足掛かりに、プレタールのような毒にも薬にもならない国の者で試してみようと考えた。プレタールのような矮小な国の者相手に失礼があったとしても、なんとでもなると、考え方を完璧に留学させる方向に固めていた。


 自国への留学が他国にとって、これだけの価値があると示すことが出来れば、物資だけでなく人同士も行き交うようになり、より容易に情報が流入しやすいと考えたそうだ。


 そのため、プレタールにとっては半ば無理やり留学が決まったということだった。どこでそんなリンネル側の事情をルネが知ることになったのか、怖くて想像もしたくない。


「……ということは、リンネルにとっても留学生を受け入れるのは初めてだったってこと? それに、それとサミュエルも留学することになったことと何の関係があるの?」

「左様でございます。リンネルにとっても留学は初めての試みでした。サミュエル殿下も留学することになったのは、ご本人が強く望まれたことに加え、大国であり国交も盛んなリンネルに公爵家の令嬢だけを留学させるのは失礼にあたるのではないか、という考えがあったとお聞きしております」


 ふぅーと大きなため息をついてルネが更に言葉を続ける。


「ですが、リュシエンヌ様の見張りの意味もあると思いますよ。今おっしゃっていましたように、お土産になどと、リンネルの物を持ち出そうとする。そういう国同士のナイーブな関係を一足飛びに駆け上がろうとするのですもの。わたくしもサミュエル殿下が同行されて良かったと思っています」


 リンネルにしてみれば「プレタールの者が留学したいと言ってきたのに知らないとは何事だ。まぁ良い。招いてやろう」となって、プレタールにとっては「なんだかよく分からないが、留学に来いと言われている。公爵家の令嬢だけでは失礼になるかもしれない。第一王子を同行させれば、こちらの誠意も伝わるであろう」ということだ。


 つまり、プレタールにとっては留学という名の圧力がリンネルから掛けられたことになる。そして、これ以上の借りを作ってはならない。返せるものがないということだ。


 アタシ、完璧に国を巻き込んでる? でも……。


「でも、リンネルの陛下からお食事に誘われたとき、ニキアスをプレタールに婿に出しても良いというようなことを言われましたわよ?」


 不本意ではあるが、プレタールのそれも公爵令嬢の婿にというほどだ。プレタールのイメージが底辺とは思えない。


「それは、リュシエンヌ様に価値を見出されたからですわ」

「わたくしに価値を? なぜです?」


 ルネが言うには、アタシの看病法をモリスが大絶賛だそうで、それを耳にした陛下が留学終了と共に手放すには惜しいと判断したらしい。


「そんな、あの程度のことでですか? 病人の立場に立って少し考えれば分かるはずのことです。あれだけのことで、なぜ大事な王子を他国に婿になどと……」

「お嬢様。年間、風邪でどれだけの領民が亡くなっているかご存知ですか?」


 考えたところで分からない。そもそもの知識がないのだ。アタシは静かに首を横に振った。


「年間四千人に上ります。風邪により持病が悪化して死に至った者を数えると、その十倍に及ぶそうです。……お嬢様はそれでも、風邪の看病くらいで、と言えますか? もっと言えば、女性が生涯産む子供の数は約六人。その中で生き残り寿命を全うできるのは、およそその半分程度です。領民を生き永らえさせることは国にとって火急の課題なのです」


 思わぬ数字に呆然としてしまう。アタシが知らなかっただけで、それだけの人が亡くなっていただなんて。


「だけど、わたくしの看病法は既にリンネルに流れているはずです。なにもニキアスを婿に出そうとまでしなくても、友好国なのですから、これまで通りの付き合いを続ければ良いだけではないですか」

「おそらく、他国には自国にない病気の素があるかもしれないとおっしゃった言葉によるものもあると思います。宮廷医師に色々なところに同行を望まれるのはお嬢様の思い付きを重宝されているからだと……。なぜ、婿に出そうとまで考えられるのか、それはわたくしにも分かりません。ですが、国王がそうまでしてリュシエンヌ様を手に入れたいとお考えなのです」


 分からない……か。分からないことは考えない。フロリアンへの想いから学んだことだ。


 ただね。一つ。ずっと引っかかっていたことがあるのよ。


「ところでルネ? わたくしの看病法はどこから漏れたのかしら? わたくしの寝室で起きた出来事を、気付いたらサミュエルが知っていて、リンネルの陛下の耳にまで届いているなんて、おかしいことだとは思わない?」


 アタシに忠告するためにジッとアタシを見据えていたルネの視線が、ふいっと逸れた。


「……申し訳ございません。今まで目にしたことのない看病法ですくすくと元気を取り戻されるものですから、他の者はこの看病法を知っているのかと屋敷の使用人に伺ったのです。どうもその使用人からエマニュエル公爵の耳に入り、かわいい姪を自慢したくて仕方のないエマニュエル公爵から陛下の耳に。陛下からサミュエル殿下とニキアス殿下に、と。あれよ、あれよとの出来事でございました」


 やっぱりお前かい!! あれよ、あれよとの出来事ってなんだ、ソレ! 


 アタシがルネに冷たい視線を送っていると、ルネが照れくさそうにはにかんだ。


「わたくしも娘のように思っているお嬢様を自慢したかったのかもしれません」


 「エヘッ」という効果音が出そうな表情で首を傾げてみせるルネを、アタシは何とも言えない気持ちで見つめていた。


 ……とりあえず、フロリアンへのお土産は何も持っていけないということは分かった。


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