悪役令嬢なアタシ
アタシは畑に仕事に行くフロリアンの頬にキスをする。フロリアンは少し照れたようにアタシの頭を撫でて仕事へと出かける。外まで見送ると、隣の家から出てくるフロリアンの両親と妹二人と会う。
「おはようございます。今日もお疲れ様です。お昼はお弁当を届けますね」なんてアタシが言って、フロリアンの両親と妹一人が「おはよう。いつもありがとう」って挨拶を返してくれる。そして、フロリアンとフロリアンの両親、妹一人が連れ立って畑へと向かう。
アタシは、フロリアンの上の妹と一緒に、家の近くの小さな診療所へと出かける。そこでアタシは医師として働き、フロリアンの妹は看護師として働いている。ご近所さんが風邪ひいた、とか、怪我した、とか言ってやって来て、アタシと妹二人で診療にあたる。
昼になると弁当を作って畑に届けて、汗だくのフロリアンに「風邪ひくよ」って言いながら、汗を拭いてあげていると、フロリアンの妹にからかわれる。フロリアンはちょっと恥ずかしそうに「ほっとけ」って言う。
幸せだなーって心の底から思っていたら映像が真っ暗になってフロリアンの声がした。
「こんなの夢だよ。リュシーはニキアス殿下と結婚しただろう? おめでとう」
場面が変わって城で退屈そうに過ごすアタシが見える。心の中で「なんで?」を繰り返している。映像の中のアタシは涙を流していないけど、心の中で泣きじゃくっているのが分かった。
辛い、悲しい、苦しい。
そんな感情が心を支配する。
―-そこで目が覚めた。枕が濡れていた。フロリアンのいない日常は、夢でも辛い。
一年離れているだけでこんなに淋しいのに、こんな日々が一生続くなんて……。
それに、サミュエルの気持ちを知った今、サミュエルとどう関われば良いのだろう。夢も現実も自分の許容範囲を超えてしまっている。両国の陛下同士の取り決めで留学に来ているのだから、ずる休みという選択肢はないのだけど。
「お願いしゃーす」
いつもの早朝訓練でいつも以上に大声を上げて自分の気持ちを高ぶらせる。パトリックが目の前にいて、サミュエルとニキアスがアタシの両隣にいる。二人とも交差させた両腕を背中側に思い切り引いた後、ギョッとした顔でアタシを見た。
「今日は随分と威勢が良いのだな」
「あら。せっかくパトリックが訓練してくれているのですもの。訓練してもらう側も誠意を見せるのは当然のことですわ」
「大きな声で訳の分からない言葉を張り上げるのがリュシエンヌにとっての誠意か」
ニキアスがクックックと楽しそうに笑う。チラリと反対側のサミュエルを見れば、気まずそうな笑顔をアタシに向けていた。
パトリックとの早朝訓練が終わり、また元気よく「あざぁーした」と、交差させた両腕を背中側に引くと、サミュエルが近付いてきて、小声で話しかけてきた。
「少しお時間をいただけませんか? お話したいことがあります」
「え、えぇ」
「話とはなんだ? ここですれば良いではないか。婦人と二人きりになるなどマナー違反だぞ」
ニキアスの言葉にサミュエルがムッと眉を寄せる。
「それをニキアスが言いますか? 僕が風邪で寝込んでいるとき城の屋上庭園で二人で過ごしたこと、僕が知らないとでも?」
恐らく初めてのサミュエルの反抗的な言葉に、ニキアスが身を反らした。
「……それは、サミュエルが風邪で寝込んでいたからだ。元気であればサミュエルも誘っていた。俺は元気だぞ。寝込んでもいない」
「僕はリュシーと二人でお話があるのです。留学生同士、詰めなければいけないレポートもあるのです」
「レポートと言えば、リンネルのことであろう。俺が一緒にいた方がレポートの内容も充実すると思うが?」
口の減らないニキアスに今度はサミュエルが劣勢だ。ところで、アタシの予定のはずなのに二人で話が進んでいくのはどうしてなのか。
なんか……こういうのよくあるなー。アタシの予定なのになー。拒否権はないのかなー。それより二人で提出するレポートなんかあったかなー。
諦めたアタシは二人の会話を耳で捕らえながら遠くを見ていた。
「留学生のレポートなのですから、まずは二人でまとめます。不明点を煮詰めたあとに、ニキアスにはお力をお貸しいただきたいと考えています。ですから今はどうぞ遠慮なさってください」
「……お、おぉ」
どうやら、サミュエルの勢いにニキアスが気圧される形で敗北したようだ。同時にアタシの予定も決まった。
第一王子と第三王子では体から出る圧が違うのかもしれない。
「さぁ、リュシー行きますよ」
「ですが、わたくし汗をかいてしまって……。このまま授業というのは淑女としてお恥ずかしいですわ。ほら、こんなに汗が……」
そう言ってアタシは汗で額に貼りついた前髪を除けてみせた。そんなアタシを見てサミュエルがふんわりとした笑顔で圧をかけてくる。
「大丈夫ですよ。リュシーの美貌はそんな汗くらいでは衰えません。むしろ汗の粒が陽の光にキラキラと輝いて、いつも以上に輝いて見えます」
そんなの嘘だ。口から出まかせだ。こんなべったりと髪が顔に貼りついている女を輝いていると表する人がいるはずがない。
「ですが……」
「さぁ、行きますよ」
「え、えぇ」
我儘暴君のニキアスさえ勝てなかったサミュエルの勢いにアタシが勝てるはずもなく、腕を引っ張られるがまま、サミュエルの後をついて行く。チラリと後ろを振り返れば、アタシの後ろをパトリックも平然と付いて来ていた。
それに気付いたサミュエルがキッとパトリックを睨む。怖い。普段にこやかな人の、人を睨む目はすごく怖い。
「パトリック、僕は二人で、と言ったはずです」
棘のある口調にアタシの方が身構えてしまう。しかしパトリックは強かった。平然と顔色一つ変えずに答える。
「先程、サミュエル殿下がおっしゃった、ニキアス殿下とリュシエンヌ様の屋上庭園での逢引ですが、自分も同席しておりました。それに、自分もプレタールの人間です」
サミュエルの言葉をそのまま借りるのであれば自分が同席することになんら問題はないと、しれっと答えるパトリックが頼もしく見える。だけど、逢引という言葉を使うのはやめてほしい。卑猥な受け取り方をしてしまうのはアタシだけだろうか。
サミュエルは一瞬グッと身をたじろがせたが、すぐに立て直してにっこりと笑みを浮かべた。
「……護衛騎士ですからね。致し方ないでしょう」
「ご理解いただきありがとうございます」
サミュエルに連れて行かれるがまま、中庭の東屋に辿り着いた。そして促されるがままに椅子に腰かける。もちろんパトリックはアタシの背後に立っている。困ったときに助けを求めたいから顔が見える位置にいてほしい。叶わないけど。
「レポートというのは嘘です」
うん、知ってた。だって二人で取り組むレポートなんて課題なかったはずだもん。
「えぇ」
サミュエルはジッとアタシを見ていた視線を逸らした。
「その昨日の件のことで……」
返事を求められるのかと身構えてしまう。だけど、昨日の会話内容からいって、サミュエルはアタシの気持ちを知っているはずだ。何を話すというのか。あまりの気まずさと、返答しようのない話題に沈黙が続く。
口火を切ったのはサミュエルだった。
「昨日はその、あまりに酷い言いようだったと反省しまして……」
「はぁー」
思いがけない言葉に、素っ頓狂な声がでてしまう。そんなアタシはお構いなしにサミュエルは言葉を続ける。
「正確には、言葉自体にはなんの偽りもありません。僕の気持ちはあの言葉通りです。ですが、言い方が……その、喧嘩腰だったように思えて……」
うん。告白されたのか怒られたのか分からなくて、あの後軽く一時間はルネとパトリックと何だったのかと話し合ったよ。
「その、屋敷に伺った当初は確かに、元気のないリュシーを心配していたのですが、あまりにも、ご自身の気持ちにも、僕の気持ちにも鈍感で……。怒りが湧いてきてしまいまして……。それと……なんとかして、フロリアンへの気持ちを自分に向けさせたいという自己中心的な思いもあったように……いえ、ありました」
「はぁー」
そんな赤裸々に想いを吐露されても何と答えればよいのか分からない。誰か助けてほしい。
「ですが、リュシーのことを諦められないのです。どうしても!」
サミュエルの語調が強くなっていく。アタシはまた告白という名の怒りを受けるのか。それに、これ以上言葉を重ねられてもフロリアンを想うようには、サミュエルのことを想えない。
「サミュエル……」
サミュエルの強い眼差しにアタシの言葉は塞がれた。
「返事はいりません。結果は分かっています。僕は勝手に諦めないだけです。今日お話したかったのは、あのような言い方になってしまったことをお詫びしたかっただけです」
「はぁー」
さっきから「はぁー」以外喋ってないような気がする。だけど、本当になんて答えれば良いのか分からない。お断りの言葉も遮られてしまった今は。
サミュエルが不安そうに眉を寄せてアタシを見る。
「これからも友人として仲良くしていただけますか? その、僕が気持ちを伝える前までのように」
それは難しい。だってもうサミュエルの気持ちを聞いてしまったのだから。そしてアタシはフロリアンが好きだと気付いてしまった。どう考えても今まで通り、なんてことはあり得ない。なにより、そんな無神経な女、アタシが嫌いだ。そんな女になりたくない。
「それは……」
「お願いします。今まで通りで良いのです。まだ留学期間は一年半もあります。その間気まずい空気が流れるのはお互いに辛いことではないですか?」
アタシの言葉はまたしてもサミュエルの言葉に塞がれた。サミュエルはそう言うけど、アタシは一人淡々と留学期間を終えるだけだ。少し寂しいかもしれないけど、それも仕方のないことと受け入れられる。だから。
「気まずい空気が流れるのと、無理やり取り繕って仲良く振る舞うのと、わたくしにはその違いがよく分かりません。どちらにしても辛いのではないですか?」
アタシはキツイ言葉を投げかけているのだろう。サミュエルがアタシを凝視したまま生唾を飲み込んだ。酷い女だ。そもそもなんでこんなアタシを好いてくれるのか分からない。前世で告白されることはあったけど、みんなアタシのことをよく知らない人ばかりだった。
つまり、外見だけで好きだの、付き合ってくれだの言ってきていたのだ。アタシの性格を知ってなお、好きと言われた経験はない。だからサミュエルがこんなにも強い気持ちを向けてくれることがなぜだか分からない。
サミュエルは一国の第一王子だ。順当に行けば皇太子になり、国王になる人だ。こんな性格の悪いアタシではなく、もっと見目麗しく、性格も良い女性を見つけた方がいいと思う。その点は、アニーもいいかもしれない。性格が良いかは分からないが、ちゃっかり者で、人を、正確にはアタシを意のままに使うだけの人の内に入り込むスキルを持っている。平民だから後ろ盾はないけど、皇后となるにはいい資質だと思う。
そんな勝手なことをサミュエルに言うほど、無神経ではないけど。
「そうですね……」
心なしかサミュエルがふっと笑った気がした。
「考えてみれば、キュレール学院のときも最初は避けられていました。それがここまで仲良くなれたのは一重に僕の努力の賜物でしょう。自分でそれを無下にしたのですから、努力をするのは僕の役割ですね」
いや、そういうことを言っているわけではないのだけど。王族は打たれ強いのか。アタシは今までの関係を壊したのは貴方なのだから、アタシと仲良くしたければ、お前が頑張れよとは一言も言っていない。
「そういうことを言っているわけでは……」
「お気遣いいただかなくて結構です。リュシーの言い分はよく分かりました。ここで今後も仲良くしてほしいと口約束してもらおうなど、僕の考えが浅はかでした」
サミュエルは満面の笑みを顔いっぱいに広げて「頑張りますね」と、怖い宣言をして去って行った。アタシとの会話を望んで、この東屋に連れ出されたはずなのに会話した気が一切しないのはなぜだろう。なぜか、サミュエルが一人、自問自答して覚悟を決めて去って行っただけのような気がする。
「パトリック」
「なんでございましょう?」
「今のは会話だったのかしら? わたくしにはサミュエルが自問自答して覚悟を決めて去って行っただけのような気がするのだけど……」
「そのようにおっしゃるのは良くありませんよ。リュシエンヌ様がいたからこその自問自答、覚悟なのですから」
パトリックの言い分からしてアタシの考えは的を得ていると思う。アタシはついでに聞いてみることにした。
「パトリック。サミュエルはなぜ、あんなにもわたくしを想ってくださるのでしょう? サミュエルなら女性はより取り見取りなはずです。なにもわたくしのような性格の悪い女を……。それともサミュエルは気立ての良い女性にはもう飽きてらっしゃるのかしら?」
「性格の悪い……? リュシエンヌ様がですか?」
「えぇ。わたくし性格が悪いでしょう? 自覚はありますのよ。……パトリック、背後に立たれていては話しにくいわ。正面にいらして」
パトリックがアタシの促しで「では、失礼して」と正面に立つ。
「自分はリュシエンヌ様を性格が悪いと思ったことは一度たりともございませんが、なぜリュシエンヌ様はご自身のことをそのように思っていらっしゃるのですか?」
なぜって、アタシが悪役令嬢だからだけど。それに自分が悪役令嬢と言われる前からも、人付き合いはうまく言ったことがない。正直、幼少期のお茶会の中で仲良くなりたい子は何人かいた。だけど、アタシの言葉に顔を曇らせて、目の前から去って行くばかりだった。残ったのは魑魅魍魎モンスターだけ。
前世での親友ともうまくいかなかった。フロリアンの言葉にアタシの方が親友を信じていなかったことを知った。どう考えても最低な人間じゃないか。
前世の自分も今の自分も大して変わりないのだから、前世の記憶が戻ったところで死亡フラグは回避できないと判断して、国外逃亡を決めたのだ。
前世関連の言葉だけ伏せてパトリックにそう伝える。パトリックが僅かに首を傾げた。
「それは単に、人付き合いに慣れていなかったからではありませんか? 貴族同士の会話は耳障りの良い言葉が好まれますから、率直な意見を言うリュシエンヌ様は最初は煙たがられるかもしれませんが、付き合いが長くなってくると、その率直な意見をありがたく聞き入れてくれる方もいらっしゃいますよ」
「そうかしら?」
「おそらく、そのお茶会で仲良くしたいと思った子に、リュシエンヌ様は最初から包み隠さず本音を話していたのではありませんか?」
確かに。早く仲良くなりたくて自分を知ってほしくて、ありのままの自分を受け入れてほしくて、なんかもう色々とぶっちゃけた気がする。その中に相手を傷付ける言葉があったのかもしれない。
「……そう言われると思い当たることもあります」
「おそらく、距離の詰め方を間違えただけで、リュシエンヌ様ご自身の性格に問題があるわけではないかと……」
「いいえ、性格に問題がなければ思ったことをそのまま口に出しても仲良くなれたはずです」
パトリックが首を横に振った。
「そのようなことはありません。人付き合いとは会話の中で、相手がどのような言葉を受け入れることができて、どのような言葉に怒りや悲しみを感じるかを知るところから始まります。自分が伝えたい言葉も相手に合わせて言い方を変えることが必要です。むき出しの言葉は時に相手を傷つけることもありますからね。リュシエンヌ様はおそらく、その工程を飛ばされたのだと思います」
そうか、何気なく会話しているように見えて、みんなそんなことを考えながら話しているのか。
「リュシエンヌ様はもうそれができていらっしゃるではありませんか。先ほどのサミュエル殿下との会話でも、リュシエンヌ様は言いたいことを何度か遮られて、そのまま口を噤んでいらっしゃったでしょう? 幼い頃のことは人付き合いが未熟な故に起きた失敗で、今はそのようなことないと思いますよ」
「では、わたくしは性格が悪いわけではないの?」
「自分はそう思っております」
意表をつかれた。まさか自分が性格悪くないとは思わなかった。
屋敷に戻った後、ルネにも聞いてみた。パトリックを信じていないわけではないけど、ルネの方が忌憚のない意見を言ってくれる。
ルネが首を傾げて不思議そうに答えた。
「お嬢様の性格ですか? そうですね……。わがままで困ったところはありますが、性格が悪いとは思ったことありませんね。時折厳しいことをおっしゃることもありますが、まぁ、正論ですしね。しかしながら……」
そう言ってルネはお説教を始めた。正論だからなんでも言っていいわけではない。だからダニエル事件のようなことになるのだと。正論が相手を追い詰めることもあるのだと。めっちゃ怒られた。
昔から友達ができないのは自分の性格に問題があるからだと思っていた。そのうえ悪役令嬢だと知って、それは確信に変わった。まさか、対人関係スキルの問題で、性格の問題ではなかったとは。でもそう言ってもらえるのも前世の記憶を思い出したことで、我慢することを覚えたからかもしれない。




