怒られた
サミュエルの捨て台詞のあと、取り残されたアタシは、呆然としたまま冷え切った紅茶を口にした。いつもならルネが入れ替えてくれるけど、今日は入れ替えてくれない。
「……ルネ。わたくし……今、告白されたのかしら……?」
ルネの返事がないので振り返ると、呆然と立ちすくんでいる。視線はサミュエルが出て行った扉に固定されたままだ。
「ルネ? ルネ?」
ルネの目の前で手をヒラヒラと振っていると、我に返ったようにハッとした。
「申し訳ございません。少し戸惑ってしまいまして……。えーと、告白されたのか? という問いでございましたね……」
戸惑いの程度で言うならアタシの方が上だ。意識の遠くでアタシの声は拾えていたらしいルネが続けて答える。
「告白だと……大変情熱的な……」
王子相手だからきれいな言葉で言っているけど、やっぱりルネから見ても怒られているようにみえたのだろうか。
「でも、すごく怒っていたわよね? 本当に告白で間違いなのかしら?」
「……告白は告白で間違いないはずです。ただ、少し熱がこもりすぎただけで……。パトリックもそう思いませんか?」
あれは本当に告白という認識で間違いないのか、不安になっただろうルネがパトリックにお鉢を回す。アタシもぜひ同じ男としての意見が聞きたい。前世のアタシは告白された経験もあったけど、顔を赤らめながら絞り出すような告白だったり、そうかと思えば自信満々だったりだった。少なくとも「好き」と言われて怒られたと感じたことはない。
こんな愛を告げられたのか、怒りを爆発されたのか分からないなんてことはなかった。現世の男はみんなこんな感じの告白をするのだろうか。これが普通の愛の告白なのか。
ルネと共にパトリックに視線を注ぐ。パトリックは目を閉じて言った。
「間違いなく告白です。はっきりと『好き』とおっしゃっていたではありませんか」
「では、なぜあのように声を荒げていたの?」
「……それもおっしゃっていたではありませんか。『好きな人に好きだったと言われた上、今は違う人を想っていると聞かされたのです。僕の方がずっと可哀そうです』と。……恐らくですが、リュシエンヌ様のあまりもの鈍感さに腹が立ったのではないかと思われます」
「では、わたくし以外のみんなが気付いているのに、なぜ当人が気付かないのだと責められたのは?」
パトリックに視線を向けたまま見上げていると、パトリックは静かに首を横に振った。
「それは自分にも分かりません」
「ルネ?」
「……そうですね。責めたつもりはサミュエル殿下にはないのではないかと。フロリアンの言葉に一喜一憂しているのに、自分の言動には目もくれない。それが分かって淋しかったのではないかと想像します」
三人揃えば文殊の知恵と昔の人は言ったけど、三人揃っても「分からない」「思われる」「想像します」などのふんわりした予想しか出てこない。問題は……
「わたくしこれからどうしたら良いのかしら? どのように接すれば良いのか……」
テーブルに顔を突っ伏して、そう呻いているとルネが言った。
「お嬢様、今まで通りで良いのだと思います。ここで変に距離を取られては、それこそサミュエル殿下は傷付かれるでしょう。ねえ、パトリック?」
明日からのアタシの言動の答えをくれたルネを縋るように見つめていると、ルネがふいっと視線を逸らしてパトリックに向けた。アタシも同じくパトリックに視線を移す。
パトリックは腕組をしてしばらく逡巡したあと答える。
「……告白した前後でのリュシエンヌ様の態度が全く変わらないというのも、おもしろくないのではないでしょうか?」
「では、わたくしにどうしろと!?」
三人が互いに見合っては、目が合ったもの同士、目を逸らしあう。しばらくの沈黙のあと、ルネがため息を吐いた。
「お嬢様のお気持ちはどうなのですか?」
「わたくしの気持ちとは……?」
「サミュエル殿下のおっしゃるようにフロリアン様のことをお慕いしていらっしゃるのか、サミュエル殿下のことをどのように感じていらっしゃるのか。……婚約者候補であるニキアス殿下のこともいかがなさるおつもりですか?」
サミュエル、フロリアン、ニキアス……。どう考えているか、か。
「わたくしはフロリアンのことが好きなのですか? サミュエルにも申しましたが、わたくしサミュエルへの気持ちこそが『好き』という気持ちだと思っていたのです。実際、一目見たときにそう感じましたし……。それを『好き』という気持ちとは違うと言われてしまうと、なにがなんだか……」
サミュエルに感じていたのは、どうしても手に入れたいという気持ち。フロリアンに対しては、一緒にいられないのが淋しいとか、手紙をもらうと泣きそうなくらいに嬉しいとか、何かおいしいものを食べたとき、フロリアンにも食べさせてあげたいとか、だ。
そうルネに伝えてみる。ルネが呆れたように肩を竦める。
「お話を伺う限りでは、サミュエル殿下への気持ちは、サミュエル殿下がおっしゃられたように、容姿や雰囲気だけに好感を覚えたにすぎないように思います。サミュエル殿下は本当にお美しい方ですから、これまでに見たことのない美貌をもつサミュエル殿下に惹かれただけのように思われます。言ってしまえば、きれいなお人形を手に入れたいと駄々をこねる子供と同じです」
あんなに強い独占欲が、おもちゃを手に入れたい子供のそれと同等だとルネが言う。ルネがそう思うのは、サミュエルを一目見て手に入れたいと瞬時に根回しの算段をしだしたアタシの当時の気持ちを体験していないからだ。
「でも、わたくし、あのように強い気持ちを他人に向けたのは初めてのことだったのですよ?」
「それは、お嬢様が望めば何でも手に入るお立場にあられたからだと思います。それに、お嬢様は言動と感情が一致しない方を殊の外嫌っておいでです。お嬢様はそのお立場ゆえに、そういった方に取り巻きされることが多かったので、これまで他人を手に入れたいという感情が沸いてこなかったのではないでしょうか?」
長々と丁寧な言葉で言い連ねているけど、つまりはアタシが好意を抱くような存在が今までいなかっただけだということだ。確かに、あの魑魅魍魎モンスターたちの歯の浮くようなセリフを真に受けて、ふわふわ浮かれていられる頭の軽い人間だったら、お茶会も仮病を使って欠席したりしなかったと思う。
「お嬢様は、ご自分がこのままサミュエル殿下に好意を寄せたままでいると、法に触れてしまうと、お気持ちを断念した、ということでしたよね?」
「えぇ」
「その後、サミュエル殿下と関わるようになってからの、お嬢様のお気持ちはいかがだったのでしょうか? 知れば知るほどもっと知りたいと思うようになったとか、諦めなければいけないけど、諦められない、などといったお気持ちにはならなかったのですか?」
「いえ、それは全く。こんなに逃げたいのに、なぜサミュエルは近付いてくるのかと少しイラつくことはありましたけど……」
ルネが目を閉じて首を左右に振った。
「お嬢様、それはやはり『好き』というお気持ちとは違うように思います。どちらかというと、フロリアン様に対するお気持ちの方が、わたくしの知っている『好き』という気持ちに近いと思います。本当に好きだと思うと理性で抑えられるものではありませんよ。……先程のサミュエル殿下の言葉をお借りするなら『絶対に諦めない』ということです」
世にいう『好き』という気持ちが、当人を目の前にして『絶対に諦めませんからね』というほどの情熱なのだとしたら、確かにアタシのサミュエルに対して抱いていた気持ちは『好き』ではない。
フロリアンに対しての気持ちが『好き』なのだとルネは言う。多数決で自分の気持ちを決めるつもりはないけど……。
「パトリックは人を好きになったことがあるかしら?」
一瞬目を見開いたパトリックはすぐにいつもの真顔に戻り、答えにくそうに口を開いた。
「……はい」
「パトリックの『好き』はどのような気持ち? ルネが言うように、わたくしのフロリアンに対する気持ちがそうだと思う?」
パトリックはアタシと結んでいた視線を逸らすように一度目を閉じた。
「自分のそれは……。自分は護衛騎士ですから、リュシエンヌ様とは少し違います。しかし、一人の方に対し、誰に対しても抱かないような気持の揺れを感じるのあれば、それはやはり、ルネの言うように好きなのだと思います」
「護衛騎士だから違うとは?」
そうパトリックに尋ねるとルネからの鋭い視線が飛んできた。パトリックにまで聞いてやるなと言いたいのだろう。だけど最初にパトリックを巻きこんだのはルネだ。アタシはルネの視線に気付かないフリをして、パトリックを凝視して返事を待った。パトリックは少し視線を彷徨わせたあと諦めたように口を開いた。
「自分はお慕いする相手をお守りしたいと思います。自分の持っている全ての力を使って、少しの危険も与えない、与えたくない。そのためなら何だってしようと思います。……ですから、お嬢様とは少し違うと申したのです」
そうか。自分の与えられるものによっても『好き』の気持ちの現れ方が違うのか。自分に与えられるものがあれば無償で与えたいと思うことが『好き』ということなのか。
「ですが」とパトリックが続ける。
「気持ちの面でいえば、相手の笑顔が見たい、悲しい顔をしていたら手を差し伸べたい、困っていたら助けてあげたい。そう思うのではないでしょうか」
いつもほぼ無表情のパトリックの感情をそんな風に揺さぶる相手がいたとは驚きだ。だけど……。
「それなら、仲の良い友人に対してであれば、誰にでも思うわ」
「お嬢様。思うだけではないのですよ。実際に何かしようと奮闘したり、助けになれなかったときには悲しくなったり。お嬢様の場合、婚約を祝われたことが悲しかったというのが、何よりも『好き』という気持ちが現れていると思います。フロリアン様以外にそのように思われて悲しいですか?」
アタシは仲の良い男子を思い浮かべた。サミュエル、シル、カンタンにセヴラン。誰をあてはめても悲しいとは思わない。「うるさい! お前に関係ないから黙っとけ!」と思う。
そう返事すると、ルネがそれは深いため息を吐いた。
「それでは、サミュエル殿下に対する気持ちは他の友人たちに対するものと同じで、フロリアン様だけが別格ではないですか。こんなにはっきりとしているのに何をいつまでも首を傾げておいでです!」
ルネに言われて気付いた。そういえばずっとアタシの首は傾いている。アホな子みたいに。
「なぜなぜ?」と聞くアタシにイラついてきたのか、ルネの口調は少し荒い。気持ちは分かる。アタシもニキアスから、なぜなぜ? 攻撃を受けたときはイラッとした。
「ずっと黙っておりましたが、お嬢様がニキアス殿下と破断となった場合、サミュエル殿下との婚姻が決まっています。帰国後すぐに祝言が予定されています」
「なんですって? 絶対にいやよ!!」
ルネが目を閉じる形で返答した。
「サミュエル殿下との婚姻に異議がある場合は、ニキアス殿下との婚姻になります」
「はぁ?? なんでその二択なの? 絶対にいやよ!」
サミュエルともニキアスとも一生一緒にいられる気がしない。たまに会う仲の良い友人というのがしっくりくる。好きか嫌いかでいうと、二人とも好きではあるが、結婚となるとちょっと違う。それくらいは分かる。
ルネが静かに笑った。
「嘘でございますよ。お嬢様の反応をみたかったのです。ご自分でも分かりませんか? 少なくともサミュエル殿下とニキアス殿下に恋情は持っていないと」
アタシとしてはサミュエルへの気持ちは、前世を思い出すほどの大事件だったのだ。それを軽く言われるのは、やっぱり納得がいかないけど、そう言われると明らかに恋情ではないことは分かる。
コクリと頷くと、ルネが優し気にふんわりと笑みを広げた。
「では、フロリアン様はどうですか? 例えば、フロリアン様のご自宅で一生フロリアン様のお傍にいる。その未来をどう思われますか?」
フロリアンの屋敷で、きっと屋敷というほど立派な家ではないだろう。恐らくは前世のアタシの家くらいの広さで、それよりも小汚いと思う。その家で二人寄り添って生きていく。フロリアンは畑に仕事をしに行って、アタシは家で家事や炊事なんかをする。「行ってらっしゃい」と見送って「おかえりなさい」と出迎える。それは、すごく素敵な未来に思えた。
「……とても素敵だと思うわ」
涙が溢れてきた。雫となり頬をつたっていく。とても幸せな未来だと思ったけど、手に入らない幸せだとも思った。だって、フロリアンはニキアスとの婚約を「おめでとう」と言ったのだ。結婚を祝われているアタシとの未来をフロリアンが望んでくれているとはとても思えない。
ルネがそっとハンカチを差し出した。吃逆が出て息が吸い辛い。
「……とても……素敵な夢ね……」




