表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
29/57

ニキアスと喧嘩


 サミュエルの風邪が治って登校してきたときは正直ホッとした。屋上庭園でニキアスと過ごして以来、少し気まずかったのだ。いつも通り普通に会話もするし、サミュエルがいなくても再開した早朝訓練にはニキアスも参加していたのだけど、ちょっとした瞬間に何とも言えない空気が流れた。


 ニキアスが近付いてくると、また頬を触られるのではないかとビクッとしてしまったり、それに気付いたニキアスがニヤリと口角を上げて、頭を撫でてきたり……。本当に何がしたいのか分からない。


 城での屋上庭園でのニキアスとの時間のあと、パトリックに、なぜ主人であるアタシがべたべたと触られていたのに止めなかったのかと問い詰めた。ニキアスが王子であること、アタシとニキアスが婚約者候補であること、アタシがそう嫌がっているようには見えなかったこと、一護衛騎士の自分に婚約者候補同士の逢瀬を邪魔する権利がないことを理由に、ニキアスの行動を止めるのは憚られたと言った。


 逢瀬ではないし、嫌がっていなかったわけでもない。正確に言うと、嫌がったというよりは戸惑っていた。家族でもない異性からあんな風に触れられて戸惑わない淑女がいるだろうか。故に、あの何とも言えない空気をぶち壊してほしかったのに。


 だけど、王族が異性相手に気軽に触るようなこと普通ならあり得ない。ニキアスはアタシのことをペットか何かだと思っているのだろうと思う。王族は公爵家以上に家族の触れ合いが少ないだろうし、アタシのことを女性と見ていればするはずのない行為だしね……。



「リュシエンヌのおかげで、いつもより早く回復することができました。いつもは暑くて汗をたくさんかいて、その汗で冷えて、また寒気がして、肉料理を無理やり口に運ばれて吐いて……。とても辛かったのです。ありがとうございました」


 サミュエルが遠い目をしてそう言った。


「いえ。あの看病法がサミュエルの風邪にも効いたようで良かったです」

「しかし、サミュエルもリュシエンヌも少々体が弱いのではないか? 二人揃って続けて風邪をひくとは」

「あら、ニキアス。それは違いますわ。叔父から伺ったのですが、叔父の時もそうだったらしいですわ」


 叔父から聞いた話によると、叔父もリンネルに移住した当初、風邪をひいたという。おそらく、環境の変化によるストレスによるものだろうと言っていた。だから、アタシとサミュエルが特別、体が弱いということではないのだ。それとたぶん、リンネルにある病原菌への耐性がプレタール人のアタシたちには少ないか皆無なのではないかという点も考えられる。


「なるほど。プレタールとリンネルではそれほどに違うか?」

「すごく違うというほどではありませんが、強いて言うと、リンネルの方が空気が乾燥しているように感じます」

「そうですね。喉が渇くので水分を摂ることも増えたように思います」

「なるほど。人の体とは繊細なものなのだな」


 三人でプレタールとリンネルの違いについて話していると、ふと風邪っぴきの潤んだ瞳でアタシに縋ってきたサミュエルを思い出した。


「そういえば、サミュエル。看病していたとき、わたくしのことリュシーとお呼びになっていましたね」


 何の気なしに尋ねただけだったが、サミュエルの顔がみるみる赤くなっていく。視線を彷徨わせたかと思えば、にっこりと微笑んだ。


「なんのことでしょう? 聞き間違いではありませんか?」

「そんなはずはありません。サミュエルは風邪で意識が朦朧としていらしたかもしれませんが、わたくしの意識ははっきりしていましたもの。リュシーの方が呼びやすかったらリュシーとお呼びください」


 サミュエルのにっこりと微笑んだ唇がキュッと真一文字に結ばれていく。


「フロリアンが……」

「フロリアンがどうかしまして?」

「フロリアンもリュシーと呼んでいました。カンタンもセヴランもアニーもシルも。皆、リュシエンヌからそう呼ぶように言われたと……」

「えぇ。そう呼んでいただいた方が早く仲良くなれるかと思いまして。ですが、シルは違いますよ? 初対面で声をかけられたときからリュシーと呼んでおりましたから。わたくしからお願いしたわけではありません」


 サミュエルは自分だけが愛称で呼んで欲しいと言われなかったことが淋しかったようだ。だけど、平民相手にお願いするのと王子にお願いするのとでは訳が違う。王子相手にどうしてそんな馴れ馴れしいマネができようか。


 サミュエルに愛称で呼ぶことをお願いしなかった理由について話すと、安心したようにふんわり笑った。


 しかし、敬称なしで呼べやら、愛称で呼べと言われなかったやら、男という生き物はそんなにも呼び方が気になるのだろうか。


 面倒くさいな……。


「リュシエンヌ、先程のフロリアンとやらは誰のことだ?」


 ニキアスに尋ねられて、他のセヴランやカンタン、アニー、シルについて説明する。「平民と仲良くしているのか?」と言ったときのようにニキアスは表情を歪めた。


「リュシエンヌは平民に愛称で呼ばせているのか?」

「えぇ。みなさん仲良くしてくださっているのですよ」

「平民と仲良くしてなんの利がある?」

「利があるからではなく、楽しいから一緒にいるのですわ」


 アタシも前世の記憶を思い出してなければ、ニキアスと同じように考えただろう。ニキアスの考えもよく分かる。だけど、フロリアンたちと一緒にいることの居心地の良さを知ってしまった。もうなかったことにはできない。


「そういうものなのか?」

「えぇ。サミュエルも同じように仲良くしていましたよね?」

「えぇ。環境が違う者の話を聞くのは新鮮で楽しいですよ」

「そうか……」


 まだ納得のいかない顔をしているニキアスにアタシはムッとしてしまう。フロリアンたちのことを蔑まれている気がする。


「ではニキアスはなぜ、わたくしと行動を共にされるのですか? どのような利があると? わたくしに王族のニキアスに差し出せるものが何かありましょうか?」


 ニキアスは、強めに言い放つアタシの言葉に一瞬たじろぎ、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「馬鹿者! なぜこの俺がお前なぞに何かを求める必要がある! そういうことではなかろう? なぜ分からぬ!?」

「そうでしょう? わたくしもニキアスがわたくしと一緒にいるのと同じ理由でフロリアンたちと一緒にいたまでです」

「フロリアンたちだと? お前はそのように尻の軽い女なのか!?」


 意味が分からない。なぜ、みんなと仲良くするだけで尻軽呼ばわりされなければいけない。シルとの接し方をビッチ呼ばわりしたお嬢様たちといい、現世で前世のような人付き合いをするとビッチになるのか。なんて息苦しい世界だ。


「なんですって? ただ友人と仲良くしただけで、尻軽呼ばわりとは聞き捨てなりませんわ! サミュエル! わたくし尻軽などではないですわよね? サミュエルからもなんとか言ってください! このわからずやの王子様に!」


 隣でポカンと口を開けて立ち尽くしているサミュエルに援護を頼む。愛称で呼びたいと言っていたサミュエルだ。寝込んでいるときに「リュシー」と口から出てきたということは、心の中でそう呼んでいたに違いない。それほどまでにアタシとの交流を楽しんでくれていたのだから、サミュエルなら一緒にこのわからずやの王子に立ち向かってくれるはずだ。


「……リュシーとニキアスの会話は少々かみ合っていないように思います。ニキアス。リュシーはただ友人としてフロリアンたちと仲良くしたいと。なるべく対等な友人関係を望んで平民に辿り着いただけなのです」


 ニキアスとの会話がかみ合っていないとは思わないが、だいたい期待通りのサミュエルの援護にアタシは、鼻を鳴らした。


「だが、カンタンとセヴランとやらはリュシエンヌの屋敷で使用人として働くことになったのであろう? その者らには、これ以上ないほどの利があったではないか」


 痛いところをついてくる。だけど、それも直接頼まれたわけではない。そんないやらしさは二人からは感じなかった。アタシが監視の目を逃れるための手段としてしただけだ。


「それは結果的にそうなっただけですし、わたくしが望んだことです。それこそニキアスには関係のないことですわ」


 怒りで鼻息が荒くなっているアタシにサミュエルが「落ち着いてください」と宥めてくる。


「ニキアスがリュシーと一緒に行動しているのは利益があるからではない。リュシーもフロリアンたちと仲良くしていたのは利益があるからではない。つまり利益が絡まないという点では同じということですね」

「まぁ、そういうことだ」

「えぇ。そうなりますわね」

「では、もう言い争う必要はないではないですか。お互い友人を大切にするという面では同じ。ただ友人の選択に違いがあるというだけです」

「俺はリュシエンヌを友……」

「ニキアス。それはこの場で言う必要のあることですか?」


 何か言いかけたニキアスをサミュエルが言葉で制した。ニキアスは何を言おうとしていたのか。こうなったらとことん話し合ってやろうじゃないか。


「なんですの、ニキアス。言いたいことがあるのなら、はっきりと言えば良いではありませんか」

「……いや、その、俺がリュシエンヌの言葉の意味を誤解していただけだ。すまない。友人を大切にするのは素晴らしいことだと俺も思う」

「……分かってくださればそれで良いのです」


 なんだか無理やり終わらせられた感が釈然としないけど、ビッチ呼ばわりを訂正してくれたからここは、アタシが大人になって許してやろうと思う。


 少しイライラを抱えたまま屋敷に戻ると、ルネから手紙が届いていると知らせを受けた。フロリアンとアニーに返事を出していたのだ。アニーにはサミュエルのリンネルでの情報。ルネの検閲入りだ。といっても、ほぼ学院ではアタシとニキアスと三人でいるので他の女性の影はない。これ以上の情報は城に住み込みでもしないと知る術もないので、勘弁だ。


 フロリアンには、本の話は本の話でしかないと伝え心配しないでと伝えた。また、リンネルの農家の見学もしてたくさん勉強して帰るから楽しみにしておいてと。


 例によってアニーの手紙から開くことにした。


『サミュエル殿下とほぼ毎日一緒にいるですって? くー! 羨ましい!! 学院内での女性の影は見られないということだけど……。まさかと思うけど、リュシーがサミュエルの婚約者に、なんてことないわよね? 

 ……まぁ、そうなったとしても仕方がないわ。わたくしは所詮平民。第一夫人になれるなんて思ってないもの。もしリュシーが第一夫人になったとしても仲良くしようね。

 ところで、リュシーは、一夫多妻制についてはどう思う? 夫が一人。妻は数人。自分以外にも妻がいるなんてリュシーは嫌じゃない? 嫌よね? 

 そんなリュシーに朗報があるの。平民はだいたい妻は一人なのよ。どういうことか分かる? 生涯、自分の夫が愛する妻は自分だけってこと。素敵だとは思わない? 

 今後も、サミュエル殿下の日常を教えてね。愛してるわ、リュシー』


 ……アニー。サミュエルの妻同士になったら仲良くしようと言いながら、しっかり牽制してくるなんて。なんかアニーのこの強かさというか、押しの強さというか、クセになりそうだ。それに万が一そうなったとしてもアタシがアニーの尻に敷かれそうな気がする。というか、アタシの父も妻は母だけだから何も平民に限ったことではないんだけどね。


 なまじ育ちが良いから、アニーほどの押しの強さがアタシにはない。アタシも強引な方だと思っていたけど、明日の生活もままならない暮らしをしていたアニーとは根本の野心が大きく違う。でもそういうところ嫌いじゃない。アニーもシルと関わる上ではちゃんと弁えてるみたいだし、アタシがそう思っていること分かってて素で接してくるんだと思う。


 乙女ゲームのヒロインて、もしかして、強かだから、最終的にはどんなルートも攻略できるのではないかと思う。それこそ、大人しくて引っ込み思案なだけだったら絶対に学院で埋もれると思うもん。……いよいよ二学期の乗馬でのサミュエルとのペアもアニーの仕組んだものに思えてきた。


 まぁ、アニーにはこの逞しさで、プレタール初にして唯一の平民の皇太子夫人に上り詰めてもらいたいと思う。


 次はフロリアンからの手紙だ。フロリアンの手紙を手に取り、フロリアンの筆跡で書かれた自分の名前を指でなぞる。どれだけ急いで書いて送っても、この世界の郵便事情では半月はかかる。もどかしい。手紙をかさりと開いた。


『やぁ、リュシー。元気にしているようで安心したよ。リュシーの言っていたことが本当に本の中の出来事ならそれでいいんだ。でも、俺にできることがあったらいつでも言ってね。

 そうそう。夏休み中、家に帰ったときリュシーが忠告してくれたように、濡れタオルを首に巻いて仕事したよ。水分を細目に摂りながらね。いつもより怠くなることが少なかったよ。教えてくれてありがとう。

 リンネルの農業の見学に行ったんだね。リュシーも頑張ってるんだね。俺もリュシーに負けないように頑張らないと。帰ってきたらまた話を聞かせてね。……帰国はこっちの学院の卒業と同じになるんだったね。そうなるともう会うのは難しいのかな。でもリュシーさえ大丈夫なら俺はいつでも会えるから。

 リュシーが帰ったら、今度は俺の家の畑を見てほしいな。小さい畑だけど元気に育っている野菜は輝いていてとてもキレイなんだ。採れたてを食べさせてあげたいな。辛党だと言っていたからきっと味の濃いものが好きだとは思うけど、そこは何の味付けもしないでぜひ、そのままパクリと言ってほしい。シル様はそんな貧相なもの、あのリュシーが口にするわけないって言うけど、リュシーなら食べてくれるって信じてるよ。

 よくリュシーの話をするよ。リュシーが崖から落ちそうになったことも今となれば笑い話になってる。この前あの崖でみんなでランチしたんだ。カンタンは何をどうしてここから落ちることになったのかと首を傾げていて。セヴランは恐らくあの岩がリュシーの掴んだ岩と見当をつけて、記念にリュシーの名前を刻むべきではないかと考え込んでいた。シル様は一度ぶら下がってみるかと飛び降りようとして慌ててみんなで止めた。

 それと、カンタンとセヴランが屋敷で仕入れてきたリュシーの小さい時の話も聞かせてもらって……。なかなかの子どもだったんだね……。

 ちょっと長くなってきたから今日はここまで。また手紙を書くよ。リュシーも良かったらまた手紙をくれると嬉しい。じゃあまたね』


 何? カンタンとセヴランからどんな話を聞いたって言うの? なんでそこは具体的に書いてくれないの? わざとなの? フロリアンー!!

 

 それにアタシが落ちかけた崖で楽しくランチとか意味が分からない。どんな気持ちで弁当を持って行ったのか。その様子を想像して笑いがこみ上げてきた。


 みんな、何やってんのー?


 アタシもその場にいたかったな。アタシがいなくてもアタシが一緒にいるように話題に出てきていることが嬉しい。みんなアタシの事を憶えてくれいる。その事実があったかい気持ちにさせる。


 帰国したら同窓会をしたいと思っていたけど、フロリアンの家に遊びに行ってもいいんだ。嬉しい。フロリアンの育ったところ、フロリアンの両親や妹に会える日が来るかもしれないと思うと、緊張とワクワクで気持ちがこんがらがる。


 だけど、心地のいい心のざわめきだった。フロリアンとの次の約束がこんなにも嬉しい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ