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前世の記憶がショボすぎました。  作者: 福智 菜絵
第二章 悪役令嬢は気付かない
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風邪っぴき


 ……なんか熱が上がってきた気がする。


 ニキアスの突然の来訪に執事長は、風邪をうつすといけないので、と一旦は断ったらしいが「せっかく来たのだから」と言い放つ王子様に呆気なく敗北したという。


 アタシの部屋の前まで来たニキアスに第二の関門、パトリックが立ちはだかったが「あとはそのドアを開けるだけなのに、帰れと申すのか?」と、有無を言わせない一言に、ニキアスの対戦相手は選手交代。ルネが、執事長とパトリックに勝てなかったニキアスに勝てるはずもない。


 「お嬢様の様子を窺ってきます」と言ってルネは部屋に戻ったらしい。しかし、ルネが部屋に戻るためにドアを開けた一瞬の間、その隙間からニキアスが見えた。ベッドのヘッドボードに背中を預けて上体を起こしているアタシと、だ。天幕があるのでバッチリと目が合ったわけではないが、アタシにニキアスの顔が認識できたのだからニキアスも同じだろう。


 この状況で拒否できるわけがない。ベッドの配置を考えてもらわねばならない。ドアを開けてすぐベッドが見えるのは良くない。最も、結婚もしていない公爵令嬢の私室に異性が足を運ぶことなど普通ないのだから、ニキアスが異質なのだけど。


 王子のくせに……。



「リュシエンヌ、調子はどうだ?」

「えぇ。だいぶ良くなりました。明日か明後日には学院にも行けるでしょう。本日は足を運んでいただき、ありがとうございました」


 あえて「ございました」と言ったことで「帰れ」と言っているのだが通じていないのか、机の上に置かれたガラスボールに浮かべた花を満足そうに眺めている。


「気に入ったのだな。さすが俺が選んだ花だ」

「え、えぇ。かわいらしいお花で、気分が安らぎます」

「そうだろうとも。本日も花を持ってきた。リュシエンヌは意外と花が好きなようなのでな」


 意外と、というのはどういう意味だ。アタシはアタシのように愛らしい花が好きで選択科目を生物にしたのだ。前世を思い出してから花に見惚れて仕方がない。前世と現世で通じるものがあるのは花を含む自然だけというのもあるけど。


「ありがとうございます。ニキアス、その、風邪をうつすと良くないのでそろそろ……」

「なぜだ?」


 また出た! 「なぜだ?」攻撃! 聞けば答える人ばかりの世の中だと思うなよ! 答えるけどね!


「……その、わたくしが治って登校したときに、もしニキアスが風邪でお休みしていたら、後ろめたくて辛いです……」

「そうか。だが、だいぶ良くなったと申したのはリュシエンヌではないか」


 そうだけど……。そういうことじゃないよね?


 ニキアスは当然のようにさっきまでルネが座っていた、アタシのベッドの横の椅子に優雅に腰かけた。


「だいぶ良くなったとはいえ、熱が出たのは昨日です。まだ一夜明けたにすぎません。まだわたくしの体の中に風邪の素がいるかもしれません」


 思い出し笑いをするようにニキアスが、クックックと笑った。


「人ならざる者の欠片が入ったり、病気の素が入ったり、リュシエンヌの体は忙しいのだな」


 人ならざる者の話、ちょっと引っ張りすぎなのではないか。そろそろ忘れてほしい。それとも跪かせたことをもしかして根に持っているのか。


「あの時は驚いたな。明らかに自分が言った言葉なのに、まさか人ならざる者のせいにするとは。お祓いの儀式だと跪かせたかと思えば、珍妙な言葉を繰り返させられ、手を擦り合わせさせて。クックック。こんな婦人を見たのは始めてだと思ったのだ」


 言葉の意味と表情から察するに、アタシのあの言動がニキアスにアタシに興味を持たせる結果となったようだ。撃沈だ。いい案だと思ったのに。そして、ニキアスの後ろに控えているルネの目が怖い。ルネはたぶん初めてその事実を知った。アタシが言ってないから。ごまかせたと思っていたし、報告の必要性を感じなかったのだ。


「そうですか……。だけど、アレはわたくしのオリジナルではないのですよ。どこかで見聞きしたのです」

「どこか、とはどこだ?」

「幼い頃の記憶ですのでそこまでは覚えておりませんわ」


 正確にいうと、生まれる前だから言いようがない。


 ニキアスは随分と寛いでいるようだが、自室に男性に入られたことのないアタシは居心地が悪いったらない。正直まだ体も本調子ではない。


「ニキアス。申し訳ございませんが、少々疲れてしまいまして……」


 申し訳なさそうに視線を落とすと、名残惜しそうにニキアスが言った。


「……そうか。大事にせよ」

「ありがとうございます。また学院でお会いしましょう。欠席した授業について伺うかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします」

「うむ。力になろう。俺は頭が良いからな。何でも聞くとよい」


 誇らしげに頷くと、静かに退室していった。


 ニキアスの退室を目だけで見送り、胸をなでおろす。ルネに白湯を準備してもらい一口飲むと、また体を横たえた。まだ体は怠いのだ。あんなに汗をかいたのだから当然だ。






「……嬢様、お嬢様!」


 ルネの声に、もう朝かと目を開ける。体感ではさっき寝てから小一時間も経っていない。


「まだ本調子ではないから、今日も学院はお休みするわ」

「そうではありません! サミュエル殿下がお見えです!」


 はぁぁぁ? リンネルの第三王子だけでなく、プレタールの第一王子も揃いも揃って馬鹿ばっかりか! 風邪で寝込んでいる女性を見舞うなど配慮に欠ける! 


「ごめんなさい、ルネ。ちょっと、ニキアスの相手で疲れてしまって……」

「ですがお嬢様。ニキアス殿下のお見舞いをお受けして、自国の王子のお見舞いをお断りするなど……」

「……そうですね。分かりました。ですが、ご挨拶くらいしかできませんが、と一言伝えてちょうだい」

「承知しました」



「リュシエンヌ。調子はいかがですか?」


 ……ニキアスとサミュエルが見舞いに来るまではだいぶ良くなってたよ。


「まだ少し優れません……」


 そう言って申し訳なさそうに首を振った。サミュエルを見上げれば、迷子の子犬のように淋しそうな顔。久しぶりにこの表情を見た気がする。


「申し訳ございません」

「なぜリュシエンヌが謝るのですか?」

「せっかくお見舞いにいらして下さったのに、満足にお相手もできず……」

「いえ、風邪と伺っているのに見舞いに来てしまった僕に非があります。……お大事にしてくださいね。また学院で元気なお顔を見せてください」

「はい。ありがとうございます」


 たぶん五分にも満たないうちに帰ってくれた我が国の王子を誇りに思う。ニキアスよりサミュエルの方がずっと礼儀正しい。アタシは心の中でそっとサミュエルに手を合わせて、ゆったりと眠りについた。



***



「もう良いのか?」

「お加減は大丈夫ですか?」


 王子二人が見舞いに来た翌日は学院を休み、その次の日から登校することができた。これまで風邪をひかなかったことから考えても、現世のアタシの体も丈夫なようだ。それは嬉しいがアタシの体調を窺うように鋭い眼光を放つパトリックの目が怖い。


「えぇ。もうすっかり」


 パトリックの鋭い眼光には気付かないフリをして、アタシは気遣ってくれる王子二人に、にっこりと天使の笑みを浮かべた。


 二人の顔が赤く染まりギョッとする。


 アタシの風邪がうつったってことはないよね……?


「お二人とも、お加減は大丈夫ですか?」

「何故だ?」

「至極、調子は良いですよ?」

「それなら良いのですが、お顔が赤くていらっしゃるので、わたくしの風邪をうつしてしまったのかと思いまして……」


 そう告げると二人の顔はますます赤くなっていき、二人はお互いに顔を見合わせて、気まずそうに逸らした。


「先程、二人で早朝訓練をしていたのだ。なぁ、サミュエル?」

「え、えぇ。剣術の稽古です。リュシエンヌはいつ頃から再開するご予定ですか?」


 その予定の決定権はアタシにはない。ちらりと振り返りパトリックを見た。パトリックが促されるように口を開く。


「リュシエンヌ様の様子を見ながらになりますが、少なくとも今週いっぱいは中止です」

「そうか」

「そうですね。大事を取られた方が良いと僕も思います」


 風邪をひいて寝込んでいたからか、二人の王子と一人の護衛と過ごすのが懐かしく感じる。面倒に感じることも多いが、いつの間にか心地よく一緒にいられる仲になっていたことに気付く。叔父の言っていた思い出の中にこの時間はきっと入るだろう。




 四人で和やかな時間をすごしていたある週末、サミュエルが風邪をひいたと学院を休んだ。どう計算してもアタシの風邪をうつしたわけではない事実に心の中で安堵していた。学院が終わり帰宅してアニーとテーブルゲームをしていると、叔父からの呼び出しがあった。


 アタシはルネとパトリックと共に居間へと移動した。叔父にソファーに促されて紅茶を一口飲むと叔父の口から信じられない言葉が出てきた。


「リュシー。言いにくいのだが……」


 いつもアタシの前ではにこやかな叔父が、難しい顔でアタシを見た。叔父から発せられる異様な空気に恐る恐る聞く。


「なんでしょう?」

「その、サミュエル殿下がな、風邪を召されて……」

「えぇ、学院も休んでおりましたので、存じています」

「その……、明日、城に来て看病してほしいと申せられるのだ」


 叔父が言うには、アタシの提案した看病法が、噂になっていて、それを耳にしたサミュエルから、ぜひ看病してほしいと打診を受けたという。


 サミュエルの使用人から叔父にサミュエルの打診を告げられたらしい。サミュエルの今の住まいは城だ。叔父は、サミュエルが望んでも陛下が城の他国の王子を預かっている部屋に婦人を入れることを許さないだろうと、それを理由に断ろうと陛下に確認した。


 陛下は他国の王子の願いを無下にする訳にもいかないため、パトリック同席の下ならと許可を出したそうだ。完全にどうかしている。いくら王子の希望と言えど、側近としてのノウハウを知らないただの公爵令嬢に王子の看病をさせようなど考えられない。


 第一アタシがうつったらどうしてくれるのだ。せっかく治ったのに。もしもらった風邪をまたサミュエルにうつすようなことになったら目も当てられない。


 柔らかくした言葉で叔父にそう訴えた。


「私も陛下にそう申したのだが……『またすぐに治るのではないか?』と。その、リュシーを留学させてもらって、領地を案内して、莫大な資金を費やして得た知識や技術をリュシーたちに享受しているだろう? だから私もあまり強く言えないのだ。……すまない」


 「またすぐに治るのではないか?」とは聞き捨てならない。こんな華奢で繊細な女性を捕まえて言うようなことか。だけど、目の前で申し訳なさそうに意気消沈している叔父を見ていると、それ以上の言葉は言えなかった。


 ……リンネル国王陛下の言い分も分かるしね。


「承知しました。お役にたてますかどうかは分かりませんが……」

「すまない。恐らく陛下は、リュシーの看病法でサミュエル殿下の風邪も早急に治れば、国でリュシーの看病法を広げたいと考えているのだと思う」


 つまるところ、与えるだけでなく、プレタールからも利になる情報が欲しいということだ。だけど、プレタールの事業でも特産でもなんでもない、アタシ個人の看病法なんておいそれと国で広められるのも困る。そうしても治らなかったではないかと責められて国際問題に発展したらどうする。


「万が一、サミュエルの風邪も早く治って国に広めたあとに、以前までの看病法と同じだけ治癒するのに時間がかかったとなったとき、国際問題に発展したりはしないのでしょうか?」

「それは心配ない。リンネルは他国の情報を得て自国で広げることに慣れているし、領民も広げられた知識や技術を享受することに慣れている。リンネルは情報を広げる前には必ず自国でも研究を重ねるし、領民も広げられた知識や技術にも対象者や対象物によって例外があることをよく知っている」


 その言葉に、こんな形での処刑はないと、心の中が少し平和になった。


 こんな斜め上からの死亡フラグ回避できない。

 

 だけど、サミュエルの希望をいいことに、サミュエル実験台にされているんじゃ……。それでいいのか、プレタール!!



 翌日、パトリックと城を訪ねると、サミュエルの自室に案内された。サミュエルは寝台の上で、アタシがされたように、こんもりと布団を掛けられ、額に濡れタオルが乗っている。はぁはぁ。と辛そうに荒い息を吐いている。


 その横にアタシの風邪のとき傍についてくれていたルネのように、女性の使用人が一人椅子に腰かけていた。その女性の使用人がアタシに気付き席を譲ってくれた。



「サミュエル? お加減はいかがですか?」


 辛そうに息を荒げていたサミュエルがうっすらと瞼を開けて、その隙間から覗く碧い瞳でアタシを捕らえると、口元を微かに緩めた。


「リュシー。ご無理を言って申し訳ありません。……風邪をひくといつも何日も、すごく辛くて……」

「サミュエルもわたくしのお見舞いに来て下さったではないですか。わたくしもお見舞いに来ただけです」


 サミュエルだけでなくニキアスも、お見舞いに来てくれたこと自体はすごく嬉しかったのだ。体が辛かったし、ベッタベタにかいた汗をタオルで拭っただけで、汗臭かっただろうし、髪も顔にへばりついていた。淑女として殿方に見られて良い姿では決してなかったから会いたくなかっただけだ。


「サミュエル、暑いですか? 寒いですか?」


 べったりと汗で髪が顔にはりつき、濡れている枕カバーを見れば暑いのは一目瞭然だが、一応確認しておく。


「暑い……です……」

「では、お布団を取ります。着替える余裕はありそうですか? このままでは体が冷えて風邪が悪化してしまいます」

「大丈夫です」


 サミュエルが力なく頷いたのを見届けて、アタシはサミュエルの使用人に指示を出す。陛下からアタシの指示に従うように言われているのだろう。ルネと同じように首をかしげながらも、サミュエルを抱えて移動させ、替えのシーツを準備して、手際よく動いてくれた。


「本当は熱いタオルで体も拭くとすっきりして良いのですが、それはもう少し回復してからにしましょう」

「はい。ありがとうございます」


 アタシは水分補給もさせるように使用人に命じた。使用人が横飲みに水を入れて持ってくるとアタシの隣に膝をつき、サミュエルに水を飲ませようと頭を少し起こした。


「リュシー」


 サミュエルがアタシの名を呼びながら、首を横に振っている。


「水飲みたくないですか? 喉痛みます?」


 サミュエルは潤んだ瞳でアタシを見つめながら、首をふるふると振り続ける。隣に膝をついている使用人がクスリと笑った。


「リュシエンヌ様。サミュエル殿下はリュシエンヌ様の手から水分を補いたいようです」


 思いがけない使用人の言葉にアタシは目を白黒させた。


「そう……なのですか……?」


 サミュエルがコクコクと頷く。


 ……なんかかわいい。


 「初めてなので上手にできるか自信はないのですが」と、しっかりと前置きをして、横飲みを受け取った。使用人がサミュエルの頭を少し起こした状態で支えてくれて、アタシは右手に横飲み、左手にハンカチを持って、サミュエルの口に水を少し流した。コクリと喉が鳴り、とくに咳もしない。


 なんとか、初めての水分補給係はうまく言ったようだ。サミュエルは安心したように眠りについた。サミュエルが眠ると使用人が静かな声で口々に先程の指示の理由を聞いてきた。アタシはルネにしたのと同じように説明する。メモを取っている者もいることを考えると、この言葉のまま陛下へと伝わるのだろう。嫌な緊張感がアタシの心をざわつかせるからやめてほしい。


 サミュエルのくしゃみの音が聞こえて、踵を返してベッドの横の椅子に腰かける。とえあえず震えてはいない。今のサミュエルはタオルケット一枚だ。


「サミュエル? 寒いですか?」

「少し寒いです」

「では、お布団を足すのでまだ寒かったらおっしゃってください」


 サミュエルのストップがかかるまで布団を掛け続けようと思っていたが、一枚かけたところでストップがかかった。ホッとしたように、またサミュエルがすぅと眠りについた。


 寒がれば布団を掛け、暑がれば布団を外して着替え、汗が酷ければ着替えをさせる。現世にも氷があればもっと良かったのだけど、ないものは仕方がない。暑がった時はわきの下に冷たいタオルをあてて代用した。


 アタシが一つ行動すればその都度、使用人からの質問が飛んだ。ほぼほぼ陛下命令なので、都度、丁寧に答える。


 掛け物調節を何度か繰り返していたら、サミュエルのお腹の音が鳴った。安堵したように口角を上げた使用人が何やら物騒なことを言った。


「体力をつけるために肉料理を中心に準備してちょうだい」


 絶句だ。弱った体になんという仕打ちだ。そんな油っこいモノ食べさせられたらアタシなら吐く自信がある。必死でスープを推し勧めてなんとかスープのみで落ち着いてもらった。



 誰も帰っていいと言ってくれないので、なんとなくサミュエルの私室に居座っていた。もう帰れないのではないかと思うくらい空が暗くなってきたころ、サミュエルは少し調子が戻ったようで、微笑んでくれた。


「いつもは熱を出した日は必ず吐いてしまうのですが、今日は気持ち悪いこともありません。……実は昨日も吐いてしまって……」


 でしょうね! あんな油っこいもの無理やり口に入れられてたら、そりゃ吐くわ!!


 サミュエルの体調が目に見えて良くなってきたことに安堵していると、サミュエルの使用人に夕食の準備ができたと告げられた。


 ねぇ、アタシ今日帰れるよね……?


 そんな気持ちを込めて困った顔でパトリックを見ると、フイッと視線を逸らされてしまった。護衛騎士というのは、どうやら体は守ってくれても心の護衛はしてくれないらしい。


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