孤独を知った日
パトリックにエスコートされて馬車から下りると、校門の前にサミュエルとニキアスが立っていた。サミュエルはにこやかに微笑んで、ニキアスは腕を組んでふんぞり返っている。
「ふんっ! どうせ運動場の場所も分かるまい。案内してやる」
「手間のかかる奴らだ」とぶつぶつ言いながらニキアスが先頭をきった。運動場は一旦校舎内に入り中庭に出ると、門があってその門を出たところにあった。確かに、聞かないと分からないかもしれないが、パトリックがなんの下調べもしないで訓練をしようと言うとは思えない。パトリックに指でちょいちょいと屈むように指示すると、アタシの口元に耳を近づけた。
「パトリックはここの場所知らなかったの?」
「……昨日教師に確認をとりましたので存じておりました」
パトリックもアタシの小声に合わせるように小さい声で返事をした。
そうだよね……。
キュレール学院の時のように、行動を共にする人が増えるのを避けたいアタシは、ニキアスに一言物申そうと、ふいっと顔をニキアスに向けた。が、すぐにパトリックに止められる。
「ニキアス殿下がああおっしゃっているのですから、それで良いではありませんか」
「……分かりました。……ニキアス」
「なんだ?」
「おかげさまで迷わずたどり着くことができました。わたくしどもの都合で早朝から案内させてしまって申し訳ありません。お疲れでしょう。ゆっくりお休みください」
ゆっくり休める部屋があるかどうかは知らないが、ニキアスの使用人がなんとかするだろう。
アタシの言葉にニキアスが不満そうに目を細めて口をへの字にした。
「せっかく早くに来たのだ。プレタール式の訓練を見て行くのも国同士の交流になる」
ニキアスはそう言って、どかっと勢いよくベンチに腰掛けて腕を組んだ。「さぁ、やれ」と顎をしゃくる。
パトリックがニキアスを見て頷く。貴方は一体だれの側近なの? と問いたくなる。
「では始めましょう。半月ほど訓練ができなかったので今日は体力テストです。体力テスト中はリュシエンヌ様にかかりきりになってしまうのですが、サミュエル殿下はどうなさいますか? 」
いいことを思いついた。アタシがベンチでサミュエルとパトリックの剣の訓練を見ているというのはどうだろう。王子に対して放置プレイというのは外聞がよくないし、アタシも実践に近い訓練を目にすることができる。……というのは建前で、少しでも楽がしたい。
食堂でコーヒーでも飲んでよう。そう思って「では、わたくしが……」と言いかけたところで、サミュエルが首を横に振った。
「それは承知の上で参加させていただいているのですから、僕はニキアスと一緒にリュシエンヌの体力テストを見ています。ティノス学院でも行動を共にするのですから、リュシエンヌの現状を知っておくことはリスク回避の面でも有益です」
「何をおっしゃっているのですか? わたくしにはパトリックという護衛騎士がいます。サミュエルまで、わたくしのリスク回避に付き合う必要などないのです」
ブンブンと勢いよく首を横に振ると、サミュエルがにっこりと微笑んだ。
「行動を共にするのですから、リュシエンヌのリスク回避は僕のリスク回避にもつながるのです。僕のためですよ」
ここでもサミュエルの小言を聞くことになるのかと愕然とした。パトリックに護衛騎士としてのプライドを見せてほしい。救いを求めるようにパトリックを見ると、パトリックは神妙に頷いていた。
……だから、貴方は一体だれの側近なの?
「サミュエル殿下のお心遣いありがたく存じます」
「いえいえ。ぼく自身のためですから、お気になさらず」
「あの……では、サミュエルがアタシと行動を共にしなければよろしいのではないですか? わたくしといることで王子の身に危険が迫るかもしれないなんて怖すぎます。どうかお許しください」
そもそもサミュエルと離れてしまえば問題ない、我ながら素晴らしい案だ。しかし、サミュエルは静かに首を横に振った。
「リュシエンヌ。僕は王族として留学しているのです。リュシエンヌと同様の学びを得ることも務めなら、同じく留学しているリュシエンヌが問題なくリンネルでの生活を送れるかを確認するのも務めなのです。それによって、陛下が今後も留学を認めるかを判断なさるのですから」
王族としての務めと言われてしまえばもう何も言えない。だけど、その言い分では留学中サミュエルから離れられないということになってしまうではないか。
アタシが今の生活レベルをキープしたいのは、面倒事も周りからの監視もこれ以上は耐えられないからだ。生活レベルを今より上げると言うことは王族と結婚することを意味する。そうなると今以上に監視の目が増えることは目に見えている。
どんなにおいしいものをお腹いっぱい食べられようと、どんなに大きな屋敷に住めようと、そんな生活全然楽しくない。
それなのに、これでは結婚もしていないのに実質王族の監視下ではないか。アタシがニキアスの婚約者候補だからか、ニキアスの使用人は品定めでもするようにじろじろ見てくるし、なぜかサミュエルの使用人も同じような目でアタシを見てくる。
大事なサミュエル殿下にまとわりつく公爵家の令嬢が、サミュエルと留学生活を一緒に過ごすにふさわしいかどうかを見ているのだろうけど。吐きそうなくらい息苦しい。
「訓練はまだ始まらないのか」
ただ喋っているだけで一向に訓練が始まらないアタシたちに、しびれを切らしたのかニキアスが声をかけてきた。サミュエルがニキアスに話の成り行きを説明する。
「なるほど。ではサミュエルは俺と剣術の訓練をしよう」
「全て解決ですね」とサミュエルがにっこりと微笑む。ニキアスの鶴の一声でアタシのもがきは一蹴され、何事もなかったようにパトリックには「飛べ」と言われる。
前から気になってはいたけど、どうやらパトリックは訓練になると人が変わるみたいだ。いつもの丁寧な言葉遣いが粗野なものに変わる。
ニキアスは使用人に剣の準備をするよう命令した。使用人が準備をする間、サミュエルがアタシに視線を投げてきた。
「リュシエンヌ、せっかく訓練してもらっているのですから、いつもどおりパトリックにお願いしないといけませんよ」
そう言って、目だけでいつも通りの挨拶をするよう促される。たぶん、ニキアスの前で乱暴な言葉遣いをすることで婚約者候補から逃れさせようとしてくれている。アタシは一つ頷き、いつも通り両腕を交差して後ろ側に勢いよく引いた。
「お願いしゃーす!!」
目を見開いたニキアスが、次にパチパチと瞬きを繰り返した。
「……なんだ今の掛け声は?」
「リュシエンヌのいつもの挨拶です。公爵家の令嬢にこんな物言いをするのは失礼だとは思いますが、リュシエンヌの言動の粗さは時に目を背けたくなります」
サミュエルはそう言って肩を竦めてみせた。ニキアスは楽しそうにガハハと笑う。アタシの挨拶が気に入ったのか、サミュエルと時代劇で見るような殺陣を始める前にアタシと同じようにサミュエルに挨拶した。サミュエルは乾いた笑いをみせて、小さく同じ挨拶を返した。
パトリックが終了を告げるとニキアスは「いい汗をかいた」と満足げに笑った。
「早朝訓練もなかなかいいものだな。よし、これからは俺も参加しよう」
清々しい顔でそう言い放ったニキアスにアタシはダメ押しで〆の挨拶をする。どうか、こんなアタシを婚約者候補から外しておくれ。そんな口には出せない気持ちを言動にこめる。
「あざぁーした!!」
「おっ。そういうのもあるのか。よし。あざぁーした!!」
アタシの意思とは反対にそれは楽しそうに、ニキアスは交差させた両腕を後ろ側にひいた。もう項垂れるしかない。思い切って目の前で吐いてみようかとさえ思うが、女子としてそれはさすがに、と誰に相談するでもなく、冷静な自分が止めに入る。
ティノス学院が始まって一か月が経ったころ、プレタールから手紙が二通届いた。フロリアンとアニーからだ。
結果的にアニーの好きなサミュエルと異国に留学することになったので、アニーの手紙を読むのは憚られたが、きっとフロリアンは優しい言葉をくれるに違いないので、それをご褒美にアニーの手紙から読むことにする。
『ちょっとリュシー、どういうこと? 二学期が始まって学院に来てみたら、サミュエル殿下がいないじゃない。シルヴァン様に聞いたら、リュシーと一緒に留学したっていうじゃない! なんで言ってくれなかったの!?
まぁ、いいわ。お貴族様には色々あるんだろうし。だけどこれだけはお願い。リンネルでのサミュエル殿下の様子を教えてほしいの。
サミュエル殿下はきっと、リンネルでも神々しくも逞しく、気高い。柔和な笑顔と低く響く穏やかな声で周りを魅了するのでしょうね……。
それと、なるべく、サミュエル殿下に不埒な婦人が近付かないように頑張ってほしいの。大丈夫。リュシーならできるわ。リュシーは天使のような容姿に、成績優秀なミシェーレ公爵家の令嬢だもの。体力はちょっとアレだけど、誰もが振り返るその美しい顔で、当然のようにサミュエル殿下の隣に居座り続けて微笑めば、充分牽制になるわ。
アタシの気持ちを知っているリュシーにしか、こんなこと頼めないの。だからお願い。優しいリュシーならきっと、アタシの願いを叶えてくれると信じてる。あ、リュシーも慣れない土地で大変だろうけど、頑張ってね』
アタシには子犬にしか見えないサミュエルだけど、アニーの目には神々しくも逞しく、気高い王子に映っているのか……。
……それに、アタシのことは手紙を終えようとしたときに思い出して、慌てて付け足した感じがする。まぁ、アニーらしいっちゃアニーらしいんだけど。というか、どうやら公爵令嬢のアタシは自国を離れてもなお、自国の平民にいいように使われるのね。
まぁ、でも、アタシはサミュエルに見張られて陛下に報告されるんだもん。アタシも見張ってアニーに報告するのもいいかも。
……いや、ちょっと落ち着こう。ゲームの中のアタシは諜報活動をしたとして死刑にされた。目についたもの全てを書くのは危険だ。こんなところにもアニーの罠が……。アニーに手紙を出す前にルネに確認してもらおう。
そう結論付けて、アニーの手紙を封筒に戻して、机に置く。
次はフロリアンからの手紙だ。なぜかウキウキする。『リュシーへ』と書かれたフロリアンの筆跡に懐かしさがこみ上げてくる。まだ一か月しか経っていないのに。郷愁というのはこういう感情を言うのかもしれない。前世でも味わったことのない感情だ。
心が温かくなるのに、心臓が跳ねるような、切なさがこみ上げるような、瞳の奥が熱くなるような、そんな感じだ。とても今の感情を言葉だけでは表現できない。
手紙を開こうと手を動かしていると、胸がハラハラしてきた。ゴクリと息を飲み、そっと手紙を開く。
『リュシー。元気にしてるか? 学院に来たらリュシーもサミュエル殿下もパトリック様もいないから驚いたよ。留学のこと、いつから決まってたの? ……教えてほしかったな。
まぁ、でも、お貴族さまには俺には到底想像ができない事情があるんだろうなとも思うよ。ただ一つ。以前、“ここにいたら死ぬって言われたらフロリアンならどうする?”ってリュシーは聞いたね。最近読んだ本の話だと言っていたけど……。それが本当に本の中の話であることを願ってるよ。
自由すぎる言動の多いリュシーに驚いてばかりだったけど、実は一人でもやもやと考え込んでいる。そんな姿を何度も見た。もっと仲良くなれたら、いつか、話してくれるかなって思ってもいたけど……。
リュシー。どうか一人で抱え込まないで。遠く離れたプレタールから、それでなくても平民の俺がリュシーにしてあげられることは、悲しいくらいに少ない。聞くことしかできないけど、なんでも話してほしい。
おこがましい言い分かもしれない。だけど、短い間だったけど、大切な友達だと思ってる。
もう一度言うよ。どうか一人で抱え込まないで。
リュシーの幸せと健康を心から祈ってるよ。じゃあ、また』
フロリアンからの手紙にポタリと水滴が落ちて、フロリアンの字が滲んだ。頬に手をあてる。指先が濡れて、自分の瞳から零れた涙だと気付く。心臓を直接わし掴みにされたように胸がぎゅうって締め付けられる。
……ひどく辛い。なんて温かい。なんて悲しい。
サミュエルに一目ぼれした瞬間、その初恋相手に殺されると知った。
『どのルートでもだいたい死ぬ』と嘲笑うようなアタシの死に対するSNSの言葉。
前世の記憶を思い出したときより、もっと。もっと、もっと辛い。
あのときアタシはすごく悲しかった。悲しくてやりきれなくて、本当は泣いてしまいたかった。でも、こんな奴らの思い通りになって死んでたまるかって、無理やり自分を奮起させた。
その先にフロリアンたちがいた。一人で自分の運命に耐えていることに気付いてくれていたフロリアンがいた。
今は、自分の運命を悲しむことしかできない。
アタシはなんで今、プレタールにいないんだろう。なんで、リンネルで一人、手紙を読んでいるんだろう。理由は分かりたくないほど痛烈に理解している。だけど、理性だけでは抗えない何かがアタシの心を支配する。
……淋しいよ。
その日、初めてアタシは孤独を知った。




