針の筵のリュシー
「明日ならご一緒できますから」
「リュシーどこに行くんだ?」
「わたくしも一緒に」
「一人でどこでもふらふらするんじゃない」
「いいから、ここにいろ」
息苦しい。アタシが席を立とうとすると、サミュエルもフロリアンもアニーもセヴランもカンタンも、どこに行くのか、なんのために行くのか、それは今じゃないといけないのか、などと声をかけてくるのだ。
少し離れたところからパトリックの視線も感じるし、居心地が悪いったらない。なんならパトリックはアタシが誰かと一緒にどこかに行こうとすると、視界の隅でゆらりと動き、そのままその影は付いてくるのだ。
自由がない。外の世界とはこんなに息苦しいものなのか。
お腹を壊したらどうすればいいのか。今だって中ではアニーに、外ではパトリックにトイレ待ちされるのだから気が急くというのに。
心配してくれるのはありがたいけど、ここまで厳重にしなくても問題ないと思う。
なんなんだよ! 自由が欲しいよ! 一人になりたい! 一人になりたい、一人になりたい!
どうしたら一人になれるのか。みんなに囲まれてお茶をしながら、そっと思考を巡らす。笑顔で、みんなの話に耳をかたむけているように見えるように時々頷く。
トイレに行くと言ってもアニーとパトリックが付いてくる。トイレ作戦では振り切れない。移動時はみんながアタシの前後を取り囲むようにして付いてくる。授業中も同じく前後両隣を囲まれる。たぶんだけど、パトリックはアタシとダニエルが視界に入る場所にいる気がする。
なんだこれ? 逃げ場がない! なんとか、なんとか一人に! 一人になりたい欲求が止まらない。
「リュシエンヌ嬢。なにか悪巧みをしていらっしゃいませんか?」
突然、それまでの会話の中になかった声色にビクッとして振り向くとパトリックがいた。音もなく近寄り背後を取られていたのだ。怖すぎる。アタシは精一杯の笑みを返す。
「悪巧みなんてしておりませんわ」
「リュシエンヌ嬢。一人になろうなどと努々思われませんよう」
「パトリックはなぜ、リュシエンヌ嬢が一人になろうと悪巧みしていると思ったのですか?」
「それは……」
サミュエルの質問にパトリックがアタシに聞こえないように、サミュエルの耳元でコソコソと喋る。その会話内容を拾おうと、シル、フロリアン、カンタン、セヴランもサミュエルの耳元に自分の耳を近付けていく。
アタシも、と席を立とうとしたらアニーに袖を引っ張られ首を横に振られて止められた。
絶対にアタシのことを話しているはずなのに、なぜアタシが聞いてはいけないのか。それに、一人になろうとしていることの何が悪巧みだというのか。
パトリックの言葉にみんなの笑い声があがる。ますます気になる。
「あぁ、それなら僕も知ってる」
そう言って今度はシルがコソコソと話す。何を知っていると言うのだ。「なるほど」「ふむふむ」と頷く連中を凝視して、なんとか口の動きを読めないか試みるが、全く分からない。喋る人は口を手で隠しているし、声からは内容まで拾えない。
また笑い声が起きて、アタシに視線が集まった。みんな楽しそうだ。腹が立つ。
「みなさま。何を楽しそうに話していらっしゃるの? みんなでいるのにコソコソと内緒話をするのは失礼ではありませんか?」
ぷぅと頬を膨らますと、また笑い声がした。
……マジムカつく。
誰か口を開いてくれそうな人はいないかと、みんなを見渡した。
「フロリアン、ちょっといいかしら?」
「え? 俺?」
フロリアンは意外そうに自分の顔に人差し指を向けて、アタシ以外の人を見回す。その視線を断ち切るようにまたフロリアンに声をかけた。少し公爵令嬢としての圧力をかけてみようと思う。
「フロリアン! ちょっとこちらへ!」
「……はい」
フロリアンの腕を引っ張り、中庭に出ようとするとパトリックが足音もたてずついてくる。振り返ってキッとパトリックを睨みつけた。
「パトリック様はこちらでお茶して寛いでいらして!」
「いえ。自分はこちらに用があるものですから」
ムキ―!! そう言われると来るなとは言えないじゃない!
精一杯の反抗に「ふんっ!」と鼻を鳴らした。
パトリックを巻こうとフロリアンの腕を掴んだままぐいぐい早歩きをする。話し声が聞こえ、もう一度振り返ると背後にぞろぞろと他のメンバーも付いてきている。
「みなさま、なぜ付いてくるのです? フロリアンと一緒だから危険でもないし、中庭に行くのですから個室に二人きりでもありませんよ!」
アタシの怒りににこやかにサミュエルが答える。
「いえ。僕たちもこちらに用があるのです」
続いて頭の後ろに手を組んだシルが言う。
「そうそう。リュシーに僕らの行動を制限する権利なんてなくね?」
カンタンとセヴランも「外の空気が吸いたくてさ」と悪びれもなく付いてくる。能面のパトリックは静かにアタシを見ている。アニーはサミュエルをうっとりとした表情で見ている。
「そうなんですの。では、わたくしはサロンに行きます。参りましょう、フロリアン」
そう言って踵を返せば「あぁ、やはりサロンの方が寛げていいですね」とぞろぞろと付いてくる。
この閉塞感! 耐えられない!!
しばらく、みんなを巻こうとサロンと中庭の間を行ったり来たりして息が上がってきたころ、パトリックが近寄ってきて手首に指先を充てて涼しい顔で言った。
「ただ歩いていただけで、この脈のあがりよう、まだまだ体力が足りませんね」
うるさいっ!
アタシはフロリアンの腕を掴んだまま、走って走って遠回りして走って、中庭にフロリアンを連れてくる。途中なぜかフロリアンの方がアタシの前にいたのは、ちょっと意味が分からない。
あんなに走ったのに、息も上げずみんなが普通に付いてきていて、もう諦めた。
「ここから先は来てはなりません」
アタシはみんなに威圧的にそう忠告するとみんなと距離をとって、フロリアンに小声で話しかけた。
「さぁ、フロリアン教えて。さっきみんなでコソコソと何を話してたの?」
フロリアンが苦い顔でみんなの方向に視線を投げようとするのを、アタシが視線の先に立つことで遮った。だけど身長差があるせいで、フロリアンの視線はアタシの頭上を滑っていく。
「あっち見ないで。見ると何の話しをしているか気付かれるでしょ?」
「だいたい勘づいてると思うけど……」
「……うるさい。教えて! ねぇ、なに話してたの?」
「みんなリュシーを心配してただけだよ」
フロリアンはそれだけ言うと頭をぽんぽんと叩いた。うーと唸って睨みつけるけど効果がない。おかしい。公爵家令嬢の威厳を見せつけているはずなのに。
「みんな過保護すぎるわ。わたくしみんなと同学年なのよ?」
ははっと困った顔で笑いながらフロリアンが言った。
「それは分かってるんだけど、リュシーは危なっかしいからな」
「確かにわたくしは、学院に来て自分がどれほど世間知らずだったか知ったけど、一度言われれば分かるわ。わたくし賢いのよ? 成績もトップクラスだもの。貴族のお茶会でもちゃんと魑魅魍魎モンスターを巻いていたもの」
唖然とした顔でフロリアンがアタシを凝視した。口がぽかんと開いている。
「リュシーは他の貴族を巻いていたの?」
「えぇ。わたくしに取り入ってどんな利があると思っていたのか知らないけど、みんな取り入ろうとして、とても面倒なのよ? だから魑魅魍魎モンスターから逃げるのはお手の物だし、ダニエルの事も最初から魑魅魍魎モンスターと判断できていたわ」
アタシは得意気に、両手を腰にあてて鼻をならした。ダニエルのことを自分にとって有害だと分かっていたと、フロリアンの脳にインプットすることができたはず。
「……それは貴族として大丈夫なの?」
「えぇ。わたくしにはお兄様もいるし、そういう者たちの相手はお兄様がしていらっしゃるから大丈夫なの」
「そんなはずは……」
「本当なのよ。現にわたくし五回に四回は仮病を使って欠席していたもの。それも許されていたの」
「仮病を……?」
フロリアンが信じられないといった表情でアタシを見ているが、なにが不思議なのだろうか。許されていたということは問題なかったということだ。
「えぇ。そうよ。だから逃げることに関してはとても得意なの。だから、ねぇ、教えて? みんなで何を話してたの?」
「……だから、リュシーを心配してただけだよ」
「ではなぜ笑っていたの? アタシを見てコソコソと笑うなんて気分のいいものじゃないわ」
「……それは、そうかもしれないけど、本当に心配してただけだから」
優しいフロリアンならアタシの立場を理解して、教えてくれると思ってたのに裏切られた。酷い。
「裏切られた気分だわ。アタシはみんなが大好きで、心を開いているのにみんなはそうじゃないのね」
「そんなことないよ。リュシーが楽しく学院生活を送れるように協力したいと思ってるだけさ」
「本当に……? わたくしの悪口を言っていたわけではないの?」
「ははっ。そんな風に思ってたの? 悪口なんてとんでもない」
朗らかに笑うフロリアンを見ていると、コソコソ話しについてはどうでもいいような気になってきた。何よりこれ以上聞いても答えてはもらえないだろう。
「分かったわ。心配してくれていただけだと信じるわ」
そう言うとフロリアンはまた頭をぽんぽんして、困ったように笑った。
それからもみんなの視線を一心に受けて、とても居心地の悪い日が続いた。心配してくれるのは分かっていても割り切れないものがある。
最終手段を使うことにした。シルを呼び出したのだ。また遠目にサミュエルやパトリック、フロリアン、アニーにセヴラン、カンタンもいるけど……。
「何? 話って。僕は懐柔されないよ。知ってるだろ?」
「そのくらい分かってるわ。わたくしが聞きたいのは一つだけ」
「何?」
「みんな、なんの利があってわたくしを見張っているの?」
シルが考え込むように顎に手をあてて、視線を彷徨わせた。
「サミュエルとフロリアンは純粋にリュシーを心配して、アニーはサミュエルに取り入りたくて。カンタンとセヴランは面白がってるのと、うまくいけばリュシーや僕、サミュエルの信頼を勝ち得て仕事を獲得したいと言ったところかな」
シルの話によるとアニーは学院の長期休暇中にシルの屋敷で使用人教育を受けて問題なければ、卒業後に城で下働きとして働くことになったそうだ。それを聞いたカンタンとセヴランが自分たちもアニーに続こうとしているのだと言う。
「じゃあ、カンタンとセヴランは仕事の内定がとれれば目標達成ね?」
「さぁ? やってみる価値はあると思うけど」
そう言ってシルは口元に手をあててクスクスと笑った。
アタシだって馬鹿じゃない。ちゃんと学習している。シルがこういう風に笑うときは何か企んでいるときだ。
アタシはシルの考えを探るようにジト目でシルを見つめた。
「なにか裏があるわね」
「なんのこと?」
「シルがそういう笑い方をするときは何か企んでいるときだもの。わたくしちゃーんと気付いてるわ!」
どうだ、参ったか! とアタシはシルを指さし高らかに宣言した。シルは両手を上げて、肩を竦めて返す。
「何も企んでなんてないよ。そうしてくれると僕にかかる面倒が減って楽できるなと思っただけ」
「楽ができる?」
ここはシルの悪巧みを白日の下に晒すため、納得がいくまで問い詰めておく必要がある。
「そう。アニーの城入りの仲介をデュホォン公爵家ですることになっただろう? だからセヴランとカンタンも僕に仲介を頼んでくるかもしれないと思ってたからさ」
「つまり、わたくしがその仲介役を引き受けることで、その手間は省けてシルもお得というわけね?」
「そういうこと」
ふふっとまた口元に拳をあてて笑った。アタシの鋭い眼光はそれを見逃さない。まだ何かある。
「まだ何かあるわね? 白状しなさい!」
「いや、セヴランとカンタンはそれで大人しくなるかもしれないけど、サミュエルとフロリアンとアニーはどうかな、と思ってさ」
サミュエルはアタシを純粋に心配しているし、フロリアンは卒業後、家業を継ぐと決めているのでアタシが動くことでのメリットはない。アニーもサミュエルと行動を共にしたいだけなので、むしろアタシの味方をするとデメリットしかないそうだ。パトリックはなぜみんなと同じくアタシの動向を見守っているのかシルにも分からないと言う。
パトリックはアタシもよく分からない。クッキー目当てってこともないだろうし。
だけど、一人でも取り巻きが減るのは好都合だ。
アタシはせっせと父に手紙を書いた。内容はカンタンとセヴランの使用人になるための仲介役のお願いだ。アタシの屋敷でもいいけど、せっかく仲良くなったカンタンとセヴランとの間に主従関係が発生するのは嫌だ。できれば父の信頼できる屋敷での就職の斡旋を頼んでおいた。
ふぅ。これで一つ解決したわね。
自室で手紙を書いて一息ついているとルネに声をかけられた。
「お嬢様、旦那様からお嬢様が二学期からリンネル国に留学するから同行するようにと申しつけられたのですが」
ルネが聞いてませんけど? と不満げな視線を向けてくる。ルネには言ってなかったのだ。ルネは元々アタシに学院での身分差の関係ない交流を期待していたし、平民との交流を語ると本当に嬉しそうに頬を綻ばせて話を聞いてくれていたので、なんとなく言いにくかった。
「えぇ。同行お願いしますね」
「それは、もちろんですけど、なぜリンネル国へ?」
「こちらで平民たちと接することで、平民がいかに毎日の生活に苦慮しているのか知ったのです。わたくしが農業の先進技術を持ち帰ることができたら、平民の生活も潤うのではないかと考えたのです」
ただの留学のための方便だけど、ルネが感動したように瞳を潤ませてアタシを見つめた。
「お嬢様。ずいぶんとご立派になられて。最初、髪の色を変えるだとか、ショート風にアレンジしろだとか、おっしゃったときは何を言っているのかと思いましたが、ちゃんとご自身の立場を考えての行動だったのですね」
「えぇ。もちろんです。こちらでの生活は屋敷にいるだけでは得られない学びがたくさんありました。お兄様たちは領地経営や政務の為、国外へは出られないでしょう? であれば、わたくしが国外に赴き、学びを持ち帰りたいと思ったのです」
ルネに父からそういう知らせが来たということは、アタシの留学は確定だ。叔父に感謝だ。
リンネルに行ってしまえばこっちのもの。死亡フラグもなくなるし自由にさせてもらうわ。あちこち旅行に出かけたり、特産品を味わいつくすのよ。はぁー。夢が膨らむわ。
みんなに監視されている今のアタシにとってこれ以上ないご褒美だ。その日は、喜びでなかなか寝付けなかった。




